2話:洋館の朝 side H
朝日が照らす住宅街から生活音が聞こえだす頃、木々に覆われた洋館は変わらず鬱蒼として物音一つ聞こえない。
しかしそれは徹底的な防音構造によって阻まれているだけである。
ジリリリリリッ!!
騒音をたてながら、屋敷の朝はコタツから始まる。
携帯アラームを消してコタツから這い出た萩原豊はゆっくり立ち上がった。
彼の布団を兼ねるこの洋間のコタツは7月から9月までの3ヶ月間以外出しっ放しとなっていた。
因みに11月の今となると、彼は屋敷にいる間のほとんどをコタツの中で過ごす。
今は巣から抜け出して活動中の貴重なシーンである。全体的にボサボサとした姿をしており重たげな足取りで歩く姿が見られる。
そのまま部屋の奥から繋がったキッチンへ行き、ヤカンに火をかけてからはテキパキと朝の支度を進めていく。
洗顔した顔から水を滴らせながら炊飯器を確認すると、思いのほか量が少ないことに気付き眉間に皺を寄せる。
しかし躊躇わず杓文字を手に持つと大雑把に弁当箱と茶碗に盛り付けた。
ちなみに今日の弁当メニューは弁当箱一面の肉無し牛丼(つまり玉葱と汁のみ)だ。
肉無し牛丼はこの屋敷の定番メニューで、手軽でお安く作れるジューシーなおかずとして愛されている。
ヤカンで沸かしたお湯で紅茶を入れ、白米だけという質素な食事をとる。
米を買うのに必死な生活をしていた。玉葱も安売りの日に離れたスーパーへ足を向け主婦の猛攻から勝ち取ったものだった。
紅茶はずっと前人付き合いで行ったファミリーレストランのドリンクバーから山ほど拝借したものだ。
なんと屋敷に住んでいるにも関わらず住人は節約を強要される大貧乏だったのだ。
歯磨きをしながらコタツのあるリビングへと戻る。
カーテンが締めっきりの窓の下に目をやると、そこには布に包まれた細長い物体が転がっていた。まるで作られたばかりのミイラである。
歯を磨いたまま無表情でその物体へ近付くとドス、と蹴りとばした。ごろりと一回転したのを一瞥すると萩原はキッチンへと戻っていく。
物体は一度もぞと大きく動くと、勢い良くバサリと表面に巻かれていた布団が剥がれた。
中から現れたのはなんと生きた人間であった。
そのまま目を閉じ死んだように固まっているそれを通りすぎ、萩原は部屋の外へ出てすぐの広い玄関ホールへ向かった。
「行ってきます」
義務だと言わんばかりの無愛想な言葉が広い玄関に反響する。
装飾の凝った大きな扉がギイィと軋みながら開くと暗い室内に眩しい光が差し込んだ。
玄関を出ると一応、庭と言える所に出る。枯れ草に覆われた、管理も何もされていない場所であったが。
手入れされていない茶色の草は伸び放題で、外壁に沿って立つ常緑樹たちは鬱蒼と生い茂っていた。
庭といえば思い浮かぶ花々やテーブル、ベンチはひとつも無い。
伸びきった草原の中、踏みならされた草が通路のようになっていて萩原がその上をざくざくと歩いていく。
しばらく枯れ草の中を歩いていると外壁沿いの木々が一ヶ所欠けている場所へと着いた。
そこにはぽっかりとトンネルが出来ていた。
壁が高くトンネルの上が何かは確認できないが、地理的に民家が建っているとこの屋敷の住人は知っていた。
トンネルの中はジメジメとしており、さらに真っ暗であった。だが萩原は慣れたもので明かりも点けずに進んでいく。
しばらく歩くと真っ暗な中、階段が見えた。階段の先はトンネルの天井で、人一人分くらいの大きさの穴が正方形に開いていた。
なんと高く伸びた階段は、屋敷の2階と同じ高さに造られた場所と繋がっていた。
階段を上るとそこは15畳はあろうかという大部屋だった。そのど真ん中に穴が開いており階段と繋がっていた。
何もないガラリとした部屋で、白い壁に白い床という恐ろしくシンプルな空間だった。
掃除をしていないためか少し埃がたまっている。部屋には明かりが無い上に、窓はカーテンが閉まっている。
そのため朝だというのに薄暗い。
部屋にはドアが一つしか無い。
萩原は鍵の掛かったドアを開けて外に出た。
ガチャ
そこは一軒家が立ち並ぶ住宅街だった。ちなみに屋敷は2、3軒離れた先に見える。
まさかこの男子高校生が屋敷に無断で隠れ住む住人だとは思えない。見事なカモフラージュである。
そもそも今出てきた15畳の部屋に住むことが出来れば苦労はないのだが、残念なことに電気がまったく通っていないのであった。
暗闇に慣れた目をしばつかせながら鍵を閉める。朝日が目に沁みた。
まだ時間に余裕があるのかのろのろと住宅街を歩いていく。
「おはよう」
駅の大通りとぶつかる場所では、電車通学の生徒と遭遇することが多い。
まだ早い時間にも関わらず萩原は声をかけられた。
「なんだ委員長か、よう」
「委員長はあんたでしょうが」
ジトッとした目をして話しかけてくるのは友野光だ。
「そんなゆっくり歩いて委員会議遅刻しないでよ」
「小言ばっかだなあいつ」
早足で遠ざかっていく姿勢の良い背中。それを見送りながらため息まじりに萩原は言った。
ちなみにこの後萩原は委員会にギリギリ遅刻した。




