1話:THE平和な学園生活
「おい昨日俺が机ん中置いてったヤンマーしらね?」
「そりゃ没収だろ、残念」
「何それ天気予報?」
平成高校2年A組。
朝7時50分、ほとんどの生徒が集まる朝の教室は絶えず賑やかだ。
「萩原、これ提出物」
「おまえのなんかいらん」
「いやいや、仕事しろし」
それでもなおやる気を見せようとしないこの男、萩原豊はこのクラスの学級委員である。
自然に整えられた黒髪と、完璧に規定を守って着られたブレザー。
学級委員というだけあって爽やかさと清潔さを感じさせる風体ではあった。
ギョロリとした意志の強そうな目がただの優等生で無いことを語っているようではあるが。
教室出入り口の傍の列、前から二番目に座ったそんな彼は、見た目とは裏腹に微塵も真摯さを感じさせなかった。
ただ椅子にふんぞり返って座っている様子は無駄に偉そうではあったが。
「はいはーい、萩原がいらないそうなので私が貰います。ちょうだい、谷」
呆れた眼差しの男の手から、ピッと音を立ててプリントが取られる。
驚いて後ろを見れば微笑しておはよ、と呟く副学級委員、友野と目があった。
「ああトモネエか。よう」
トモネエと言われた彼女はすぐそばの学級委員の集めた倍ほどのプリントを手元に持っていた。
それを見て、挨拶した男が横目で萩原を見れば、相変わらずふんぞり返ったままよう、と片手を挙げたところだった。
「おまえもはたらけっ」
ぱし、とプリントの束で萩原の頭を叩くと、友野は小さくため息をついて身を翻した。
長い黒髪をなびかせて離れていく彼女の手には、分厚くなった提出物の束が揺れていた。
姿勢の良いすっとした姿に、キリッとした目元の整った顔立ちの美人。
そして一部の伸びた前髪を編み込みして脇へ流した髪型が彼女のトレードマークである。
態度、外見ともにまさしく統率者としてふさわしいカリスマを感じさせた。
どうやらしっかり者の性格が学級委員のだらけを更に呼ぶ結果となったようだが。
「おい、副学級委員が全部仕事やってんぞ」
「それがこのクラスの在り方じゃねえか。すばらしいな」
「ああそうですね。……お前ちょっとはやる気出せよ」
ちなみに先ほどからツッコミを繰り返す彼は谷という。
人のよさそうな雰囲気も相まって、見事な苦労人体質である。焦げ茶の短髪で、典型的な男子学生を模したような外見である。
呆れ顔で萩原と話していた彼だったが、ふと目の前の廊下側窓に視線を移した。
閉めているにも関わらずバタバタと音を立てて近づく大きな足音が聞こえたからだ。
「遅刻だぁぁ!」
ガララッと開け放たれたドアから弾丸のように何かが飛び込んできた。
「きゃ!」
それは飛び込んだ先にいた学生の背中に衝突し、手から大量のプリントがばらまかれた。
突然のタックルに学生の体は勢いよく吹っ飛んで行く。
「あれ?まだ5分ある」
飛び込んで来たのは少女だった。
衝突現場で倒れこんだ彼女は顔を上げ時計を見ると、クリクリした大粒の目を更に大きくさせた。
「恵、言いたいのはそれだけ?」
少女の視界をさえぎるように、ゆっくりと影が立ちはだかった。
吹き飛ばされた被害者=友野光である。
彼女は頬をヒクリとさせ目の前の加害者を見下ろしていた。
「…おはよう、光!」
立ち上がると、恵と呼ばれた少女は少し日焼けした肌に映える満面の笑みで挨拶をする。白い八重歯がまぶしい。
が、もちろん返事はない。
睨み付ける友野に物怖じもせず、恵は彼女の目を見ると悪戯っぽく笑い、べっと舌を出して走りだした。
「謝りなさい!このバカ!」
友野も風を切って揺れる黒いポニーテールを追いかけて走りだす。
登校早々、喧嘩を始めた彼女たち。2人とも苗字は友野である。しかも生まれた日にちもまったく一緒だ。
まったく似ていないし、本人の口から双子だと公言されたわけでは無かったが、A組の凸凹双子姉妹と名は知れていた。
彼女らの喧嘩は、始まると誰も手を付けられないというのがクラス内での常識となっている。
そう、気が済むまで勝手にやらせておくのが一番の得策だというのだ。
「プリントまだの人居ないよなー?あ、トモウトか……提出してから喧嘩しろよ……なあ?」
散らばったプリントを集めると、やる気無い声で萩原が仕事を始めた。
こうなると学級委員も働かざるを得ないのである。ブツブツと近くの席の生徒に愚痴を零しながら呼びかけをする。
主に男子からトモネエとトモウトと呼ばれる姉妹の喧嘩は、大抵が周囲に迷惑をかける結果となる。
止めようと関われば怒りの捌け口にされるのは目に見えている。そのため皆苦笑いで目を背けているのだ。
しかし彼女らの喧嘩にも敵わないものはある。
キーンコーンカーンコーン・・
「席に着いて!!!」
「席に着け!!!」
ガタガタガタッ!
チャイムとともに委員二人の叫びに近い声が響くと、訓練された兵士のように迅速に少年少女らは動いた。鋭い目で目的地(自分の席)を目指す様は圧巻だった。
まるでチャイムはミサイル投下を告げるサイレンのようだった。
前方入り口から最後に入ってきた恵が、必死の形相でガラガラとドアを閉める。
席へと駆け込むと同時に、閉めたばかりのドアが再び開いた。
「おはようございます。では点呼をとりますね」
しんとした教室に微笑みながら教師が入ってくる。
ちなみにこのクラスにとってのチャイムの存在をサイレンに変えたのも、ただでさえ良いクラス成績を格段に上げたのも彼女である。
耳の下までほどのボブヘアーに柔和なつくりの顔はまだ若く美しい。縁なしの眼鏡をかけて微笑む表情は知的で優しい印象を与えた。
しかしそれは何か媒体をはさんで彼女が他人に与える印象に過ぎない。
実際に彼女を前にすると、オーラというか雰囲気というか何か言い知れないものがピリピリとした空気をつくっていた。
常に穏やかな表情にも関わらず、傍によると気を張ってしまう。
教師としての手腕は確かで生徒や同僚にまで恐れられ、特に生徒の間では鬼だのと化け物扱いをされていた。
「藤井」
「はい」
「谷」
「はい」
「月島」
「あ゛ぁい」
空いていた教室のドアから体を半分出して、そこから一番近い机の脚にしがみ付いている生徒から苦しげなうめき声が聞こえた。
寝癖なのかあえてのセットなのか分からない茶髪頭は教師が近づいて来たにも関わらず、激しい呼吸音と共に床を向いていた。
「朝から全力疾走ですか?月島」
「……あ゛い」
「名字が相川じゃなくてよかったですね、点呼で最初に呼ばれてたらもう貴方5回の遅刻ですよ」
「ぁい」
苦しげに肩で呼吸をしながらやっとのことガタガタと席に着く。
「というか、不公平なことに気付いたから明日から相川基準制にするから気を付けてください」
「あ゛ぃ……え?」
「相川以降に来たら遅刻ってだけです。遅刻しなきゃ済むんだから大丈夫ですよ。でも……守れなかったら、わかりますね?」
そう言った彼女から有無を言わせないオーラと満面の笑みを向けられる。
反抗する気など彼には元より無かったが、突きつけられた現状に思わず間抜け面で言葉を無くした。
満足げにそれを見ると教師は教壇へと戻っていく。
月島はぼんやりとした目をさらに虚ろにさせると机の上を呆然と見つめた。
「……鬼畜女教師」
点呼が続く中、誰にも聞こえない声でぼそりと彼は呟いた。
今回の件は鬼畜でもなんでも無く当然のことの用に思えるが。
これが少し変わった2年A組――特進クラスの日常である。




