プロローグ:噂の幽霊洋館?
《洋館の歌姫》という都市伝説がある。
舞台は東京の郊外、閑静な住宅街が立ち並ぶ中。そこにある一軒の洋館だ。
一般的な一軒家の中で異様さを放つその建物は、鬱蒼と高い木に囲まれている。
朝も夜も明かりが点くことは無く、物音一つしない。
長い間人の住んでいる様子の無い、無人の屋敷である。
しかし帰宅途中、男性は見てしまったのだ。
「真夜中の洋館から歌が響いてきた。オペラのソプラノのような、美しい声だった」
彼はそう神妙な顔つきで語りだした。
「あまりに綺麗だったから、声のする方を見てしまったんだ。目に入ったバルコニー、そこには当然誰も居ないはずだった。でも、」
そこで彼は頭を抱えると、震えながらに言った。
「居たんだ、確かに。こっちを睨んでくる長い髪の女が……」
瞬く間にこの噂は広がり、多くの人に語り継がれる怪談的都市伝説となった。
―-―-―
先の見えない、どこまでも続いているような錯覚を起こす廊下。所どころ窓からもれる月明かりが不気味に石床を照らし出す。
ガタ……
そんな中響く音。ここは無人の屋敷のはずである。
リズムはばらばらで、時折大きくガタンと廊下に反響する。廊下には何も変わった様子は無い。
天井に一定の間隔で吊るされたシャンデリアには蜘蛛の巣が張っていて、どれ一つとして点灯しているものは無かった。
しかし玄関から一番近い部屋のドアが僅かに開いており、光がもれている。光は薄明るく周囲の廊下を照らしていた。
音はそこから聞こえていた。
ガタッ
隙間から覗けば、部屋はぼんやり微かな明かりで染まっていた。手入れのされていない蜘蛛の巣だらけのシャンデリアがチカチカと明滅している。
そこまで広くはないが部屋の真ん中には机が置かれ、簡単な接待室として使われていたようだ。
ガタ……
薄暗い空間の中突然ぬっと何かが現れる。
白い手であった。
それは震えながら机の裏から上空へ伸びると恨めしそうに机を叩いた。
何かを求めるように机上を掻くがその手は虚しくさ迷うだけで。
ビシィッ!
「ギェ!」
再び宙をかいた手が、大きな音を立てて叩き落とされた。恐ろしい声とともに、白い腕は机の裏へと勢いよく戻っていった。
「カタカタガタガタうるせぇんだよ!」
コタツから現れた新たな影が机の裏に向かって殴りかかる。大声が部屋に響く。暗く静かだった廊下にも反響した。
「本気で叩くなよクソッたれ!机の上のみかん奥に置くなって言ったじゃん!届かないんだよ!」
「おまえには足ってもんがついてんだから寝っ転がって横着してんじゃねえ、イモ虫野郎!」
部屋から罵声が漏れている。さらにはガタガタとさっきよりも大きな音も響いている。
そこでは壮絶な殴り合いが繰り広げられていた。
机上のみかんを取ろうとして立てた机を叩く音、および揺れが原因らしい。些細なことである。
言わずもがな、無人のはずの屋敷には人間が住み着いていた。
洋館は高い外壁と屋敷を隠すように生い茂った木々に包まれ、隙間から見える出で立ちは昼間でもぞっとする様な薄暗さであった。
しかし鬱蒼とした屋敷の住人は、場違いに騒がしいようで。
どうやら住みついているのは二人で、あまり仲が良いとは言えないようだ。
横着していた男は今や立ち上がり、喧嘩をふっかけてきた相手に掴みかかっていた。体を起こして机に手を伸ばす何倍もの労力を使っていることに怒りのほどが知れる。
先に堪忍袋の緒が切れていた男が、掴みかかっていた元横着者の腕を振り払い、顔面を狙うパンチを繰り出す。
男は軽い動きでそれをかわすと、かわした体勢から素早く殴りかかった。
激しく繰り出された拳を手のなかにあった本をクッションして男が止めると、殴っていた男がピタと動きを止めた。
「その本、何?」
「やんちゃなマイハニーズ☆」
ニヤと口の端をあげて表紙を見せる。水着の女性が大きく写っているのが目を引く。
巷で話題のアイドルグループの美少女であった。
「な、どうして……買う金なんて残っていないはず」
「放課後の教室点検で没収した。学校には不必要だからな」
「くっ、さすが学級委員長。後で見せて」
夜の廊下に静けさが戻っていく。恐ろしいほどの防音構造を誇る奇妙な洋館は、今日も音沙汰無く住人が居るとは微塵も感じさせなかった。
外は11月の冷えた風が吹き、生い茂った木々を不気味に揺らしていた。
いつから建っているか分からない古びた洋館は、毎日変わることなく時間が止まったように存在していた。
だが町に生まれた小さな都市伝説によって、洋館の不思議な日常は変化を迎えることとなる。