見送り
マーサが結んでくれたエプロンを撫で、包丁を持つ。ハイレーナも器用なはずだった。渡された野菜の皮を剥き、トントンと手際よく同じ大きさに切り揃える。
「あれまあお嬢様は料理の才能がおありかもですねぇ」
なんだかちょっと嬉しくなって「もっとやらせて」とせがんだ。
「では夕食の下拵えもお願いしましょうか」
タルト生地を練っていたマーサが伸ばし方を教えてくれる。
小麦粉まみれになりながら、生地を伸ばし「私、本当に料理の才能あるかもよ」と、おどけて見せた。
お母様が亡くなって、お父様が帰ってこなくなった頃、食事が喉を通らなくなった。十二歳になる少し前。
マーサが厨房に連れてきて、料理をするところを見せてくれた。野菜を切り鶏の骨でスープを取り、ハーブや野菜を入れてじっくり煮込む。小さく切ったパンをたっぷりのバターで炒めたクルトン。厨房のテーブルにマーサと座り、泣きながらスープを飲んだ。
それ以来二人の時はマーサと一緒に厨房で食事をする。
――そうか、私が帰ってこなかったら、マーサは一人でご飯を食べるんだ。
ハナは手を止めて、向かいの席で上品にフォークとナイフを使うマーサを見た。
――ごめんね。……それでも帰りたいの。
料理は楽しかった。マーサと一緒に食材を選び調理する。コンロやオーブンの使い方も覚えた。ふとした拍子に手が止まり、心が迷路にはまり込んでしまう以外は。
その朝も雑草を抜く手が止まり、思考が沈みかけた時だった。門の呼び鈴が鳴って我に帰った。騎士服を着た若い男が門のところに立っていた。マーサが出てきて応対している。
「ヴァレンス様からお手紙です。お返事をいただけるなら待つと、使者の方が」
「わかった。すぐお返事するからお待ちいただいて」
マーサから手紙を受け取ると、自室へ向かった。
ヴァレンスの不器用な文字。
――もう二度と見ることがないと思っていたのに。
『エステヴァンの見送り。最初の休憩所で落ち合う約束。馬はこちらで用意する。迎えに行く』
乗馬はヴァレンスに教わった。
初めての乗馬クラスで、一人鞍に登れず笑われて泣いていた時「教えてやる」とそっぽを向きながら行ったヴァレンス。乱暴もので恐れられていたヴァレンスに負けじと言い返しながら、いつの間にか乗馬が大好きになった。
すぐに「もちろん」と返事を書いた。
約束の朝、騎士服で現れたヴァレンスの顔を見てハナは悲鳴をあげた。
「大丈夫なの!?」
「なんてことないさ。いい男が台無しだが……」
苦笑いしながら頭を掻いたヴァレンスの右目の下は真っ黒に腫れ上がって、左頬にも大きな擦り傷。
「怖がらせたか、わりぃ」
大きなヴァレンスの手が伸びてきて、ハナの頭をぽんぽんと叩いた。
「俺、優秀なんだぞ。期待の新人だと。充実している」
とにっこり笑った。
馬は素晴らしかった。気立のいい雌馬でハナにもすぐなついた。
城壁くぐり、街道を飛ばして最初の宿場町を通り越した頃には、気温がぐんぐん上がり、全身が汗に濡れた。街道を外れ田園地帯を抜けたところに小さな湖が見え、手前の広い草地に四台の馬車が止まっていた。馬を降りた途端、湿気を含んだ風が体を包む。エステヴァンが手を振って迎えてくれた。
「やあ、よく来てくれた!」
「ヴァレンス!盗賊と間違われそうだぞ」
ハナには手の甲のキス、ヴァレンスとはガッチリ握手を交わす。
「昼食を用意した」と天幕へ案内された。
「アドリアンも来たがっていたが、あいつは激務らしい。とても休みが取れる状況じゃないと」
「だろうな。悪名高き『宰相秘書室』だからな」
二人が苦笑する。
――ゲームの後のみんなの人生……。
「あいつ、本気で次期宰相を狙ってるから、願ったり叶ったりだろう」
「俺たちも、負けてられないな」
「ああ、数年後が楽しみだ」
ニヤリと笑う二人を見ながら、ぼんやり考えに沈んだ。
「……それもこれも、ハナがいてくれたからだ」
急に名前を呼ばれて顔を上げると、二人がこちらを向いて微笑んでいた。
「……?」
「ハナを通じて知り合って、身分を超えて分かり合えた」
「じゃなきゃ、取り澄ました伯爵様なんぞ」
「強いだけの野生児もごめんだぞ」
「おい!」
侍従が出発時刻を告げに来るまで、おしゃべりと昼食を楽しんだ。
馬車へ向かうエステヴァンについてゆく。
「ハナ、笑って。笑顔で見送ってほしい」
いつものように手を取って、口づけを落とす。そのままスッと引き寄せられてエステヴァンの腕の中へ。
「おい、ウイレムに嫉妬されるぞ」
「いい、今日くらい許せ」
「……」
四台の馬車が街道方向に向けて走り去るのを見送ったあと、ヴァレンスと二人、繋いでいた馬の方へ歩き出した。
「大丈夫かハナ?」
「……」
「腕輪、してないんだな」
「……傷つけるのが怖くて」
「そうか」
「あいつは口だけの男じゃないよ。信じて良い。心配するな」
目を逸らして小さく頷く。
「奴の迎えを待つ間、今しかできないことを十分楽しむんだ。後一年の学院生活、オットーがいるだろ?」
そう言ってハナの頭をポンと優しく叩いた。
――もう一年?。
ぶるっと身悶えして、鞍に跨った。
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