蜜蝋布とエルヴァ
今日の荷物は多い。
大きなバスケットを揺らさないように気をつけながら、図書館へ着いた。
顔見知りになった門の衛兵に挨拶をし、門番詰所に立ち寄る。
中にいた数名の中から、昨日の年嵩の衛兵を見つけると、声をかける。
「昨晩は大変お世話をおかけしました。あの、これ皆さんで召し上がってくださいまし」
バスケットの中からマーサ特製のアップルパイを取り出す。
「おお、これはお気遣いいただいて、すみませんね」
「甘いものがお好きかどうか」
「疲れた時は甘いものに限りますからな。休憩時間にいただきます」
にこやかに受け取ってもらえた。
その時、詰所の奥から顔を出した衛兵に見覚えがあった。数日前ベトランタ語で話していた男。
笑顔を向けて挨拶をする。
「こんにちは。この前ちょっと聞こえてしまったのですけれど、ベトランタのご出身ですか?」
衛兵はハイレーナに話しかけられたのが意外だったのか、目を見開き、気まずそうな表情を浮かべた。
「両親がベトランタ出身です」
もしかして、聞いてはいけない話題だったのか。
「そうだったのですね。でもベトランタ語は不自由なく?」
「はい」
彼は目を伏せたまま答えた。
「羨ましいですわ。今わたしの課題はベトランタ語ですの」
「はぁ。ベトランタ語は文法さえ押さえれば、それほど難しくはないです」
「まあ、では少し頑張ってみようかしら」
「……頑張ってください」
それだけ言って彼は奥へ戻って行った。
詰所を出ると館内へ向かう。
受付台に座っていたのは中年の司書だった。許可証を差し出しながら聞く。
「エルヴァ・ロッシさんは今日いらっしゃいますか?」
「ロッシは、午前中は書庫整理です。何か御用ですか?」
受け取った中年の受付司書の声が冷たい。
「昨日お世話になりましたので、お礼を申し上げたいと思いまして」
しかし許可証の名前を見た途端、目を見開いてハイレーナを見た。声が柔らかくなる。
「――そうですか。では、呼んでまいります。少々お待ちください」
形ばかりの愛想笑いを向けられた。
しばらく待つと、エルヴァと先ほどの司書が戻ってきた。
「エルヴァさん。お仕事中にお呼び立てしてすみません」
「いえ」
背後で受付台に座った男性司書が、耳をすませているのを感じる。
「昨日は大変お手数をおかけしました。おかげさまで無事帰ることができました」
少し大きな声で続ける。
聞きたいのなら聞かせてあげましょう。
「父も、大変感謝しております。くれぐれもエルヴァさんにお礼をと、言いつかってきましたの」
父の名がついて回るのなら、ちょっとだけ利用させてもらう。
数歩下がって、エルヴァを受付台から離す。
今度は小声で続けた。
「それで、お礼と言ってはなんですが、差し入れを。我が家の使用人が焼いたものです」
と言って、アップルパイの包みを差し出す。ふわっと甘い香りが漂った。
「いただけません」
と言いながら、エルヴァの視線が、包みにしばらく止まったのに気づいた。
「そうですか。やはりいけませんか」
「はい、規則ですので」
いつもの無表情だけれど、視線だけ、チラチラ包みのほうに向かう。
「では、お昼をご一緒してくださいませんか。司書の方も、お昼は召しあがりますでしょう?」
マーサからも、受け取ってもらえなければ、昼食に誘ってみろと言われている。
「昼食は仕事時間ではありませんから、もしかしたら受けていただけるかもしれません。でも無理強いしないことです」
「私は回廊のベンチにおりますから。では」
それだけ言って二階へ向かった。
正午の鐘から受付台の方を伺っていたけれど、エルヴァが出てくる気配はなかった。諦めて書物を預け、中庭へ出る。いつもよりだいぶ遅い時間だった。回廊の人影もまばらだ。
お弁当を膝の上に広げた時、影がさした。
エルヴァだった。
「お隣よろしいですか?」
「もちろんです」
ハイレーナの顔がぱっと明るくなる。
横にずれて場所を空ける。
エルヴァはカゴから布に包んだキッシュを取り出した。
ハイレーナはハーブチキンサンドを蜜蝋布から取り出す。
しばらく無言で食事を進めていたけれど、耐えかねたようにエルヴァがハイレーナの手元を覗き込んだ。
「それは、いかなるお料理ですか?その布は全く汚れていませんね。」
ハイレーナは、エルヴァに蜜蝋布とサンドイッチを差し出した。
「ハーブチキンのソテー。レタスとベーコン、トマト、チーズを挟みましたの。この布は蜜蝋布といいまして、少し硬いのですが、油や水を弾きます。このようなサンドイッチを包むには最適ですわ」
「蜜蝋布ですか?それはまた……」
「簡単なのですよ。先日……」
ハイレーナは父とマーサ、3人で蜜蝋布と蜜蝋紙を作った様子を笑いを交えて語った。
「まぁ」
エルヴァは驚いた様子で聞いていた。
「ご自分でお作りになったのですか」
「はい!私が最初にやった方法より、父のやり方の方が綺麗でしたけれど」
そう言いながら、バスケットを開いて、アップルパイを取り出した。
一番下にハイレーナ用のアップルパイを見つけて嬉しくなった。
マーサったら。
一つをエルヴァの方に差し出す。
「お裾分けです」
「エルヴァさんは、甘いものはお好きですか?」
「……はい」
受け取ったエルヴァは遠慮がちに一口。
パッと頬が綻んで目が輝いた。
「美味しい!」
あれ?
と思った次の瞬間には無表情に戻っている。
「……失礼いたしました」
なんだか可笑しくなって宣言してしまう。
「マーサのアップルパイは世界一なんです。」
そうしてハイレーナもアップルパイに齧りついた。
お読みいただきありがとうございます。
書いていて、手作りアップルパイが食べたくなりました。
次回の更新は3月18日になります。




