冬の名残り ウイレムと
3月。
肌寒い朝が続くけれど、日中は暖かい。
週末は必ず屋敷に戻ってマーサと料理をし、サロンの暖炉の前で暖かいお茶を飲みながら、編み物や本を読んで過ごす。
そのゆったりした時間が心の拠り所になった。
気を張らないで本来の自分に戻る時間。
屋敷を出たのは午後の遅めの時間だった。寮へ帰るため乗合馬車の駅へ向かって歩く。
この辺りは王家の森が近いせいか、緑の方が多いくらいで、人通りは少ない。
暮れなずむ風景を見ながら、これから始まる1週間を思って憂鬱な気分を押し殺す。
と、後ろから走ってくる馬車の音が響いてきた。
ハナは避けようと道の端へよる。
勢い馬車は回り込むようにハナの前で止まった。
驚いて立ち竦むハナに降りてきた2人の男たちが足早に近づいてくる。
「失礼」
そのまま有無を言わせぬ手つきで腕を取られ、馬車の方へ連れてゆかれる。
一瞬の出来事だった。声が出ない。足だけは僅かに抵抗するが、男2人の力には敵わない。
食いしばった歯の間から悲鳴が漏れそうになった時、馬車の扉が開いて内側から見知った声が聞こえた。
「ハナ、乗って!」
「ウイレム!」
後ろから押されるように乗り込む。
扉がパタンと閉まり、二人残された。
ウイレムは中腰になってハナを抱きしめた。
「ああ、ハナ!会いたかった」
しばらくそうしていたけれど、深いため息をついて、ウイレムの腕が離れてゆく。
導かれて席に座る。
「ウイレム、どうしたの?」
「ごめん、こんな形で強引に引っ張り込んで。こうでもしないとハナに会えなかった」
「何かあったの?色々うまく行ってないの?」
卒業まえに語ってくれた計画。
王位継承権を放棄して、兄を支える臣下として公爵へ降下する。
降格すれば、しがない男爵令嬢と結婚するのも可能だろう。
「今は反対意見が多くても、なんとかして見せる」
その時、ハナは耳半分で聞いていた。
卒業パーティのパートナーとして出席し、ダンスを踊ればそれで終わりだと確信していたから。
こうして王子然と装うウイレムを目の前にすると、その計画がいかに無謀で、実現するのが難しいのか実感する。
住む世界が違うのだ。学院の、同じ制服を着ていた頃とは違う。
ウイレムは眉を顰めて俯いた。頭を抱える。辛そうに見えた。
そして、もう一度深いため息を吐いた。
「ハナ、あれから色々とあったんだ。国に関わることだから詳しく話せないのだが。本当に色々なことが起こって。僕はずっとハナに会いたかった。話をしたかった」
ハナの頭に御用聞の噂話がよぎって消えた。
あれが本当に起こったのだとしたら……。
ウイレムが手を出してハナの両手を握る。
「ハナは、初めて僕を王子としてではなく、ウイレムとして見てくれた」
ウイレムの空色の瞳がハナを見つめる。
「僕は兄上とは違う良さがある。比べることも、真似する必要もないのだと」
嫌な予感がする。別れの挨拶の前触れみたいだ。
「ちょっと意地悪で、皮肉っぽい。けど面倒見がよく、責任感が強くて頼れる人だと言ってくれた」
ゆっくり一言一言区切って喋る。
「僕の知らない良さを教えてくれた」
出会った頃、兄のオリビアン王太子と常に比較され、捻くれていたウイレム。
それは、彼が誰かに言って欲しかったことだった。
華がこの世界に来た頃は、立場に縛られる人が多くてうんざりしていた。
王子がなんだ、侯爵がなんだ、その前に一人の人間じゃん。と思っていたから。
身分制度って、今以上によくわかっていなかった。
「僕がどれだけ嬉しかったか、きっとハナにはわからないだろう」
「僕を人として見て、好きだと言ってくれる女性こそ側にいて欲しいと思った。そのためになんでもするつもりだった」
ああ、やっぱり別れの挨拶なの?
「しかし、状況が変わってしまった。僕一人の問題じゃなくなってしまったんだ」
そして、ウイレムは呼吸を整えた。目を閉じて一息に言った。
「本当にすまない。君と結婚できない」
……やっぱり。
「わかってくれとも、許してくれとも言わない。ただ、自分の口から君に直接伝えたかった。ハナ、僕の心は君のものだ。けど、この国のために君と結婚することはできない」
どこかで結末がわかっていたような気がする。
そうだよね。
ゲームのエンディングは過去のもの。ハッピーエンドは終わりじゃなかった。帰れなかったんだもの。
ゲームに続編がある設定なら、ハナはもう出番がないのだろう。
みんな離れてゆく。
私だけが学院に、世界に取り残されてゆく。
体の力が抜け切って、空っぽになった感じ。
もうどうでもいい。何も考えられない。
「……わかりました」
そう絞り出した時、明らかにほっとした表情のウイレムが目に入った。
ウイレムは握った手に力を込めて言った。
「愛しているのはハナだけだ」
――想像以上に、何も感じない自分。
だから何?それでも捨ててゆくことには変わりない。
私が失ったのは、あなたの愛だけじゃなくて、元の世界に戻れる可能性。
ハナはそっとウイレムから自分の手を引き抜いた。
「何も言ってくれないんだね」
捨てないでって泣いて縋って欲しかった?
私も愛してるって言って欲しかった?
泣いて、嫌だと言ったところでウイレムが決意を翻すわけじゃない。
そのくらい分かる。
でもあなたの立場も理解しているから、諦めるって言って欲しい?
そこまでお人よしじゃない。
麗しの王子様。
さようなら。
「もう、いいんです。帰ります。降ろしてください」
「ハナ!」
ウイレムの整った顔が泣き出しそうに歪んだ。
「…………わかった」
ウイレムは馬車の扉を叩いた。
外から先ほどの男の一人が扉を開ける。
降りるハナに手を差し出してエスコートしてくれた。きっと王子付きの護衛騎士だろう。
開いた扉の奥からウイレムの視線を感じたけれど、ハナは頑なに振り向かなかった。
考えることは山のようにありそうなのに、何も浮かばなかった。
護衛騎士が渡してくれた自分の荷物を受け取って、まっすぐ乗合馬車の駅へ向かって歩き出した。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ついにウイレムも…
これからの『ハナ』をどうぞ見守ってやってください。




