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蕾は転生し、深愛に咲く。  作者: 紗羽
第四章

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23 始まりの合図

 

 謁見後の立食パーティーが終わる頃、アデルとヘレナの元にアイリスの侍女エマが来た。

 彼女は二人の前で立ち止まると、美しい姿勢を保ったまま頭を下げた。


「アデル国王陛下、ヘレナ様。ブレイド様がお呼びです。執務室へお越しください。」

「あぁ、分かった」


 アデルは頷くと、ヘレナと共にエマの後をついて行った。




 ブレイドの執務室に入ると、そこには執務机に向かって座るブレイドと、彼の隣に立つアイリスの姿があった。


 アイリスの瞳がこちらへと向けられる。

 アデルは、彼女の金色の瞳を直視しないように目を細めながら笑いかけた。


「やぁ、我が天使アイリス。今日も謁見ご苦労だったな」

「ありがとうございます、アデル国王陛下」


 アイリスは小さく微笑みながら頭を下げた。


「……っ」


 アイリスの声が、アデルの鼓膜を甘く揺らす。

 一瞬息苦しくなるが、周りに悟られぬよう必死に耐える。


 もう完全に薬の効果が切れてしまっているようだ。


 きっと、一度でも彼女を見てしまえば自分を抑えられなくなる。

 黒竜たちの警戒心を煽るような行動をするわけにはいかない。

 そう分かっているのに、アデルの視線は勝手にアイリスへと向けられていった。



 ……しかし、アイリスの金色の瞳を見るよりも先に、


 深紅の瞳がアデルの目に映った。



「!」


 真っ直ぐ、こちらを見ている。


 観察するように。

 監視するように。



 黒竜(ブレイド)のその探るような眼差しに、アデルは小さく息を呑んだ。


 いつもと変わらない、今まで彼から向けられてきた本心を探るような眼差しの筈なのに、

 それに僅かな殺気が混ざっている気がした。



「(……っ、落ち着け、悟られるな。)」



 ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着かせると、アデルはいつものようにニッと笑った。



「……」


 ブレイドはそんなアデルを静かに見つめた後、そっと口を開いた。



「……今日、俺とアイリスは宮廷に泊まる。だから、アデル国王陛下とヘレナも宮廷のゲストルームで休んでくれ。」



 ブレイドの言葉に、アデルは訝しげな表情をした。


「宮廷に泊まる……?」

「あぁ。」

「何故そのようなことをするのだ?」


 アデルの問いに、ブレイドはアデルを見据えたまま言った。


「今日はルイスがいない。急遽別の任務に就くことになったからな。だから騎士の詰所が側にある宮廷にいた方が安全だと判断した。」


「!」



 "ルイスがいない"



 ブレイドのその言葉に、アデルの瞳が揺れた。



 ルイス卿。


 皇太子、ブレイド・アレクシアンの従者。

 彼がラドリス帝国の前近衛騎士団長であり、帝国一の実力の持ち主であることはアトロイ大司教から聞いている。


 そのルイス卿が、アイリスとブレイドから離れた。



「(何故このタイミングで……?)」



 罠なのか……?

 だとしても、タイミングが悪すぎる。

 ラドリス帝国で腕の立つものはルイス卿以外いないと言われている。

 ここ数日の騎士たちの様子を見ていたが、ルイス卿のように隙が無く実力を持っていそうな騎士はいないように感じる。

 魔力で優勢だと高を括っているであろうラドリス帝国の騎士たちが、神聖力を宿した宝玉を持つヘルデたちの襲撃とアイリスの護衛を同時に対処することができるとは到底思えない。



「(……て、なんで俺はラドリス帝国の心配してるんだ。)」



 ――今から、ラドリス帝国を襲撃してアイリスを連れ去ろうとしているのは俺なのに。



 アデルは、心の中で自嘲気味に笑った。



「(これはチャンスだ。たとえ罠だとしても、罠ごと壊してしまえばいいだけ。

 ……すべては国のため、民のため。)」


 ゆっくりと静かに息を吐くと、ブレイドに視線を戻した。



「あぁ、分かった。俺たちは問題ないぞ? それよりも――……」


 アデルはそう言いながら、とある物を指差した。



「何だそれは。」



 アデルが指差したのは、ブレイドの執務机の上や横に積み上げられた書類の山。


 先程まで真剣なやりとりをしていたが、ずっと視界に入るその大量の書類が気になって仕方がなかった。

 ブレイドはその書類の山から一枚を手に取ると、溜息をつきながら言った。



「誰かさんたちが滞在しているせいで、ここ数日アイリスに付きっきりだったからな、俺の政務が溜まってるんだ。宮廷に泊まらなければならなくなったのは、これのせいでもある。」


「なんかごめん。」


 チクチクと棘のある言葉を発しながら書類を睨むブレイドに、アデルは思わず謝罪した。

 それに対しブレイドは鼻で笑うと、アデルとヘレナを見た。


「まぁ、今日の謁見も終わったし、あとは宮廷で自由に過ごしてくれ。」


 ブレイドはそう言うと、すぐに視線を書類に向けてそのまま政務を始めた。

 書類にペンを走らせる音が聞こえ始めると、アイリスはアデルの隣に立つヘレナを見た。


「では、ヘレナさん。私たちは先にあちらで着替えてきましょうか」

「!」

「謁見後の立食パーティーも終わりましたし、その服のままでは窮屈で動きにくいですからね」


 アイリスはそう言いながらヘレナに向かって歩いてきた。

 彼女の後ろからエマが控えめに頭を下げながら付いてきている。


「湯浴みのご用意はできております。」

「ありがとうございます、エマさん」


 アイリスはエマにお礼を言いながらヘレナの肩にそっと触れると、ヘレナを軽く押した。


「さぁ、行きましょう、ヘレナさん」

「……うん。」


 ヘレナは こくりと頷いて、アイリスとエマと共に執務室を後にした。


 パタン、と執務室の扉が閉められると、部屋に静寂が訪れた。

 廊下でアイリスがヘレナに話しかけている声がかすかに聞こえる。

 それが聞こえなくなると、ブレイドは書類に目を走らせたまま、目の前に一人で立っているアデルに言った。


「アデル国王も好きなようにしてくれ。初日ここに泊まったからだいたい分かるだろう? 廊下に使用人と騎士を立たせているから誰かに声をかければ対応してくれる。」

「あぁ、分かった」


 アデルは頷くと、踵を返して歩き出した。

 そして、扉の前で立ち止まると、そっとブレイドを振り返った。


「……」


 政務に集中しているブレイド。

 かすかに感じた殺気は、もうなかった。


 アデルは前を向くと、扉の取手を掴んで執務室を後にした。




 * * * *




 湯浴みと着替えを終える頃には、すっかり夜も更けてしまっていた。

 アイリスは、自身に与えられた部屋のベッドに腰掛けて深く息を吐いた。



 さっき、宮廷の浴室で、ヘレナと一緒に湯浴みをした。

 本当は別々に湯浴みをしなければならなかったが、自分の我儘をエマに聞いてもらったのだ。


 傷だらけのヘレナの背中を泡で優しく洗い、一緒に湯船に浸かった。


 大した会話はしていない。


 しかし、湯浴みを終えて着替えた後、部屋を出る直前にヘレナは言った。



『ありがとう……ごめんね……』



 いつもの無表情の中に、戸惑いや寂しさ、哀しみなどの感情が見えた気がした。





 コンコンッ……


「!」


 部屋の扉をノックする音が聞こえ、アイリスは思考を止めて顔を上げた。

 薄暗い部屋に静寂が流れる中、扉の向こうから声が聞こえてきた。



「俺だ。」



 短く告げられた言葉。


 それは、アデル国王の声だった。





 アイリスの部屋の前に立つ、アデル。

 廊下には、アデルの神聖力により眠らされた騎士とメイド達が横たわっていた。


「どうぞ」


 アイリスの声が、鼓膜を揺らす。


 アデルは、扉に手をかけてそっと押した。





 アイリスが部屋の扉を見つめていると、ゆっくりと扉の取っ手が動いた。

 カチャ、と扉が開く音がする。


 自分の鼓動が、大きく響いている。



 扉の向こうから現れた、真紅の髪。


 そして、黒水晶の瞳……。



「アイリス。」



 アデルの甘く響く声が、アイリスの背中を撫でた。




 * * * *




 コツ、コツ……


 灯りの消えた廊下に反響する、ヒールの音。

 月明かりに照らされた、美しい絹糸のような長い髪。


 ヘレナは、ブレイドの執務室の前で立ち止まると、そっと扉を開けた。

 中に入ると、シャンデリアの淡い光が執務室全体を照らしていた。


 その中で一人、執務机に向かって座り、真剣な表情で書類を見ているブレイド。


 扉を閉めて彼の元へ歩いていくと、彼の口が動いた。



「ノックぐらいしろ。」



 淡々とした気怠げな声。

 こちらを見ることもなく告げられる。



「……」


 ヘレナはそれを気にすることなく、そっと肩に羽織っていたストールを床に脱ぎ捨てた。

 そして、ゆっくりとブレイドの元へ歩いていきながらワンピースのボタンを外していく。



「ねぇ」



 鈴の音のような声で呼びかけながらポケットから小さな宝玉を取り出して握りしめると、ワンピースがパサッ、と音を立てながら足元に落ちた。


 ブレイドの顔が書類から逸らされ、下着姿のヘレナを写す。


 ヘレナは宝玉を胸の前に持つと、そっとブレイドの肩に触れた。




「私を、愛して」





 アデルは左手でアイリスの髪を梳くように撫でながら、右手を彼女の胸の前に翳した。




「俺を、愛してくれ」




 二人の声に反応するように、ヘレナの宝玉とアデルの右手が紫色に輝いたーー




 * * * *




「やっと指示通り動き始めたか。」


 宮廷の窓から漏れる、紫色の光。

 それを眺めながらドレイクは口角を上げた。


「本当に上手くいくんだろうな?」


 ドレイクの隣に立っていた黒いローブを羽織った男がドレイクを見上げながら言った。

 ローブのフードから、白い短髪が覗いている。

 少し苛つきながらも焦っている様子の男に、ドレイクは鼻で笑った。


「さぁな。一筋縄ではいかない奴らだってアンタも五年前のことで分かってるだろ?」


「……っ」


 ドレイクが楽しそうに目を細めながら言うと、男が顔を強張らせた。

 拳を振るわせて顔を俯かせた男から視線を逸らすと、ドレイクは暗い宮廷の外を眺めた。



 宮廷の前に植えられた美しい花々。

 五年前、この場所で命を落としたソフィアを弔うために植えられた花たち。



 あの日も、血だらけになった彼女を抱き締めるゼインの姿を、ここから見ていた。



「ーー……」


 ドレイクは、深くゆっくりと息を吐くと、そっと視線を逸らした。



「……まぁ、今回はアンタと俺の望み通りになるだろう。

 この世の厄災と異種族たちへの復讐……、


 それを遂げようじゃないか。




 なぁ? ヘスス族の族長様。」




 ドレイクの言葉に、男は溜息をついた。

 そして、ゆっくりとフードを外すと、若い青年の姿が現れた。



「その呼び方はやめてくれ。……もう私は族長などではない。ただ怨念に生きる屍。死者の体を借りてこの世に留まっているに過ぎない。」



 眉間に皺を寄せながら言った青年。

 彼の瞳は蛇のように鋭く輝いていた。



「早く厄災と皇帝の死を同胞達に……ソフィアに捧げなければ。」



 我らの無念を晴らすために。

 この世に生み出した汚点を、拭い去るために。



 宮廷を取り囲む、ヘルデ。


 彼らの手に持つ宝玉が紫色に輝き、周囲を照らした。



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