幕間 「クロエの夜」
暗部――影の月。
混乱極まる神無の街を拠点に活動する諜報機関であり、この国の秘密兵器。
それより難しいことは正直よく分からないけれど、もの知りのランスが言うには王立騎士団にも引けを取らない戦闘集団……それが影の月という組織なんだとか。
王立騎士団? というものがどれほどすごいのかは私には分からないけれど、私からしたら逆に化け物みたいに強い人ばっかのこの組織と同じくらい強いって、騎士団の方がすごくない? なんて思ってしまうくらいには、私はこの組織……影の月を尊敬し、そして恐れてもいた。
例えば私やランスにたまに戦いを教えてくれる影の月幹部の一人……フィーアさんの強さといったら、なんというか……とんでもない。
まず動きが速くて目で追えない。そして気づいた時にはもう遅いのだ。
決まって私は地面に横になっている。その繰り返し。
当然、一度だってわたしの攻撃があたったことはない。一度もだ。
最近はちょっぴり強くなってきたかな? なんて思っていた私だったけれど、フィーアさんと戦うたびに思い知らされる。
この神無という最悪の街中を怯えず歩くことのできるようになった私ですら、幹部たちにとっては相手にならない格下なのだという事実に。
……そんなだから、同じくらい強い王立騎士団の方がすごくない? なんて思うわけなのである。
なんでも騎士団最強であり剣聖の称号をもつ、れい? さんという女の人が、これまたとんでもなく強いのだという話だ。
「……」
フィーアさんとどっちが強いのだろうか?
もしかしたら序列一位のユノなら勝てちゃったりするのだろうか?
……気になる。
私からしたら影の月……それもロイド様から数字を与えられた幹部が負けるなんてところなんてまったく想像がつかない。
そう思えるだけの圧倒的な戦力が、暗部――影の月にはあるのである。
そして、なにを隠そうこの私……クロエもそんな影の月のメンバーなのだ。見習いだけど。
いいや、この際見習いだとかは関係ない。
大切なのは、そんな最強の組織の一員であることの自覚をもつことだ。
そしてそんな私にあたえられた任務こそが、神さまであると発覚した『ネム』の護衛と監視である。
とは言っても、正直やることはそう多くない。
ネムと言う女の子……いや、神様はとっても無口でおとなしい。
少なくとも出会ってから今まで一度だって言葉を交わしたことはないはずだ。
だから、わたしがやることといえば子供たちの傍で一緒に眠っているネムを眺めたり、たまにお散歩するかのように街を歩くネムの後ろをついて回るくらいである。
そしてそれは今夜も同じ……はずだった。
わたしはそのネムを一目見てすぐに、何かが違うと気が付いた。
満点の星空が広がる夜。
窓際にある椅子に座って、頬杖をつきながら窓の外を眺めるネムの横顔に、私は得体の知れない違和感を抱いたのである。
元々私たちがネムと呼んでいたその神様は、可愛い女の子の姿をしていた。
顔にある火傷のあとも気にならないくらい、可憐な少女だったのだ。
けれど、月明りに照らされたネムのその綺麗な横顔に私は今、違和感を抱いている。
「……」
なにが私にそう思わせたのだろうか?
普段よりも白く見える肌が? それとも月明りに照らされて少しだけ赤く見える瞳だろうか?
わからない。
わからない、けど。
「……ネム?」
気づけば私は、そう口に出していた。
返答がないなんてことは分かっている。
普段のネムならこっちを見ることはあっても、言葉を返すことなんてありはしない。
ありはしない、はずなのに――。
「……なあに?」
ネムはそう言って私に視線を向けると、ふっと薄い笑みを浮かべて見せたのだった。
「――――」
言葉が返ってきたという驚きももちろんある。
けれど、それ以上に、ネムが浮かべた笑顔のあまりの美しさにわたしは固まってしまっていた。
「……ふふ。どうしたのクロエ。お化けでも見たような顔をして」
鈴の音のような、綺麗な声。
まるで私をからかうような声色でそう言って、ネムは悪戯な笑みをその顔に浮かべた。
私はとっさに言葉を探す。
「……い、いや、ネムの声をきいたのが……初めてだったから、驚いて」
……なんで私はこんなに緊張してるんだろうか?
いいや、それよりも。
「……」
ネムから感じるこのプレッシャーはいったいなんなのだろうか。
まるで訓練をしている時のフィーアさんのような迫力を、私は今、ネムから感じている。
「そう。……そういえばそういう話だったかしらね?」
ネムはそう呟くと小さくため息をつきながら、つまらなさそうな顔をして自らの指先に視線をやった。
「……珍しくベル様からお呼びがかかったと思えば、まさかこんな戯れに駆り出されるなんて」
「……え?」
「こっちの話ですわ。それで? なにかわたくしに用でも?」
「……あの」
私は少し迷って、口にした。
「ネムさま……ですよね?」
わたしのその問いに、ネムは可笑しそうに笑う。
「あなたには、わたくしがそれ以外のなにに見えると?」
「……」
……その通りだ。
私は何を考えているのだろうか。
こうして言葉を交わしているという珍しさを除けば、姿形は普段から目にしているネムそのもので、どこも変わっている点は無い。
「……そう、ですよね」
もやもやとした気持ちを抱えながらも、私はひとまず納得をする。
正確には……そうすることしかできない。
予感があった。
そうしなければ、私は――。
「お座りなさいな」
そう言って、ネムは綺麗な白い手を空席へと向けた。
私は招かれるままに、その椅子に座ると向き合う形になったネムの顔をじっと見つめる。
……うん。
ネムだ。間違いない。
間違いないけれど。
「安心なさい」
そう言ってネムは優しく笑う。
「なにがあってもあなたの任務に支障をきたすことはないですわ。だってこれは夢なんですもの」
「……夢?」
「そう。この子たちたちと同じように、ただ夢を見ているのですわ」
そう言うと、ネムは床で固まるようにして寝息をたてている子供たちへと視線をやって、優しくほほ笑んだ。
「……」
感じていた緊張が薄くなったのはこの時だ。
少なくとも、彼女の浮かべる笑みは本物だったから。
「……予定とは少し違いますけれど……まぁ、仕方ないですわよね。だってあまりにも退屈なんですもの。これぐらいの悪戯は許容されるべきですわ」
そう言って、小さくため息をつくと彼女は一度私に視線をやってから、私を導くようにして窓の外へと視線を移す。
つられるようにして私も窓の外に目をやった。
「綺麗ですわね」
「……そうですね」
きっと彼女も見ているのだろう。
夜空に浮かぶ黄金の月と、満天の星空を。
「……それに。なるほど。確かに面白い御方が何人かいるようですわね。ベル様が興味をお持ちになるのも分かります」
「……え?」
そう言って目を細める彼女の横顔を私は眺めることしかできない。
「……そう。あなたにはまだわかりませんのね」
そう言ってほほ笑む彼女の顔はとてもやさしいものだった。
「……あ」
気が抜けたからだろうか。
……なんだか、少し眠く。
「クロエ」
「……?」
重くなっていく目蓋。
その眠気に抗いながら、私は彼女を見る。
目が合った。
なんて綺麗な、赤い瞳だろう。
…………あれ? ネムの目って、薄紫だったような。
「……あ、え?」
意識が朦朧としていく。
彼女は私の頬に手をやると、耳元に顔を近づけて優しくこう囁いた。
「おやすみなさい」
遠くなっていく意識。
私は、ゾッとする程美しい笑みを浮かべるネムを見た。




