144話 「揺れる尻尾」
かるる、と小さくうなり声をあげる神獣。
「「「…………」」」
元々のポチを知っていれば迫力不足感は否めないが、普段の狼獣サイズではなく、神獣の森で出会った頃の大きさになっている為、現実離れした壮大な光景が目の前には広がっている。
事実、短い静寂の後、場は緊迫した雰囲気に包まれていた。
当然である。
おとぎ話にも謳われる程有名な吸血鬼カミラ・ルージュと、神をも喰い殺すとされる神獣。そんな両者が睨み合う形となっている訳だ。天変地異に等しい様相である、
「……おもしろくなってきやがった」
「……」
まったく同意できそうにないジースの愉快そうな声を聞きながら、僕は思う。
――まずい。
なにがまずいのかというと、僕自身、まったく訳が分かっていないというのがよろしくない。
僕自身この状況でどう動くべきなのか……その正解がまるで分からないでいるのだ。
予想外過ぎるのである。
ポチのスキル【変態】を駆使し、神獣の姿へと変身を遂げた野良神の少女ネム。
本来の予定ではノアの姿となったポチと共に登場し、お座りして待つという話だったのだが。
「……おい……おまえ……まさか、われに言っているのか?」
「……(こくり)」
「――――」
勘違いや聞き間違いという線もたった今消滅した。
眠たそうなじと目とは裏腹に、ふわりと逆立った黒い体毛がネムの怒りを現している。
ネムが言葉を発しているのを初めて聞いたという新鮮さを上回る焦燥感が僕を襲った。
「……」
額から流れる汗をそのままに、僕は考える。
……もともと。
そう、元々の話だ。
神獣の姿をしたネムに会話の矢印が向いた場合をはじめ、懸念はいくつかあったのだ。
そもそも集まっている面々が異常なわけで、衝突……つまりは突発的な戦闘行為の発生も十分にありえる話だったわけである。
しかし、あえて言葉にするならそれらは想定の範囲内。
僕自身、ネムにふりかかる火の粉を払う覚悟は十分にできていた。
「……」
しかし、結果として火の粉をふりかけたのはネムの方だという状況だ。
……もちろんどんな状況であっても僕がすべきことは変わらないが、動きづらくなったことだけは確かで。
「なんで怒ってるんだろ? フェンリルって吸血鬼が嫌いなのかな?」
思案顔で小首を傾げるツヴァイ。
僕もそのことについて考えるべきだろう。
ネムが怒りを抱いている原因を特定できれば、もしかしたらこの状況を――。
などと考えている暇もなく状況は動く。
――ダッ。
ネムが駆ける。
僕の視界には、逆立った毛尻尾を揺らしながらカミラへと向かい四つ足で走るネムの姿と、若干困っているようなカミラの顔がばっちりと映っていた。
そういえば、協力者……この場合ベルフェゴールとカミラは事前に入れ替わりを知っているという話だったが。
「……」
時間にして一瞬。
しかし、幸いにも覚悟を決めるだけの間はあった。
……なんでだろうか。
こんな状況にもかかわらず、不思議と緊張が和らいでいく。
眠たそうな瞳とは対照的に、必死さが伝わってくる勇敢なネムの姿。
そんなネムに驚いてのけぞっているカミラの様子。
そしてそれを楽しそうな表情で眺めるベルフェゴールの姿。
場違いだってわかってる。
だけど、なんだか、悪くないなって僕は思った。
――――――――競争である。
「――――!」
僕は立ちふさがるようにネムの正面に立つと、その体を抱き止めた。
「……!」
瞬間、柔らかな衝撃が僕を襲う。
静寂が場を支配した。
僕の両腕はふわふわな体をしっかりと抱きとめていて。
――それが首なのか、お腹なのかは定かではない。
枕に顔をうずめているような、と言えば分かりやすいだろうか。
どんな寝具よりもふわふわなその感触に、いつまでもこうしていたいという衝動に抗いながら僕はおそるおそるネムの顔を見上げる。
「「………」」
目が合った。
綺麗な黄金色。
眠たそうなその瞳が、僕をじっと見下ろしている。
見れば、ふわりと逆立っていたフェンリルの体毛がゆっくりと倒れていくのが分かった。
「フェンリルを……止めた……?」
大きな神獣の体から顔をだすようにして声の主に目を向ける。
僕の視界には、驚いたように目をまん丸にしたフィーアさんと、ぶんぶんと揺れる大きな黒い尻尾が映っていた。
「……フッ」
得意げにロイド先輩が鼻を鳴らす。
「……」
さて、問題はこのあとである。
などと僕が考え始めた時、ベルフェゴールは席を立つと僕らの方へと歩き始めた。
静寂の中コツコツと響く足音。
ベルフェゴールは僕らの元までくると囁くように口にした。
「カミラは人の子を喰らってなどいない」
ベルフェゴールは呆れたように鼻を鳴らして言葉を続けた。
「安心したかよ?」
「……」
ネムはお座りした。




