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143話 「無垢なるモノ」

 




「……人の子を喰らう……吸血鬼の女王……!」


「……!」


 驚いた様子で目をまん丸にしていたカミラだったが、訪れた静寂の中、次第に可笑しいと言った様子で肩を震わせはじめる。


「……ふ……ふふふ」


 不気味な笑い声を微かにあげながら、カミラは自らの顔を覆うように手をやった。

 指の間から覗く赤い瞳は、まっすぐにフィーアさんを向いている。


「……博識ではないか……エルフの女」


「……ッ!」


 カミラ・ルージュの身から赤黒い魔力があふれ始める。

 僕らの足元に広がっていったソレはまるで生き物のように蠢いていた。


「……」


 これも吸血鬼固有の能力なのだろうか。少なくとも僕にはできない芸当だ。



「うげぇ」


 ツヴァイは接触を避けるように椅子の上で両足を抱くと隣にいる僕をのぞき込むようにして小首を傾げた。


「……ユノくん平気なの? ソレ」


「……う~ん」


 ぺたぺたと僕の足をたたきはじめる地面から生えた二つの触手。

 気味が悪いのは確かだが……。


「大丈夫……かな?」


 害が無いと分かったうえで見てみると、案外可愛く思えてくるから不思議なものだ。

 ぺたぺたと僕の足を確認するような仕草も、無垢な小動物のように見えなくもない。


「慣れたら平気だよ」


「……へぇ」


 僕の言葉が意外だったのだろう。少しの間きょとんとした表情で僕の足元を見ていたツヴァイだったが。


「よっと」


 躊躇する間もなく足元で蠢いていたソレを踏み潰した。

 赤黒い魔力が血のようにして飛散する。


「――――」


「ほんとだ。見掛け倒しだね」


 そう言ってケタケタと笑うツヴァイ。

 無邪気、と言えば聞こえはいいが……彼女の奔放さは時にこの状況を作り出した吸血鬼と比べてもなんら遜色なく異常といえる。


 事実、ツヴァイを除けばこの状況で笑顔を覗かせる者は皆無だ。

 この場に満ちる濃密な魔力量が吸血鬼カミラ・ルージュの力を雄弁に語っている。


「それで? われがそうだとしてなんとする?」


 そう言って、カミラは目を細めると挑発的に笑って見せた。


「事実なのか?」


 そのフィーアさんの問いに、カミラは即答した。


「事実だ」


 閉口するフィーアさん。

 隣で笑みを浮かべていたツヴァイも、カミラの声が聞こえたと同時にその笑みを消している。


 そしてなにより僕自身も彼女の……カミラ自身の肯定によって浮ついていた気持は無くなっていた。


「……」


 僕の……勘違いだったということだろうか。

 カミラに対して抱いた印象は決して悪いものじゃなかった。


 だが……本当に子供たちに手をかけた事実があるのだとすれば……僕は。


「……大将はどうお思いで?」


 考え込むようにして腕を組んでいたゼクスが、瞳を閉じたままそう口にする。

 僕を含めて自然とこの場の視線は、ロイド先輩へと集中した。


「……俺たちとて清廉潔白ではない。後ろ暗いこともある。事実、必要とあれば命にも手をかけてきた。…………だが――」


 ロイド先輩の鋭い視線がカミラをとらえた。


「それが俺たちの成すべきことだからだ。役目であり、使命……そこには理由も存在する」


「…………だからどうしたというのだ」


 カミラの冷たい声色が響いてすぐに、ロイド先輩は視線だけを僕へと向けた。


「……ユノ。お前はどう考える」


「…………僕は」



 見かけだけでどうこう判断するのは間違っていることぐらいは僕だってわかる。

 けれど……闘技大会の時にマルファスと契約したマロを見て感じた邪悪な印象を僕はカミラからまるで感じていなかった。


 なにも自分の目に自信があるって言いたいわけじゃない。

 けれど……マルファスがその後におこなった犯行を考えれば少なくとも判断材料の一つにはなり得るはずだ。


「……」


 未だ地面を覆うカミラの魔力。それから伸びる触手のような腕が僕の足をぺちぺちと叩く。

 気づけば僕は口にしていた。


「……何か……理由があったのではないですか?」


「……聞いてどうする」


 視線がぶつかる。

 僕を見るその赤い瞳から感情を読むことは叶わない。

 けれど――。


 黒いドレス。巻かれた黒い髪。白い肌。

 どこかルナに似た雰囲気。そして僕を覗く赤い瞳は、ちょっとだけ神様に似ていて。




 ――綺麗な女の子だと、僕は思った。




「……僕はあなたが悪い吸血鬼とはどうしても思えなくて」


「…………くふふ」


 カミラは僕の言葉に少しだけ反応するように目を見開くと、次いで可笑しいと言った風に挑発的な笑みを浮かべてみせた。


「馬鹿者だな。われは吸血鬼だぞ? 血を求め子を喰らう……そこに特別な理由など存在しない」


「……でも」



 ――「なぜ、そう思った?」



 そう言ってベルフェゴールが真面目な表情をして紅の瞳を僕へと向ける。


 ……なぜ。


「……」


 悪い子じゃない。そう思った理由(わけ)

 雰囲気? ……勘? 

 どれも、少し違う気がした。


 僕は他人の善悪を判断できるような特殊な力はたぶん持っていないし、べつに僕が抱いた印象を誰かに強制したいってわけじゃない。


 だから、そう。率直に……この場合は僕が彼女を見て抱いた印象こそが理由になる。


 あの日……教室で女神アテナを一目見た時に感じたこと。それから、神獣の森でポチに抱いた印象にも少し似ているかもしれない。


 だから……そんなに難しい話じゃないんだ。それが正解だとも思わないし、たぶん誰かを納得させられるだけのものでもない。加えて言えばまったくもって論理的じゃない。


 でも――。


 僕はカミラの赤い瞳を見つめながら、口にした。



「……綺麗だなって……思ったんです」


「ふぇ? なっ――」



 魂が? 雰囲気が? 

 ……分からない。けれど、僕は彼女という存在を確かに美しいと……綺麗だと感じたから。


「お、おまえ、い、い、いきなりなにを言って――」


「もういいじゃねーか。カミラ」


 ベルフェゴールはそう言って席を立つとニヤニヤと笑いながら僕らを回し見た。



「…………悪いヤツじゃないんだぜ? 悪魔の言葉を信じるかはお前達次第だが……良ければ友達とやらになってやってくれ。……こいつ……ボッチなんだ」


 そう言ってベルフェゴールは瞳を細めると、僕をまっすぐに見据えた。


「お、おいベルフェゴール――」


「――つまり、それは……子を喰らった事実はない、ということか?」


 フィーアさんが固い声色で言い放ったその問いにベルフェゴールが鼻を鳴らす。



 ――その時だった。



 ギィ、というきしむ音と共に、扉が開いていく。

 当然、僕らの視線は釘付けになった。


 扉の向こうは暗闇に染まっていた。

 そこから這い出るようにして、ソレは現れる。


「なっ――」


 誰かが息をのんで驚愕を押し殺したのが分かった。

 もちろん僕も驚いている。


 黒く艶のある体毛。

 そして、黄金の瞳。


 一目で尋常ではない風格を纏って、神獣は四つ足で進む。


 その歩みを遮る者はいない。

 地面を覆うようにして蠢いていたカミラの魔力も、神獣の歩みに怯えるようにして道を開けていく。


 のそり、のそりと、神獣は進んだ。

 右に……そして左に。少し迷って、円卓を避けるように。

 遅い……けれど、その歩みはどこか神聖さを感じさせるものだった。


「……神獣」


 ぼそりとロイド先輩が呟いた。


 瞬間、誰もがその存在が何者であるのかを確信する。


「……」


 ……少し、予定とは違う登場だ。

 危険が無いという判断を僕がくだした後に……という話だったが。


 ……いや、ポチがそう判断した……ということだろうか。


「お、おまえ」


 カミラは動揺を隠さずに、その場で後ずさった。


 それもそのはずだ。

 神獣が……いいや、ネムが向かっている先は、間違いなくカミラだ。



 檀上にいるカミラを見上げるようにして、神獣は立ち止まる。


「……な、なにようだ」


 どもりながらそうカミラが口にした瞬間、神獣の全身の毛がフワリと立つ。

 そして眠たそうな黄金の瞳をカミラへと向けたまま、噛まれたらひとたまりもない凶悪な牙をその口から覗かせて言い放った。



「…………てめぇぶっこおすぞ」



 お怒りである。






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