142話 「その名は」
「可憐」という言葉の方が正しいだろうか?
透き通るような白い肌によく映える黒いドレス。
そして神様に少しだけ似ている綺麗な赤い瞳。
それらはいささか異常と呼べるほどに、美しい。
そんな彼女の見せた反応が、違和感を覚える程人間らしく思えて。
「……」
だから、と言いたいわけじゃない。
大悪魔ベルフェゴールと関わりがあるという時点で危険な存在であろうことは僕だってわかっている。
けれど、不思議なことに僕は……彼女が邪悪な存在ではないような気がしてならなかった。
「……ふふ」
不意にベルフェゴールが面白そうに鼻を鳴らす。
見ると、ベルフェゴールは愉快そうに僕を見ながらニヤついていた。
「お前の直感はおおむね正しい。俺の知る限り……コイツほど馬鹿なやつはそうはいないぜ?」
「……?」
ベルフェゴールの言葉に、その少女は不思議そうに小首を傾げる。
いいや、彼女だけではない。
もしかしたら僕以外はその言葉の意味を理解できていないのかもしれない。
「……なんの話だ?」
言ってフィーアさんは怪訝そうに眉をひそめた。
ベルフェゴールは一度静かに瞳を閉じると、僕らを見渡すようにして視線を巡らせる。
「お待ちかねの自己紹介といこうか」
その言葉で室内の雰囲気が一気に重くなったのが分かった。
「とはいえ、なんとなく察しはついてるんだろ?」
ベルフェゴールはうすら笑う。
その赤い瞳はフィーアさんの方を向いていた。
「だから、重要なのは名前って訳だ」
囁くように告げられたその言葉を最後に、室内が静寂に包まれる。
当然だ。事実、奴を知らない者にとってはそれが最も知りたい情報なのだから。
だが分からない。
なぜ奴はそんな当たり前の事を――。
「じゃ、当ててみろよ」
軽い口調で言って、ベルフェゴールは足を組みなおすと僕らを見渡した。
「なにを……?」
困惑するフィーアさんの声を聞きながら、僕は同じ言葉をとっさに思い浮かべていた。
ベルフェゴールは唖然とする僕らを眺めながらニヤリと口の端を吊り上げる。
「誰だったら嬉しい? 誰だったら認められる? そして誰だったらお前たちは許せないんだ?」
「……」
沈黙が場を支配する。
その問いは既に正体を知っている僕やツヴァイ、そしてフィーアさんに向けられてのものではない。
だから僕が考えていたのは、その質問の意図だ。
「なにも意地悪で言ってるわけじゃないんだぜ? そうだな……余興ってやつだ」
「ならばその質問に意味は無い。少なくともお前が誰であるかを皆が理解しなければ、進む話も進まないぞ」
至極当然のそのフィーアさんの言葉にベルフェゴールは肩をすくめて鼻を鳴らした。
「まぁ、そう焦るなよ。それともなんだ? 俺の名を知った時のお前のビビりようでも伝えてやった方が良かったか?」
挑発するようにベルフェゴールはフィーアさんを見つめながらニヤリと笑う。
「そうならないように場を温めたいって俺の気遣いぐらい素直に受け取れよ」
「……」
一瞬にしてフィーアさんの瞳から光が消え失せる。
僕はフィーアさんに向けていた目をとっさに逸らした。
ベルフェゴールは変わらず薄笑いを浮かべながら口にする。
「……どうした? 見当もつかないか? 名のある悪魔なんて今じゃそう多くはいない筈だがな」
「つまりお前さんは、名のある悪魔ってわけだ」
神妙そうなゼクスのその言葉にベルフェゴールは満足げに頷いた。
「その通りだ。当てて見せろよ」
ゼクスは少し考え込むようにして腕を組むと、静かに口を開く。
「……ベルフェゴールだったとしたら」
発現の最中、ゼクスの表情に緊張の色が浮かんだのが分かった。
「大事件だな」
言ってゼクスはちらりとロイド先輩へと視線を送る。
重苦しい雰囲気を切り裂くようにして、ベルフェゴールの明るい声色が響き渡った。
「ご名答。物知りだな?」
「――――」
瞬間、膨れ上がるようにして場に満ちた魔力の濃さが、その衝撃を如実に表していた。
その源は一つではない。
強者だけが可能にする瞬発的な警戒がそうさせたのだった。
時が止まったような――とはこのような状況を指すのだろう。
これまで冷静に沈黙を貫いていた大男……序列3位のドライをはじめ、先ほどまで頭を抱えるようにして怯えていた序列9位の少女ノインも全身に魔力をみなぎらせたままでいる。
無言で交わされていく視線。
ロイド先輩に。
他の暗部の面々に。
傘をさす少女に。
そしてベルフェゴールに。
誰一人その場で固まったまま、他人の出方を伺っている。
なにか一つ、きっかけがあればこの場は戦場と化すだろう。
そんな確信を持てる程の緊迫感。
ゆっくりと流れる時間の中で、意味深にニヤリと笑うベルフェゴールの赤い瞳が怪しく光を強めていくのが分かった。
僕もまた、それらを止めるべく覚悟を決める。
しかしその緊迫した状況は意外にも長くは続かなかった。
「……では問おう。悪魔の首領ベルフェゴール」
沈黙を裂くようにしてフィーアさんが硬い声色で言葉を紡ぐ。
「目的はなんだ?」
その簡潔な問いにベルフェゴールは即答した。
「利害の一致だ」
「……」
「我らが信じられるとでも?」
ベルフェゴールは肩をすくめて瞳を閉じた。
「そこらへんはお前達の器量次第だろ。俺は勝手にノアの陣営につくだけだ」
「ノア様だ」
ロイド先輩の不機嫌そうな声が聞こえたと同時に、ベルフェゴールは頬杖をつきながら口を開く。
「ただ、一つ約束してやってもいい」
「……約束?」
「ああ。お前らが安心できないって言い分もまぁ、分からない訳では無いからな」
フィーアさんの怪訝そうな声。
ベルフェゴールは頷きながら言葉を続けた。
「同盟の証として、お前たちには一切手を出さないと誓おう」
「それでは言葉が足りないな」
「ほう?」
ロイド先輩の言葉にベルフェゴールははっきりとした興味を示していた。
ベルフェゴールと同じように、頬杖をつきながらロイド先輩はうすら笑う。
「一切の危害を加えない……そんな誓いが好ましい」
ベルフェゴールは愉快そうにニヤリと笑う。
「いいぜ? 誓ってやるよ」
互いに視線を向けあいながら悪い顔をする両者。
そんな最中、場違いな声が響き渡る。
「それで~?」
ツヴァイはニコニコと笑いながら、その視線を少女へと向けた。
「その子はだーれ?」
その言葉をきっかけに注目の的が少女へと移り変わる。
それが分かったのだろう。
少しだけ動揺したかのように、少女の持つ黒い傘が小さく震えた。
ベルフェゴールは穏やかな声色で言う。
「こいつは俺の古くからの友人でな。実力は俺が保証しよう」
そうベルフェゴールが前置くと、少しだけ得意げに少女は小さく胸を張ると顔を見せるように傘を少しだけ持ち上げた。
どや顔である。
「名をカミラ・ルージュ。……お察しの通り、吸血鬼の始祖だ」
ベルフェゴールの正体が露呈した時に近しい動揺が室内に広がったのが分かった。
事実、僕も息をのんでいた。
吸血鬼の始祖カミラ・ルージュ。
ベルフェゴールと同じく、伝説に近しい存在だ。
沈黙の中、フィーアさんが緊張した声色でぽつりとつぶやく。
「……人の子を食らう……吸血鬼の女王……!」
「……!」
吸血鬼はとても動揺していた。




