140話 「迫る足音」
月明りが照らす灰色の廊下に、硬い足音がいくつも響く。
「…………」
当然そのうち一つは僕の足音だ。
そこに後ろから付いてくるようにして歩くフィーアさんと、ステップをふむように前を行くツヴァイの足音が混じりあって廊下に木霊している。
今、聞こえるのはそれだけだ。
ずっと難しい顔をしているフィーアさんはもちろんのこと、普段は鼻歌でも歌いだしそうなツヴァイですら軽快な足取りとは裏腹に無言である。
その結果、お世辞にも明るいとは言えない雰囲気が僕らの間に漂っていた。
理由は明白だ。
「……ツヴァイ」
「……なーに?」
フィーアさんからの突然の呼びかけにツヴァイは軽快な歩みを止めないまま振り返るようにしてこちらを向く。
瞬間、ふわりとなびく亜麻色のポニーテール。
ツヴァイの顔には可憐な笑みが浮かんでいる。
「……これはもしもの話だが」
そう前置くと、フィーアさんは小さな声で言う。
「あの悪魔との戦闘を続けたとして、我々は勝てていたと思うか?」
「……ん~」
ツヴァイは前を向くと、身体をほぐすようにして組んだ両手を天井へと伸ばす。
「どうだろうね? 結局やってみなくちゃ分からないけど……」
ツヴァイは視線だけをこちらへと向けてにっこりと微笑んだ。
「勝てたよ。たぶんね」
「……」
その言葉にフィーアさんは少しだけ驚いたかのように口を閉ざすと、安心したかのようにため息を漏らした。
「……そうか。お前がそう――」
「フィーちゃんの言う我々にユノくんが入っているなら……ね?」
そう被せるように言って、ツヴァイは僕に向かってパチンとウィンクをした。
「……」
再び訪れた静寂。
その最中、背後にいるフィーアさんがため息まじりにポツリと呟く。
「……やっかいなことになったな」
僕は心の中で同意する。
あの男が只者じゃないなんてことは分かっていた。
本気でやりあう場合は少なくとも周囲に誰もいないことが大前提になる。それほどの脅威を僕は奴に対して感じていた。
それこそ僕が消滅させた英雄神……マルファスとは格が違う。
けれどまさかその正体が悪魔……それも伝説に近い存在であることなど想像すらしていなかった。
大悪魔ベルフェゴール。
おとぎ話の中の存在だ。
……ポチは一体何を考えているのだろうか?
いいや、ポチだけではない。ロイド先輩だって謎だ。
そもそも暗部の目的の一つは、大災害に匹敵する脅威である悪魔への対抗組織としての側面もあったはずなのだ。そう過去に僕に言って聞かせたフィーアさんの衝撃はそれこそ計り知れないことだろう。
……ただ、驚きとは別にベルフェゴールに感心してしまっている僕がいるのも事実だ。
今こうしてベルフェゴールについてあれこれと考えている時間こそが、あいつの求めていたものの一つなのだろう。
ツヴァイについては分からないが、少なくともフィーアさんにとっては必要な時間のはずだ。
ベルフェゴールは火種と言っていたがまさにその通りで、集会の最中に知るよりも事前に知っておいた方が幾分かマシであろうことは容易に想像できる。それこそ僕のほっぺたを犠牲にしても止められたかどうか……。
……待てよ。ということは以前ジースと戦っていた上品なあの子も悪魔だったりするのだろうか?
「……ん」
ふと、前を歩いていたツヴァイが僕の顔をじっと見つめている事に気が付く。
「……?」
僕が首をかしげると、ツヴァイはころころと笑った。
「はははっ。おもしろいかお」
そう言って、ツヴァイは後ろ手に腕を組むとスキップするように進んでいく。
その様子を眺めていたらしいフィーアさんが、並ぶようにして僕の横まで来ると。
「……その……すまないユノ君」
そう言って、どこかぎこちなく視線を泳がせた。
……僕の両頬はどうなっているのだろうか?
そんな少しの不安を抱きつつ僕は小さく首を振る。
「……へいきれす」
……とても喋りずらい。
けれど伝わったはずだ。
たしかに僕の両頬がダメージを受けているのは、ツヴァイぱんちとフィーアぱんちを同時にくらったたことが原因だが、そもそもそうなるように僕が動いた結果であるからして二人がそれについて謝罪をする必要はないのだ。……失神しかける程、痛かったけど。
ベルフェゴールの名乗りをきっかけに案の定はじまった戦いを止めるために僕が導き出した結論がそれだったというだけの話なのだ。
驚愕の上塗り。
まさに力技である。
ゲラゲラと笑っていたベルフェゴールに対して思うところが無いわけでは無いが、ひとまず争いがおさまったことは、一つ成果と言っていいだろう。
もちろん、それは結論の先延ばしに過ぎないのかもしれないが、少なくとも僕たちは冷静になる時間を得ることができた。
邪神の配下となるべく動くロイド先輩。
真意がつかめない大悪魔ベルフェゴールと黒いドレスの少女。
そして、ノアを演じるポチと、不本意にも巻き込む形になってしまったネム。
僕が今夜選ぶべき選択とは……。
「開けるよ~」
ツヴァイの明るい声で、僕はその時が来たことを強く意識した。
開いていく扉の隙間から覗くろうそくの火のゆらめきに。
「……」
僕は自分の心の様を重ね見た。
「クク……」
ロイド先輩が僕を見て、ニヤリと笑う。
今夜も変わることは無い。
室内に足を踏み入れたと同時に四方から突き刺すようにして飛んでくる視線。
僕は苦笑いを浮かべながら、それらを受け入れる。
ジースの挑発的な笑い声が、僕の鼓膜を震わせた。
「ハッ。さすがアイン様。女連れとはいい御身分なこったなぁ? 両手に花ってか?」
「……」
……はな?
「ん~? ユノきゅん。どうしたのかな? わたし顔は可愛いよね?」
笑顔を浮かべながら僕の両頬をつぶすように手で挟むツヴァイ。
戯れているようにみえて、目が笑っていないあたりがとても怖い。そもそも僕は何も言っていない。
「……はっ」
そんな僕らの様子に呆れたようにジースは鼻を鳴らすと、乱暴に机の上に足の踵をたたきつけた。
「……」
僕の頬をぐにぐにするツヴァイを無視して僕は周囲に視線を巡らせる。
数は僕を除いて八人。すべて影の月の構成員だ。
どうやらポチ達も、ベルフェゴールもまだ来ていないようだ。
招かれるようにして僕はロイド先輩の隣に腰を下ろした。
「わたしユノくんの隣がいいなぁ。ね? ゼクス」
「……あいよ」
向かい合うようにして円卓とは別に用意された高い位置にある空席。
まるで玉座のようにしてあるそれが誰を迎えるものなのかは想像に難くない。
高まる緊張を僕が自覚していたとき、席について間もなくフィーアさんが切り出すようにして口にした。
「始まる前に、一つ、皆に問いかけたい」
「ひっこめよクソエルフ。テメェ誰に断って仕切ってやがる」
「では貴様以外にだ」
言ってジースに鋭い視線を向けるフィーアさん。
僕の背筋は勝手にのびていた。
「……ロイド様。よろしいですね?」
当然のように頷くロイド先輩。
それを機に場の緊張感が一気に高まったのが分かった。
「……野良神の失踪を端に発する此度の件で英雄神への疑惑は確かに強まったと言えます。少なくとも神だから、という固定概念を崩す必要性は確かだと言えるかもしれない」
フィーアさんはそこで口を閉じると言葉を探すようにして瞳を閉じた。
「そして今更、邪神に与することをどうこう言うつもりは私にはない。それを決めるための魔女の集会であることは私も理解している」
「チッ」
そのフィーアさんの言葉に被せるようにしてジースが舌打ちをして言う。
「まどろっこしいんだよ。とっとと言えよ」
その言葉に応えるようにして、強い意志を感じさせる表情をしてフィーアさんは言い放った。
「だが、与する相手が邪神だけでなく、悪魔もとなれば話は変わってくる」
やはり、と言うか。
フィーアさんの言葉をきっかけに小さな動揺が場に生まれていた。
顔色を変えなかったのは、ロイド先輩とジースだけだ。
「……ロイド様。知っていて我らに伏せていましたね?」
その問いにロイド先輩は悪びれることなく笑みを浮かべると、小さく頷いて見せた。
瞬間、ロイド先輩に向けているフィーアさんの視線が鋭くなったのが分かった。
僕もフィーアさんに加勢するようにして横目でジトリとロイド先輩に目をやる。
「……わざわざ「悪魔」の定義をこの場で……皆に説明する必要がありますか?」
それはフィーアさんの精一杯の皮肉なのだろう。
だが、なんにせよ正論である。
もちろんロイド先輩の視線に立って考えてみれば伏せておくメリットも少なからずあることは理解できるが、どちらにせよ生まれるであろう混乱は避けられない。後か、先か。そんな話だ。
「ロイド様。説明を要求します。なぜ伏せていたのか……そんなことはどうでもいい。あなたのことだ。なにか理由が何かあるのでしょう。しかし、悪魔と手を結ぶなど常識から言って――」
「あーあーあーうるせーなぁ」
ジースのがなり声が室内に木霊した。
呆気にとられたかのように目を丸くしていたフィーアさんだったが、すぐにジースへと鋭い視線を向け直す。
「……ジース。貴様」
「馬鹿かテメェ? 神とやり合おうって話だ。その対抗策として悪魔の手も借りてぇってのは分からねぇ話じゃねーだろうが」
「口先だけで物を語るな。私が言いたいのは線引きの問題だ。あれもこれも許容していてはそれこそバカな話に成り下がる」
「じゃあ、そもそもお前の言う悪魔ってのはなんだぁ? 言葉の通りで悪い奴ってのは決まりか? 神サマが野良神ヤって回ったって後じゃ説得力はねぇな」
がなるようにそう言って獰猛に笑うジースとは対照的に、フィーアさんは苦しそうに顔をしかめた。
焼きなおしたかのように、この状況だ。
どちらも間違っていないことを言っている。
そして何より驚くべきは、弁の立つフィーアさんを上回る勢いでジースの言葉に筋が通っている点だろう。
「まぁ、理由だとかは直接聞くとしようや」
ジースは口の端を吊り上げて囁くように言った。
「……来たようだぜ」




