結婚式をしよう
「クレハ、綺麗だよ。誰にも見せたくないくらい、君は美しいよ。外に出したら、神様が自分の花嫁にしようと連れて行ってしまうんじゃないかと、不安になるよ」
「アルノさん……さすがに、その物言いは恥ずかしいから、やめてほしいのだけど」
率直に、素直に褒めたのだけど、紅葉には不評のようだ。
「ん? そう? ごめんね、クレハの美しさに感動するこの思いを、うまく伝えられなくて」
「いえ……その、と言うか、アルノさん、試着の時も見ているのに、どうしてそんなに新鮮に感動できるの?」
紅葉はとても戸惑っているようで、頬を染めつつも視線をそらしてそんな風に言う。でもそんな風に思うことこそ、アルノには不思議で仕方ない。
花嫁衣裳を着る紅葉は、この世のものとは思えないくらい美しくて、体が爆ぜてしまうのではないかと思うほどに心がときめくのに。どうして紅葉には、このときめきを少しでも伝えたくなる思いが、伝わらないのだろう。
だからこそ余計に伝えたいのだけど、でもそれを余計に紅葉は恥ずかしがるようだし、どうしたものか。とりあえず、紅葉の質問には答えよう。
「そうだなぁ。俺はいつでも、君のことを見るたびに、恋に落ちている、のかもしれない」
「……なにそれ。アルノさんて、馬鹿な人ね」
「だって、自分でもわからないくらい、時々はっとするくらい、君のことを好きだなって思うんだ。だからきっと、そういうことだよ」
「……馬鹿。そういうことを、真顔で、言わないで」
紅葉は真っ赤になって、唇をきゅっと引き締めて言った。
確かに、少し恥ずかしいセリフだったかもしれない。自分では真面目に考えているから、恥ずかしいとは思わないけど、紅葉がこんなに照れてしまうなら、笑顔で言えばよかったのか。
「ごめんね。もうすぐ式なのに、動揺させちゃったね」
もうすぐ式の本番なのに、こんなに、耳まで真っ赤になってたら出れない。と言うか、他の人に見せたくないから出せない。やっぱり直前に様子を見に来るのは止めた方がよかったのだろうか。式が始まれば、落ち着いて話をすることはできないから、改めて姿を見ておきたかったのだけど。
後ろに控えている紅葉の付き人、司をちらりと見るけど、いつも通りのすまし顔だ。まぁ、彼女に任せれば何とかしてくれるだろう。
「じゃあクレハ、俺も向こうに行くね」
「ま、あ、アルノさん」
「ん。どうかした?」
踵を返しかけたけど、紅葉の呼びかけに立ち止まる。紅葉は胸の前で両手を合わせてもじもじしながら、あーと声をあげる。
「あー、と……その、アルノさんも、似合っていて、格好いいわ。世界一、その、素敵だわ」
「クレハ……ありがとう。愛してる。キスしてもいい?」
「絶対ダメ」
「残念。式を楽しみにするよ」
名残惜しいけど、ぎりぎりになってもまずいので、今度こそ部屋を出て、自分の控室に行く。部屋に戻ると、黙っていた信彦が口を開く。
「旦那様、俺、皆さまがお帰りになる船で、一緒に帰りますね」
「……へ? え? ちょ、ちょっと待って。聞いてない」
まだ多少は時間があるので、一端椅子に座ろうとしたが、信彦の予想外のセリフに飛び上がるように立ち上がる。信彦はポーカーフェイスを崩さずに頷く。
「はい。なので今言いました」
「いや、急すぎでしょ」
「先日、ミリア様がアルノ様を諦めて他の人と婚約したことは話しましたよね? その時には決まってました」
「もう三週間も前のことじゃないか。どうしてもっと早く……いや、そうか。別れるのがつらくて言えなかったんだな」
もっと早く言え、と言いかけて、はっとする。信彦はこれで、意外と繊細なところのある男だ。きっと言葉にして別れを実感するのがつらかったのだろう。可愛いところがあるじゃないか。
そういうことなら仕方ない。可愛い後輩に甘えられたなら、許してあげるものだ。と自己完結して寛大な心になって微笑むアルノに、信彦は眉を一度寄せてから、また無表情になって首をふる。
「いえ。旦那様の反応が面倒だったので、土壇場で言えば誤魔化せるかな、と」
最悪の答えだった。と言うかそれが真実だったとして、口にする必要が全くない。もうあらゆる意味でアルノを馬鹿にしているとしか思えない。
思わず引きつる頬を何とか笑みの形にする。
「本気で怒っていいところだよね?」
「駄目です。もうすぐ時間ですから、怒ってからその怒りをクールダウンさせる時間はありません」
「じゃあ後で怒るから」
「はい、ご自由に。ただ、奥様と式を挙げられる旦那様が、お怒りを持続できるとは思えませんが」
確かにそうかもしれない。今も紅葉の名前を出されただけで、胸がほんわかして怒りが薄れた。だが怒りが減って感情のキャパに余裕ができると同時に、呆れの感情が出てくる。
「ノブヒコって、本気で俺のこと嫌いなんじゃないかと、たまに思うんだけど」
「そんなことありませんよ。親愛の証です」
いやまぁ、信彦の立場的に、アルノに暴言を吐いて良いことなんて何もないので、言っても問題ない気安い信頼ある関係だと思っているのだとは思うけれど。そこまで開き直られると、反応に困る。
それに実際、結局一年以上付き合わせて申し訳ないし、帰ると言うのを止める気はないけど。でもこう、ちょっとは別れを惜しませてほしいと言うか。うーむ。
首を傾げるアルノに、会場に入るよう控室の外から声がかかった。
促されるまま移動して、会場の中に入る。大勢の人が見守ってくれる中を進み出て、次にやってくる紅葉を待つ。
緊張してきた。今更だけど、この式を終えると、もう誰に何を言われることもない、正真正銘の夫婦になるのだ。あの美しくて、可愛い人が、アルノだけの人になるのだ。胸が痛いくらいの喜びで、顔がにやける。
会場の中は神父の前だけをライトアップして、全体は薄暗いけれど、アルノは夜目もきくので回りの人の顔はよく見えた。みんな、優しい顔で祝福してくれている。
こんなにも、幸せでいいんだろうか、なんて柄でもないことを考えてしまいそうだ。
「続いて、新婦の入場です」
アナウンスと共に、アルノが出てきたのと逆側の扉にライトがあてられ、一泊空けてから扉が開いて、紅葉がでてきた。
開いた瞬間、目を細めたのは眩しいからか。だけどそこから紅葉は表情を固くして、緊張しているのか、ぎこちない足取りでアルノがいる神父の前へとやってくる。
紅葉が隣に立ったので、そっと手を握ってみる。大袈裟に驚かれて顔を見られたけど、知らんぷりして神父を向いていると、少しだけ抵抗するように手を揺らされたけど、諦めたらしく大人しくなった。
それを確認してから、神父はごほんと咳払いをしてから、形ばかりに聖書を開く。
「新郎アルノ、あなたは新婦紅葉を、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、妻として、愛し、敬い、尊重し、共に生きることを誓いますか?」
誓いの言葉は、珍しいものではないだろう。アルノも聞いたことがあったし、リハーサルの時にも聞いている。
だけどどうしてだろう、初めて聞いたみたいに、感動している。
「誓います」
声が震えてないか、不安になる。だけど間違えずに言えた。たった一言を、こんなに重く感じたのは初めてだ。
きっと、この時のことを忘れないし、何度も思い出すのだろうなとアルノは思った。
アルノの返答に、神父は満足げに頷き、紅葉に視線をやる。
「では、新婦紅葉よ、あなたは新郎アルノを、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しいときも、夫として、愛し、敬い、尊重し、共に生きることを誓いますか?」
「誓います」
紅葉は凛と答えた。
その姿を見て、さっき紅葉に言ったのはやはり間違いではなかったと思った。アルノは何度でも、紅葉を見ては、恋をしている。だってこんなに、ときめくのだから。
「よろしい。それでは誓いのキスを」
紅葉と向かい合う。紅葉はわずかに眉尻をさげて、苦笑しているみたいだ。そんな顔も、とても魅力的だ。
そっと近づき、口付ける。何度もしていても、その度に新鮮な幸福な気持ちに包まれる。
「クレハ……愛してるよ。一生、一緒にいようね」
「はい……私も、愛しています」
こうして、アルノと紅葉はついに結婚した。
とても長いような、短いような日々だった。偶然が重なった出逢いと結婚生活は、きっと運命だったのだろう。
アルノが騎士をやめたのも、ニートを選んだのも、きっとこのためだったのだ。
こうして、ニートなアルノは、幸福な結婚をして、幸せな一生を送るのだった。
○
おしまい。




