遊女 花萩
氏満の帰倉に大蔵の御所は沸き立った。
永徳二年(一三八二)五月。行方知れずとなった小山若犬丸の探索のため、一月ほど足止めを喰らわされたが、堂々の凱旋である。
凶徒義政退治も彼の自害によって完勝に至り、首はすでに京へ送られていた。
人々は浮かれ立つ。と、同時に、氏満へ取り入る機会とする。
毎夜、いつ果てるとも知れぬ武将たちの献宴。
それに飽いた彼は、愛妾花萩を臥所に呼びつけた。
「私の留守の間に浮気などしなかったか」
しばらく見なかった花の顔は、どことなく憂いを帯び、
「殿こそ、下野で佳い人に出会われたかと思いましたわ。こちらに戻っても、なかなか私を呼んでくださらないのだもの」
と、女はすねてみせる。
「そう口を尖らせるものではない。美しい顔が台無しじゃないか」
氏満の手が花萩の下顎を捉える。
「こうして、逢っているのだから許しておくれ」
耳元で囁くと、女の体に腕を回し、そのまま横たえさせる。
「まだ、明るうございますよ」
「夜ともなれば、またどこぞの武将に呼び出される・・・・・・」
連夜の祝宴の合間、つまり真っ昼間に愛人と情を交わそうというのである。
日の光に透ける明かり障子。
そこへすっと青い陰が差す。
見慣れた侍女の形をとったそれは、
「殿、表居間にお客様がお見えにございます」
「放っておけ」
氏満が手も休めずに言う。
「遍照院殿にあらせられますが」
「・・・・・・」
己れの護法僧の名に、氏満はようやく動きを止める。
体を起こそうとする男に女は脚をからませ、離すまいとした。
氏満は花萩の耳へ、
「わるいな。この埋め合わせは必ずするから」
そう言って、氏満は立ち上がった。しかし、機嫌を損ねた愛妾が手を貸してくれなかった故、一人で身支度を整えなければならなかった。
男は素早く部屋の外へ出て行った。
花萩はその背中をぼんやりと見送る。障子が開いたとき侍女と目が合ったが、すぐに顔を背けられた。放恣な姿態のままであったから。
障子が音を立てて閉じられた。
もっとも、この御所で花萩を歓迎する者などない。得体の知れぬ女としてむしろ警戒の眼差しを向ける。
――まぁ、私はそれほど気にしていないけど。
花萩こと狐女は胸の中で舌を出す。
氏満が花萩と最初に出会ったのは、二年ほど前、家臣の邸だった。宴の余興として舞を披露した遊女、それが花萩であり、彼女の美貌に心を奪われた氏満はそのまま御所の奥院に連れてきたのである。
素性の知れぬ女をと誰もが眉をひそめた。
花萩は例によって陽の気目当てに男へ近付いたのだが、またもや狐の情深さからか、氏満を憎からず思うようになっていた。
愛し合うときも、丈夫でない氏満の体に気を遣い。
――この人って覇気はあり余っているのに、体は弱いから・・・・・・
陽の気集めをあきらめたため、すっかり霊力も落ちた。けれど、将門のころの秀郷の件もあり、浮気はしないと心に誓っている。
――本気の相手に巡り会えたときはね。
そして当時、鎌倉府では小山氏への討伐の是非が持ち上がり、狐女は複雑な思いを抱いた。
以前より思うところあって小山家を祟ることは止めたが、かといって本当に心を改めたかといえば、自分でもよくわからない。代々の秀郷の子孫を見張るから見守るに転じた程度である。しかし、これも情深い狐の性なのか、嫡流の存続の危機とあっては口出しを抑えることはできず、弥生の月夜、義政親子の前に現れたのだ。
――でも、あの子も大人しく権威に従うって柄じゃないわよね。
生き残った息子の復讐心を砕くために、散々苛めてやったが、どうなることかわからない。我精の強そうな子だったから。
愛する氏満と小山宗家の最後の一人が戦うところなど見たくもないのに。
――まったく男って勝手に戦って勝手に死んじゃうけど、女の身になってみてよね。
戦場へ向かう者たちへ、後に残された者たちは祈ることしかできない。
けれど、その真摯な祈りを、己れの欲を満たす道具として利用する者たちがいる。
護法の、調伏ので利を追う僧侶たちだ。彼らは出世や所領のために、『神仏の功徳』を標榜して恥じない。その最たる者が先ほど来訪した遍照院頼印という僧である。
鶴岡八幡宮二十五の僧坊の一つ、遍照院の院主。彼は氏満の深い信頼を得て、今や押しも押されもせぬ関東護持僧である。
かつて彼は、義政征伐のため氏満とともに小山へ赴き、怨敵降伏の修法を施し、みごと満願成就させたというのだ。
おそらく、今日とて氏満のもとへ訪れたのは報賞のねだり事だろう。
今度は若犬丸降伏の法とかで。
朝敵調伏。
将門のころもそうだったが、彼らは安全な場所で何の犠牲も払わず、味方の勝利に便乗して成り上がっていくのだ。
浅ましい限り。
仏弟子とは本来我欲を捨てねばならぬものを。
花萩は頼印が退出する時刻を見越して、回廊に立ち、園庭越しにその姿を見せつけてやった。頼印が己れを好まぬことを知っていたから。
法衣に大振りの唐錦の袈裟をかけ、それが癖なのか手にした払子を左右に振りながら歩く頼印。
その坊主頭と目が合う。
忌々しげな視線を投げて寄越す。
「あぁ、はしたない。あの女狐、遊女上がりが!」
呟く声が聞こえてきそうである。
相手を十分に不快にさせ、
――いい気味。
氏満との逢瀬をじゃまされた恨みだけではない。僧侶という存在への意趣返しをちょっぴり果たす。
彼女が頼印を嫌うには他にも理由があった。
小山義政の姉の舅にあたる結城直光の病気平癒のことである。
応安六年(一三七三)四月、十日ほどの間に、直光は癲疾の発作を三度も起こしたが、それを頼印が三度とも異なった種類の祈祷で治癒させたというのだ。
しかし、十日間に三度の発作とは、一度で快癒させられなかったのが実際ではないか。にも係わらず、頼印はこう説いた。
「一度目の発作は不浄の霊が憑いており、八幡大菩薩をご光臨参らせ退治致しました。二度目は稲荷のお咎めによるものでして、弘法大師さま御作の仏像をもって、悪霊を散じました。最後は前相州殿(細川清氏)の祟り故、彼の御仁の霊託を伺い、霊障を鎮めたのです」
人々は、
「ほう、各々(おのおの)の発作の原因を突き止め、それに合った祈祷を行ったわけですね」
「他の誰もが祈祷して効果なかったものを、さすがは法印殿」
彼の名声が上がる端緒となったのである。
この噂は、鎌倉の街で遊女として身を立てていた狐女の胸をひやりとさせた。 何しろ結城氏も秀郷の血をひき、それに稲荷のお咎めである。
己れの知らぬ間に何か呪いを発動させてしまったのかと。
しかし、密教とも結びついた茶枳尼天の使いに、悪霊呼ばわりされる謂われはなく、直光の発作は単に持病によるものだった。
頼印の法力は全くのいかさまで、言葉巧みに己れの法験を吹聴しているだけだった。名前を出された前相州は、幕府の執事にして政変により失脚し、後に討ち死した人物だが、泉下でさぞ迷惑がったことだろう。
その他、失職した武将を復帰させたとか、死にかけの人間を生き返らせたなど、さも自分の祈祷のおかげであったかのように言いふらし、鎌倉の武将らの帰依を一心に集めていたのである。
――こんな坊主を重用するなんて、殿も見る目がないわね。
そう思う花萩である。




