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異世界ビール物語~醸造家の異世界転生~  作者: 麦汁酵生


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第十六話 透徹の刃、黄金の苦みが道を拓く ―German Pils―

 German Helles Exportbierを積んで麓の市へ出たあの日から、グランエッジの空気はまた一段変わった。


 それはKölschの時のような、静かでやわらかな変化とは少し違っていた。もっとはっきりした、輪郭のある変化だ。村人たちは、自分たちの酒が村の外でも通じるのだと知った。しかも、単なる物珍しさではなく、味と出来の良さで受け入れられた。


 その事実は誇らしかった。


 だが、誇らしさとは厄介なもので、胸を張らせると同時に、新しい視線も呼び込む。


 数日後、グランエッジには明らかに“品定め”の顔をした客が増え始めていた。行商人や旅人だけではない。酒を扱う店の使いらしき者、麓の食堂主、どこかの蔵付き職人めいた男までが、噂を聞いて立ち寄っていく。


「増えたわね」


 酒蔵小屋の戸口に寄りかかったレティシアが言う。


「何が」


「“飲みに来た”顔じゃない人」


「わかるのか」


「わかるわよ」


 彼女は肩をすくめた。


「美味い酒を楽しみに来る人は、最初に香りを見る。でも値踏みしに来る人は、最初に樽と蔵を見る」


「……なるほど」


 確かにその通りだった。


 酒を愛する人間は、注がれた一杯にまず目を向ける。色、泡、香り。その場で何を感じるかを大事にする。だが、商売として酒を見る人間は違う。量、設備、再現性、継続性。どれだけ造れるか、どれだけ運べるか、どこまで広げられるかを先に見る。


 それ自体は悪いことではない。


 むしろ、外へ出るというのはそういうことだ。


 だが、そこにはもう一つ、これまでより強いものが混ざり始めていた。


 競争心だ。


 グランエッジの酒は、もはや山奥の珍品ではなくなりつつある。外の市で評価され、値段がつき、評判になれば、当然ほかの蔵や商人たちも黙ってはいない。興味を持つ者。真似を考える者。試しに潰しに来る者。あるいは、自分たちの酒の方が上だと示したい者。


 そういう連中が、遅かれ早かれ現れる。


「難しい顔」


 ミーナがいつものように言った。


「最近ほんとによく言うな、それ」


「でも今日はわかりやすいよ。ちょっとむっとしてる」


「……そうか?」


「うん。“負けたくない”って顔」


「そんな顔してる?」


 そこへ帳面を抱えたレナーテが入ってきて、さらりと言った。


「しています」


「お前までか」


「ええ」


 醸は思わず額を押さえた。


 だが否定はできない。


 外へ出た酒が受け入れられたのは嬉しい。だが同時に、自分の胸の奥に、前の世界で何度も味わったあの感覚がじわりと戻ってきていたのだ。


 品評会。


 新作発表。


 他社の限定品。


 業界誌の評価。


 飲み比べイベント。


 無言の比較。


 誰かに勝ちたいわけではない。


 だが、自分の酒が鈍いと言われるのは嫌だ。


 ぬるい、甘い、野暮ったい、凡庸だと片づけられるのも嫌だ。


 だったら出すべきは、もっと輪郭の立った酒だ。


 明るいだけではない。


 やさしいだけでもない。


 きちんと芯があり、ひと口で「これは違う」とわからせる酒。


「次はすっきりした酒ね」


 レティシアが言った。


 醸は顔を上げる。


「……やっぱりわかるか」


「ええ。たぶん皆うすうす思ってたわ」


「そんなに露骨?」


「かなり」


 レナーテも頷く。


「外へ出た今、必要なのは“見せつけるための強さ”ではなく、“品質そのものの鋭さ”です」


「まさにそれだ」


 醸は答えた。


「雑味を許さない。輪郭を曖昧にしない。苦みまで含めて完成度で立つ酒German Pils」


「なるほど」


 レティシアが言う。


「ええ」


 レナーテも頷いた。


「今の流れでは最適かと」


 ミーナが首を傾げる。


「ぴるすって、苦いやつ?」


「ただ苦いだけじゃない」


 醸は言った。


「きれいに鋭い酒だ」


「きれいに鋭い」


「外と渡り合うなら、それくらい要る」


 そう。


 今のグランエッジに必要なのは、遠くへ運べる親しみやすさの次に来る、“評価の場で立つ酒”だった。


 German Pils。


 黄金に冴えた苦みを宿し、完成度そのもので語る酒。


 それはきっと、村の酒が次の段階へ進んだことを示す一杯になる。


     


 仕込みは、これまで以上に神経を削るものになった。


 Pilsは、ごまかしが利かない。


 German Leichtbierも軽さゆえにごまかしが利かなかったが、あれはやさしさの方向で隠れようがないという意味だった。Pilsは違う。こちらは“鋭さ”の方向で逃げ道がない。わずかな濁りも、余計な甘みも、鈍い苦みも、全部が欠点として立ち上がる。


 透明感。


 キレ。


 麦芽の支え。


 そしてホップの気高い苦み。


 その全部が正しい場所に収まらなければならない。


「今度は怖い顔だね」


 仕込み鍋の横からミーナが言った。


「前は難しい顔で、今回は怖い顔か」


「うん。ちょっと剣みたい」


「剣」


「いつもよりしゃきっとしてる」


「まあ、そういう酒だからな」


「苦いんでしょ?」


「苦い。でも、乱暴な苦さじゃない」


「どう違うの?」


「嫌なものを切るみたいな苦さじゃなくて」


 醸は湯気の向こうを見ながら言う。


「全体を引き締めて、“ここだ”って線を引く苦さだ」


「……わかったような、わからないような」


「それでいい」


 今回、醸はホップの使い方にいつも以上に意識を割いていた。


 この異世界に地球そのままのホップがあるわけではない。だが近い性質を持つ香草は見つかっており、これまでも補助的に使っていた。ただ、今度はその扱いが主役級になる。神麦の持つ力を明るく支えつつ、苦みで骨格を立てる必要がある。


 やりすぎれば粗い。


 弱ければ鈍い。


 香りが浮いても駄目。


 苦みだけが前に出ても駄目。


「見てるだけで肩がこるわね」


 レティシアが腕を組んで言う。


「こっちは実際にこってる」


「でしょうね」


「でも、こういう酒は嫌いじゃない」


「好きそう」


「そう見えるか」


「ええ。あんた、基本は真面目だから」


「褒めてる?」


「半分」


「半分か」


「もう半分は、“面倒くさい職人だな”って意味」


「知ってた」


 だが、真面目にやるしかないのだ。


 Pilsとはそういう酒だった。


 派手な奇跡を見せるのでなく、完成度で人を黙らせる。


 それは職人にとって、ある意味では一番逃げ場のない戦いだった。


     


 数日後、発酵の途中段階を確認していた時、グランエッジに招かれざる客が現れた。


 麓の町から来たという中年の男。


 身なりは整っているが、商人というより、どこか“現場”の匂いがある。指先は綺麗にしているが、爪の縁の荒れ方や掌の癖に、酒造りに関わる人間特有のものが見えた。


「何者だ?」


 レティシアが訊くと、男は口元だけで笑った。


「名乗るほどの者ではありません。麓で小さな酒場を手伝っております」


「嘘ね」


 レティシアが即答する。


 男は眉一つ動かさない。


「なぜそう思われます?」


「酒場の手伝いなら、蔵の梁より先に杯を見る」


「……お見事」


 男はあっさりと認めた。


「では少し訂正を。私は酒場も手伝いますが、蔵にも関わっております」


「つまり?」


 醸が前へ出る。


「同業か」


「まあ、そのようなものです」


 男は酒蔵小屋の奥をちらりと見た。


「最近、山の村から興味深い酒が出ていると聞きましてね。しかも今度は、明るい輸出向けの酒の次に、さらに冴えた酒を仕込んでいるとか」


「耳が早いな」


「酒の世界は狭いものです」


 気に入らないが、その通りでもある。


 醸は男の視線の動きでわかった。こいつは単なる見物人ではない。味を見るだけでなく、“どこまでできる蔵か”を確かめに来ている。そしておそらく、自分の側にも誇りがある。


「名前くらい聞こうか」


 醸が言うと、男は一礼した。


「フーゴと申します」


「で、何しに来た」


「一つお願いを」


「聞くだけなら」


「完成したら、ぜひ飲ませていただきたい」


「それだけか?」


「ええ」


 男はにこりともせず言った。


「そしてできれば、こちらの酒もひと口」


 差し出されたのは、小さなガラス瓶だった。


 透明度の高い、明るい黄金色の酒が入っている。


 醸は瓶を受け取り、光に透かした。


 きれいだ。


 雑ではない。


 香りも、封を切らずともわずかに立ってくる。


「うちの蔵の、冬前の麦酒です」


 フーゴが言う。


「よろしければ」


 挑戦状だった。


 露骨ではない。礼儀は崩していない。だが意味は明白だ。


 お前の酒だけが特別ではない。


 評価されたいなら、まず比べてみろ。


 醸は口元を少しだけ上げた。


「いいだろう」


「受けていただけますか」


「逃げる理由もない」


「結構」


 フーゴはそれ以上何も言わず、完成時期を確認すると、再訪を約して去っていった。


 ミーナが口を開ける。


「なんか、怖い人だった」


「怖いというより、真面目すぎる人ね」


 レナーテが言う。


「酒に対しては、ですが」


「真正面から来たな」


 レティシアが言う。


「ええ」


 醸は答えた。


「だが、嫌いじゃない」


 むしろ、少しだけ血が熱くなるのを感じていた。


 そうだ。


 外へ出るということは、こういうことなのだ。


 拍手だけでは終わらない。


 比べられ、見られ、試される。


 ならば、こちらも正面から応えるしかない。


     


 その夜、醸はフーゴの持ってきたPilsを一人で飲んだ。


 いや、一人で飲もうとしたが、結局レティシアとレナーテが付き合うことになった。ミーナは「苦いのはまだちょっと」と言って、香りだけ見て引き下がっている。


 杯に注いだ酒は確かに美しかった。


 透明で、泡立ちは整い、香りもきれい。


 口に含めば、明確な苦みが走る。


 悪くない。


 いや、かなり良い。


「……どう?」


 レティシアが訊く。


「いい酒だ」


 醸は率直に言った。


「雑じゃない。苦みの線もきれいだ」


「勝てそう?」


「勝つ負けるで言いたくはないが……」


 そう言ってから、醸は少し黙った。


「いや、言うべきか。今のままじゃ五分だな」


「厳しいわね」


「本音だ」


 レナーテが杯を置く。


「では、足りないのは?」


「“うちの酒”としての芯だ」


「具体的には?」


「これはよくできた麦酒だ。でも、どこか既に整いすぎてる」


「整いすぎてる?」


 レティシアが眉を上げる。


「綺麗すぎて、土地の顔が薄い」


「それって欠点なの?」


「市で広く飲ませるなら、むしろ強みだ。でも俺が今作りたいのは、“上手いだけの酒”じゃない」


 醸は自分の仕込み中の樽を見やる。


「グランエッジの酒として、冴えてる必要がある」


 山の村の冷たい空気。


 神麦の明るい力。


 冬前の張りつめた気配。


 外と渡り合うための誇り。


 それを、苦みまで含めて一本の線にしなければならない。


「なるほど」


 レナーテは静かに頷いた。


「ただ模範的に優秀なだけでは、今の流れに対する答えにはならない」


「そういうことだ」


「難儀な職人ね」


 レティシアが呆れたように言う。


「知ってる」


 だが、むしろ迷いは消えた。


 競争相手が見えたことで、自分が何を作りたいかもはっきりしたのだ。


 Pilsという刃を、ただ鋭いだけで終わらせない。


 その冴えの中に、この村らしい光を通す。


     


 完成は、雪の匂いが風に混じり始めた朝だった。


 広場へ集まった村人たちは、どこかいつもと違う緊張をまとっている。理由は皆わかっていた。今日はただの新作ではない。外から同業の視線が来るとわかっている中で開ける、一種の“勝負酒”だ。


 フーゴも約束通り来ていた。


 無駄のない外套に身を包み、静かな目で樽を見つめている。


「緊張してる?」


 ミーナが小声で訊く。


「してる」


 醸はあっさり答えた。


「珍しい」


「こういうのは別だ」


「でも、嫌そうじゃない」


「嫌じゃないから困る」


 樽の栓を抜く。


 立ち上る香りに、その場の空気が一瞬静まった。


 きれいだった。


 だが、ただ整っているだけではない。


 神麦の明るい香りが芯にあり、その周りを冴えた草花のようなホップ香が細く走る。冷たい朝の光を思わせる、張りつめた透明感。


 注がれた酒は黄金色。


 Hellesより鋭く、Kölschより力があり、Exportbierより研ぎ澄まされている。


 泡は白く、きめ細かく、潔い。


「……すご」


 ミーナが息を呑む。


「見た目から違う」


「ええ」


 レナーテも小さく言う。


「これは、立っています」


 最初の一杯を受け取ったのは、意外にもフーゴだった。


「いいのか?」


 彼が問う。


「比べに来たんだろ」


 醸は答えた。


「なら最初に見ろ」


「……ありがとうございます」


 フーゴは香りを嗅ぎ、ひと口飲んだ。


 その瞬間、男の眉がわずかに動いた。


 さらにもうひと口。


 今度は舌の上で転がし、喉へ落とし、余韻まで確かめる。


 長い沈黙のあと、彼は杯を下ろした。


「見事です」


 短く、だがはっきり言った。


「苦みが立っているのに角張らない。切れるのに痩せない。しかも……」


「しかも?」


「冷たい」


「冷たい?」


 ミーナが首を傾げる。


「温度の話ではありません」


 フーゴは杯を見つめたまま言う。


「冬の朝の空気のような冴えがある、という意味です」


「……なるほど」


 醸は少し笑った。


「それは嬉しいな」


 次に村人たちも飲む。


 最初の反応はだいたい同じだった。


「苦い」


 だがすぐに、その後へ続く。


「でも、嫌じゃない」


「むしろ、もう一口いきたくなる」


「口の中が締まる」


「頭がはっきりする感じがある」


「これ、外で飲ませたら印象に残るぞ」


 レティシアも飲み、静かに頷いた。


「これはいいわ」


「どういい?」


「譲らない酒ね」


「譲らない?」


「ええ。愛想はある。でも、迎合しない」


「……ずいぶん的確だな」


「悔しいけど、そういう酒よ」


 それはたぶん、醸が無意識に込めていたものだった。


 外へ出て認められた。


 だからといって、誰にでも丸く合わせるつもりはない。


 グランエッジの酒には、グランエッジの誇りがある。


 その誇りが、Pilsの苦みとして現れたのだろう。


     


 試飲が一巡したあと、フーゴが改めて醸の前へ歩み寄った。


「負けました」


 男はあっさり言った。


 ミーナがぎょっとする。


「そんなにすぐ言うんだ」


「言うべき時は言います」


 フーゴは真面目な顔のまま答えた。


「うちの酒も良い出来でした。ですが、こちらには“土地の刃”があります」


「土地の刃」


「ええ」


 フーゴは杯を掲げる。


「同じPilsでも、これはグランエッジでなければ出ない。だから強い」


 醸は少しだけ照れくさくなり、頭を掻いた。


「そっちの酒も悪くなかった」


「ありがとうございます」


「ただ、俺が作りたかった方向とは少し違っただけだ」


「理解しています」


 フーゴは一礼した。


「今日は来てよかった。技だけでなく、何を削ぎ、何を残すかの意味を見せてもらいました」


 去り際、男は小さく付け加えた。


「いずれ、また別の酒でお会いしたい」


「ああ」


 醸は答える。


「今度はこっちがそっちの蔵へ行くかもしれない」


「歓迎します」


 そのやり取りを見ていた村人たちの間から、安堵したようなざわめきが広がる。勝ち負けそのものよりも、外の蔵の人間に認められたという事実が大きいのだろう。


 ミーナは小声で囁いた。


「なんか、かっこよかった」


「どこが」


「職人同士のやつ」


「やつってなんだ」


「わかんないけど、よかった」


「雑だなあ」


「でもほんとに」


 醸は笑いながらも、胸の奥が静かに熱くなるのを感じていた。


 前の世界では、こういう瞬間のために酒を磨いていた時期があった。


 比べられ、認められ、時には負けて、また次を造る。


 その緊張感は苦しいが、同時に確かに酒を前へ進める。


 異世界でもまた、それを味わっている。


 ただし今度は、自分一人の看板ではない。


 グランエッジという村の名を背負ってだ。


     


 その日の夕方、広場には妙な高揚が残っていた。


 祭りのような賑やかさではない。


 戦いに勝った時の昂ぶりとも違う。


 もっと静かで、背筋の伸びる喜び。


 ボルドは杯を片手に言った。


「これ、いいな。飲むと手元が雑にならねえ感じがする」


「鍛冶屋らしい感想だな」


 醸が笑う。


「でもわかるだろ?」


「ああ、わかる」


 レナーテも頷く。


「気持ちが散らない酒ですね」


「散らない」


 レティシアも続く。


「しかも、外へ見せる時に強い」


「そこが大事だ」


 醸は樽を見つめた。


 German Pils。


 それは、グランエッジの酒が“通じる”だけでなく、“競える”ことを示した一杯だった。


 明るいだけでは足りない。


 やさしいだけでも、運べるだけでも足りない。


 評価の場に立つには、一本筋の通った鋭さが要る。


 だがその鋭さは、他者を傷つけるためのものではない。


 自分の輪郭を曖昧にしないための刃だ。


 その意味で、この酒は今の村に必要だった。


 外と関わり、比べられ、揺さぶられても、自分たちが何者かを忘れないために。


     


 夜、酒蔵小屋の前で、醸は一人Pilsを飲んでいた。


 空気は冴え、星は高く、息は白い。


 その冷たさの中で飲むPilsは、実によく似合っていた。苦みは鋭いのに、身体の奥を変に冷やさない。むしろ頭を澄ませ、胸のあたりをきりりと整える。


「一人?」


 背後からレティシアの声がする。


「試飲だよ」


「便利な言い訳ね」


「最近そればっかり言われるな」


 彼女は隣に立ち、自分の分を受け取った。


 ひと口飲み、少しだけ空を見上げる。


「……今日の酒、好きよ」


「へえ」


「意外って顔しない」


「もっと柔らかいのを好むかと思ってた」


「もちろんそういうのも好き。でも、たまにはこういう“はっきりした酒”も必要」


「たまに?」


「今みたいな時には、ね」


「今みたいな時」


「外と向き合う時よ」


 レティシアは杯を見つめた。


「なあなあで笑って済ませるだけじゃなくて、ちゃんと立つべき時ってあるでしょ」


「……あるな」


「これはそういう酒」


 醸はゆっくり頷いた。


 まさにその通りだった。


 Kölschが風を通したなら、Pilsはその風の中で背筋を伸ばさせる。


 Exportbierが村の名を運んだなら、Pilsはその名に輪郭を与える。


「次はどうするの?」


 レティシアが訊く。


「まだ決めきってない」


「でも、何か見えてる」


「まあな」


 醸は夜気を吸い込んだ。


「鋭さの次に何が要るか、って話だ」


「少し和らぐ方向?」


「かもしれないし、逆かもしれない」


「曖昧」


「職人の頭の中なんてそんなもんだ」


 だが、うっすらとした予感はあった。


 競う酒を出したあと、人は次に何を求めるか。


 誇りを示したあと、必要になるのは何か。


 もしかすると、それはもう少し懐の深い酒かもしれない。


 鋭さを知ったうえで、今度は時間を抱くような、秋の終わりから冬の深みへ向かう酒。


 明るさを保ちながら、さらに一歩、季節へ寄り添う一杯。


 まだはっきりしない。


 だが、Pilsの冴えた余韻の向こうに、次の道が確かにある気がした。


 醸は黄金の酒を見下ろす。


 異世界の山村で、自分はまた一つ、職人としての刃を研いだ。


 それは誰かを斬るためではない。


 自分の酒の輪郭を、自分の村の誇りを、曖昧にしないための刃だ。


 German Pils。


 その透徹した苦みは、グランエッジがこれから外の世界と渡り合っていくための、確かな証になったのだった。

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