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異世界ビール物語~醸造家の異世界転生~  作者: 麦汁酵生


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15/20

第十五話 旅立ちの樽、遠路を越える明るき麦の誇り ―ジャーマン・ヘレス・エクスポートビア―

ケルシュが村にもたらした変化は、目に見えて静かなものだった。

 けれど、静かな変化ほど根づくのは早い。

 グランエッジの広場では、外から来た商人や旅人が以前より自然に腰を下ろすようになっていた。村人たちもまた、必要以上に身構えず、それでいて馴れ馴れしくもならず、互いの距離を測ることを少しずつ覚え始めている。ケルシュはその場の空気をやわらげ、人の言葉の棘を丸め、村に吹き込み始めた“外の風”をうまく受け止める手助けをしていた。

 だが、外の風は受け止めるだけでは済まない。

 それは必ず、どこかへ吹き抜けていく。

 ある日の昼下がり、セレナが帳面を閉じて言った。

「そろそろ、来ると思っていました」

「何がだ?」

 醸が訊くと、彼女は酒蔵小屋の外に視線を向けた。

「“持ち帰りたい”という話です」

 その予言めいた言葉の意味は、すぐにわかった。

 その日の客は、麓の町の小間物商と、街道を回る中堅の行商人、それに祭りの時にも顔を見せた巡回兵の古株だった。三人ともケルシュを気に入り、広場の空気の変化まで含めて感心していたのだが、飲み終えるなり、行商人の男が木杯を置いて言ったのだ。

「なあ、これを樽ごと一つ、うちの隊商に載せられないか?」

 醸は眉を上げた。

「ケルシュを?」

「いや、ケルシュもいい。だが俺が本当に持っていきたいのは、お前さんの“村の顔”みたいな酒だ」

「村の顔?」

「そうだ」

 男は指を折る。

「祭りを支える酒があった。冬の入口を守る強い酒があった。疲れをほどく軽い酒もある。だが、外に持っていくなら――どれか一つ、この村を代表するような明るい酒が欲しい」

 その言葉に、酒蔵の中の空気が少し変わった。

 レティシアは腕を組んだまま黙っている。

 ミーナはきょとんとして、セレナは案の定という顔をしていた。

 村長は遠くから様子を見ていたが、「ほれ来た」という目をしている。

 持ち帰る。

 それは今までの話とは決定的に違っていた。

 これまでの酒は、すべてこの村で飲まれることを前提にしていた。怪我人を助けるのも、祭りを支えるのも、冬の備えに使うのも、村の空気を整えるのも、グランエッジという土地の中で完結する酒だった。

 けれど今、求められているのは違う。

 村を離れ、山道を越え、揺れる荷車に積まれ、数日をかけて別の町まで辿り着く酒。

 その先で初めて樽が開かれ、「これがグランエッジの酒か」と語られる一杯。

 それはただうまいだけでは駄目だ。

 旅に耐え、土地を離れても崩れず、誰が飲んでも「この村の酒だ」と思わせる輪郭が要る。

「難しい顔になった」

 ミーナが小声で言う。

「そりゃそうだ」

 醸は呟いた。

「今のは、思ったより大きな話だぞ」

 すると行商人が慌てて手を振った。

「いやいや、すぐ大量に寄越せって話じゃない! ただ可能かどうか聞いてるだけだ」

「わかってる」

 醸は答える。

「だが、“外へ出す酒”ってのは、中で飲む酒とは別の意味を持つ」

「やっぱりそうなのか」

「村の空気に助けられないからな」

「空気?」

 小間物商が首を傾げた。

「ここで飲むと、料理も人も風景も全部一緒に入ってくる」

 醸は言う。

「でも外へ持っていけば、酒そのものが全部を背負わなきゃならない」

 その場にいた全員が、少しだけ黙った。

 セレナが静かに補う。

「つまり、“村で飲むから美味しい”では足りないということです」

「そういうことだ」

 行商人は深く頷き、納得したようだった。

「なら、なおさら面白いな」

「面白い、で済ませるなよ」

「でも、作る気はある顔だ」

「……それも顔でわかるのか」

「最近、村じゅうがそう言ってるぞ」

 レティシアが横から言って、広場に笑いが起きた。

 だが醸は笑いながらも、胸の奥で確かに次の酒の輪郭を感じ始めていた。

 外へ運べる明るい酒。

 村の名を背負って旅立つ酒。

 清潔で、親しみやすく、適度な力があり、遠路にも耐える酒。

 ジャーマン・ヘレス・エクスポートビア。

 それは今の流れに、あまりにもふさわしい一杯だった。

      

 その夜、醸は酒蔵小屋に一人で残り、樽の並ぶ暗がりを見渡していた。

 ここまでの酒を思い返す。

 最初は、生き延びるための酒だった。

 傷を癒やし、魔力を満たし、寒さや疲れに抗うための、切実な一杯。

 次に、村をひとつにする酒が生まれた。

 祭りを支え、日常を整え、外と内の空気をなめらかにする酒。

 そして今、酒はついに村の外へ出ようとしている。

「なんか、感慨深い顔してる」

 いつの間にか戸口に立っていたレティシアが言った。

「お前、気配消すのうまいな」

「見張りだから」

「便利だな、その理屈」

「で? 何考えてたの」

「外へ出す酒のことだよ」

「やっぱり作るのね」

「求められたらな」

「簡単に言うけど、重い話よ」

「わかってる」

 醸は棚に手を置いた。

「ここで飲む酒は、村の空気が支えてくれる」

「ええ」

「でも、運ぶ酒は違う。温度も揺れも、開ける相手も選べない。それでも“崩れない”必要がある」

「つまり、もっと完成度が要る」

「そういうことだ」

 レティシアは少し考えてから、頷く。

「なら、派手な酒じゃなくていいわね」

「ああ。むしろ逆だ」

「強すぎず、軽すぎず」

「明るくて、きちんとしてる」

「外で村の看板になるなら、それが正解か」

 彼女の言葉は、醸の考えとぴたり一致していた。

 ケルシュは洗練されているが、やや繊細だ。

 ライヒトビアは日常向きだが、看板になるには静かすぎる。

 ヘレス・ボックは力強いが、外へ広く持ち出すには状況を選ぶ。

 必要なのはその中間。

 明るく親しみやすいのに、しっかりした骨格を持ち、旅をしても崩れない酒。

 まさに「エクスポート」の名を冠するにふさわしい一杯。

「決まりだな」

 醸が言うと、レティシアは薄く笑った。

「顔でわかる」

「もういいよそれは」

      

 ジャーマン・ヘレス・エクスポートビアの仕込みは、これまで以上に“整える”仕事だった。

 派手な冒険は要らない。

 奇抜な効果も狙わない。

 だが、凡庸では意味がない。

 麦芽は明るく、しかし薄くならぬよう厚みを支える。

 ホップは輪郭を引き締めるが、尖らせない。

 発酵は清潔に、安定して。

 そして何より、時間が少し経っても崩れない均衡を作る。

「今度の酒、地味?」

 ミーナが尋ねる。

「見た目はな」

「でも中身は?」

「たぶん、一番ごまかしが利かない」

「へえ」

「村の代表として外へ出すなら、“わかりやすい一瞬の凄さ”じゃなくて、“最後まで良い”が要る」

「最後まで良い」

「飲み始めだけじゃなく、旅のあとでも、樽を開けた時でも、食事と一緒でも、一杯目でも二杯目でも、ちゃんとしてるってことだ」

「難しそう」

「難しい」

 醸は即答した。

「でも、こういうのこそ職人の腕だ」

 ミーナはその言葉を聞いて、少し目を輝かせた。

「じゃあ今回は、“すごい魔法”じゃなくて“ちゃんとすごい”やつなんだ」

「……妙にいい表現だな」

「でしょ?」

「弟子のくせに生意気だ」

「弟子ですから」

「便利な言葉だな、それ」

 酒蔵小屋には、明るい麦の香りがゆっくり満ちていく。

 ケルシュのような白い洗練ではない。

 ヘレスの祝祭的なやさしさとも少し違う。

 もっと真っ直ぐで、開けていて、堂々とした明るさ。

 村の外へ出る酒なら、この“堂々とした明るさ”が要る。

 気取らず、だが侮られない。

 親しみやすいのに、軽んじられない。

 それはある意味で、今のグランエッジが必要としている姿そのものでもあった。

      

 発酵が進み、酒の輪郭が見え始めた頃、村に一つの知らせが届いた。

 麓の町で、冬前の小さな市が立つというのだ。

 大きな祭りではない。だが、山沿いの村や街道の商人たちが、冬籠もり前の最後の取引に集まる場だという。布、塩、干し肉、金具、薬種、木工品――そして時には珍しい酒も集まる。

「これは好都合ですね」

 セレナが言った。

「出す気か?」

 醸が訊くと、彼女は頷いた。

「もし今回の酒が間に合うなら、あそこが最初の“外”としては悪くありません」

「いきなり王都じゃないのがいいわね」

 レティシアも言う。

「規模が大きすぎると面倒も増える」

「町の市なら、反応も見やすい」

 村長が髭を撫でる。

「ふむ……」

 ガランが腕を組んだ。

「でもよ、山道を越えるんだろ? 樽を傷めず運べるのか?」

「そこも問題だ」

 醸は頷く。

「酒だけじゃなく、運び方も考えないといけない」

「金具なら手伝うぞ」

「頼む」

「任せろ」

 こうして酒だけでなく、“運ぶための準備”まで始まった。

 樽の補強。

 荷台の揺れを減らす組み木。

 夜の冷え込みで酒が変に締まりすぎないための包み布。

 道中の見張りと、余計な詮索を避けるための外見上の工夫。

 外へ出す酒とは、樽の中身だけで完結しない。

 そこへ至る過程すべてが“商品”になる。

 その現実に向き合いながら、醸はむしろ少し高揚していた。

 前の世界でも、出荷を見送る瞬間は特別だった。工場のタンクで仕上がった酒が、箱に詰められ、トラックへ積まれ、見えないどこかの店や食卓へ向かっていく。嬉しさと不安が入り混じる、あの感覚。

 異世界でも、それを味わえるとは思わなかった。

「なんだか嬉しそう」

 ミーナが言う。

「まあな」

「外に出すの、楽しみ?」

「怖いけど、楽しみだ」

「両方あるんだ」

「あるさ」

 醸は樽を見た。

「旅立つ酒ってのは、そういうもんだ」

      

 試験用に汲んだ若いヘレス・エクスポートビアを初めて飲んだのは、出発予定の四日前だった。

 酒蔵小屋には、醸、レティシア、ミーナ、セレナ、そして村長が集まっていた。今回は村の中だけでなく外の評価を見据える必要があるため、味見の目も多い方がいい。

 木杯に注がれた酒は、明るい黄金色だった。

 ケルシュほど淡くはない。

 ヘレス・ボックほど深くもない。

 そのちょうど間にあるような、旅支度を整えた朝日みたいな色。

 香りは穏やかだが、弱くない。

 やさしい麦の香りに、きれいな輪郭がある。

 口に含むと、まず明るさが来る。

 次に、静かな厚み。

 最後に、すっと引く。

「……いい」

 最初に言ったのはセレナだった。

「これは、遠くへ持っていけそうです」

「味でそんなのわかるのか?」

 ミーナが目を丸くする。

「少なくとも、“ここでしか成り立たない酒”ではないですね」

 セレナは答えた。

「場に頼りすぎていない。単独でも立てる酒です」

 レティシアも頷く。

「派手じゃないけど、嫌なところがない」

「最大級の褒め言葉だな」

 醸が言うと、彼女は肩をすくめた。

「こういうのは大事よ。外で飲ませるならなおさら」

「村長はどうだ?」

「うむ」

 老人はもう一口飲んで、目を閉じる。

「村の酒だとわかる」

「ほう?」

「明るい。真っ直ぐ。だが、ただ明るいだけじゃない。冬前の山村らしい芯がある」

「……いい評価だな」

「褒めておる」

 ガランにも後で飲ませたところ、彼は樽を叩いて笑った。

「こりゃ“見栄えする実用品”だな」

「褒めてるのか、それ」

「褒めてる」

「お前、語彙が鍛冶屋すぎる」

「鍛冶屋だからな」

 だが、その表現は案外的を射ていた。

 見栄えがする。

 けれど中身は堅実。

 それこそ、外へ出る酒には必要な性質だ。

      

 出発の日は、よく晴れていた。

 空気は冷たく、空は高く、山道の先までくっきり見える。雪はまだ本格的ではないが、いつ降ってもおかしくない色をしていた。

 荷車には樽が二つ。

 一つは今回の主役、ジャーマン・ヘレス・エクスポートビア。

 もう一つは比較用に少量のケルシュ。

 どちらも厚布で包まれ、ガランの作った補強具でしっかり固定されている。

 見送りに来た村人は思ったより多かった。

「大げさだな」

 醸が苦笑すると、村長が鼻を鳴らした。

「初めて村の酒が外へ出るのじゃ。これくらいは集まる」

「そういうもんか」

「そういうもんだ」

 ミーナは荷車の周りをうろうろしながら落ち着かない。

「ほんとに行くんだね」

「行くよ」

「帰ってくるよね」

「売りに行くだけだぞ」

「でも、なんか旅立ちって感じする」

「まあ、それは少しある」

 レティシアは護衛役として同行することになっていた。白角狼の件以来、山道は完全に安心できる状態ではない。セレナも麓へ戻る都合があるため同道し、村長は最後まで「儂も行くか」と言っていたが止められた。

「無茶するなよ」

 村長が言う。

「お前こそ外で喧嘩を買うなよ」

 醸が返す。

「儂は行かんわ」

「心構えの話だ」

 笑いが起きる。

 やがて、荷車が動き出す。

 村の入口を越える時、醸は振り返った。小さな酒蔵小屋。広場。煙の上がる家々。山に抱かれたグランエッジ。その全部が、今日は少しだけ誇らしそうに見えた。

 自分の酒が村の外へ出る。

 その事実は、思っていた以上に胸へ来る。

 前の人生では、出荷は仕事だった。

 だが今は違う。

 これは、この村の名を背負った旅立ちだ。

      

 麓の町の市は、思ったより賑やかだった。

 冬前の最後の活気というやつだろう。布商人が声を張り上げ、塩や乾物の商いが飛び交い、鍛冶屋は包丁や鎌を並べ、薬種屋は乾燥した薬草の香りを漂わせている。小さな広場に、山の村々と街道の流れが一時的に凝縮されたような場所だった。

 グランエッジの荷車が止まると、まずは「山から来た酒だ」というだけで注目が集まった。

「どこの村だ?」

「グランエッジ」

「聞いたことあるぞ。最近妙な酒を出すって」

「妙なは余計だ」

 醸がぼやくと、レティシアが隣で小さく笑った。

 最初の一杯を注ぐ時、醸の手には久しぶりに、前の世界の出荷試飲会に似た緊張が戻っていた。

 知らない相手。

 知らない舌。

 村の空気に助けられない場所。

 ここでどう受け取られるかで、この先が少し変わる。

 樽の栓を抜く。

 立ち上る香りは変わらず整っていた。

 道中の揺れにも耐え、酒は崩れていない。

 むしろ少し落ち着いて、輪郭がさらに締まったようにさえ感じる。

「いける」

 醸は小さく呟いた。

 木杯へ注がれたヘレス・エクスポートビアは、市の喧騒の中でも不思議と堂々として見えた。明るい黄金色。穏やかな泡。主張しすぎないのに、視線を集める。

 最初に飲んだのは、顔なじみの行商人だった。

「……おお」

「どうだ」

「ちゃんと“外向き”だな」

「なんだその感想」

「いや、わかるだろ?」

 男は笑う。

「村で飲んだ時の良さが、そのまま連れて来られてる。しかも、こっちの飯にも合わせやすい」

 次に、小間物商の女が飲む。

「やさしいのに、弱くないですね」

「そこを狙った」

「なるほど。これは売れるわ」

「言い切るなあ」

「商売人ですから」

 さらに何人もの客が集まり、酒は次々と減っていった。

 反応はどれも似ていた。

 飲みやすい。

 明るい。

 きれい。

 だが薄くない。

 旅の疲れのある身体にも重すぎず、それでいて記憶に残る。

 山の酒らしい真面目さがある。

 その言葉を聞くたび、醸は胸の奥で静かに熱くなった。

 通じた。

 グランエッジの酒は、村の外でもちゃんと立てる。

 それが何より嬉しかった。

      

 だが、評判が広がれば当然、好意的な目ばかりではなくなる。

 昼を過ぎた頃、一人の男が人垣を割って現れた。上等な外套に、見覚えのある薄い笑み。

 ベルノだった。

「やはり来ていましたか」

 彼は樽を見て言う。

「“持ち出す酒”を、とうとう形にしたのですね」

「見ればわかるだろ」

 醸は答えた。

「ええ。しかも思った以上に良い出来だ」

 レティシアの気配がぴんと張る。

 だがベルノは今日も露骨な敵意は見せない。ただ、観察する目の熱が増しているだけだ。

「で?」

 醸が訊く。

「今日は何しに来た」

「祝辞を述べに」

「似合わないな」

「本心ですよ」

 ベルノは杯を受け取り、一口飲んだ。

 そのあと、ほんのわずかに目を見開く。

「……これは、確かに」

「なんだ」

「商いになる酒だ」

「またそれか」

「ですが今回は、悪い意味ではありません」

 ベルノは杯を見つめたまま続ける。

「村でしか成立しない奇跡なら、結局は見世物です。しかしこれは違う。土地を離れてなお価値を保っている」

「そうなるように作った」

「でしょうね」

 彼は醸を見た。

「あなたは、とうとう“村の酒造り”から“一つの醸造所”へ踏み出したのかもしれません」

 その言葉に、醸は少しだけ黙った。

 醸造所。

 前の世界では、当たり前すぎるほど当たり前の言葉だった。

 だがこの異世界、この山村では、それはまだ大きすぎる響きを持つ。

「気の早い評価だな」

「商人は、芽が出た時点で見るものです」

 ベルノは微笑む。

「この先、もっと大きな流れが来ますよ」

 彼はそう言い残し、人混みの向こうへ消えた。

 嫌な予感は残る。

 だが同時に、無視できない現実もそこにあった。

 村の酒は、もう本当に外へ出始めているのだ。

      

 帰り道の荷車は、行きより軽かった。

 樽の中身が減ったからだけではない。

 醸自身の胸の中にあった重さが、少し減っていた。

「うまくいったわね」

 隣でレティシアが言う。

「ああ」

「思ったよりずっと」

「そうだな」

「嬉しい?」

「かなり」

 醸は素直に答えた。

 ミーナは荷台の後ろで、売れ残りではなく“飲ませる分が足りなくなった”ことをやたら誇らしそうにしていたし、セレナは帳面に何やら細かく書きつけている。

「次から注文が増えますね」

「だろうな」

「どうします?」

「考える」

「その顔、もう半分は答えが出てる顔です」

「お前まで言うのか」

 山道を吹く風は冷たかったが、荷車の上には不思議な高揚があった。

 村の酒が、外でも認められた。

 それは大きな一歩だ。

 けれど、これで終わりではない。

 むしろここから、守るべきものは増える。

 量を求められるだろう。

 質を試されるだろう。

 真似をされることもあるかもしれない。

 それでも、今日の成功は確かだった。

 ジャーマン・ヘレス・エクスポートビア。

 それは、グランエッジの酒が村の外で初めて“看板”になった一杯だった。

 明るく、真っ直ぐで、旅に耐える。

 山の村の誇りを、そのまま樽に詰めたような酒。

 村へ戻ったら、また忙しくなるだろう。

 次の酒も考えねばならない。

 外との距離も、きっとまた変わる。

 だが今だけは、この旅立ちの余韻を味わってもよかった。

 山の稜線の向こうへ日が傾いていく。

 荷車の上で、空になりかけた樽が小さく軋んだ。

 それはまるで、「次も行ける」と言っているように聞こえた。

 醸は手綱を握り直し、前を向く。

 異世界の山村で始まった小さな酒造りは、ついに道を持った。

 その道はまだ細く、雪が降れば消えそうなほど頼りない。

 けれど確かに、村と外の世界をつなぎ始めている。

 そしてその道の先には、きっとまた新しい一杯が待っているのだった。


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