63.聖女ちゃんあばかれる
日々はあっという間に過ぎ卒業式は来週へと迫り、学園内もなんだか浮き足だって日々キャーキャーと騒がしい。
「…………まぁ、今は魔獣のせいだけども」
学園の渡り廊下の下を流れる幅が1メートルを少し超えた程度の小さな川に、まったく入りきってないサイズのアメンボ魔獣がいて、放課後に卒業式の準備にあけくれていた実行委員達はキャーキャーギャーギャーと騒ぎながら逃げていく。
「ナタリーさんも早く逃げて!!聖女さまがきっとすぐにきて助けてくださいますわ!」
丁寧な言葉遣いの二年生の実行委員の先輩の助言に頷きながら、わたしは逃げる中で脇道にうまく逸れ、大道具の置かれた部屋へと隠れるとひと気の通り過ぎるのを待ってから、胸元からマスクを出して学年を示すピンを隠す。
そしてポニーテールを結びながら髪色を変え肉体強化魔法をかけると、風通し用の小さな窓から抜け出し、改めてアメンボ魔獣の前に立つ。
魔獣の現れた側にある渡り廊下の途中には、すでに先輩や同級生達が丹精込めて作った飾りが大切に箱に入れられ、いつでも飾りつけられるようにと置かれているのを知っている身としては、いつも以上に私情も混ざってマスクの下からギロリと魔獣を睨めば、何かを察したかの様に足を一歩後ろにさげた。
「壊れたりしたらどうしてくれるのよ!」
わたしは立っていた渡り廊下の屋根の上から飛び降りて、一度川の淵に足をつくとそのまま勢いに任せて魔獣へと蹴りを喰らわす。
「ンギャギャギャギャギャ」
「せめて可愛い声で鳴きなさい!!」
たとえ可愛く鳴かれたからと対応が変わるわけではないが、わたしの受ける不快感は減りそうだとそのままもう一度川辺に着地し、今度は学園と離れた場所へと飛ばすために、改めて足に力を入れて森の方へと蹴り飛ばす。
「フンッッッ!!」
こちらこそ可愛い声ではなかったとか思うけど、ナタリー可愛いから許してね♡っと、最近準備会で褒められて上がった自己肯定感と、それにあんな褒めてくれる人達は更に怪我をさせるわけにいかないという正義感が沸々と湧いてくる。
飛ばされていったアメンボ魔獣を追うようにわたしも飛び出し、まだ空中にいるアメンボに追加で右ストレートを喰らわそうと拳を握るが、先程からその身が軽過ぎてダメージがどこまで入れられてるのかと疑問が出てきたところでアメンボの羽が広がった。
「え!?アメンボって飛ぶの!?」
細い体に見合った細めの羽根は、やはりその身と同じ黒色で握った拳から力が抜ける。
「え?」
それは羽根を見たせいではなく、甘い飴のような香りに包まれた事でいつの間にか全身の力が抜けていく。
なんとか学園を見れば、ある程度の距離は取れていると安堵の息を吐き……それでも卒業式前の今、せめてもの戦力になりえそうな王子先輩方はお休みだろうと気が付いて、ならば更に素直に落ちて動けなくなるわけには行かないと力を振り絞り、落ちながらも身体を捻り木々の枝を何度か掴みながら地面へと向かう。
「ぐぅっっっ……!」
落ちる勢いは弱めたものの途中途中の枝で身体中を打ち付けたことと、何より地面に落ちた衝撃はなかなかのダメージだと歯を噛み締める。
せめて回復魔法を使えるだけの時間稼ぎに距離を取ろうとするが、漂う甘い匂いにやはり身体の自由が奪われて、笑う膝に手をついて立ち上がり足を動かそうとしたところでアメンボの脚の先から何かが飛ばされてきた!
嫌な予感のままに飛ぼうとするが、痺れた手足はいつもよりワンテンポ遅れて動き、力を入れた足元へとそれが付着すると勢いよく滑り転げてしまう。
「な……!?油!?」
アメンボの足先からは脂が出ていて、それの作用で水で浮くことが出来るとか、そんな豆知識が頭に浮かぶが、
「匂いも油も、己の使い方超えて使うのやめてよね……!!」
必死で足を滑らせながらも距離を取ろうとしても、次から次に繰り出される油は全身へと飛び散らされて、痺れた身体では更に上手く逃げることも出来ない。
羽音と共に近づき振り向けば、針のような口を伸ばしてくるのが見えて血の気が引いた。
「助け……」
呟きかけた言葉は……この後に及んで誰に頼もうと言うのかと頭をよぎり最後まで続かない。一瞬偽聖女さまが浮かぶが、近距離攻撃の彼女では二の舞になってしまうかもしれないと、口をつぐむ。
「ごめん……みんな……」
自分の宿命から逃げ出して誰に助けを求めることも出来ない自分の愚かさに瞳を閉じた時、“ バシュン ”と空気を切る音と共に魔獣の断末魔が響き渡る。
匂いのせいかどんどんと闇に堕ちていく視界の中、視点をなんとかあわせれば……そこにはアメンボ魔獣の脳天から真っ直ぐに矢が刺さっていた。
「聖女……!……無事……か……?」
「イーサッ……先……ぱい……?」
「……?!」
薄れゆく意識の中に緑頭が見えて遠距離といえばこの人だったと……きっとイーサック先輩ならば学園に残っている実行委員やアルフは無事で済むだろうと、自分のことばかり考えて協力を疎かにした愚かな自分の意識を手放した。
*****
「……先輩……と、呼んだのか……?」
イーサックは弱々しく呼ばれた声に珍しくも目を見開くと、魔獣が断末魔と共に消えていくのを確認して聖女の側へと寄っていく。
油まみれで身体に張り付いた服はあまり見ないようにしているのか、はたまた人見知りのせいか視線はあまり彼女に注がれることはないが、真っ直ぐに近付くとその手は一直線へその瞳を隠した仮面へと伸ばされる。
「まさか、そんな……ことは……」
そう呟きながらも彼の頭の中には、普段見ることもない他の女生徒と比べて、あまりにも気さくに話しかけてくれる後輩の姿と聖女が重なってしまう。
躊躇い一度止まったその手は、意を決した顔をしたイーサックによって仮面まで勢いよく伸ばされ、掴まれ、そして外される。
「…………ナタ……リー……?」
閉じた瞳はあの普段真っ直ぐにこちらを見てくる可愛い瞳と同じなのかと疑問を持った時、意識を手放したことで魔法が切れたのか、白銀だった髪は……雲の合間、山に隠れる直前の夕焼けが彼女へと真っ直ぐ当たると同時に金色に見えるほどに美しく輝いた。
「ナタリー……」
疑問系だった声は確信へと変わり、その両手でその柔らかそうな頬を触ろうとした時に目の前から彼女が奪われる。
「ニセモノの……聖女……!」
「彼女に触れるな」
イーサックの視線に怯むこともなく、そして油でぬるぬるとした彼女に構わずに偽聖女が抱き抱えて走り抜ける。
「待て……!彼女にまだ聞きたいことが………!」
「うるさい」
走り出す偽聖女だが、人を1人抱えた状態ではイーサックにあっという間に距離を詰められていく。
「ナタリー起きて。強化魔法して」
「うん……」
ナタリーは呼ばれてほぼ開かぬ瞳のまま、朦朧としながらもその声に反応して偽聖女へと魔法を使うと一気に加速していく。
「待て……!!」
追いつけないとわかってイーサックが魔力で弓を作り構えれば、偽聖女は振り向き声を荒げ、
「ナタリーに当たったらどうするつもりだ!!……だからっ、あんたらには彼女を渡すことが出来ないんだ!!!」
「………!?」
言い切ったとばかりに偽聖女は改めて振り向きどこかへと消えていく。
「………まさか……ニセモノは……男なの……か?」
その素の声に愕然としたイーサックを残し、夕陽は山へと沈み……偽聖女とナタリーの行き先も闇へと隠した。




