第四章 先達者は、若人の明日を願う④
時は少しだけ遡る。
天雅楼から一台の自動車が出立した。
黒いセダンだ。全員で五人が乗っている。
まず後部座席には三人の少女。久しぶりに星那クレストフォルス校高等部の制服を着たエルナ、かなた、刀歌の三人だ。
そして運転席に座り、ハンドルを握るのは、平凡な大学生のような私服姿の扇蒼火。助手席にはかなりダボッとしたラッパーのような私服姿の武宮宗次が座っていた。かなり珍しい組み合わせである。そのせいではないが、車内は少し微妙な空気が漂っていた。
むしろ、それは普段一緒にいることの多い三人――エルナたちの影響だった。
右ドア側のエルナは、視線を窓に向けて夜景を見つめている。
かなたは中央席。凛とした様子で前を見据えていた。
刀歌は左ドア側。彼女も窓の外を眺めているのだが、時折、瞳を細めてどこか切なそうな溜息をついていた。
三人とも大人びた表情をしていて、ずっと無言だった。
「えっと、そんな緊張すんなよ」
そんな空気に耐えかねてきた武宮が言う。
「確かに重要な任務だ。ボスの期待に応えたいって気持ちはよく分かるけどよ」
「武宮の言う通りです。お妃さま方」
運転をしながら蒼火も言う。
「お妃さま方は情報収集と現状把握にご専念ください。いざという時は我々が命に代えてもお守りいたします」
「……ありがとう」
すると、エルナが前を向いて答える。
「ごめんなさい。むしろ少し気が抜けていたかも。というよりも、心身ともに新しくなった自分にまだ戸惑ってるって感じなのかな? うん。そうね。かなた、刀歌」
エルナは二人に視線を向けて声を掛ける。
「このままじゃダメね。任務中だけど、様子を見て三人で話しましょうか。二人とも他の人がどんな感じだったのか気になるんでしょう?」
「……はい。エルナさま」「う、うん。そうだな」
かなたは頷き、刀歌も首をコクコクと動かして首肯した。
「いずれにせよ、今は任務よ」
エルナは拳をぎゅっと固めた。
「だって真刃さんが私たちに任せた仕事なのよ。何としても果たさないと」
エルナの決意に、かなたと刀歌も同意するのであった。
一方、遥か上空にて。
巨大なる刃物の鳥が飛翔していた。従霊の一体、刃鳥である。
その上には紳士服姿の真刃が立っていた。
刃鳥は静かに地上を走るセダンの後を追っていた。
森を抜け、ややあって街に入る。車での移動はそこまでだ。五人は車から降りるとそのまま歩いて街の中へと消えていった。
真刃は途中で刃鳥から降りると、ビルの屋上からその光景を見届けていた。
『……やれやれだ』
すると、ボボボと鬼火が現れる。猿忌だ。
『よもや王自ら単独でこんな場所まで見送りとはな。エルナたちと結ばれてから前よりも一層過保護になったのではないか? 主よ』
「……黙れ。猿忌」
真刃は霊体と化した猿忌を睨み据えた。
「己がエルナたちの身を案じて何が悪い。本来ならば、エルナたちにこのような危険な真似はさせたくなかったのだ」
『だが、それも仕方があるまい』猿忌は言う。
『未来視はエルナ自身に関わることだ。ゆえに、この件にエルナは必須だ。そのサポートに最も親しく付き合いの長いかなたと刀歌を選んだことも間違いではない。第二段階に至ったエルナたちの魂力はもはや無尽蔵だ。その実力は《DS》を所有する近衛隊員を凌ぐ。いざという時の戦力面を考慮しても最善だろう』
「……だが、戦力面での最善というのならば、やはり杠葉か桜華だろう」
そう告げる真刃に、猿忌は嘆息した。
『確かにそれは最善だな。しかし、あの二人は別格だ。六炉もそれに近い。あやつらが動けば流石に道化も警戒しよう。幼き燦と月子は論外。芽衣とアレックスは近衛隊。綾香は幹部だ。この三人は主の最側近の立場だ。やはり、ここはかなたと刀歌以外ありえんと思うぞ』
「…………」
無言になる真刃に猿忌はかぶりを振った。
『九龍たちもいる。扇と武宮も護衛に付けたのだ。ここはエルナたちを信じよ』
一拍おいて、
『前にも言ったが、主は一人ですべて背負う癖がある。だが、夫婦とは支えあってこそなのだぞ。エルナも、かなたも、刀歌も今やまごう事なき主の愛する妻なのだろう?』
真刃は未だ無言だ。猿忌は嘆息する。と、
「……少し夜風に当たるか」
そう呟いて、真刃は屋上から無造作に飛び降りた。
猿忌は少し驚くが、『やれやれ』と呟いて、主の後を追った。
地上では真刃が落下の衝撃もなかったように平然と歩いていた。
猿忌もその傍らに並ぶ。
「……己は臆病なのだろうな」
歩を進めつつ、訥々と真刃は語り始める。
「愛する者が増えた。あの時代の己からは考えられぬほどに。しかし、その分、己の胸中にある失うことへの恐怖は強くなったのかもしれん」
『…………』
今度は猿忌が沈黙する。
「結局のところ、己自身が不安なのだ。すでに覚悟を決めていたエルナたちを愛することを躊躇っていたのもそうだ。エルナたち三人は己にとって純粋な守るべき相手だったからだ。そしてエルナたちを愛した今は、より一層そう思うようになった」
そこで真刃は双眸を細めた。
「ゆえにエルナたち――いや、杠葉たちも含めて己の大切な者たちを危険にさらすこの状況が実に不満だ。忌まわしい」
真刃は足を止めて、夜空を見上げた。
その視線の先には巨大で歪な満月が輝いている。
「……いっそ」
真刃はポツリと呟いた。
「あれを撃ち落としてやろうか。この偽りだらけの箱庭を破壊してやろうか」
『……主よ』
流石に猿忌も表情を変えた。
「さすれば道化も出てこよう。そこで奴に引導を渡してやればよい」
そう嘯く真刃。
その意志が真実であることを示すように全身から殺気を解き放った。
それは数百メートル先まで覆い包むような巨大なモノだった。
その殺気に呑み込まれて、周辺にいた我霊たちが怯えだして逃げ出すほどだ。
久遠真刃という存在は怪物の枠程度には収まらない。
途方もなく強大であり、巨大なる獣の王だ。今の時代の言葉で言い表すのならば『怪獣』とも呼べる規格外の存在だった。
けれど、その心は人だった。愛する者は心から大切にする。そして懸命に生きる小さき者たちも踏みにじれない。そんな優しい怪獣だった。
――だがしかし。
そんな真刃であっても負の感情は抱くものなのだ。
怒りに身を任せたくなる時もある。人の心を持っているからこそだ。愛する者を危険にさらさなければならないこの状況に、真刃は強い苛立ちを覚えていた。
「そうだな」
真刃は再び偽りの月を睨み据えた。そうして、
「破壊か。そうすればすべての片が付くか」
そんなことを呟いた。
すると、
『……主よ』
猿忌が眉をひそめて、神妙な声で告げる。
『……それはやめよ。相手は道化だけではない。さらに二体の怪物がいるのだ。そのような強引な一手は、むしろエルナたちをより危険にさらす結果になるぞ』
その進言に、
「……分かっておる」
一拍の間を開けてから、真刃は嘆息した。放っていた殺気も抑え込む。
「ただ、己とて不満を抱いておるということだ。エルナたちのことを信じておってもな」
『すまぬ。いささか戯言が過ぎたか』
頭を垂れて、猿忌は謝罪する。
「……分かればよい」
真刃は再び当てもなく歩き始めた。猿忌もその後に続く。が、ややあって、
『……主よ』
たまたま通りがかった公園を目にやって告げた。
『人の気配がするぞ』
「……なに?」真刃は猿忌の方に顔を向けた。
「我霊ではなくか? ふむ」
真刃は足を公園の方に向けた。
そうして一人の少女が倒れているのを見つけたのだ。
見捨てる訳にもいかず、真刃は彼女を保護することにした。
(やれやれだ)
少女を抱きかかえながら、真刃は嘆息した。
すべてを破壊してやろうと思った矢先に、見捨てられない小さき者が増えるとは。
何ともままならない人生だと感じる真刃だった。




