1945.8.9 11:02
1945年8月9日 11時2分。
これが、人類最後の原子爆弾の投下である。
また、そうならなければならない。
その為に、人々は生きている。
ここ、長崎で
新谷達も、夕方から竹松駅からの、長崎からの救護者の搬送にかかわった。
近くの大村の病院に入りきれない比較的に軽傷者を受け入れた。
その多くは、子どや女性、老人などであった。
しかし、その中の何人かは、発熱して下痢をして死んでいった。
外傷もほとんどないのにだ。
新谷は、ダイヤの乱れで奇跡的に長与で待機していた汽車からの搬送で、まだ4歳くらいの女の子を背負って救護所まで搬送していた。
「兵隊さん、熱いでしょ ごめんなさい」
と女の子が言った。
「大丈夫だよ、もうすくお医者さんに診てもらえるからね」
と新谷は首を女の子に向けながら言った。
女の子の服は、焼けただれて皮膚が赤くなり全身を背中をひどくやけどしていた。
「兵隊さん、水が飲みたいな」
と女の子がいった。
新谷は、軍医から水を飲ませてはならないと注意されていた。
水を飲むと安心して死んでしまうというのだ
「もう少し、我慢しようね。」
「うん」
と弱弱しい声が聞こえた。
新谷は、救護所までの道を急いだ。
「軍医殿、この子のを至急診てください」
と救護所につくなり怒鳴った。
軍医ではなく、看護士が近づいてきた。
そして、背中の女の子を見て、
「床におろしてやってください」
といった。
ぐったりとしていた女の子を床におろすと、脈と閉じた瞼のあけて確認していたが、首を振った。
「手遅れです」
「ばかな、さっきまで話していたぞ」
「脈もありません、瞳孔も開いています」
「そんな、おい お嬢ちゃん 病院だぞ 目を開けろ」
と新谷は女の子の体をゆすった、それは力がなく諤々と首揺れるだけだった。
「新型爆弾のせいです。体力ない子供から死んでいきます」
看護士は、そういって次の患者のところにいった。
周りでは、"水 水"とうめき声が聞こえていた。
新谷は、腰の水筒をとり、
「ごめんな、さっき 飲みたくてたまらなかったのに」
といって、女の子の口に水を注いだ。
一瞬 女の子の表情が柔らかくなった気がした。
新谷達は、夜遅くまで救護の手伝いをした。
そして、基地に戻ると新谷はすぐに指令所へいった。
「指令、明日は揚がらせてください。私の機は整備済みです。」
指令は、背中を向けた。
「次は、陸軍のように刺し違えてでも止めます。」
新谷に迷いはなかった。
長崎の惨状を聞けば、地獄しかない。
重症に見えない人間が、バタバタと死んでいく。
毒ガスでもない。
廣島に落ちた新型と同じだという。
「わかっている、だが、1万以上で侵入する敵に、どう対処する。」
「機銃も何もいりません、体当たりします。機体を軽くすれば、電探で補足してからでも上がれます」
新谷は、真剣だった。
「進言はするが、指令の許可がおりてからだ、紫電改は陸軍の3式戦と違って液冷ではないので上まではそう上がれん、酸素もそう長くはもたんぞ」
「水メタノールを使てて、ぎりぎりまで、酸素消費を減らして上空で待ち構えます。」
「1万以上では、油も凍るぞ」
「それでも、やります。無辜の人々が虫けらのように殺されるのを見たくありません、非戦闘員を殺すが戦争というのであれば、それは間違いであり、戦時公法にも違反します。私は、この時のために生かされたとい思います。」
指令部の作戦大尉はそれ以上なにも言わなかった。
新谷は、敬礼をして司令部を出でいった。
そして、整備舎にいくと紫電改を傍まで来た。
そして、整備兵に向かって
「装備を下ろすので手伝ってくれ」
と告げた。
「どうするんですか、新谷中尉」
と馴染みの整備兵が駆け寄ってきた。
「一万まで上がるから、機体を軽くする」
と新谷言った。
「今のままでも、整備した機体なら、1万は上がれますよ、零戦でもなんとか上がれるますし」
「いや、B29を迎撃する」
整備員は、黙ってしまった。
1万m以上では、地上の1/4しか酸素はない。ましては、氷点下60度以上だ。
ガソリンも気化しずらくなる。
密性の低い、風防では並大抵のことではない。
酸素がなれれば、すぐに気を失って墜落してしまう。
そんな中での、攻撃などできるはずがなかった。
「機銃も、無線機もすべておろしてくれ、とにかく機体を軽くする」
といって、翼の機銃を下ろすために移動用のジャッキを持ってこさせた。
機銃といっても、150kg以上の重さがあり、紫電改には4つもある、給弾もあわせれば相当の軽量化となる。
実際には、シルバープレートとよばれた原子爆弾を投下するように改造されたB2であり後部銃座以外の武装を取り外及び装甲版も撤去して軽量化されていた。
それほど、原子爆弾は重いものだった。
広島に落とされた原子爆弾は、5トン近くもあり、B29の総重量65トン以上となり6トン以上オーバーしていたといわれている。
仮に迎撃に上がっていたならば、護衛がないので鈍重であるため、原爆の投下は防げたのかもしれない。
新谷は、北九州防衛のため陸軍が行っていた、B29による3式戦での体当たりについて知っていた。
陸軍の2式戦は液冷であり軽量化による無抵抗機により、空中で体当たりをして落下傘で生還するというものであり、高高度での攻撃にある程度の成果をあげていたが、B29の高高度爆撃から、低高度の爆撃と護衛機の随伴により取りやめられた。
空冷の紫電改では、実用高度限界を超えてはいるが、水メタノールを使えば何とか高高度でも動かせると考えていた。
それでも、新谷は竹部の言葉を忘れなかった。
体当たりはするが、必ず生きて帰ってくると。
新谷は、酸素発生機の起動を確認しながら、高高度でのB29の撃墜を思い描いていた。
長崎を最後にすると、心の中で誓っていた。
そして、それで自分自身が戦死したとしても、竹部も許してくれると
、