Ground zero (爆心地)
そこには、生活のかけらもなかった。
そこは、ただ地獄としかいえなかった。
人間という生命体が、犯した過ちが広がっていた。
炭化した黒焦げの、数日前までは生きていただろう躯がそこにあった。
新谷は、呆然としていた。
ここに町があったことさえ、信じられなかった。
見渡す限り、がれきとコンクリートの建物だけがわずかに残る、原野に立っているという感覚が正しかった。
所々で、板切れでがれきを掘り返していす人々の姿が見えた。
浦上川には、死体があふれていた。
死臭が漂っていた。
"地獄だ"
と新谷はつぶやいた。
救護活動に出たものの、救護されるべき人は死に絶えていた。
プルトニウム239、廣島に落とされたウラン235の1.5倍の破壊力を持つと推測されていた。
自然界に存在しない物質を兵器に用いた。
人類にしかできないしろものだ。
新谷は、これが戦争なのかと思った。
ジェノサイドではないのか。
いくら、経済活動を麻痺させて戦争継続を困難にするためとはいえ、子供や女性、老人まで犠牲にするのがこの戦争の正体なのかと思った。
戦争後の覇権争いのため原爆投下をいそいだとか、上陸作戦での犠牲者の減らすためだと言われているがいわれてはいるが、新谷にはどうでもよかった。
これが、人間の仕業なのかと思うと信じられなかった。
新聞では、新型の爆弾。原子爆弾と報じられていた。
そして、数十年は草木も生えない死の土地になるとさえ言われていた。
新谷の足が何か踏んだ。
見てみると、アルマイトの弁当箱だった。
熱で白くなっていたが原型はとどめていた。
蓋をこじ開けると、黒焦げのご飯らしきものがあった。
きっと、何気ない日常があったはずなのに。
新谷達の仕事は、救助活動から下の処理になった。
空き地に死体を積みあげて、焼け残った木材と一緒に火葬した。
何とも言えない臭いが体中にこびりついた。
救助活動を終えて宿舎に戻ってきても、体に染みついた臭いは取れないような気がした。
新谷達は、毎日空を眺めて過ごした。
もしも、またB-29の単独機ならば、体当たりしてでも止めようと思っていた。
武装を下ろし機体をできるだけ軽くして、飛行服の中には新聞紙を巻いて防寒をした。
10000m以上あがる気でいた。
そして、あっけなく終戦を迎えた。
ほんとうにあっけなく訪れた。
飛行場に整列して気化された玉音放送でこの戦争が終わったとは、思えなかった。
かといって、これ以上戦う気もなかった。
すぐに米軍か、大村にも来た。
武装解除をされた紫電や紫電改などの機体は、状態のいいものを除いて飛行所に集められてガソリンをかけても燃やされた。
新谷達は、いくばくかの給金と食料を配給されて海軍を首になった。
配給の切符を持って、新谷は故郷に帰った。
故郷では、戦争犯罪人として軍人が裁判に掛けられるという噂で、もちきりだった。
もちろん新谷も戦闘で敵機を撃墜している。
その事実は消えない。
故郷でも心が休まることがなく、大学が開校されるというので、故郷を後にして大学に戻った。
いつも空腹だったが、いつ撃墜されて死ねかもしれないという生活に比べれば、たいしたことではなかった。
このときの新谷は、もっとも幸せだったのかもしれない。
1年とすこしで、特例で卒業が出来た。
新谷は教師になりたかったが、戦争加担者は公職に就きがたく、私立の新制中学の英語教師になった。
一部の教師は、戦争に加担して生徒を戦場に送ったして、声高く戦争を否定したが、新谷はその当時者としての意識から戦争にたいする別の見方をしていた。
だから、あえて沈黙した。
過去を語らずひっそりと暮らした。
そんな新谷だったが、新聞で見た記事に呼ばれるように、長崎を訪れた。
長崎くんちが開催されていた。
長崎はあの災害の中でも負けてはいなかった。
1945年10月には、原爆投下から59日目に奉納おどりを献上していた。
草木も生えないと言われた長崎はくんち一色に彩れて花バスが市内を走っていた。
"グランドゼロ(爆心地)"と標識の前で新谷は立ちつくした。
"水が飲みたい"といって、新谷の背中で死んでいった女の子を思った。
新谷は持参した水筒の水を爆心地の土に注いだ。




