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It's last first.  作者: 池端 竜之介
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In the deep blue sky. (紺碧の空に)

 新谷は、台湾の航空隊より昭和20年4月に、343空に補充員として着任していた。

暫くは、紫電による完熟訓練を受けた。

紫電改においては、川西よりの機体受け渡しすくなく。

工場には、首なし(発動機取り付けなし)が累々とあったという。

 零戦52型に乗りなれた、新谷にとってはさほど完熟訓練には時間がかからなかったが、やはり発動機の不調と、主脚のシラブルには泣かされた。

3機に一機の割合で、トラブルを起こし続けた。

ただ、外地に比べて滑走路は整備されているので、慎重に昇降翼の操作して制動機の上手すれば何とか降りれた。暫くすると、紫電改も部隊にいきわたるようになった。

それでも、新谷は機体の整備を行うと、粗雑な作りは否めなかった。

特に、ナットやボルトは作りが荒くなり、6角なのか5角なのかわからないものがあった。

シリンダーのパッキングにおいては、規格外であり常にオイル漏れを起こしていた。


 「プラクが点火していないぞ。どこかで断線しているんじゃないのか」


 と新谷が整備兵に尋ねても、だれも誉を整備したことはなく、零戦の栄発動機のままで整備していた。

 新谷は導通試験機で、配線を当たりながら断線部分をさがした。

 やはり、絶縁の紙が燃えて断線していた。


 「やはり、無理があるんだ、この頭に18気筒は」

 

 と新谷はため息をついた。

 北九州の陸軍基地で見た、飛燕の液冷エンジン搭載を見たことがあり、その機首の細さに驚いていた。

一般的に、機首つまり発動機が大きな空気抵抗を受けるため、機首を小さくすることで空気抵抗を減らして速度及び航続距離が延びることになる。

米軍のP51がそうであり、比島で何度か戦ったことがあるが、上昇・下降・航続距離に優れていて、液冷エンジン搭載の利点を生かしていた。

初期の零戦は栄11型の発動機であり機首もスマートであり、零戦21型は栄12型でもさほどかわることはなかったらしい。

竹部が戦った、ガダルカナルにおいて、零戦32型においては、翼幅を1m切断して、増産も簡易化したが、他の性能が低下、操縦性、格闘戦のも低下。最悪が、航続距離低下であり、ラバウルからガダルカナル攻防戦へ航続距離が足りずに参戦できないという事態を招いたと聞かされていた。

その後に零式52型が作られたが、すでに時代遅れてとなってしまったと、新谷は比島・台湾で思い知らされた。

開戦初期 ペロと落とせるしたP38でさえ、発動機を変えて高高度からのダイブ先方と、機首に集中した武装により命中率を上げている。

精神論しかない日本軍とは大違いである。

かつて、夜間爆撃で名を馳せた、芙蓉部隊の美濃部正少佐が、全力特攻を示唆されたときに「劣速の練習機が何千機進撃しようと、昼間ではバッタの如く落とされます。2,000機の練習機を、(特攻に)狩り出す前に此処にいる古参パイロットが西から帝都に進入されたい、私が箱根上空で零戦で待ち受けます。一機でも進入出来ますか。」と述べている。


6月には、紫電改の制作していた川西の工場も爆撃され、部品の供給もままならくなっていった。


既に、7月も終わろうとしていた。


新谷は、鹿屋基地から、特攻機の支援のために奄美大島・喜界島制空任務に当たったが、相手は100機以上の大編隊であり、20機そこらの紫電改で突っ込んでも袋叩きに会うのは目に見えていた。

情けないようだが、敵編隊の最後尾を狙って攻撃をしかける真似しかできなかった。

そして、歴戦のパイロットや貴重な機体を失っていった。

4月に入ってからは、B29の邀撃にも上がったが、9,000m以上の高高度で進撃する相手に、10,000まで上がるのに40分以上の時間を要し、喜界島・大島の電探で補足しても 邀撃高度には達しないことが多かった。そこで、4月30日、鹿児島より長崎県大村基地に転進することになる。


 そこでも、艦載機F6Fやコルセアとの戦闘を繰り返した。

 相手は12.7mmを惜しげもなくはるか彼方から打ってくる。

 なんせ6門で2400発も積んでいるのだ。

 こちらは、20mm機関砲4門900発しかない。

 初速が早く、直進性の高い12.7mmの弾幕が優秀なのはしかたない。

 F6Fと日本の零戦とでは設計思想が違いすぎる。

 一点物の手作りの零戦と癖がなく未熟なパイロットにも扱いやすい操縦性と、生残率を高めるパイロット背面の堅牢な装甲板、自動防漏タンクなどの装備と生産性に重きを置いたF6Fとでは違いすぎる。


 新谷は、こちらが一機でも敵機を落とせば、どこからか敵機がウンカのように押し寄せて、こちらの機を多数で追いかけますのを見ていた。

無線電話でのものだ。

いくら、無線電話を改良したとはいえ、地上で通じても、上空では発動機からの雑音でどうしようもなかった。

高高度での迎撃の際は、むしろ軽量化のために無線を下ろしていた。


 新谷も一度後ろに4機で追いまくられたことがあった。

 とにかく、機を滑らせた。

 当然相手機も、滑らせるから基本弾は当たらない。

 だだ、敵の僚機に待ち伏せをされて正面からの打ち合いになり、新谷は上方からだったのでそのまま20mmを撃った。たまたま相手の左翼に当たり、翼が吹き飛ぶのが見えた。

そして、そのままダイブして2,000mくらいで引き起こしにかかったが、Gがかかって一瞬目の前が暗くなった。気が付くと目の前に地面が迫っていた。

とっさに左足を計器盤に掛けて、操縦桿を力任せに引いた。

フラップが効き、上昇を始めた。

敵機は、撃墜した思ったのか、追ってはこなかった。

新谷は、自分が失禁していることにきずいた。

相当の緊張からなのだろう。

まだ、戦闘は続いていたので、スロットルを全開して戦闘空域へと戻った。

大方戦闘終わっていたのか、敵機は前方へ遠ざかっていた。

集まれの指示か出たので、空中集合すると、26機出撃して22機しかいなかった。

4機は未帰還機となった。


こんな風にして、櫛の歯がかけるように出撃するたびに未帰還機が増えて言った。


そんなやるせない気持ちの紛らすように、出撃から帰ると新谷は、機の整備を始めた。

それは、新谷に取って祈りのような行為だった。

なぜ、竹部が毎回整備をしてのか、いまの新谷には、その気持ちが痛いほど理解できた。


新谷は、そっと翼に付き出でいる機関砲の銃身を撫ぜた。


 「これは、生きるための闘いであり、自分の身を守るためのものだから」


 と自分に言い聞かせるように下を向きながら呟いた。






 

 


 


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