I'll begin from here.(ここから始めよう)
与圧した機内は、快適そのものだった。
6,000m以上の上空なのに寒くもない。
空は青く、太陽の光がまぶしかった。
新谷は、かつて戦ったB29に乗っていた。
いまになって、こんな化けものみたいな機体と戦っていたのか思うと、日本とアメリカの工業力の差が思い知らされた。
出来の悪い、電熱線が出た電熱服で、上空8,000m以上に上がっていた自分が嘆かわしかった。
日本では実用化できなかったターボーチャージャー付の、2,000馬力越えのエンジンが4発も回っている。
「新谷、どうだ自分が戦った機体に乗るのは?」
とRechardがコーラーを飲みながらおどけて見せた。
「寒くないよ、昔は寒かったから」
といった。
20mm機関砲は、重力に引かれてまっすぐには飛ばないから、当たるはずもなかった。
B29の航空機による撃墜は少ない。
大半は、高射砲による撃墜が多い。
初期の高高度爆撃であれば、8,000mほどの射高しかない高射砲では届かない。
しかし、東京空襲以来、3,000mほどで爆撃を行うので、高射砲による撃墜が増えた。
一機63万ドルで、空の要塞とと言われたB17の3倍以上の値段だ。
いわば、当時に値段で駆逐艦1隻が買えるくらいの高額なものだった。
アメリカに帰るという、Rechardと一緒に新谷は、B29に乗っていた。
本来であれば、軍籍でもない新谷が乗れる代物でもなかったが、Rechardと一緒であり、財団の留学生であれば、なんとなくである。
また、新谷がかつてパイロットであっことが、大きかった。
戦闘機乗りは、現代の騎士みたいなもので、技量がものいう。
Rechardを撃墜したパイロットとなれば、興味津々である。
クルーから代る代る質問を受けたが、新谷は笑ってあまり答えなかった。
彼らは、戦争をしらない世代に入っていた。
終戦から3年も過ぎれば、そんなものだ。
極東への勤務は、ヨーロッパに比べ、どちらかといえば、左遷地みたいなものらしかった。
新谷は眼下に見える海を眺めながら、懐かしさを覚えていた。
発動機の音にオイルの焼けるにおいを思いだしていた。
だが、この機体にはそのようなものがなかった。
飛んでいる感覚ではなく、浮かんでいるといった感覚が正しかった。
「思い出すか、昔のことを」
といって、Rechardは、コーヒーのカップをさしだした。
「ああ、こいつを落とすのに9000m以上で待っていた。すごく寒かったことを覚えている。」
空気は薄く、酸素マスクは化学反応が薄く、うまく酸素を発生させていなかったので、常に頭がボーとしていた。それでも、爆弾を落とすのを防がなければならなかった。
F6Fやムスタングとの戦闘は命がけだった。
機体の整備も満足でなく、オクタン化の低い燃料で、回さなければ馬力を稼げないエンジンでの状況の中で数に勝る相手の戦闘だ。
毎日、毎日未帰還機が増える。
パイロットはいるのに、機体がない。
絶望と言えば絶望だが、それでも戦いをやめないのは、明日を信じていたからだ。
守るための戦いを続けていたからだ。
他人から物を奪うことから、明日を信じて守ろうとしたからだ。
新谷は、そう信じていた。
ハワイの中継基地で給油をして、アメリカ本土へ向かった。
新谷は、バージニア州のラングレー空軍基地に降り立った。
そこには、ずらりと並ぶハンガーと航空機が並んでいた。
その光景に、新谷は、アメリカの底力を思い知るしかなかった。
戦前教えられていたのは、鬼畜な人種であり、日本人は神から選ばれた人種なのだと教えられていた。
もちろん、それをそのままうのみにするほど、思慮がないわけではないが、あのまま、戦い続けていれば
アメリカインディアンのごとく絶滅まで追い詰められたいとおもった。
見方を変えれば、現在までの世界史の中で、アメリカと正面切って戦った国家は日本しか存在しない。
敗れたとはいえ、初戦では優位に戦いを進めていたといえる。
戦史を研究するものの立場で言えば、明治維新から70年ほどの国がここまでの戦争を行えることは奇跡にに近いといわれている。
1941年12月8日に始まり、1945年8月15日までの3年9か月の時間に何があったのかは、その戦いに身を置いたものでなければ分からないと思う。
新谷は、スーパーフォレストと呼ばれた、B29の機体を見上げて、かつてこの機体めがけてダイブを繰り返し、当たらない20mmを撃ち続け、ジェット気流に流されて凧のように彷徨ったことを思いだした。
推進力ゼロ浮いているのがやっとだった。
その機体が目の前にある。
だが、銃座ははずされていて、とても爆撃機に見えなかった。
銀色の機体が、太陽の光を跳ね返し、美しいとさえ思った。
いつも、高高度で離脱してcontrail(飛行機雲)を下から見上げるしかなかったからだ。
新谷は、ここから始ようと思った。
日本という国が、戦闘機に爆弾を抱いて起爆装置の風車を回さないで済むように。
こうして、敵として戦った人とも分かり合えるようになれることを。
「新谷、感無量化か」
と礼装に着替え帽子を小脇に抱えたRechardが肩を叩いた。
「Welcome, to the United States of America.(ようこそ、アメリカ合衆国へ)」
とRechardはいい、軽い敬礼を新谷に送った。
新谷は、返礼の意味で頭を深く下げた。
この小説はある程度の資料により構成していますが、フィクションも含まれています。
日本人が、B29に乗ったという記述はありません。
ただ、日本の皇族の方の手紙にあるように立派なものであったのかもしれません。
なにが立派なのかはわかりませんが、新谷が命がけで戦ったものへの畏敬の念だとおもいます。




