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bloom  作者: うえのきくの
5/38

bloom1 クレッセントの天使5

 


 彼女がmitsukiだと聞いて、メチャクチャ動揺した。 まるで気がつかなかったアホは俺だけど。

 mitsukiが突然引退をしたとき実はかなりショックだった。ファンだったわけではないけれど、少し落ちた。

 一度だけ、mitsukiと仕事をしたことがあったのだ。

 俺の勤めていた花屋が入っていたホテルのブライダル用ポスターの撮影に参加したときのことだ。

 俺は今の会社に移籍して一年目で、会社だけじゃ食っていけない時期だった。 最初はみんなそうで、それぞれに掛け持ちしたり前の会社の仕事を手伝ったりして苦しい時期を乗り越えてきた。

 その時、bloomでは結婚式を抱えておらず臨時バイトとして元、勤めていた花屋のヘルプで撮影を手伝っていた。 そこにモデルとしてやってきたのがmitsukiだったのだ。


 事前の打ち合わせではローズのなどの華やかな花材、カラフルな色を使ったキャスケードをと希望。 ポスターもキュートなイメージで行くということで俺たちもそのつもりで準備していった。 ホテルの壁面に大々的に飾るスクリーン状の懸垂幕として張り出すというので腕がなる。

 ところがメイクをしてオフショルダーのドレスを着た彼女を見たとき、そのブーケは違うだろ! と奮起してそこにある花材を使いもうひとつブーケを作った。

 それは、グリーンがかった白のカラーを使ったクレッセント。 スレンダーな彼女と、その体に沿った流れるようなドレスには緩くカーブを引くこのブーケの方が似合っていた。

 ……ああ、俺はあのときも彼女にカラーをイメージしていたんだ。


 結局、最初に希望していたキャスケードが採用になった。 そりゃそうだ。コンセプトからなにからみんな変わってきちまう。

 撮影が終わったチャペルで選ばれなかったブーケをもて余していると、まだドレス姿のmitsukiが近寄ってきた。 今思えばまだ海外はおろか日本のコレクションにもまだ出演していなかった駆け出しの時期だった彼女。 それにしても迫力があってさすがプロという感じだった。

 そして俺に言ったんだ。

「わたし、採用されなかったそっちのブーケの方が好きでした。仕事だから仕方ないけど……ちょっと残念」

 そうして笑った。

「で、これ、貰ってきちゃいました」

 彼女が見せたのは撮影前のポラロイド。 俺が作ったクレッセントを持って流れるラインの後ろ姿で写っている彼女。 小さくて良くもない画質の写真のなかで彼女は、美しかった。

「……俺もこっちの方がいいと思ってた。ねえ、ポラって一枚だけ?」

「あ、三枚いただきました」

「一枚、俺にくれない?……サインいれて」

「どうぞ。……えー、サインかあ。はずかしいなあ」

 と照れながらぎこちなくサインを入れて一枚を俺にくれた。 あれは今でも俺の部屋に貼ってある。


 色気とかじゃないんだよな、とか言ったら失礼か。 惜しみ無く出された背中も肩も、サイドに寄せて露になっているうなじもセクシーというより無垢。 白いドレスもブーケも彼女に纏われて霞んでしまう。

 天使、は言い過ぎだろうか。それほどに澄んでいる写真だった。

 俺にとっては女、というより純粋に憧れのような彼女のスキャンダルに続く引退を、遠くの世界の話だけれど寂しく思っていた。

 あの時、はにかみながらポラにサインしてくれた彼女は、もうどこにもいなくなってしまったと。


「はあ………」

「彼女がmitsukiって気がつかなかったんですね」

「ああーー……うん」

「それにしてもこのレースは素晴らしいですね。間違いないとは思いますが、あとはmitsukiさんが引き受けてくださるかですね」

 帰りの車で太田がつぶやく。咲乃さんも嬉しそうだった。 そうだ、問題は水科さんがOKを出してくれるかと、その後、彼女が引き受けてくれるかなのだ。


 水科浩史さんとは衣装部の長でbloomの立ち上げメンバーの一人。 ここに来る前は大手アパレル会社のデザイナーをしていたひとだ。

 本当はこの会社を起こそうとしていたのは彼の上司であった人なのだが、その方が急逝されたので、その遺志をついで水科さんがメンバーに加わったそうだ。

『bloom』と名付けたのもその上司の方だと聞いている。

 俺が参加したのはそのあとのことなのでその辺りの詳しいことは知らない。

 衣装部は水科さんと咲乃さんこと本多咲乃さんの二人で切り盛りしている。 二人でデザインから縫製までやってのける。

 恐ろしいことに咲乃さんに関してはバイト扱いだ。天才の無駄遣いである。


 会社に戻り水科さんにレースを見せると、さすがに驚いていた。

「すごいな。これなら花嫁さんも喜んでくれるんじゃないか?」

「はい、私もそう思います」

 咲乃さんは嬉しそうに答えた。

「後は納期が厳しいからなあ。先方の予定は変えられないそうだからそのレースの人との調整、頼んだよ」

「はい……ただ……」

「何? 本多」

「彼女が引き受けてくれるかが……」

「水科さんはご存じですよね、元モデルのmitsuki。彼女がそれを編んだんです」

 口ごもった咲乃さんの代わりに太田が続ける。

「mitsuki……? あの、自殺未遂で引退した子?」

「私も今日会って驚きました。ちょっと、縁起が悪いかと……」

「うーーーん。だけど、これから他の人探すっていうのもねえ……。これだけのもの見せられちゃうと」

「はい。出来上がったら、お祓いでもしましょうか」

「キツいね、太田。俺は構わないと思うから、話を進めよう。取り敢えずmitsukiさん?説得してくれ」

「今は柴田さんです」

 それまで黙っていたがつい、口をはさんでしまった。 水科さんが俺を見る。 そして優しく笑った。

「柴田さんか。じゃあ、武士。説得お前に頼むよ。彼女、絶対落としてきてね」

「……頑張ります」


 資材置き場は別にあるが基本、専用の部屋などはないうちの会社。 と言うのも社員が少ない、金がないという理由の他ならない。 社長室すらない。

 お客様用のカウンターがあるエントランスとドレスを管理してフィッティングする部屋、その奥に縫製室。 それに大事な書類の多い太田の部屋以外はそれぞれのデスクしかない。

 契約しているヘアメイクや司会の子やその他アルバイトにはそれさえないので出社したときには部屋の片隅にあるソファスペースでごろごろしている。 俺には一応のデスクはあるが今はソファで丸くなっていた。

 たぶんだけど、彼女は引退してから今日までひっそりと生活していたんだろう。 華やかな世界を捨て、郊外のコンビニ店員をやって生きている。

 俺に会わなかったらずっとそうやって静かに暮らせてたのに。 おまけに昔の彼女を知っている太田と仕事をしろなんて、そりゃ、いやに決まっている。


 そこまでわかっていて説得なんて出来そうにもない。

 彼女を諦める。 もう、困らせたくない。 咲乃さんにそう言おう。きっとわかってくれる、そうと決まったら他の人を探さなきゃ。

「情野くん」

「あ、咲乃さん、あの……」

「柴田さんのことでしょ? 説得しないつもりだー」

「……」

 咲乃さんはにやにやしながら寄ってきて、俺が寝そべっているソファの端に腰かけた。 そして足をぶらぶらさせながら言う。


「彼女は、この仕事引き受けた方がいいと思う。だって、柴田さんは悪くない。誰だってあんなことされたら傷つく。自分を傷つけることなんてなかったと思うけど、気持ちはわかる。モデルじゃなくても、好きなことで輝いててほしいな、柴田さんには。そのきっかけに情野くんがなってあげるといいよ」

「柴田さんの気持ち、わかるみたいですね」

「うーーーん。凄く悲しいことがあって立ち直れなくなっちゃったときにもね。自分ではもうどうすることも出来なくて、駄目かな自分、て思ってもさ。誰かが手を貸してくれたらまた歩ける、って位はわかる」

 咲乃さんは時々怖いくらい鋭い。 『駄目かな自分』と、思ったことがあるのだろうか。 柴田さんも、咲乃さんも。

「……イヤに具体的っすね。咲乃さんはそういうのとは、無縁だと思ってた」

「何よー、人をアホみたいに。大人になれば悲しいことのひとつやふたつあるんですー」

「……ごめんなさい。あれ、大人って、咲乃さんおいくつでしたっけ?」

「素直に謝るから誉めてやろうかと思ったにのに、レディに年を聞くとは……。37だよ。水科さんの2つ下」

 水科さんは本当に渋い、大人の男だ。 ちょっと酒に弱くてすぐ寝ちゃうのが欠点ていえばそうだけど、そこ以外は素直に憧れる目標とすべき大人像だ。

 その彼と、2つしか違わない? どこかで時間をはしょってしまったような外見、動作に少し戸惑う。

「……へ、マジで見えない。若いっすね」

「かわいいなおい。お姉さんが飴ちゃんあげるから、柴田さん口説いておいで?」

「……それで彼女は傷ついたりしませんかね」

 俺にくれる、と言った飴を自分の口に放り込み、カランと音をならす。 んー、としばらく考えて咲乃さんは笑顔で言った。

「わかんないけど、情野くんが一緒なら大丈夫だよきっと」

「……頑張ります」



「そこをなんとか」

「無理です」

「一緒に頑張ろうよ」

「できません」


 翌日、俺は三度彼女の勤めるコンビニに出向き、説得を試みた。 頑なな態度は変わらず、それでも俺は彼女を諦められない。

 柴田さんは小さなため息をつき、子供を諭すような声色で言う。

「……情野さんも聞いたでしょ。花嫁さんの門出に相応しくない人材じゃないかと思うんですよ、わたしは。どうしたって打ち合わせとかでご本人に顔会わせるし、それで相手が捨てられて手首切った女だって分かったら気分良くないと思うんですよ」

「じゃあ、花嫁さんが柴田さんのこと知らなかったら引き受けてくれます? それか、それでもいいって言ってくれたら」

「う………、その時は」

「じゃー、打ち合わせもかねて会いに行きますか」

 善は急げだ。俺はスマホを取り出して電話をする。

「は?」

「花嫁さんに。あとお母さんにドレスのデザインとか聞きたいでしょ?」

「え、いや、はい………」


 彼女の気が変わらないうちにと早速連絡をして翌日、会いに出掛けた。 お母様の入院している病院で花嫁と落ち合うことになった。

「失礼します………」

「お世話になっております、bloomの情野と申します。こちらは今回ドレスのレース部分を担当させていただく柴田です。こちらはご新婦さまの斎藤 比呂恵様とお母さま」

「こんにちわ、よろしくお願いします………って、あれ、mitsuki?」

「……あ、の」

 柴田さんの顔が強ばり、一歩後ろに下がってしまう。 やっぱり駄目なんだろうか。

「あーー、っと。私、あそこのモデル事務所の下にあったカフェの店員なんです。mitsukiさんのことよくお見かけして。そっか、mitsukiさんが編んでくれるんだ」

「いえっ、あの……」

 柴田さんは目に見えて動揺していた。 一言を発した唇は小さく震え、からだの前で握りしめた手はそれ以上だった。

 ただでさえ軽い化粧しかしていない顔が蒼白になったとき花嫁が微笑んだ。

「よろしくお願いします」

 驚いて、彼女は比呂恵さんを見る。

「……嫌じゃないんですか? わたし、あんな騒動起こしたのに……」

 まだ小刻みに揺れる両の手を握りしめて、柴田さんは立ち尽くす。 事情のよくわかっていないお母様がいたわるような目で柴田さんを見ている。

「ん?私たちはmitsukiの味方だったよ?詳しいことはもちろん知らないけど、いつも私たちにも親切にしてくれてたでしょ。モデルさんたちはたくさんいたけど、コーヒー持ってって『ありがとう』なんて言ってくれたのmitsukiさんだけだったし。あんな男のために辛い思いしちゃいましたよね? ドンマイですよ」

 比呂恵さんが明るい声で言った。

「ドレス、絶対お願いします」

 柴田さんは目をいっぱいに開いて比呂恵さんを見た。 そして瞬きをするとうつ向いた。

 俺はすぐ横にあるその肩を見つめて彼女の答えを待つ。

 柴田さんがキッと顔をあげる。 こらえた涙がまつげを濡らしてそれでも比呂恵さんにはっきり言った。

「頑張ります、やらせてください」


 それからしばらく、花嫁さんのお母さんとドレスについての話をして俺たちは病院をあとにした。 帰り道で見た柴田さんはスッキリした顔をしていた。


「引き受けてくれてありがとう」

「いえ……。あんな風に思ってくれてる人がいたんだって思ったら、ありがたいなあって。頑張ってみたくなっちゃいました」

「うん……。まあ、あんまり時間もないんだけどさ、俺もドレスのスタッフも協力すっから」

「はい。……あれ。時間がないって……?」

「あーーー。えっと、式、1か月後」

「はああああああああっ???」




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