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bloom  作者: うえのきくの
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bloom1 クレッセントの天使3

 



 自分が、なんの取り柄もない女であることはずっと昔から知っていた。

 勉強ができるわけでもないしスポーツをやっていたわけでもない。 姿形もコンプレックスの塊だった。

 腫れぼったい奥二重や特徴のないくちびるは鏡を覗くたびため息の種。

 その上高校の時、爆発的に身長が伸びた。 それこそ寝ていてギシギシと骨が軋むくらいに。 1年で10㎝以上。

 あっという間に私の身長は175㎝にもなった。 友達から頭半分飛び出すのが恥ずかしくて背中を丸めて歩いてばかり。

 それまではそれでも物好きな男の子がいて彼氏などもいたことがあったけど、さすがに自分よりでかい女を誰も相手にしなくなった。

 男の子の友達が一杯いるさばさばした女の子、であればまだよかっただろうが、生憎そういうんでもなく。

 友達が化粧品や洋服を買いにいったりするのに付き合わされるのもうんざりだった。 どうせ、私が着られるものなんかないし、足のサイズは25.5だし。


 大学も三年になり、就職活動を始めるもどこにいっても体よく断られた。 今考えれば、みんなだって同じだっただろうに、自分だけが運が悪いような気がした。

 中でも、どうしても入りたかった企業に電話をして今後の参考にどうしてもと不採用の理由を聞くことができたが、様々な事柄が並べられたあとに『その身長だと、制服もないしね。』と告げられた。 それは、努力次第でどうにかなるもんじゃないし。

 なにかスポーツをしていてのこの身長なのであれば使い道もあっただろうが、全くもって無駄である。ありがたくもなんともない。

 それにしても何とかしなくちゃならない。

 就活を続ける毎日。 ある日、面接先に向かって道を歩いていたら急にスーツの男性から声をかけられた。

「すみません、こんにちは。急にごめんね? 失礼ですがもうどちらかの芸能事務所と契約されていますか?」

「は?」

「まだでしたら、うちでモデルやってみませんか?」

「はあ?」

 声をかけてくれたのが最後までマネージャーを勤めてくれた三浦さんだった。

 当然それをうさんくさいと思った私は半分無視で立ち去ろうとした。 ところが彼はすかさず名刺をとりだし『話だけでも』と食い下がった。

 なんか怖いし面倒だし時間ないし、自分がそういう種類の人間だとは思えなかったし、わたしは『気が向いたら電話しますから』と言い残しその場から逃げるように離れた。

 名刺は聞いたことのない会社の名前が書いてあった。ネットで調べるといわゆるタレント事務所ではなくモデル専門のエージェントのようだ。

 テレビで見かけるようなタレントは所属していない。 連なる名前のモデルたちも皆実在の人物だし、海外にもオフィスを構えている。 株式も公開しているし会社としては疑うことはしなくてもいいのだろう。

 でも私がモデルなんて……それはあまりに非現実的な気もする。 いくら困っているからってそこの判断は誤らない。

 名刺は机の奥にしまってしまった。


 就職活動は更に困難を極めた。

 面接した会社が70を越えた。 面接さえ受けられなかった企業もあった。 4年が目前になり本気で何とかしなくてはならないと焦った。

 そんなとき思い出したあの名刺。

 迷って迷って、やっと書いてあった番号を押したのは、私の21歳の誕生日のこと。

「あの、以前お名刺頂戴しまして、三浦さんはいらっしゃいますか?」

「はい、わたくしです。どちらでお会いしましたか?」

「去年の夏ごろ、日比谷で………」

「おお?!175㎝の和風美人? たぶん就活中の!」

「和風美人は違うと思いますけど、身長まで……。よく覚えていらっしゃいましたね」

「忘れないよー、でももう諦めてたんだよね、連絡ないから。なに、就職決まんないの?」

「はい、お恥ずかしながら」

「世の中のお偉いさんは馬鹿ばっかりだ。こんな逸材採用しないなんて!」

「いえ、そんな……」

 電話の向こうで明るく笑う声がする。 軽いジャズが流れている。

 少なくても拒絶されていないという安心感。 話を聞いてくれる人がいるっていう心地よさを久しぶりに感じた気がした。

「まだ、迷ったり信じてなかったりするんでしょ? それでも電話してくれたんでしょ?」

「……はい」

「とりあえずさ、お話だけでもしない? 会社見てもらえば、デタラメじゃないことはわかってもらえると思うから」

「はい……」

「じゃあね────」

 わたしは訪問の約束をしていた。もう、藁にもすがる思いだった。


 訪れた事務所で面接と簡単なカメラテストを行った。

 社長さんと、三浦さん、それに呼ばれていたメイクの人とでさんざんわたしの顔をいじり倒す。

 さあ、どうぞ、と促され鏡で対面したわたしは────別人だった。

 腫れぼったいとゆううつの種だった瞳はオリエンタルなイメージ。 目の際に引かれた濃いブルーのラインが涼しげで、物言いたげに揺れている。

 ただ食事や会話のためだけに開いていると思っていたくちびるは今にも誰か誘惑しそうに潤っていた。

 のっぺりした印象だった顔全体、からだ全体が生命力に満ち、輝いているようだった。

「やっぱり、いい! 思った通り」

「……うん、これはいいね。三浦やるな」

「ほんと、手足も長いし肌もきれい。肩幅も厚みもちゃんとあるし海外でも見劣りしないよ、この子は」

「……えと……」

「君さえやる気なら、即採用。だけどスタートはほかの子に比べてかなり遅いからビシビシ鍛えていくから甘くはないよ。どうする?」

「……私にできるでしょうか」

 「自信ない? こんなかわいくしてもらって」

 自信のなさなら世界一だ。 張り巡らされたモデルたちの写真が、早く返事をしろとせっつくようで、目が泳ぐ。

「………就活がうまくいかなかったって言うのもあるかもしれませんが、背が伸び出してから自分に自信がなくて……ってそれ以前からないんですけど。 顔も性格もコンプレックスだったし、勉強もスポーツもなにも一所懸命やってこなかったし、なんか」

 自信なんかない。自信を持てるステージに上がったことがない。

 努力をしてそれが報われる、又は報われずに悔しくてさらに頑張ろうなどという成長のプロセスを、わたしはすっ飛ばして生きてきたのだと今になってやっと気付いた。

 遅くはないのだろうか。 今からでも頑張るチャンスがあるんだろうか。

「なにも君一人をランウェイにたたせようって訳じゃない。一番の主役は衣装だ。デザイナーが作った衣装を彼らのイメージ通りに見せるために君がいて、スタイリストがいてヘアメイクがいて、照明や会場を作る沢山のスタッフがいる。一緒にショウを作ってみないか?」

「……一緒に」

 勇気がいったけど、手はガタガタと震えたけど。

 ひとつのものを作り上げること、その手伝いをすること。

 生まれてはじめて、それをやってみたいと切実に思った。 例え叶わなくても、がむしゃらにやってみたいと。

「やります。やらせてください」


 そして契約書にサインをした。

 モデルとしての一歩を踏み出したのだ。


 最初の数ヵ月はポートフォリオの撮影に、レッスンレッスン、レッスンの日々。毎日毎日スタジオの中をたっかいヒールで歩き回った。

 それに語学の勉強。 とりあえず英語、ゆくゆくはフランス語とイタリア語を習得しろと言われている。

 食生活を見直し、スキンケアのレクチャーを受ける。

 ジムに行き、程よい筋肉をつけ姿勢をただす。 今まで縮こまって丸まって生きてきたのが嘘のようだ。

 手をかければかけるだけ、自分が変わっていく。

 身長を計りなおしたら177になっていた。 三浦さんも、ますます海外向けだーと喜んでいた。


 同じ事務所には下は13歳から上は40歳位までのモデルが活動している。男性も女性もいる。

 みんな背が高くてスレンダーで、でも個性的。 わたしは卑屈になることもなくなった。 ていうか、そんな暇なくなった。

 mitsuki、という芸名と言うのか? ステージネームとでも言うんだろうか。 それを考えてくれたのは社長だった。

 本名も生まれ月の和名だし、まんま三月っていうのも面白いだろうと。

 それに、『美しい月』とか『光る希望』とか漢字に当てはめると日本的な風情のある名前だし、いいんじゃないかと。


 新しい名前をもらったmitsukiは魔法がかかっていない弥生とは違う。 もう今までのようにうつむいては歩かない。

 おどおどしていては洋服が輝かない。 デザイナーの思いがこもったドレスが呼吸をするように歩きたい。


 しばらくして初めてスチールの仕事をさせてもらえるチャンスが巡ってきた。

 ホテルの結婚式場のPR宣材。

 わたしはウェディングドレスを着て立つだけでいい。 とはいえ、ボーッと突っ立っていればいいかというともちろんそうではなく、カメラマンやディレクターの指示で、手の角度、顔の位置表情、からだの捻り(それあり得ないとか言ってられない)をつけていく。

 都内にある有名ホテルのリニューアル企画で、誰しも力が入っていた。 ドレスも有名デザイナーのものを用意されて、袖を通すときにはかなり緊張した。

 ホテル内に完成したばかりのチャペルを、ドレスに恥じないよう堂々と胸を張って歩く。 そうできるだけの自信をつけるレッスンを日々繰り返してきた。

 視線で、指先で、首の角度で一番きれいなドレスを撮ってもらえるよう。

 ブーケを握ったグローブの中の手汗が恐ろしい。

 それでも、歩くことができた。 カメラマンの要求に答えることができた。 撮影が終わった瞬間、拍手が起こった。 スタジオのはしっこで、三浦さんも笑っていた。

 小さい感動が成功が自分を勇気づける。 私服に着替えたら、いつもの私なんだけど。


 そうして迎えたはじめての東京でのオーディション。回りをみれば洗練された若いモデルたちばかり。圧倒されるを通り越して丸めて掃きだされそうな異様な雰囲気。

 それでも負けていられない。

 あの、雑踏のなかでわたしを見つけてくれた三浦さん。 彼に対する恩義はオーディションを通ることでしか答えられない。

 デザイナーのブランドの意思を汲み取って歩くだけだ。


 オーディションを受けたコレクションのいくつかに出させてもらうことができた。 安心して、気が抜けそうで、三浦さんと抱き合って喜んだ。

 初めて歩いたランウェイは光と音が交錯する夢のような場所だった。 焚かれるフラッシュ、観客の視線、歓声と拍手。

 しかし、華やかなステージとは違って、バックステージはみんなが走り回り、振り乱し、声を荒げる。 美しいモデルたちも表の顔をかなぐり捨てて、乱暴なまでに荒く衣装をチェンジする。 まるで戦場だった。


 喜んでばかりはいられない。 今日選ばれても次はないかもしれない。 実際にレッスンを受けている間に辞めていくモデルたちを何人も見てきた。 努力だけではどうにもならないことも沢山ある。

 デザイナーに流行りに時代に、求められるモデルでなくてはいけない。

 そうやって運良く求められたわたしは何とか数年、ランウェイを歩くことができた。


 例えばスチール専門のモデルとか雑誌の専属モデルなら、タレントや女優への転身も将来の道のひとつとして考えることもできただろう。 スタッフにも言われていたがそれには私は身長が大きすぎる。 他のタレントさんや俳優さんを見下ろしてしまう人間(しかも女性で)の需要はあまりに少ない。

 ショーモデルとしての寿命はいいとこ5年と言われている。 しかもわたしはスタートが圧倒的に遅かった。 ランウェイを歩きながら、これからの身の振り方を同時に考えていた時期だった。


 2年目からロンドンやパリのトライアウトも受けるようになった。

 からだひとつで海外にわたり自分でブックをもってブランドに殴り込みをかける。 事務所が各国にオフィスを持っていたから別途契約をする煩わしさはなかったけれど、それでも何もかもを自分でしなくてはならない。

 言葉の壁、人種の壁、たくさんの壁を乗り越えたり越えられなかったりして、トライアウトまでこぎ着ける。

 最初は一つ、次は一気に五ブランドのショーに出してもらえた。

 ショーが終わると町に出て美術や建物、人に草花。ありとあらゆるものを見た。 吸収しなきゃ、勉強しなきゃと躍起になっていた。


 ある年、イタリアで編み物に出会った。 もちろん日本にもあるがどちらかというと野暮ったくて手編みのものになんて興味がなかった。

 でもこっちでは当たり前のように編み物をする人がいて、個性的な店がどこにでもあった。

 ニューヨークではニットカフェ、ミラノでは目も眩むようなニットヤーン、そしてイギリスでは様々なレースに会った。

 ボビン、タティング、アイリッシュ。 足を伸ばしてシェットランド………。 それぞれに特徴があって人の手が作り出して、歴史があって想いがこもっていて。

 そして、教えてほしいとお願いするとみんな親切に教えてくれた。


 もし、モデルをリタイヤすることになったなら、私は編み物をしたいと思った。

 日本でもパリでもニューヨークでも構わない。 編み物をしてそれを教えて、もしかして自分でブランドを立ち上げたり、ショップを持ったり。

 行く先々で編み物を教えてもらった。 日本にいるときは教室にも通った。 編み物だけじゃなく様々な手芸、クラフトに精通している先生だったので沢山のことを教えてもらった。

 人生は上々だと思えた。 努力すること、それを楽しむことが生まれてはじめてできているようだった。

 あの日までは。


 日本で初めてCMの仕事をすることになった。 メンズウエアのスチールとテレビCMで、メインの俳優さんの後ろを印象的に歩いていく女の役。 演技力なんて期待されても困るんですけど、と思っていたけれど、何事も経験だとのアドバイスもあり、わたしはそれを受けた。

 メインの俳優さんは私でもよく知っている有名な方で、富樫恭一さんといった。 さすが、人気俳優。私より背が高くオーラが違う。

 本当にこんなヒヨッコが申し訳ありませんという感じだが、それを悟られてはいけない。

 彼についてあまりよく知らなかったが、とても気さくな人ですっぴんの私にも気軽に話しかけてくれた。

 あろうことか、東京でのショーを見てくださったとか。

「かっこよかったよ。」なんておだてられていい気になりそうだが、本当は違う。

 だって、本当のわたしはこのすっぴんのわたしで、あれは魔法がかかったmitsukiだもの。

 ドレスとヘアメイクとステージの魔法がかかったmitsukiは素敵でなくてはならない。 みんなが憧れて、好きになって、そのドレスを欲しいと思ってくれなくてはならない。

 そのために歩いて、その為だけに歩くのだから。

 ショーが終われば、私は背のおっきいだけのただの26歳で構わない。


 それなのに、彼、富樫さんはわたしのことをとても認めてくれていた。

 わたしは本当にショーを作る1つの駒に過ぎないんだと話しても、いつも「そんなことない、君は素敵だ」と誉めちぎられた。駒だっていなくては困るんだと。

 デザイナーの趣旨を理解して、日々努力してそして、すべてを背負ってたった一人、ショーに出るのだから立派なんだと繰り返し言われた。

 それがどうやら口説かれているようだと気づいたのは撮影が終わってひと月ぐらいたった頃。 変わらず連絡を寄越してくれていた富樫さんのことを三浦さんに話した時だったんだから鈍感なことこの上ない。


「弥生ちゃん、それ絶対口説かれてるから。気をつけてよ? 悪い噂を聞くひとじゃないけどCM契約したばっかりだからね。スキャンダルとか、困るから」

「はあ。しかし、こんなでっかいだけの女口説くなんて無いと思いますがねー」

「そんなことないでしょ。弥生ちゃんはいい子だよ? 一生懸命でかわいいし」

「うっ………ありがとーございます。はずかしーです」

「モデルはそこで『当たり前でしょ? 誰に向かってもの言ってんのかしら』とか言わなきゃダメなんじゃないの?」

「わたしがそんなキャラじゃないこと三浦さんが一番よく知ってるじゃないですかあ……」

 情けない顔の(モデル形無し)わたしに三浦さんはゲラゲラと笑う。そのあと表情を引き締めて言った。

「ま、冗談はさておき、恋をするのはいいことだし、美しさにも磨きはかかると思うんだけどさ。相手が大物なんだからくれぐれも気を付けてね?」

「……はい」

 

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