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bloom  作者: うえのきくの
21/38

bloom3 ココロノフタ4

 


 二人を見送ってから、5人は中に入った。部屋は一般的なファミリータイプのマンションだった。歩いてきた廊下から察するに、3LDKほどだろうか。

 白と木目のこぎれいな部屋に、咲乃の趣味なのかブルーと黄色の小物が目を引く。

 なぜ。なぜ、一人で住んでいるはずの咲乃の家がファミリータイプなのだろうか。一人だから広く使いたいと、壁をぶち抜くなどのリフォームもされていない。

 赤間は次から次からわいてくる違和感と一人で戦っていた。


「日向子ちゃんは、お風呂はいって寝る準備ね? 明日も学校だし」

「はあーい」

 自然な会話は、姉妹か母娘のようだ。咲乃の年齢であれば日向子ほどの娘がいても何ら不思議はない。帰りに買ってきたアルコールを冷蔵庫にしまいながら、咲乃は何やらキッチンに立っていた。

「おつまみですか?私も手伝います」

「うん、なんにも準備してなかったから大したことできないんだけど。明日のお弁当の下ごしらえもついでにね」

「へえ、すっかりお母さんですね?」

「おかげさまで」


 何やら野菜をザクザク切ってドレッシングで和えただけのサラダ、少しとってあるのがお弁当になるのだろう。鶏肉とジャガイモは唐揚げになった。カリカリに焼いた薄めのバゲットとディップとチーズ。

 飲み物と一緒に買ってきたツマミやスナックと一緒に出せば、立派なおうち居酒屋だ。

 乾ききらない髪の日向子が浴室から帰ってきた。かわいらしいクリーム色のパジャマに身を包んでいる。

「あーー、いいにおーい。唐揚げ?いいなあー」

「日向子ちゃん用は明日のお弁当に入れるからね?」

「やった! 楽しみ」

 咲乃がお休みを言わせると二人は寝室と思われる部屋に入っていった。


「すっかりファミリーですよね、二人。日向子ちゃん帰っちゃったら咲乃さん泣いちゃうんじゃないですか?」

 樹晏が笑う。あれなら日向子が打ち解けて、式に参列するのをためらう気持ちを聞き出せるかもしれない。赤間は缶のビールを飲みながら少しぼんやりしてきた頭で考えていた。


 いい加減飲んでいる。もう日付が変わった。水をもらおうかと立ち上がった赤間の目に花瓶の前に伏せられた写真たてが入った。咲乃は軽く洗い物をするといってキッチンにはいったままだ。樹晏はトイレに行くといい席をはずしていた。

 見ているのか寝ているのか、ソファに転がったままの水科の顔はテレビの方を向いている。

 見てはいけないから、見てほしくないから伏せてあることはわかっている。突然来ることになったから慌てて伏せたんだろうこともわかる。

 いや、日向子が来た日から伏せてあったのかも知れない。頭のなかには激しい警告音が鳴っている。

 それを開けてみて、水科が写っている写真だったらどうする。

 振られたのにやるせない思いを抱えたまま仕事をしていかなきゃならないことに変わりはないのに、その理由がまたどうしようもないことだと突きつけられて。

 それでも、その手は止まらなかった。そっと腕を伸ばし白いフレームに触れる。音がしないように正面を向ける。

「……」

 そこには予想外のものが写っていて、赤間は慌ててもとにあったようにそれを伏せた。

 心臓がうるさい。

 喉が乾く。

 洋服さえも声をあげないよう息を殺して振り返ると、いつのまにか上半身を起こしていた水科が、赤間を見ていた。


 そのあとは帰ってきた樹晏と咲乃も一緒に夜が更けるまで飲み倒した。樹晏も咲乃もさほど強くはないが、途中から泊まっていくということになってからはいつもより多目に飲んでいたようだ。

 無駄に部屋はあるらしく、さほど寒い時期でもなかったこともあり男共も部屋を借りて泊めてもらうことにした。

 一度は起きた水科も赤間にあわせて飲み進むとあっという間にソファに突っ伏してしまった。咲乃が持ってきたタオルケットをかけてやるとムニャムニャと気持ち良さそうにくるまりどうやら本気で眠ってしまったようだ。

 さすがに明日も仕事だと言うことで残ったメンバーもざっと片付けをして眠る準備をした。


「樹晏はあたしのなんか着ればいいけど、赤間くんはなんもないなあ」

「ああ、いいっすよ。明日帰って着替えますから」

「ごめんねー。タオルと歯ブラシはこれ使ってね。樹晏はこれねー?」

「なにもかもすいませーん」

「ううん、使ってもらう部屋もふだん納戸だからあんまりきれいにしてないけど……」

 女子二人はきゃいきゃいとメイク落としやシャワーの使い方などではしゃいでいるようだった。

「じゃあ、お休みなさい……」

「はーい、お休みなさい」

 シャツと、少し迷ったがジーンズも脱いで敷いてもらった布団に潜り込む。息を深く吸うと、咲乃のにおいがした。

 通じない思い、混乱する頭、掘り起こしてしまった秘密を抱えた今では、優しい香りもすこし、苦しい。

 いつまでもやってこない眠りに焦れながら、赤間はそう長くはない夜のなかにいた。


「……大人もさ、嫌なこととかあるんだね」

「昨日の夜の話? みんな愚痴ってるの聞こえてた?」

「うん、少しね」

 咲乃と日向子のようだ。

 もう朝か。重たいからだと働かない頭の片隅でそれだけはわかった。

「私も家で嫌なこととかあると友達にしゃべってスッキリすることがあるから、大人も一緒なんだなーって」

「ははは。お恥ずかしいところをお見せして。でもさあ、日向子ちゃんは何歳から大人って言うと思う?」

「え。二十歳からじゃないの?」

「うん、社会的にはね。お酒やタバコがOKになったりね。でも、心の方はそんなにはっきり大人になるってないんだよね」

「そうなの?」

 カチャカチャと恐らくはふすまを一枚隔てたキッチンで弁当でも作っているのだろう。揚げ物をあげるような音や水を流す音の隙間をぬって二人の話し声が漏れ聞こえてくる。

「たぶん、ほとんどの大人は死ぬまでちゃんと大人になんてなれないんじゃないかと思うよ。だから、日向子ちゃんが考えるよりずっと失敗したり、間違えたりしてるよ」

「え、先生やお医者さんとかも?」

「そうねー、お仕事で失敗されると困るけどね。でも時々ニュースとかでも聞かない? 失敗を隠してバレちゃってテレビに出ちゃってる学校の先生とかさ」

「うん、見る」

「日向子ちゃんたちには悪いことをしたらごめんなさいって謝りましょうって大人の人は言うけど、道でぶつかってもごめんなさいが言えない人もいるよね?」

「いる」

 そういえばそうだな、赤間も頷く。

 悪いことをしたらごめんなさい、嬉しいことをしてもらったらありがとうは、人間関係においては基本のコミュニケーションだ。それができない大人は実に多い。

 偉くなればなるほど感謝の気持ちは薄れ、誰彼構わず権力を振りかざそうとするものもいる。振りかざす相手を見誤り、それが滑稽なものになろうともきっとそいつには分からない。

「でも、悪いことばっかりでもないんだよ? 大人になりきれないっていうことは、いつまででも成長できるっていうことでしょ」

「せいちょう?」

「人の気持ちとか自分とは違った考え方を知るたびに、ひとつ、大人になれると思うんだよね」

「ふーん」

 キッチンの音がやみ、今度は食器の擦れる音が目立つようになった。日向子が食事をとっているのだろう。

「……お父さんも、お母さんもそうなのかな」

「ん、なんのこと?」

「……あのね、お母さんから電話があったの。お父さんには、言ってないけど」

「……そう」

「お母さんはなんにも言ってなかったけど、もしかして、自分が悪かったって思ってお父さんと仲直りしたいのかなって。お父さんと小夜子さんが結婚するのはいいと思う。新しいお母さんになるって言われると……まだちょっとよくわかんないけど。でもそうしたらお母さんが帰ってくるところがなくなっちゃうから、私……」

 食器の音も話し声も聞こえなくなった。代わりに聞こえてくるのは鼻をすするような音、しゃくりあげるような声にならない、声。

 日向子は揺れていたのか。新しい家族と別れた母親の間で。

 日向子の本当の母親は最後の方、家にもあまり帰らなくなり日向子の面倒はすべて父親である徳山一人が担っていたという。

 彼は既に今の会社を起こしており、シッターに日向子を預けなんとか日々をやり過ごしていたと聞いている。

 彼女も少しは覚えているだろう。毎日疲れ果てて帰ってくる父親。外では結婚式やパーティーの司会などをして人の祝いの場にばかりいる彼が、夜のキッチンでひとり、シンクにつけた食器を洗っていたことを。したこともない縫い物で日向子の体操袋を用意したことを。

 ウサギのアップリケをリクエストしたのに、それは見事な地球外生命体だった。それでも、友達に父親を誉められて、それは日向子の宝物になった。

 たいして長くもない彼女の人生のなかで父親と二人の時間のなんと長かったことか。

 彼の苦労、彼の努力。何を語られたわけではないが、一緒にいれば話さなくてもわかることもある。

 その彼が恋をして、新しい人生を歩もうと言うのなら、なぜ反対することがあるだろう。


 しかし、その気持ちの上にのし掛かる母親からの電話。どんな母親だろうと恋しがるのが子供だ。山崎も母親ではないかもしれないが気さくで親切な大人だ。三人の間で小さな心が揺れている。自分の気持ちも分からないままに。


「そっか、話してくれてありがとね」

「お、お父さんには……」

 まだ鼻声の日向子が咲乃に問う。いつもの強気が影を潜め、弱々しい子供のままの日向子が焦ったような声で問う。

「うーん、言わなくていいことなら言わないでおきたいんだけど、ちゃんと大人の人同士で話し合ってもらった方がいいかもよ。これ以上日向子ちゃんが振り回されることのないように」

「……うん」

「ひとつ聞くけど、小夜子さんのことは好き?」

「うん」

「お父さんのことは?」

「好き」

「じゃあ、よかった。日向子ちゃんが辛くなんないようにちゃんと話すからね」

「……うん、ありがと」


 張っていた空気が緩くなるのを感じた、息を潜めて聞いていた赤間もほっと肩の力を抜いた。自分も家族とうまくいっていなかった時期があるからか、日向子にはこれ以上切ない思いをしてほしくないと思う。

 徳山と山崎と三人で、出来ることなら新しいスタートを切れるといい、心からそう思っていた。

「咲乃さんって、私のお母さんよりお母さんみたい」

「えー?ほんとに?」

「うん、本当」

「実はねー、あたし、お母さんだったことがあるんだー。内緒だよ?」


 頭を『鈍器で殴られたような』ってこういうことね、というショックだった。今朝がた日向子が登校のため出ていった咲乃のリビングに樹晏の眠たげな声と水科の半分寝ている声がして、布団の中で固まっていた俺を起こしにきた。

 朝食をごちそうになり3人で本多家をあとにした。すぐに駅につきその間樹晏もいたので、写真のこと今朝の話のことを水科に聞くことはできなかった。


 家に帰りシャワーを浴び、店に出るまでの間考える。

『あたし、お母さんだったことがあるんだー』

 そしてそのあと、咲乃はこう言ったのだ。

「死んじゃったけど。人はいつか死んじゃうじゃん。結構、あっという間だったりするんだよね。もっと仲良くしたかったって、あとから思っても、ねえ?だからね、日向子ちゃんにはお父さんともお母さんとも、それから山崎さんともいっぱい仲良くしてほしいなーって思っちゃうんだよね」


 彼女の告白を聞いて、日南子も戸惑っていたようだった。そのあとはあまり会話もなく、静かに家を出ていったようだ。その告白の内容こそが、俺を受け入れられない理由のひとつなのだろう。

 子供がいた、ということは結婚していたと考えるのが自然だろう。

 ───夕べ見てしまった写真。それは、咲乃が小学生くらいの女の子と知らない男と写っているものだった。見たこともない男は40代くらいだろうか。

 うっすらと浮かんだ目の横の皺には慈愛が溢れ一緒に収まった二人を包むかのようだった。

 子供はグリーンのワンピースを着て弾けんばかりの笑顔でこちらを見ている。その子供を見る咲乃は穏やかな微笑みを浮かべ、思えばそんな顔で笑う彼女を俺は見たことがない。

 それは優しく、美しく、幸せな写真だった。





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