第十五話
お料理を作るのは、今でも大好きです。
僕の作った物を食べて、沢山の人が喜んでくれて、それを見て僕も笑顔になって……だから、僕はこの先も料理をやめるつもりはありません。
ただ、お料理よりもやりたいことができただけ……。
あの日、あの時。
何もかも諦めて、もう死んだ方が楽だって……そう思っていた僕を、絶望から救い上げてくれたあの人がいる場所に。
ルカさんがいる空に、少しでも近付きたくなっただけ。
本当に……ただ、それだけなんです。
Side flight
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あの日のフェリックス
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どこまでも広がる白い雲の海。
頭上を覆う青い空。
そして、そこに響き渡る無数の砲撃音。
本来ならただ美しいだけのその景色だが、今そこは数多の命が失われる苛烈な戦場と化していた。
「あ、う……ぼく……いきて、る……」
黒煙うずまく飛行戦艦内部。
砲撃の直撃を間近で受け、気を失っていた金髪の少年――フェリックス・デシルートは、その白い肌に黒いすすをべったりと貼り付けて目覚めた。
『右舷食堂に直撃弾!』
『第三、第二飛行隊、本艦を援護せよ!』
『だ、だめです! 機関停止! これ以上は持ちません!』
「まだ、戦ってるんだ……」
この世界を支配する二大勢力。
ヴァルツォーク連合とオルランド同盟。
空の覇権を巡り争い続ける二つの勢力は、今日も互いの国境ぎりぎりの空域で交戦を開始。
多数の飛行戦艦と、戦闘用フェザーシップが入り乱れる大空戦を行っていた。
「みんな……」
フェリックスが辺りを見回せば、そこは凄惨極まる戦場の地獄絵図。
つい先ほどまで笑い合っていた仲間が。
気にかけてくれた先輩が。
必ず生きて帰ろうと約束した友人が。
戦いに臨む仲間達の心を、少しでも明るくしようと日々笑顔を絶やさずに働き続けた食堂は、戦場の暴力によって跡形もなく。
ぽっかりと口を開けた戦艦の壁からは、飛び交う無数の砲弾と、黒煙を上げて雲海に沈む何隻もの戦艦が見えていた。
「どうしてこんな……誰も、何も悪い事なんてしてないのに……っ」
この時、フェリックスはまだ12歳。
家族で営むレストランでも人気の料理人で、両親もフェリックスの将来を暖かく見守っていた。
だがしかし。
近年連合に対して劣勢を強いられるオルランド同盟は、まだ幼い彼を調理担当の兵士として召集。
無理矢理戦場へと駆り出した。そして――。
『直撃弾――! きます!』
「あぐ――っ!?」
二度目の炸裂。
それはフェリックスの小さな体を容赦なく弾き、すでに砕けた鋼鉄の壁面に無慈悲に叩きつける。
「う、うぅ……っ。お母さん、お父さん……っ」
だがあまりの激痛は、彼に意識を手放すことすら許さない。
砲弾の直撃によって目の前の装甲板に追加の大穴が空き、傷だらけで倒れるフェリックスの視界に、どこまでも広がる美しい青空と雲海が現れる。
(ああ、そっか……僕はもう、死んじゃうんだ……)
諦めと絶望がフェリックスの心を支配し、これ以上苦しむくらいなら、目の前に広がる空に身を投げた方がマシじゃないかと……そんな思いが心を掴む。
事実、彼の命はここで一度終わっていたのだろう。
なぜならこの時、フェリックスは間違いなく生きることを諦め、自ら望んで死に向かっていたのだから。
傷ついた体を引きずり、冷たい大気が吹き込む着弾の大穴へと。フェリックスは諦めと共に踏み出していった。だが――。
『――ヴァルツォーク連合とオルランド同盟! 我が国の領空で違法な戦闘行為を行う両軍に対し、今から国王ガイガレオンの使者として告げる!』
「え……?」
その時だった。
全てを諦め、蒼穹に身を投げようとしたフェリックスの目の前を、色鮮やかな一頭の青いドラゴンと、その上にまたがる自分と同じ年頃の少年が横切る。
『この空域はレジェール王国の領空だ! これ以上戦闘行為を続けるというのなら、我が国は双方と約束した通商支援を停止する用意がある! 繰り返す、直ちに戦闘を停止し、国王ガイガレオンが双方に宛てた親書を受け取られよ!!』
『お手紙を受け取らないとー……ドラゴンのボクがみーんなかじっちゃうよー? がおー!』
『ば、ばかっ! 今は少し大人しくしているのだっ!』
「わぁ――っ」
突如として青空を切り裂きながら現れたドラゴンと、その背から発せられる堂々とした停戦勧告。
そのあまりにも鮮烈で美しい姿は、それまで絶望に囚われていたフェリックスの心を一瞬で救い上げ、強烈な羨望と憧れを少年の心に刻みつけていった。
「すごい……それに、とってもきれいで……」
『ど、ドラゴンだと!? そんな、まさか……我々を滅ぼした〝あの竜騎士〟は死んだはずでは!?』
『と、止まれ! ただちに戦闘停止! 今すぐ攻撃を止めろーー!』
「え……? もしかして僕……本当に、助かったの……?」
それはどういうことだろう。
戦場に現れた竜騎士の姿に、連合と同盟双方の艦隊は大混乱に陥り、恐れおののきながら一瞬で戦闘を停止。
あと一発でも砲弾を受ければ沈んでいたフェリックスの戦艦も生き延び、彼はこの絶望の戦場から無事に故郷へと帰還することができたのだった。そして――。
「〝ルミナ・モルエッタ〟さん……レジェール王国の竜騎士……きっとこの人だ!」
あの戦場から数ヶ月後。
傷を治したフェリックスは、故郷オルランドの書店で目当ての名前を見つけ、その大きな瞳を輝かせていた。
「渡航証はここで……身分証明書はこっち……? あ、あったあった!」
そして、その小さな背中に大きなリュックを背負い。
フェリックスは、二度と戻らぬ覚悟で故郷を後にした。
その心にはもう諦めも絶望も、死への渇望もない。
あるのはただ、あの日一瞬だけ見ることができた、青い竜の背にまたがる少年の凜々しい横顔。
ただ、あの少年にもう一度会いたいという想いだけだった。
「よーし……待ってて下さいね、モルエッタさん! 今からレジェールに行って……必ず助けて貰ったお礼をしますからっ!」
――――――
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――
「ねーねールカー」
「どうした?」
それは、フェリックスが命を救われた日。
無事にガイガレオンからの親書を両軍の指揮官に手渡し、停戦を果たした帰りの空のことだった。
「やっぱり人間って変だよねー? あんなにいっぱいケンカして、いっぱい死んでも全然戦いをやめようとしないのに、あんな紙切れ一枚見ただけですぐにやめちゃうんだもん」
「んー……まあ、たしかにそうか。俺もそういう難しいことはさっぱりわからん!」
この頃、まだ13歳のルカはアズレルと共に竜騎士の仕事を恐る恐る受け始めたばかりだった。
ルカ自身も、すでに疎遠になっていたガイガレオン王が、なぜ自分に大切な停戦の使者を任せたのか……それすらもさっぱりわかっていなかった。
「だがうまく言えないが……そんな紙切れ一枚であのような戦いをすぐに止めることができるのも……俺はそれも人のいいところなのではないかと……そう思う……」
「ふーん?」
アズレルの背中で腕を組み。
難しい顔で必死に考えた末に絞り出されたルカの言葉に、アズレルは首を少し傾げ、やがて嬉しそうに笑った。
「あはっ。それもそうかもー! っていうか、最初からみんな仲良くすればいいのにねー!」
「だな! さあ、後は家に帰ってゆっくり休むとしよう!」
その青い翼は、まだ羽ばたき始めたばかり。
ルカがユウキやフェリックスのような空に生きる友を得るのは、まだずっと先のことであった――。
Next Fifth flight
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ご令嬢は嵐と共に