GAME CLEAR
「終わった」
自然と。
ボクの口から、そう、声が漏れた。
「…………」
空を、見上げる。
どこまでも、透き通るように蒼い空は、悠久と化してボクを見下ろしていた。
祝福の色を灯して、花弁が宙を舞い踊っている。背後から聞こえる歓声が、世界を包み込んで、ボクらの繋がりを知らしめていた。
「ミナトくん」
パレットに描き込まれた夢物語。
ファイナル・エンドを通して、人々の繋がりを夢見た少女は……シャルロット・クロフォードは、微笑を浮かべた。
「もう、ログアウト出来るよ。全員の脳を借りて演算したさっきの一撃で、お姉ちゃんをハックして、管理権限を全て取り戻した。
コレで、このゲームは終わり」
笑いながら。
プレイヤーたちは、ゲームクリアを噛み締めて、ログアウトしていく。
誰も彼もが、笑顔だった。
それはまるで、このゲームを心ゆくまで楽しみ、その思い出を持ち帰っていくようだった。
楽しかった虚構は終わり、現実へとまた繋がる。
その未来に、なにが待つのか、誰も知らずに戻っていく。
「ミナトちゃん!!」
「うおっと」
横合いから、抱きつかれて体勢を崩す。
ソーニャちゃんが、思い切りボクを抱きしめて、こちらを見上げていた。
「信じてたよ、私……最初から、信じてた……ミナトちゃんは、私を救ってくれた人だか……だから……」
「うん」
ボクは、ソーニャちゃんの頭を撫でる。
「だから、タオ!! 俺だって、俺!! 憶えてるだろ!?」
「いや、タオちゃんのような清らかな美少女が、あなた如きモブキャラに関わるわけないでしょうが。新手のオレオレ詐欺ですか。
失せてくださいよ、しっしっ、タオちゃんの家にはテレビはないので、受信料は払ったりはしませんよ」
聞き覚えのある声が、言い争いながら消えていった。
「ミナト卿!!」
遠くで。
聖罰騎士団の団長が、団員たちと一緒になって、こちらに手を振った。
彼女は、笑う。
「また!! 一緒に遊ぼう!!」
満面の笑み。
似合わない笑顔を浮かべて、彼女は、光の中へと消えていった。
「また、遊ぼうって……マジかよ、アイツ……脳細胞、死滅して、空っぽ状態で戦闘してたんじゃねーよな……」
「おーい、ミナトぉ!!」
どこか、見覚えのある赤髪のプレイヤーが叫ぶ。
「また、肩車してやるからさ!! いつか、どっかで遊ぼーなぁ!!」
彼も、また、消える。
「ミナトちゃん、じゃあね!
今度、暇があったら、一緒にヤドカリンにでも祈りましょ!!」
また、誰かが、ボクに呼びかけて、笑いながら消える。
「ミナト」
長髪のプレイヤーに、肩を叩かれる。
「ありがとな、妖華ちゃんのこと……あの戦い、意外と楽しかったよ」
彼は、微笑みながら掻き消える。
「お前、ミナト!! おれは、お前に、腹を貫かれたこと忘れてないからな!! ジョニーの名を忘れるなよ!! いいな!!」
一方的に、言いがかりをつけて、青年のプレイヤーが消え去る。
入れ替わりで、三味線、尺八、小太鼓のエアバンドがやって来て、号泣しながら空気の楽器を奏でた。
ボクは、笑顔で、空気のエレキギターを掻き鳴らす。
彼らは、笑いながら、親指を立てて……消えていった。
続々と、プレイヤーたちは、現実へと帰っていく。
天へと上っていく青い光は、プレイヤーたちの帰郷を示している。その旅路を祝うように、花びらがまとわりついていた。
その手向けに見入っていたボクは、我に返って。
やさしく、ソーニャちゃんの肩を叩いた。
「はい、じゃあ、ソーニャちゃんの番」
「…………」
「どうしたの、ほら、ログアウトしないと」
「さ、先に、ミナトちゃんがログアウトしてください」
ボクは、倒れ伏すレアと、立ち尽くしているシャルを振り返る。
「まだ、やることがあるから……先に帰ってて」
「帰って、来ますよね?」
胸の前で、ぎゅっと両手を握り、今にも泣きそうな顔で彼女は言った。
「また、会えますよね?」
「もちろん♡ だって、まだ、ソーニャちゃんに寿司おごってもらってないもん♡ 欲望の権化たるボクは、大トロしか食べない所存♡ 回るお寿司屋さんに連れてったりしたら、末代まで呪ったるからな♡ 覚悟しろよ♡」
「『ボクがいる』んですよね?」
茶化したボクに、震える声で、彼女は言った。
「私には……ミナトちゃんが、いるんですよね……?」
ボクは、微笑んで――そっと、ソーニャちゃんの背を押した。
「もう、ひとりで立てるでしょ?」
「……うん」
ボクは、黒い眼帯を外して、ソーニャちゃんの手首に巻きつける。
「一緒に連れて行ってあげて。寂しがり屋な女性だから。でも、すんげー良い女性でさ。お世話になったんだよ。この世界の外側に行きたがってた。
だから」
ボクは、微笑む。
「連れて行ってあげて」
「ミナト……ちゃん……?」
ボクは、横合いから、ソーニャちゃんの出した画面に映るログアウトボタンを押した。
彼女は、静かに、黒い眼帯と共に消えていく。
「帰って……くるよね……?」
「…………」
「ミナトちゃん……ね、ミナトちゃん……一緒に、お寿司、食べられるんだよね……?」
「…………」
「ミナトちゃん……嘘、言わないよね……葵さん、待ってるよ……きっと、ずっと、待ち続けるよ……ねぇ、ミナトちゃん……」
「ソーニャちゃん」
ボクは、彼女に笑いかける。
「葵の好きなお寿司、いくらだから。あの子のこと、連れてってあげて。たぶん、泣くだろうから。
よろしくね」
「どういう意――」
眼の前で、彼女は光と化して……消え落ちる。
その行方を見守ってから、ボクは、彼女たちを振り返った。
「さて、と」
ボクは、シャルに微笑みかける。
「で、どうするの?」
「消えるよ」
慈愛に満ちた表情で、彼女は言った。
「わたしが……シャルの幻が、存在している限り、お姉ちゃんは囚われ続けちゃうから……だから、ココで、ファイナル・エンドと一緒に消える。
RASに保存されていた人格情報から、クラウドに存在するバックアップまで、シャルロット・クロフォードに紐付けられているものは全て削除する」
「…………」
「ダメだよ」
心を読んだのかのように。
彼女は、ボクの考えを咎めた。
「もう、わたし自身は救えない。救っちゃダメなの。あの日、シャルロット・クロフォードは、見知らぬ男に犯され殺されて、アメリカの法律にその俗称を刻まないといけないの。シャルロット法ってね」
彼女は、ささやく。
「ね、ミナトくん」
優しい声で。
言い聞かせるように、彼女は言った。
「もしもの話、してもいいかな」
ボクは、なにも言えず、彼女は嬉しそうに語り始める。
「あの日、もしも、わたしが死なずに済んだらね。デジタルゲームフェスタで、わたしたちのゲームが、ファイナル・エンドが最優秀賞に輝くの。お姉ちゃんは、いつもどおり、わたしに表彰台に立てって言って、わたしは綺麗な花束を受け取る。
ミナトくんは、そんなわたしの姿を誇らしげに、腕組みして見守るの」
「なんだ、それ……後方彼氏面かよ」
笑いながら、シャルは語る。
「それでねそれでね! 帰ったら、クラウドに知らせて! そしたら、クラウドは、喜びのあまりにひっくり返っちゃうの! 皆で、きっと、笑っちゃうよね! お母さんもお父さんも、大喜びで! お姉ちゃんは、上機嫌で笑ってて! ミナトくんとわたしは、お母さんのレモネードで祝杯をあげるの!」
「あはは! それ、また、クラウドが怒るヤツじゃん!」
「でも、最高でしょ?
それから、わたしたちのファイナル・エンドは、瞬く間に100万ダウンロード! 神ゲーだ、神ゲーだって持て囃されて! お金もいっぱい入って、わたしたちは次のゲームを作り始めるの! もちろん、ミナトくんは、マネージャー!」
「それ、雑用係の別称でしょ」
「でも、楽しいよ、きっと! だってさ、皆で、ずっとゲームを作れるんだもん! ずっと、ずっとさ……みんなで、いっしょに……わらいながら……だれも……だれも、ふこうにならずに……お、おねえちゃんも……わらってて……おかあさんも、おとおさんも……へんにならなくて……みんなが……みんなが……しあわせに……しあわせに……」
ぽたぽたと、シャルの目元から涙が零れ落ちる。
「そんな……そんな、『もしも』が……もしかしたら、あったのかなぁ……? わ、わたし、なんで、あんな夜道をひとりで……どうして……なんで、わたし、ばかなんだろうねぇ……わ、わたし、み、みなとくんと……ちゃんと、であいたかった……や、やくそくしたのに……みなとくんをえ、えがおにするって……そ、そばにいるって……や、やくそくしたのにぃ……ご、ごめんなさい……ごめんなさぃ……」
その悔恨に、ボクは、拳を握り締める。
ただ、握り締め――足首を掴まれる。
「…………ぃ」
振り向く。
血溜まりの中で、虚ろな表情のレアが、ボクの足を掴んでいた。
「ゆ、ゆるして……ゆるしてくださぃ……お、おねがいします……ゆ、ゆるしてくだ……さ……あ……い、いもおと……いもお、と、なんで、す……」
あらぬ方向に眼を向けて。
胸に大穴を空けた彼女は、激痛に溺れながら、気力のみで声を振り絞っていた。
「た、たった……たったひとりの……い、いもおと……なんですぅ……か、かんべ……かんべん、して……くださ……お、おねが……か、かみさま……ゆ、ゆるして……わ、わたしのぉ……わたしの……いのち、あ、あげるから……しゃ、しゃるだけは……い、いもおと……だけは……」
「おねえちゃん、もう良いの!! おねえちゃん!! おねえちゃん!!」
「た……たすけて……かみ……さま……お、おねがい……します……たすけて……い、いもおと……いもおとだけは……わ、わたし……ひ、ひーろー……だから……い、いもおと……たすけなきゃ……」
「おねえちゃぁあ……ぁあ……おねえちゃぁああ……もぉ、いいよぉ……!! もぉ、いいからぁ……ぁあ……ぁああ……!!」
「たすけ……て……かみ、さま……たすけ……て……」
シャルに抱かれて。
レアは、また、失神した。
だが、彼女の手は、失神してなお、ボクの足首から離れることはなかった。
シャルは、強く、レアを抱きしめ続けて。
数十分後、そっと、姉の手をボクの足首から離して……立ち上がった。
「ミナトくん」
彼女は、今にもかき消えそうな声で言った。
「お姉ちゃんをお願い」
「わかってる」
「ね、ミナトくん」
彼女は、くるりと振り向いて、ボクに手を差し出した。
「手、繋いで」
ボクは、彼女の手を握る。
嬉しそうに、彼女は微笑んで――ゆっくりと、消えていく。
「ミナトくんの手、あったかいね」
「うん」
「ようやく、ちゃんと、繋がれたね」
「うん……」
「ね、ミナトくん」
ボクの知る限り。
最高のゲームクリエイターは、笑って言った。
「このゲーム、楽しかった?」
「とんでもないクソゲーだよ。
でも――」
ボクは、笑顔で答える。
「楽しかった」
「そっか」
蒼色の光子となって、彼女は空へと散りばめられていく。
「そっか……」
ふと。
――デジタルゲームフェスタが終わったら、ミナトくんに言いたいことあるからー!!
シャルの言葉を思い出して、ボクは、彼女に問いかける。
「デジタルゲームフェスタの前の晩、ボクになにを言おうとしてたの?」
彼女は、目を見開いて。
「それ、言っちゃったら、わたし、もう消えたくなくなっちゃうから。
だから」
照れくさそうに、彼女は笑った。
「ひみつ」
一陣の風が吹いて、彼女は、ボクの前から消え去る。
巻き上がる突風に、髪を押さえて、ボクは蒼色の空を見上げた。
どこまでも、突き抜けていくような。
蒼色の綺麗な空へと……一匹の蝶が、飛んでいった。