どうか、離れずに
世界の崩壊が始まった。
地が、空が、世界が。
剥がれ落ちていく。
ぺりぺりと、まるでかさぶたを剥がすみたいにして。背景が、黒い破片となって上がっていった。
ファイナル・エンドが、終わっていく。
「…………」
上っていく真っ黒な欠片は、キラキラと輝き続ける。見上げるボクの目に、その黒片は、煌めきを投げかけた。
終わったのだ。
シャルロット・クロフォードが、愛したゲームは完了された。
レア・クロフォードが、変えようとしたゲームは抹消された。
ミナトの……白亜湊の……物語は終わった。
「……起きた?」
ボクは、背後の気配に語りかける。
「アラン・スミシーが創ったゲームが終わったよ」
胸を押さえたレアは、完全に塞がった己の穴を撫でる。
「そろそろ、レア・クロフォードに戻ったらどう?」
「……シャルは?」
「行ったよ」
ボクは、微笑を浮かべる。
「最期まで、あんたを愛してた」
「…………」
どこからか、波音が聞こえる。
月の下、丘の上。
そこから、大海原が視えた。
青色の冷たい海原は、底にまで澄み切っていて、どこまでも優しく広がっていた。地平線へと沈んでいく銀の月は、顔を出して、こちらを見守っているかのようで。銀と青の入り混じった海と空の端境は、蒼銀に染まっている。
ボクらは、並んで、腰掛ける。
海を見下ろして……ぽつりと、レアは、つぶやいた。
「わたしは、敗けたんだな」
虚ろな目を、海へと向けて、彼女は言った。
「お前は……この現実から、自分の母親を取り戻そうとは思わなかったのか?」
「思ったよ」
ボクは、海風で、なびく髪を押さえつける。
「何度も、何度も、思ったよ。頼る者のないボクにとって、母さんは、たったひとりの救いだったんだ。生きていけないと思った。正直、何度も、あの暗い部屋の中で、餓死してやろうと思った。
でも、ボクには、葵がいて……配信を始めて、七人の視聴者がいた。開けたパンドラの箱には、希望だけが残っていた。だから、死ねなかった」
「……わたしの存在が、枢々紀ルフスの存在が、君を生かしたのか」
「まぁ、あんたの場合、生活費もくれたしね」
「シャルに瓜二つだった」
微笑を浮かべて、彼女はささやく。
「だから、必要以上に感情移入したのかもしれないな……シャルから話を聞いていた君を見つけた時は、奇跡だと思ったものだが……最初から、こういう結末を神が用意していたのならば……奇跡と言うものは、自分にとって都合の良いものばかりではないな……」
「蝶の羽ばたきだよ」
ボクは、海に小石を投じる。
「奇跡は、起こるから奇跡って言うんだ。
起こらなければ、存在しないと同義、奇跡なんて呼ばれもしないだろ……ひとりで起こせる代物じゃない、蝶の羽ばたき任せで、自分の意思では起こり得ないから奇跡って言うんだよ」
「なぜ」
レア・クロフォードは、小石の代わりに疑問を投じる。
「なぜ、全員が、お前の側についた? ミナトの側に?」
「カワイイから♡」
「…………」
「冗談だっつーの、その真顔、やめてくんない。
ま、その質問に、ボクが返せる答えはひとつだけかな」
ボクは、シャルを真似て答える。
「ひみつ」
「…………」
「自分で考えろよ。それがわかれば、シャルも安心するだろ」
「……あの子は」
膝を抱えて。
幼子のように、彼女はくぐもった声を出した。
「いつの間にか、大きくなっていた……あの子には、わたしがいなければダメだと思っていた……でも、実際は……あの子は、わたしを出し抜いて……お前と一緒になって、わたしの想いを拒絶した……」
腕時計に目線を下ろし、彼女は時を刻む秒針を見つめる。
「いつの間に……あの子は、大きくなってたんだろうか……わたしは……何時から……そのことに、気づかなかったんだろう……依存していたのは……わたしの方だったのかもしれないな……」
その吐露に耳を澄ませて、ふと、寒気を感じる。
ちらちらと、視界をよぎる白色。
空を見上げる。
「……雪だ」
真っ白な雪が、終わってゆく世界に降り注いでいた。
しんしんと、音もなく。
なんの前触れもなく、決まっていたかのように、雪が降り始めていた。
「視ろよ、レア、雪だぞ」
「ついに、ゲームエンジンまで壊れ始めたか。GPVから引っ張ってきている気象模擬がイカれたんだ」
レアは、両手をお椀の形にして。
そっと、彼女の手に、冷たい雪が舞い落ちた。
「綺麗だな、レア」
ボクは、笑いかけて――レアは、目を瞠る。
まるで、ボクの姿に、誰かを重ねたかのように。
「は、はは……そうか、違う……ゲームエンジンが壊れたんじゃない……模擬してるのは……あの日か……はは……ははは……わたしは……わたしは、空を飛べなかったのに……」
彼女は、顔を伏せて。
長い前髪の隙間から、透明な液体が零れ落ちる。
「お前は……憶えてくれているんだな……シャル……シャル……」
静かに、レアは、泣き続ける。
ただ、ボクは、寄り添い続けて――ふと、彼女は、顔を上げる。
「ミナト、ログアウトしろ。
ココで死ねば……わかるだろ?」
「そう言うレアは、ログアウトしないの?」
彼女は、ただ、微笑む。
妹の世界と命運を共にするつもりか……わかっていた答えに、ボクは、苦笑を返してからノビをする。
「なら、ボクも付き合おうかな」
「お前……」
「『お姉ちゃんをお願い』って、言われちゃったからね。シャルのお願いは、どうにも、断りきれないし。しゃあないかなって」
「お前には……待ってる人がいるだろ」
「おえっ♡ なんだ、その月並みなセリフ♡ 確かに、ボクは、あんたみたいに友達0人ではないので、凱旋を心待ちにしているファンたちがいるわけですが♡」
ボクは、微笑む。
「でも、お前には、ボクが必要だろ」
「…………」
「ボクにも、7人はいたからね。
あんたの配信の終わりを視る役割の人間が……1人くらいはいないともったいないだろ」
「お前は」
諦めたように、レアは苦笑いする。
「筋金入りのクソゲーマーだな」
「まぁ、あんな現実、ずっとプレイしてたんで♡」
ボクたちは、ただ、海を見つめる。
雪が積もる。
徐々に、ボクたちの肩が白く染まって、頭からつま先まで透明になってゆく。
終わりが、近づいてくる。
「……ミナト」
「ん?」
「手を」
こちらを見ずに、彼女はささやく。
「手を、繋いでも良いか」
ボクは、黙って、彼女に手を差し出す。
おずおずと。
まるで、壊れ物を扱うかのように、彼女はボクの手を握った。
温かさを共有して、ボクらは、ぎこちなく繋がり合う。
「……大きいな」
「そう?」
「あぁ、大きいよ」
ゆっくりと、彼女は消えてゆく。
「大きすぎる……あの日、あんなにも小さかった手のひらとは……大違いだ……やっぱり、お前は、シャルじゃないんだな……そして、あの子も……でも……シャルの手のひらも……もしかしたら……」
繋がりながら、ボクもまた、消えてゆく。
「これくらい……大きくなったのかな……なぁ、シャル……お姉ちゃんから……」
レアは、満面の笑みでささやいた。
「離れるなよ……」
ボクたちは、ゆっくりと消え落ちる。
ただ、波の音だけが取り残されて。
ふたり分の場所には、決して、雪が積もることなく……その痕跡は残り続けていた。




