れっつ・えぶり・ぱーてぃ
青空があった。
吹き抜けるような青色の下で、ぼんやりと、あの女性は居た。
そよそよと、カーテンが揺れる。
薄く、影が、彼女に差していた。
その眼差しの先には、明るいひなたがあって、影の手元で彼女は身じろぐ。座ったまま、死んでしまったのではないかと、疑ってしまうくらいの静けさだった。
黒色のショートカットが、そよ風に煽られて、肩にゆらりと流れていく。
ふと、彼女は、息を吹き返した。
ゆっくりと、視線がこちらを射抜いて、僕はその目に眼差しを返した。
その輪郭に、記憶の名残りをくすぐられる。
副作用で薄くなった髪の毛も、げっそりとこけた頬も、腕に残る点滴の痕も、僕を見つめる悲しげな瞳も。
全てが――そのままだった。
遠い彼方に、置き去りにされる。
足元が崩れて、そのまま、なにもかもが過ぎ去ったような気がした。追憶の突風に吹かれて、視線を横切る白線越しに、多種多様な思い出が蘇る。色あせたホームビデオみたいに、幼い頃から現在まで、あの女性と過ごした時が駆け抜けていって消え去っていく。
――現実と虚構の境目は消え失せた
視える。
――世界の繋ぎ目が、お前の目にも映ってる筈だ
僕にも、世界の繋ぎ目が。
――わたしの前に到達しろ
視える。
「湊」
声をかけられて、僕は、ようやく気が付いた。
虚構だとは思えないくらいに、完全無比に象られた母親の人形は、画面越しに僕につぶやく。
「今日は、どんな一日だった?」
なぜ、いつも、母は僕の一日を聞きたがるのか。
当時は、わからなかった。
でも、今なら、嫌になるくらいにわかる。
母は。
この女性は、ベッドの上で過ごした無為な時間を、僕を通して取り返そうとしているのだ。
「楽しかったよ」
僕は、微笑んで、ベッドの前に腰掛ける。
「とても長くて、とても楽しい一日だった」
「もっと、詳しく聞かせて」
骨が浮き出ている腕で、彼女は僕の頭を撫でる。
「ゲームをしたんだ」
「湊は、ゲームが大好きだものね」
「そのゲームは、すごく現実的でさ。ゲームなのか現実なのか、わからなくなるんだよ。その世界にいれば、昔、救えなかった人たちも救えるかもしれない。取り返しのつかなかったことも取り返しがつくかもしれない。
そう考えた時」
僕は、両手をぐっと組んで、声を振り絞る。
「僕は……どうすれば良い……」
「いや、そんなこと出来んなら、普通にお母さんの病気を治してよ。死にたくないし」
「えっ」
唐突に、雰囲気をぶっ壊される。
すっと、母は、腰の後ろからクラッカーを取り出し――パァン!!
高らかに音を鳴らし、パーティーハットをかぶった。
「イェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエイ!! 盛り上がっていくぜぇえええええええええええええええ!!」
すちゃっと、サングラスをかけたBBAは、エレキギターを取り出し不敵に微笑んだ。
「湊ちゃん、拍、取りな」
「いや、待て待て待って」
葵は、無言で、胸ポケットから取り出した蝋燭に火を点ける。それから、不気味な声で歌い出した。
「はっぴばーすでー、とぅーゆー!! はっぴばーすでー、とぅーゆー!!」
「FOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!! ミナトぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! お母さんの子供として、生まれてきてくれて、マジでサンキューねぇえええええええええええええ!!」
「あの、ちょっと、すいません、あの」
アンプに繋げていないエレキギターを、びょんびょん掻き鳴らしながら、BBAは笛ラムネを咥える。異様に上手い口笛で、バースデーソングを鳴らし始めると、どこからともなく爺さん婆さんの集団がバースデーケーキを持って現れる。
「「「「「はっぴばーすでー、でぃあ、みなとくーん! はっぴばーすでー、とぅーゆー!!」」」」」
「おめでとぉ、ミナト!! おめでとぉ!! 祝、11歳!! 世界は、うちの湊くんを大歓迎してまぁーす!!」
「いや、あの」
僕は、大盛りあがりの入院メンバーに、ぼそりと真実を伝える。
「今日、僕、誕生日じゃないんだけど」
「散ッ!!」
母の鋭い命令に従って、ジジババ軍団は、瞬時に姿を消した。BBAは、エレキギターを放り捨てて、母はゴミ箱にパーティーハットをダンクシュートする。葵は、素早い動きで、カスタネットをベッド下に滑り込ませた。
「湊」
儚げに、微笑んで、母はささやいた。
「今日は、どんな一日だった?」
「さすがに、そこからやり直すのは無理がある」
「ちょっと、ウタさん!? どういうことですかコレ!? 責任問題ですからね!? なんで、うちのカワイイ湊の誕生日を間違えてるんですかっ!? さっきのエキストラに幾ら握らせたと思ってんの!?」
「いや、あんた、実の息子の誕生日を憶えてないって……アレだよ、アレ……」
「ははおやしっかく?」
「おうふ、葵ちゃんのロリボイスで言われると、激痛が五臓六腑まで染み渡る。
つらぁ……ナースコール、押そ」
ナースコールを押した瞬間、待ちかねていたかのように、馴染みのナース(井上さん)が青筋を立ててやって来る。
「白亜さ~ん? ま~た、調子ノッてくれちゃいましたねぇ~? ココが、どこだと心得てんだ、ゴラァ~?」
「だって、このババアが……」
「親子揃って、敬老の精神ってもんが幽体離脱しとるわ」
大人同士の醜いなすりつけ合いを眺めているうちに、そう言えば、うちの母親はこんな感じだったことを思い出した。最終的には、病人同士で取っ組み合いになって、井上さんに引き離されている。
母とBBAで、額を合わせて、頬を引っ張り合っている。
そんな光景を眺めていると――
「湊」
ほっぺを引っ張られたまま、母は、懐かしい笑みを浮かべた。
「おかえり」
恐ろしいくらいの郷愁が、僕の胸を貫いた。
気が付いたら、僕は、涙混じりに微笑んでいて――
「ただいま」
この世界に、戻ってきた。