せかいのはざま
「ミナト・チャン」
病院の中庭。
振り返ると、タオが立っていた。
最初からそこに植えられていた樹々のような不変さで、こちらをじっと見つめていた。その立ち姿に、僕は、原因不明の苛立ちを覚える。
いや、原因不明じゃない。原因はわかっている。
本来、タオは、この世界に居て良い存在じゃないから。だから、僕は、無意識に彼女を邪魔者扱いしているんだろう。10歳の僕が存在しているこの世界で、彼女は、異分子として扱われている。
「なに?」
「あらまぁ、刺々しい声でご挨拶しちゃって。なんですか、遅れてやって来た反抗期ですか。その歳になって、まだ、この社会に反する気概があるのは良しとしますが、いずれは社会の闇に包まれて闇堕ちするまでがテンプレですね」
無言。
静けさを打ち破るように、タオは微笑んだ。
「わかってますよね?」
「なにが」
「ココは、ゲームの世界ですよ。
ミナト・チャンは、過去にタイムスリップしたわけでも、アナタの理想通りに世界が書き換わったわけでもない」
「知ってるよ」
僕は、ささやく。
「知ってる」
「死人は生き返らない」
「…………」
「アナタは、もう、10歳には戻れないんです」
「だから、知ってるって」
うんざりして、立ち上がる。
胸の内側で蟠っていた原因不明の怒りは、徐々に押し広がっていって、四肢にまで浸潤していくように思えた。視線の先にある自分の人影が、こちらをからかうように揺らいでいた。
僕は、無意識に、母の下へと向かおうとしていて――歯を食いしばる。
「ミナト・チャン」
背中に、声が、投げかけられる。
「アナタは、人間でしょう?」
「…………」
「ゲーム内のNPCじゃない。
なら、世界の時間が巻き戻らないことを知っている筈ですよ」
「有り難いお説教だね。涙が出ちゃう」
「この病院は、アランが創り上げたアナタの過去の世界ですよ。現実世界で眠るアナタの海馬に在する記憶を介して、都合よく形作ったゲーム世界です。ココは、ファイナル・エンド内の領域のひとつで、領域移動すれば全てが掻き消える」
「知って――」
「なら、なぜ、ココから出ていこうとしないんですか?」
振り向いて――無表情の彼女を見つめる。
「アラン・スミシーの策略であることはわかっていますよね?」
「…………」
「このゲームをクリアするんじゃないんですか?」
「…………」
「進むことを選んだんでしょう?」
「…………」
わかってる、と言おうとした。
でも、それは、所詮、口先の誤魔化しに過ぎない。行動で示さなければ、タオは、僕のことを信じたりはしないだろう。僕の過去を模したこの領域から、出ていかなければ、その先にある信頼を掴めない。
でも。
でも、僕にとって。
でも、僕にとって、この世界はあまりにも。
「……都合が良すぎる」
「ミナト・チャン」
「わかってる。全部、虚構だ。きっと、細かいところまでは再現出来てない。僕の記憶を全部吸い出して、なにもかもを再現することは無理だってわかってる。だから、良く思い出せば、否定出来る筈なんだ」
哀しそうな顔で、タオは首を振る。
「タオちゃんの声は、アナタに届きませんか?」
「だって……僕たち、他人も同然だろ」
僕は、苦笑する。
「君の言ってることは正しい。この領域の出口を探して、とっとと、アラン・スミシーをぶん殴るべきだってわかってる。でも、それは、この過去からまた逃げ出すことになる。
今まで、蓋をしていたコレに、決着をつけたいんだ」
「アナタのその決意すらも、アランの計算のうちですよ」
「計算問題が苦手な可能性だってあるだろ」
タオは、微笑を浮かべたまま、そっと僕から離れる。
「わかりました。タオちゃんからは、もう、なにも言いません。ただ、そっと、日陰に咲いた高嶺の花として見守ることにします」
「さり気なく自己評価を高めるな」
「でも、ミナト・チャン、ひとつだけ憶えておいてください」
彼女は、小さな声でささやく。
「アナタには、今まで、生きてきた現実があるんですよ」
「…………」
「否定しないでください、アナタが生きてきた世界を。
どれだけ酷くて酷くて、哀しい世界だったとしても」
風が吹いて、髪が舞い上がり、彼女は微笑んだ。
「アナタは、そこで生きていたんですよ」
僕が顔を上げた時には……もう、そこには、タオはいなかった。




