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鉄脚の開発

 白石国倫は未来人である。


 なぜそう言えるのか。


 それこそ彼が鉄脚の制御を可能にした解決策を見ればわかる。


 実際に靖国神社や自衛隊資料館などで実物の輸送騎や戦闘騎を見た人ならばわかるだろう。今から70年以上前に機体制御コンピュータを作りあげ、、それもよく見かける18ℓポリタンク程度の大きさにまとめてしまっている。


 仮に、真空管で実現しようとすればアパートの一室程度の大きさが必要になるだろうと言われているほどで、なぜ、トランジスタすらない時代にこんな小さな機械を作れたのかは未だに謎とされている。


 白石が作った制御機器は後にパラメトロンと呼ばれ、主に日本で研究がなされ、1960年代には実用的なコンピュータが販売もされているが、それらの演算速度は白石のモノから数段劣っていたという。

 今現在ならば、輸送騎を動かす制御機器は弁当チェーンで販売されるのり弁(並)程度の大きさがあれば良いとされる。しかし、それは高度な集積回路があっての事であり、僅か30年前まではポリタンクサイズを作るのすら非常に高度な技術を要するものだった。


 そう、白石が使用した機器が如何なるものかはその材質から判明している。後に実用化されたパラメトロン同様に酸化鉄を主成分としたセラミック素子を用いていたのだが、日本において戦後に開発されたパラメトロンはラジオや無線機などにトランジスタの代替として採用できるような性質のものではなかった。あくまで学術用計算機などにしか使えないという欠点があり、その後の研究はトランジスタや集積回路の発展で下火となってしまっている。


 それに対し、白石が考案した素子はトランジスタに比類する汎用性の高いもので、仮に、彼が一般に利用を開放していた場合、日本では戦前の段階でエニアックを遥かに凌ぐ計算機の開発や無線機の小型化、単にレーダーの数値を入力するのではなく、射撃方位盤とレーダーが連接された射撃管制装置を開発できたのではないかとまで言われている。


 しかし、白石は自身の発明した電子素子を鉄脚の制御以外に利用していない。


 それが何故なのかは今となっては知るすべがないが、白石の知人という人物の証言が確かならば、彼は未来を知っていたのだという。

「日本は戦争で負けなければ、今の欠陥を抱えた制度を変えることは出来ない。そのためには、俺の技術を鉄脚以外に使う訳にはいかない。確かに酷い選択ではあるが、それが日本のためだと俺は思うんだよ」

 いつの事かは判然としないが、そう語ったのだという。

 仮に、彼が未来人であったのならば、あの戦争による犠牲よりはるかに小さな犠牲で、今のろくでもない憲法を変えることが出来るという希望を持てるのだが、果たして証言が真実なのかは、もはや知るすべはない。


閑話休題


 今の技術をもってしても再現が不可能な白石の発明した電子素子によって、鉄脚の操縦は飛躍的に簡単になった。

 まず、複数のスイッチによる微調整をしなくて良くなり、二人の操縦士はレバーとペダルの操作に集中できるようなった。

 そうしてようやく、鉄脚が馬の様に歩き、駆け足程度の走行が可能になったのだが、その頃には陸軍では時速40㎞を出せる装甲車が開発されていた。

 白石も戦闘目的の鉄脚開発を諦め、道路インフラが貧弱な地域での馬匹にかわる輸送手段としての開発を目的とするようになっていた。


 そして、電子素子の改良によって、さらに2年後の1934年にはほとんど馬と動きが変わらない程度に動作する鉄脚を完成させていた。

 こうして実験騎での成果をもとに、実用的な鉄脚開発へと移行し、後にビルマで使われる輸送騎へと発展していくことになった。


 輸送騎の基本仕様は電子素子を除けば非常に効率的なつくりとなり、シリンダーや電動機も関節駆動をアームやリンク機構で行うなどして最小限に抑える措置が取られ、操縦も一人で行う事が可能になっている。そして、油圧や電力を発生する発動機には、高価なガソリンエンジンではなく石油発動機が採用され、白石の会社においても量産され、広く市井に広められ、農業の機械化にも貢献したと言われている。21世紀現在、シライシと言えば、カツラと並んで愛好家が多い発動機としてその界隈では有名である。


 なぜ、ガソリンエンジンではなく石油発動機が採用されたのか?

 当時、軍での採用はほぼ望めない状況であったため、白石は鉄脚の市販を考えていた。そして、販路拡大のためにはより安価に燃料を入手可能な石油発動機が良いだろうと考えていたのだという。

 石油発動機の燃料は主に灯油で、シライシは軽油でも作動した。もちろん、ガソリンで動かす事にも問題は無かった。後に開発されたカツラをはじめとした発動機より優秀で、戦後しばらく他の発動機を差し置いて使用され続けたという逸話は農村においてはよく耳にするものだったという。


 鉄脚には出力の関係で定置式や耕運機などへの搭載を主とした横型単気筒ではなく、縦型3気筒という専用の型が作られた。戦後、白石鉄工所が日本で初めて販売した小型乗用トラクターにもこのエンジンが採用されている。


 このようにして製作された鉄脚はしかし、一般に受け入れられることはなった。

 積載能力は当時の小型トラックと同等で、牛馬が歩けるあぜ道や山道の多くを踏破可能であった。しかし、その価格はトラック3台分はしたと言われている。

 それも当然の事で、いくら量産化のため価格を抑えたと言っても、脚の強度を保つことは絶対であり、当時の自動車には使われない様な高価な鋼材がふんだんに使われたのだから、どうやっても安くは出来なかった。

 それが1938年には突如として多数の販売契約が成立する。

 

 相手はこれまで全く興味を示さなかった陸軍だった。

 それというのも、大陸での戦争が拡大し、軍馬やトラックの不足が目に見えて顕著となった際に、それを補う存在として注目したからだった。

 輸送騎は軽荷時に馬でいう駈足かけあし状態で時速20㎞程度、通常の歩行においては6~10kmといったところで、トラックほどの速度は出ないが、よほどの悪路でもないかぎり、その速度を維持できた。さらに、大半がガソリンエンジンだった当時のトラックと違い、戦車同様に軽油が使えたことも補給面でのメリットがあったという。何より飼葉が必要ないので牛馬ほどの労力を必要としなかった。

 そうした事から一気に大量発注が舞い込んだのだが、白石鉄工所にはいきなり量産するほどの設備はなく、生産は非常にゆっくりだったという。何より、制御機器の生産が間に合わず、集積地には動かしたくても動かない鉄脚が常時数十騎は存在している事が常であったらしい。

 

 勢い採用した陸軍でも、すんなり配備出来たわけではない。戦車ともトラックとも違う操縦方法のため、鉄脚のための運転教習が必要であり、トラックの更新や増強の様にすんなりと配備が進まなかった。

 なにより、広大な平原を行く大陸での輸送や移動よりも国内において山間部での輸送に喜ばれる状態で、まずは国内で操縦士を増やす目的もあって、配備が行われるようになっていく。

 


 

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