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今日から、『仕事』が本格的に始まるらしい

 今日から、浅緋の『仕事』が本格的に始まるらしい。

 『仕事』と言っても、ラピスと会話をするだけだ。異世界について、教えてほしいのだと言う。

 今日の『仕事』でラピスに会ったら、ヴェールを外してもらえないか、お願いしてみよう。

 そう思って、切り出し方をいろいろと考えていたのだが。

「来ない……」

 ベッドで大の字に伸びながら、呻くように言う。

 ラピスからは、毎晩、午後の(はち)の刻に部屋に行くと言われている。そして、今はそろそろ(きゅう)の刻になろうかという時刻。

 忙しいのだろうとは思うが、初日で意気込んでいただけに、肩透かしを食らった気分だ。

 夕飯や風呂は済ませてしまったし、リルも仕事を終えて退出してしまった。部屋には生活に必要なものが大抵揃っているが、娯楽という面では何もないに等しい。

 仕方なく天井の模様を眺めながら、壁時計の音を聞く。規則的な繰り返しに身を委ねているうちにいつの間にか眠ってしまったようで、次に浅緋がハッと目覚めると、時計の針は(じゅう)の刻を指していた。

 まだ一時間しか経っていないことに安堵しつつベッドの縁に座ろうとして、ぎょっとする。

 ベッドの縁に、ラピスが腰掛けていた。

 腕を組んで、俯いている。寝ているのか、浅緋が起きたことに気づいた様子はない。

 いつも通り顔はヴェールで隠されているが、俯いているせいで少し隙間が出来ている。

 なんか、頑張れば顔、見えそう……。

 悪戯心(いたずらごころ)に似た気持ちが、むくむくと湧いてくる。浅緋は音を立てないように四つん這いになり、そろそろとラピスに近づいていった。

 もう少しで見える、というその時、ラピスの顔が浅緋の方を向いた。

「どわあっ!?」

 油断していたのもあり、頓狂な声が出ると同時に、右手がベッドの縁をつかみ損ねた。重力に腕を引かれるように、上半身から勢いよく落ちる。しまった、と思って目を閉じるが、すぐに胸のあたりに、さして固くない感触があった。

「大丈夫か」

 ラピスの声が、すぐ耳元で聞こえた。抱きとめてくれたらしい。

「あ、ありがとう……」

 心臓がドクドクと音を立てている。すぐ後ろから、ふわりとお香のような良い香りがした。

 胸に回された腕に引き上げられ、ベッドに腰掛ける。ラピスが「怪我はないか」と気遣ってくれるが、浅緋としては良心が痛むばかりだった。

「異世界人は弱いのだから、気をつけてくれ。肝が冷えたぞ」

 ラピスの言葉に、頭を下げるほかない。

「うう、ごめん」

「こちらこそ、遅くなってすまなかった。会議が長引いてな」

「ううん。オレ、寝ちゃってたし」

 大丈夫だよ、と浅緋が首を振る。すると、ラピスが唐突に「……それで?」と口にした。

「え?」

「何かしようとしていただろう」

「うぐ、いやあ、そんなことぉ……」

 何となくばつが悪くて誤魔化そうとすると、ラピスは『言えないのか?』と首を傾げた。そして一瞬黙ったかと思うと、思いもよらないことを言い出した。

「やはり嫌になったのか」

「は?」

「逃げようとしたのだろう?」

「はあっ?」

 あまりにも予想外で、声がひっくり返る。

 ラピスはどうやら本気でそう思っているらしく、落ち込んだ様子で項垂れている。浅緋は慌てて否定した。

「いやいや!違うって!」

「誤魔化さずとも良い。言っただろう。断ったところで、危害を加えるつもりはないと。もっとも、信じられないのも無理はないが」

「そうじゃないんだってば!」

「安心しろ。早いうちに、秘密裏にこの国を抜け出せるよう、手配しよう」

 ああ、もう!

「オレのこと信じてよ、ラピス!」

 自分でも驚くほど大きな声が出ると同時に、手がラピスの両頬を掴んでいた。すぐ目の前に、いつものヴェールがある。どんな素材でできているのか、そこまで厚さは感じないのに、この距離でも表情はまったく見えない。たった一枚のヴェールによって、この距離は決定的に隔てられている。それが、どうしようもなく悔しい。

 ……と、そこで浅緋は我に返った。

「うわあっ、ごめん!」

 慌てて手を離して座り直す。

 や、やばい。王様に対してこんな行動、なんらかの不敬罪になるかもしれない。

 恐る恐るラピスのほうを見ると、ラピスは浅緋に顔を掴まれた時の姿勢のまま固まっている。

「ほんとゴメン、ラピス……」

 怒っているのだろうか。不安に思いつつ、頭を下げる。

 しかしラピスからは「いや……こちらこそすまなかった」と声が掛けられた。

 浅緋が顔を上げると、今度はラピスが深々と頭を下げた。

「浅緋の言う通りだ。浅緋は私のことを信じてくれたのに、私のほうが浅緋を信じられていなかった。不誠実な態度だった」

 ラピスがもう一度「すまない」と繰り返す。浅緋は慌てて「いやいやいや!」と返した。

「別に謝ることないでしょ!」

「だが、浅緋の信頼を無碍(むげ)にする行為だったことは事実だ」

「べつにそんなことない。そもそも、元はと言えばオレが悪いんだから!」

 二人とも一歩も退かずに睨み合う。が、数秒経ってくると、ほとんど同時に吹き出した。

「あっはは! なんでオレ達こんなに言い合ってるんだろ」

「ふ……浅緋は、意外と頑固なのだな」

「ラピスの方こそ、全然折れないんだもん」

「自分に頑固なところがあることなど、初めて知った」

 ラピスは「浅緋といると、知らない自分が見つかる」と続けた。小首を傾げたことで、薄青色の長髪が一筋、肩から落ちる。

 きっと、ヴェールの下で、ラピスはやわらかく笑っているんじゃないか。

 そう思うと、言葉は自然と出てきた。

「あのさ、ラピス。ヴェールを取ってもらうことって、できる?」

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