君がため、尽くす心は水の泡
じりじりと鳴く蝉の声。
小暑近く、神戸湾は慌ただしかった。水揚げされた魚は気温の上昇に伴い傷みが早い。朝方はともかく昼過ぎともなれば直ぐにでも問屋場へと運び、京都市内また東海道沿いへと出荷された。
江戸の頃、料理の出汁の主流は昆布と鰹で日本は特に鰹節を好んだ。また半生の鰹節などは切り身にして食するのが庶民の間では細やかな贅沢とされた。
新選組では山南敬助が逝く前、彼には京都の薄味がよく舌に合ったらしく漬け物を好物としたが、 近藤勇など武州者は食べ物はこと粗末にせず「なんでも美味い」だ。然し同じ出身のはずの土方歳三は少し違った。
勿論、土方とて好き嫌いなど拘りはさして無いつもりではあった。ところが実家の薬売りで広く練り歩く先でよく宿へ泊まる事がある。実際にはそこの飯盛女を抱くのが目的ではあったが、意外にも土方は宿先の食事で様々なものを口にしてきた。女の味は体が覚えても、食い物の味にはあまり感心が無く腹が膨れればそれでよしとしていた土方だが、京都へ来て存外、江戸とは違う食材を口にして初めて自分の舌が肥えていた事に気付き内心驚いた。
さて、この港湾の喧騒の中、土佐の連絡船から急ぎ足に降りて来たのは地理調査役の中島登である。
瀬戸内海から一度南海へ出て直接土佐に入港する船舶だった。土佐政権が山内容堂に替わり脱藩者をよく監視する容堂は松山藩の経由を制限、また下関戦争の事もあり通常の商船や連絡船など瀬戸内の海路は様変わりしつつあった。航海は慎重だったが、その中で中島は土方の命を受け土佐の近況を探っていた。
「早く土方さんに報告しなきゃ」
その脚は真っ直ぐに道頓堀へ。
いつも通りの大阪の街の賑わいだが、土佐が震撼した報告を持って急ぎ西本願寺を目指す。
三文字切りと言い、
武市半平太の切腹は壮絶なものであった。文字通り腹を三度掻っ捌くという前代未聞の切腹で、その激痛を考えれば幾たびも自らに刃など立てれようものか。
常軌を逸脱した精神の強さを備えていなければこのような事は成し遂げられぬであろう。
武士としての最後の誇り、の様にも見えるがそれだけでは無いはずだった。
「しかし、よく武市半平太は切腹に応じましたね」
芦川長屋にやって来た中島へ剣吾が驚いたという表情をする。
土佐勤王党の盟主だが、然し幕忠の者達を多く暗殺した『天誅』の影の指示者として、八月十八日の政変が起こると禁を解かれた旧土佐藩参政にして十五代目土佐藩主・山内容堂によりその身柄を拘束された。
しかしそれから慶応元年のこの夏になるまで、二年弱という長い拘留期間だったが、容堂は武市を処断することが出来ず武市は只々沈黙を守るのみだったのである。
この武市半平太への裁きの日が近いと内々に報せを受けた土方から命を受けた中島は、瀬戸内海を渡って土佐へと入り、その近辺と動向を探っていたのである。
そしてこの度、中島が持ち帰ったこの報告により事実上、土佐勤王党は解体と相成った。
「どうも山内容堂と取り引きをしたらしいよ」
「取り引き…?獄中の武市に切れる手札なんてあるんですか?」
剣吾が首を傾げるが、隣りにいる志木がふむと短く唸る。
「勤王党、そのものの処遇、か?」
「そう、流石は志木さん。武市は最後まで天誅については沈黙し続けたんだけど…」
とはいえ、日本中の誰もが勤王党の行った天誅が武市の指示によるものだと、これはもはや明白であった。
然しながら、土佐藩政権にとって武市半平太という者は単純に処刑出来ない手合いだ。容堂の右腕であった吉田東洋暗殺から、容堂は武市を心底疎んではいたが、武市を斬る為には切腹以外の方法がなかったというのが現状である。
「けれど土方さんも酷いよ。僕が単身で攘夷浪士達が蔓延るような場所で諜報してるっていうのに、結果だけ聞いたら自分一人で納得して他の報告なんか聞きやしないんだから」
「はは、土方さんらしいですね。それにこの一大事ならば後二三日もすれば京中で皆が知ることにはなります。で、その勤王党の処遇……というか取り引きの内容というのは?」
調役も大変だなと剣吾が僅かに笑うが、調査にはそれなりに苦労をしたようで中島は聞いてくれと言わんばかりだ。
中島がやや前のめりに、
「武市半平太は結局、天誅については明言しなかったんだけど、彼の切腹と他の自白組四人の処刑でもって、残る土佐勤王党に対する制裁の追従は一切行わないと、山内容堂が約束したんだ」
「それほどに、か……!?」
無論、これまでに土佐勤王党の多くは市内で公武合体派の義士達により斬られはした。新選組も土佐へ手を下したその一組織ではある。
吉田東洋や他の佐幕派の者への暗殺を、容堂は当然武市の命あっての事だと発言させたかったであろう。
然しそれにも関わらず、沈黙を守る武市を斬る事を優先したのはこの二年あまりの容堂の苦慮ではあった。
「やはり容堂が最も恐れていたことは、十六代目土佐藩主の豊範公の関与だろう」
「確かに勤王党は王政復古を掲げ豊範公を擁立しましたが…そもそも豊範公は勤王党を容認していないし、容堂は山内本家を快くは思っていないのでは?」
「そう簡単じゃない、容堂はやはり山内本家の恩恵には預かっているだろう。もしあの時、家茂公が政変を起こせず王政復古が叶っていれば、それはそれで山内分家であっても容堂の家格は上がるはずだからな」
尊攘派公家筆頭・三条実美公は京都から公卿落ちを下されたとは言え、山内豊範公はこの殿上人の従兄弟にあたる。
一見すると吉田東洋の暗殺に憤慨した山内容堂が藩政に復帰したようにも伺い知れるが、実のところ安政の大獄から彼の禁を解いた一番の理由は、山内豊範公政権の『保護』だ。
容堂は豊範公が幼少であった頃、幼く藩主を引き継ぐ事が出来なかった豊範公にかわり召喚された経緯もあり、豊範公の容堂に対する扱いは存外丁重で二人の関係は良好である。
土佐勤王党は豊範公を擁立して上洛を成したがこのせい、武市の後の算段でもあったのか、勤王党が天誅を行っていたことは逆に盟主であり参政の武市の身を守る殻にもなった。豊範公は勤王党を認めていないという考え方が基礎にあり、然しもし武市が虚言だとしても山内本家に「仇なす」発言をした場合、昨今の動乱期における土佐藩そのものの日本での立場が危うくなる。
天誅自体は犯罪行為に相違なく、これへ豊範公の関与があるなど到底あってらならない。
「武市半平太を処刑するなと、軍艦奉行の勝海舟も容堂へ釘を刺していたみたいだよ」
「なるほど…あの勝もですか……」
豊範公はこと美男子の藩主であったところもあり、国民的な人気が兼ねてよりある。加えて、
自主性の薄い藩主の様に思われがちだが実際、勤王保守派とまた公卿の系譜という立ち位置から土佐の民に祀り上げられ多くの発言を制限され、豊範公の一言一句というのは土佐にとって極めて重いものだ。
容堂は、武市の口から土佐が幕府に目をつけられるような証言をするその前に斬りたいのだと、そういう取り引きを行った。
「……武市が三度腹を割いたのは……」
「?」
「自らと、勤王党と、土佐の分…か」
その三文字の切腹には様々な意味が込められている。
「中島さん、共に投獄されていた自白組と言っている四人というのは?」
武市の切腹に従い四名もこの処刑を受け入れた、と大義よく言えばそうなる。
これは武市の切腹あってこそだが、武市が容堂の取り引きに応じる事で本来「人斬り」であった彼らが『土佐を守った』という体裁には出来るだろう。
「勤王党上洛時の初期の主犯だった岡田以蔵と久松喜代馬、後は村田と岡本という者らしいけどこっちの二人はよく知らないなぁ」
「……岡田、以蔵……」
「剣吾?」
人知れず、三条大橋で剣を交わした。
あれほどの剣客が最後には牢での処断という結末に、剣吾が時勢というものの虚しさを知る。
中島は剣吾が岡田に興味を持ったものだと勘違いをしたのか、実際にそうだが然し、何やら調査して来た内容もあるらしい。
「実は土佐で、獄中の武市や岡田をよく見廻っていたって言う看守から事情聴取出来たんだ」
「本当ですか!?」
当然、剣吾も志木もこの辺りの事は気になるところであった。
「中島、君もよく土佐の調役に回されたな。多摩方面なら分かるものだが」
「僕さ、土佐に行くの二度目なんだよ」
中島の発言に二人が拍子抜きされる。
「え?いつですか?」
「君達三番隊に仮入隊を預かられて、それが終わって直ぐにだよ。土方さんから野根山屯集の掃討に潜入して調査して来いって、土佐者の足軽に混ざり込んだりで無茶苦茶過ぎだよ…」
野根山屯集とは──
八月十八日の政変によって捕縛された武市半平太の解放を山内容堂へ主張し、土佐東部の尾根伝い街道を占拠し藩政改革を抗議した清岡道之助率いる二十数の土佐浪士集団が起こした事件だった。
清岡の浪士団は武市の土佐勤王党とは別の一組だったが王政復古の意に関して共鳴し、勤王党と共に上洛した一団である。
容堂はこの掃討に何と八百もの藩兵を動員する強硬策を取り大変な騒ぎとなった。
「なら僕が分かるところから二人に土佐の調査報告をするよ、どうせ土方さんには過程なんか興味無いみたいだし」
元治元年、神無月へと話しは遡る──
紅葉が彩るにはまだ少し早いが、元々安芸の山々の色合いには緑が多い。見渡せば疎らに落葉樹の朱と橙とが混ざるが、天然杉の魚梁瀬杉は常緑性で落葉時期にも葉の落ちない針葉樹だ。
秋が深まれば辺りは赤と緑の美しいコントラストで見頃を迎えるが、魚梁瀬杉は本来観賞よりは高級建材の扱いで戦国の世の頃、長曾我部元親が馬路村の刻銘として天下統一を成した豊臣秀吉へ仏閣建築用の献上品として贈答した程のものである。心材は赤身で同じ赤身の代表的な木材である欅と比べれば、杉らしく真っ直ぐに伸びる木目を生かせるので化粧材としての価値が高い。
この秋口に土方からの命で急ぎ土佐へ渡らされた中島。
実は中島、八王子出身で剣術を天然理心流に習い、六番隊組長・井上源三郎の縁戚とあり新選組での入隊試験とまた仮入隊期間には凡その免除を受けた。
というのがある程度の体であり、
隊士募集の為江戸へ再び出府した新選組が藤堂平助の介入の元、新参謀として迎え入れに向かった伊東甲子太郎とその門弟達には局長近藤が直々に馳せ参じ、当時土方は京都で居残り大半の隊士達と共に市中警護に回りこの帰りを待った。
数カ月前から──
京都の街を焼いた禁門の変の直ぐ後、土佐の野根山屯集を清岡道之助ら二十三もの志士達が決起した。土佐勤王党の盟主・武市半平太の釈放を訴え尾根山道沿いを占拠しそこ此処へと一団が集う。
この報せには常に耳を澄ませていた土方、新選組の幹部内でも特に意見が別れていた坂本龍馬の扱いに対して当然討伐派である。獄中の武市の発言によっては名実とともに坂本を斬る大義を得られるが参政に復帰した山内容堂が公武合体推進派であることを考えると、先の政変以降では土佐勤王党の残党以外では土佐者には手を下し難く「曙亭事件」の一件もあり京都の守護には意思疎通が一律せず苦慮する面もあった。
ここで新たに地理調査役として中島登の起用には、諸士調役筆頭の山崎烝や隊内粛清役も兼ねた島田魁らとはまた違った足並みで動ける自由度がある。
入隊直後から多摩方面の下見を行った後に京都へ戻った近藤らとは僅かに遅れて上洛をするが、短い仮入隊期間を剣吾や志木と共に過ごすと、土佐の情勢を過敏に窺っていた土方からまるで鉄砲玉のようにこの山内容堂が強硬する八百の足軽兵の群れに混ざり込んでの終始報告を命ぜられた。
流石に土佐には渡ったことがなかった中島。動乱事件などよりも四国ならではの、他に見るものがあるだろうと辟易する。室戸と言えば捕鯨で有名だったが、鯨の生食には現地に赴かなければありつけなかったこともあり密かな愉しみとしていたのだが、どうにもその様な余裕は一切無さそうである。
「わざわざ二十人ちょっとの浪士団に藩兵を八百も用意するなんて、大袈裟過ぎやしない?」
急きょ配属された斥候隊の一つに混ざり込み、味方を識別する為の韮山笠と素槍を担ぎ胴丸を付け、がさがさと山の獣道を行く中島が愚痴を溢す。
「どうせ戦にゃあ、なりゃせん」
現地の者だろう、皆足軽の風貌だが元々が恐らくは農民か漁師か山狩りだ。暦とした武士等、この中には一人としていないのだろう。
「儂らが山ん中から連中を釣り出すき、ほいたら室戸の街道に出て行きよる」
「相手が反撃して来るって思わないの?」
あまりの短絡さに唖然とする中島。
当たり前だが彼ら、戦闘には不慣れなのだ。
「頭の清岡っちゅうもんが藩に寄越した嘆願書に、事が済んだら藩からの刑は受けると書いとったゆう話しじゃ」
「いやまあ、確かにこっちには数が相当いるけどさぁ……攘夷浪士達がそんなに潔良いもんかなぁ」
「知らん知らん、そうゆうんはお侍がやるもんじゃ。儂らは獣道から藪突いて、お侍が街道であれらを斬るぜよ」
はてな?と中島。
「斬る、って……?一団を捕縛する予定なんじゃないの?」
「あー、ほれ……儂らにはそうは言わんが、後藤様は斬るつもりで武士達の分隊を室戸側に配置しちょろうなあ」
この強硬策、どうやら容堂の思惑にはまた別の趣向も兼ねている様子だ。
この時の大監査・後藤象二郎は吉田東洋の甥にあたり、また吉田生前の少林塾の塾生でもあった。後藤は幼年期に父を亡くし吉田に扶助されて育った経緯があり、こと吉田東洋派である。
しかもこの副官に勤めているのは後藤の幼馴染の板垣退助で、吉田暗殺以降でも土佐内で武断政治を論ずる見た目にそぐわない主張を持っていた。板垣には坂本龍馬の様にどこか人を引きつける不思議な人気が土佐の者達にあり、容堂としては土佐勤王党絡みの策を講じるにあたって扱いやすい者の一人として重宝された。
野根山屯集の掃討にこの二人を揃えたとなれば、これは暗に清岡二十三の志士達をこの場で処刑する手筈なのだと、先行する農兵達にはそういう理解である。
武市半平太を斬る、容堂の最大の焦点は常にそこだ。
「でもなぁ……この野根山の屯集騒ぎを切り口にして、武市半平太を斬る為の動機として扱うには、土佐の皆を納得させるのにちょっと弱い気がするけど」
「土佐は豊範様じゃけん、容堂様も武市様もどっちが言うんは儂らには分からん」
「えー!?ちょっとおっちゃん。分からないで槍担いで藩に加担するの?」
「分からんよ何も、儂らにゃあ」
だから新選組も土佐には困る。
中島の思考では、
「その清岡の二十三名の浪士の中に…土佐勤王党に関わる者がいる、んじゃないかな?」
「武市様とは京で仲良うしとったちゅう話しじゃ、居てもおかしくなか」
既に京都での政変と禁門の変で、多くの土佐勤王党員を捕縛したはずだ。
にも関わらず、容堂には武市に手が出せない。
武市を斬る、つまり切腹させる材料としてこれまで何かが今一つ足らず、この掃討にはそういったものを探し出す意味合いがあるのかもしれない。
──中島のこの予感を的中させるかの様に、
「お前らっ、待てっ!待てっ!」
後ろから別の農兵がやって来る。
「どうしたぜよ?」
「儂らが進んどった道の正面から、連中の浪士が一人斬り込んで来よった!」
やられた、と中島。
斥候隊だがまるで気配すら隠していない素人の集団なのだ。相手が手を出してこないと高を括っているからこうなる。
「だから言ってるのに!」
こんなところで戦闘するなど割に合わない。中島としてはせめてこの農兵達に露払いしてもらいたいぐらいだが、武芸ではまるで当てにならなそうな連中だ。
「まっこと強い奴じゃ!もう何人か殺られた!儂らじゃどうにもならんっ!」
「室戸の隊に伝令するがか!?」
「そんな暇ないでしょう!牽制するふりをして街道に追い出そう」
逃走経路を図るのが目的だろう。
この藩兵の動員数を山道から覗って、もはや自分達が討伐対象にされていることなど歴然なのだ。
急ぎ強襲された現場へ木々も掻き分けながらに、この獣道を中島が急ぐ。




