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新選組−隠し刀未目  作者: はらべー
破乱誠剣

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10/11

制札放棄

 新選組十番隊組長・原田左之助は一般の隊士達には試衛館出自の組長方という認識が当然のようであったが、実は当時、原田は試衛館の者達が京都へ上洛する直前に見知ったほどの間柄だったのである。

 試衛館へ転がり込んできた。とはまさに言い得て妙だったか。

 文久三(1863)年の頃、江戸では清河八郎の発信により浪士組の徴集に市中がざわめく。

 旧知の仲であった山南敬助はこの話しを近藤とまとめると他、土方や沖田らと議論し上洛の準備を進めている最中であった。

 ところが日実も迫る明け方、

「近藤さん!大変です!」

 血相を変え、珍しく慌てた様子で試衛館へやって来た山南。

「どうした山南っ!状況が変わったか!?」

「いえ、浪士組(そちら)の話しではなく、門前で人が倒れています!」

「何っ!?…それは如何(いかん)な、直ぐに介抱してやらねば」

 湯呑を置き、立ち上がろうとする近藤へ山南が待ったをかける。

「待って下さい、万一にも麻疹やコレラを持っているやもしれません。迂闊に近寄っては感染してしまいますよ…」

「ぬぅ…ならどうしろと言うのだ。死体を試衛館の前に放っておく訳にも出来んぞ」

「まだ息はあるようですが、暫く様子見するしかないでしょうか…」

 昼過ぎには呼び付けた試衛館の面々が此処へ揃ってしまう。上洛前に皆が感染病でお陀仏、等という事態は避けねばならなかった。

 手ぬぐいを口元に掛けた二人が雨戸を閉める心張り棒を一つ持ち、離れてあれを突付く事にしたのだが。

「ちょっと貴方(あなた)、大丈夫ですか!?」

「あいや、総司」

 折り悪く、小用で出ていた沖田が戻って来てしまっていた。

「総司、そういう者に簡単に近付いてはいけませんよ」

「またまたぁ、二人は余計な見識が広過ぎるんですよ。こんな時に薄情でしょう。ほれ貴方、動けますか?」

 沖田がその男を抱き起こし抱えると、彼は声を喉から絞り出すように、

「……は、腹が…」

「お腹がどうしましたか?」

「………減っ、た………」

「……」

 呆れた三人が男を担いで台所へ直接向かうと、木(さじ)をようやく握らせ、朝餉(あさげ)の僅かに残った鍋をその鼻先に近付けてやる。

 生温いが香る塩加減に男が反応を示すと、

「……っ!?」

 途端に目を覚まし鍋の底までがっつく。

「ちょっ、ちょっと!落ち着いて!」

「三日っ!三日ぶりの飯だ!」

「えぇ……」

「やれやれ…大丈夫みたいだな。ツネに米を炊くよう言っておくから、お前達は先に此奴(こいつ)を居間に連れて待ってろ」

──程なく、

 近藤の妻であるツネが簡素な食事を用意してくると瞬く間にそれらを平らげる行き倒れの男。

 ツネは男だらけの試衛館に居た数少ない女手だったが、近藤がこの美人とは到底言えない女性をわざわざ娶ったのは土方の普段の素行を見知っていたらからこそ「嫁に貰う女はあまり顔立ちが整っていない方がいい」と道場に対して一風変わった配慮があったからだ。

 とはいえ見合い結婚のツネだが、近藤の事は度量もありこと惚れ込んでいた様子ではある。近頃、江戸の剣客達が上洛の話しを進めていたこともあり居間へ膳を運ぶも寄り合いを察した彼らへ気を遣い、いそいそと奥へと引っ込む。

(おら)ぁ、原田左之助ってんだ。御三方、まったく命拾いしたぜ。恩にきるよ」

 威勢の良い男であった。

 聞けばこの原田、伊予松山藩(えひめけん)の奉公人で小使人(こづかひ)であったと言う。これが遥々、江戸までの道のりを木槍と木刀だけを引っ提げて単身行歩してきたとのことだが。

 奉公先で摂関(せっかん)を受け、切腹未遂もあり、また奉公人の若党となるも楽隊の真似事をして注意勧告処罰される等の奇行を事も無げに語る。

 話しを聞いていた近藤が唖然としていたが、沖田は存外愉しそうに聞き入り、そして山南、

「原田君、京は通りましたか?」

「左之助でいいよ。そら通るさ、然しなぁ…」

「…噂に違わぬ騒乱ぶりなのか?」

 近藤もここは気になるところ。

「まあな…街じゃ攘夷だ天誅だと人斬りで溢れてる。(よど)藩の同心共はびびって取り締まることもしねぇ。去年上洛した会津様が孤軍奮闘しちゃいるが…裏の通りは歩けたもんじゃなかったな」

「そうか、京都守護職に就いたのがあの松平容保(かたもり)公だったな…やはり我らも寡勢に向かわねば」

 すると原田が愉快そうに、

「何だアンタら、わざわざ京へ行くってのかい?」

 当然気にもなる。

 近く、この江戸で収集する浪士組が京都へ上洛し公武合体を勧める十四代将軍・徳川家茂の警護を目的とし急進派攘夷の鎮圧に関わる旨を伝えると、

「そら酔狂なこった、いちいち自分達で死地に赴くなんざ」

「酔狂なものか、勤王の志しは日本(ひのもと)の根幹とするところ。誰もが昨今を憂いているだろうとも」

 すると原田は、

「嫌いじゃないぜ、そういうのは」

「左之助さんが言っているのは、寧ろ死地に赴くって言ってる方のことでしょう?」

 沖田が野次を飛ばすと、けたけたと原田は気分良さげに笑い返す。

 初対面だが、この男がどういった性質(たち)を持つ者なのか、試衛館の面々にもそろそろ分かってきたという様子で。

 然るに山南は一人、

「状況に偽りは無さそう、ですね」

 それとは別の思案がある。

 近藤は山南の様子にやれと、

「上洛に議論の余地は無いと決まったろう、山南。何かあるのか?」

「そうですよ、そもそも敬助兄さんが持ってきた話しなんですよ」

 話しを折り、山南は手振りで二人に申し訳ないとする。

「いえ、左之助君の話しを聞いて逆に浪士組の参加は間違い無さそうだなと確認したんです」

「……それなら良いが…?」

 清河八郎という者は水戸学も学んだ者であった。

 そして桜田門外の変に強い影響を受けた事も知人の山南は把握していたのである。あの事変は水戸と薩摩の共謀であったがこれを主導したのが水戸藩士の関鉄之介である。

 試衛館の者の為に檄文を持ち込んだ山南であったが、此処に至るまでには少々清河に対して想うところが内心あったのだ。

「あとは土方さんですね」

「ああ、まあトシの奴は行くと言うだろうが念の為だな。源さんも時期にここへ来るだろう」

(はじめ)君も朝に野暮用があるとは言いましたが、後半刻(1じかん)しない内とは思います」

「永倉先生と平助は?」

 近藤が山南へ聞く。

「前日に声をかけておきました」

「へぇ、この道場だけでも随分集まるんだな。その土方って旦那は何かあるのかい?」

 原田が興味を示す。

 上洛は決まっている。とは言っているが土方という者には念を推すとも言った。

「皆伝が目前なのだが…」

「…?…」

「昨年に江戸で麻疹が流行してな、随分と先延ばしにしたのだが、上洛すると余計に後回しになる」

 ああ、と原田。

「他流試合し(そこ)ねてたんだな。ならもう腕っ節はあるんだろ?」

 すると沖田は何故か嬉しそうに、

「大分前から腕だけは皆伝なんですよ。ただ女遊びが過ぎて近藤さんが与えなかったんです」

 それを聞きげらげらと原田が笑い転げる。

「そらいいや」

「笑い事じゃないぞ、トシの奴は他所の女にまで手を出す。簡単に皆伝を与えては他流から非難を受けるせい保留にしてきたのだ」

 腹を抱える原田が、

「いや会いたいね、その土方の旦那に」

「直ぐに此処へ来る。左之助、トシも君とは気が合いそうで何よりだよ」

 とは言うものの何処か辟易とした表情の近藤である。

 ところが改めて姿勢を正す原田が三人へ向き直り、

「アンタらに恩返しがしてぇ」

「そんなものはいらんぞ」

 案外困った顔をする近藤は他人の世話役は買ってでも出る世話好きだが、逆はどうにも不慣れなところがあった。

 だが、出会った時から近藤のその様は雰囲気で感じ取れていた原田にはここで言うことが既に決まっていたのである。

「アンタらのその浪士組ってやつ、俺も混ぜてはくれねぇか?」

「何?」

「俺も我流だが槍は結構自信がある。奉公ん時に宿継(しゅくつぎ)の守衛や畑周りの猪狩りだとかで徴用されてたんだぜ」

「近藤さんも長物は結構堪能でしたよね」

 まるで原田の後を押すように沖田が割って入る。

 天然理心流の趣向は確かに総合武術の側面もあるにはある、が。

「いや、まだ連れて行くとは…」

「手合わせぐらいはしてあげても良いかと思いますが」

 意外にも山南。

 これから先、知らぬ浪士が多数もいる集団に加わるのだ。手柄を立てるにも恐らく一筋縄では行かない事を今の段階から意識しておいた方がいいと、山南のその直感が告げていたのだ。

「ええい、分かった分かった。だがまるで見込みが無かったら駄目だ。足手まといになるからな」

「おう、がっかりはさせねぇ近藤さん。アンタらみたいに綺麗な取り回しじゃねえだろうが、そこそこのもんだとは思うぜ」

 そう言って一人、粋な若者が彼らの仲間に加わったのであった。


 なるほど原田と言う者、我流を自称する通り所作には(れい)も無く武器の扱いもまた、如何にも粗雑な大振りの取り回しではあったが、

 存外、対面で撃ち合う近藤が「ふむ」と小さく唸る。

 受け身に回り捌いては返しを加減し軽めに小突く、近藤の槍術の手並みは剣に比べれば一抹(いちまつ)のものだったが、流石に武芸の一盟主たる器用さがあり、そして原田の方も打たれこそすれ、簡単に根を上げるわけでもなかった。

「…ぜ、全然かなわねぇな…やっぱアンタらみたいに堂に入ってねぇのは駄目か?」

 近藤がちらと沖田と山南に目を向けると、何故か沖田はこの立ち合いを見て、にやにやとほくそ笑んでいた。

 近藤は少し頭を捻り、

「左之助、君は我流とは言ったがどこかで少し槍を習ったな?」

「…え?分かんのかい?」

 原田が少々驚く。

「それにそれ『猪以外』も仕留めたことある槍でしょう」

 沖田に指摘され、どこか気不味そうにする原田であった。

「あー、山賊とか(わり)い雲助とかかな…向こうは江戸みたいに治安良くはねぇから宿継で運搬してる時に、よくそういうのに鉢合わせる。槍は習ったってほどじゃないんだが」

 原田が松山藩で屋敷からの守衛に借り出された頃に、その隊の小頭であった者から形ばかりの槍の基本を()い、それを今でも念頭にもっているという。

 割腹(かっぷく)がいい、とは誤字だがある意味文字通りの切腹未遂があった情緒の激しい原田にしては、意外とこの辺りは聞き分けが良いのだなと近藤はその素直さを気に入り、

「よし左之助、お前も我々試衛館に就いて共に上洛を果たそう。後で皆にも紹介する」

 

──かくして、

 浪士組の隊士名簿には『原田庄之助』などという間違いを記載されながらも、試衛館の者達に連れられ東海道五十三次に入り再び西へ向かった原田であった。

 道中、

 この旅の合間に原田は近藤とまた合流した永倉新八からこまめに槍の指導を受け、男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よと、日を追う毎に明らかにその腕前を上げていた。

「なあ近藤さん、俺の槍をさ『天然理心流槍術』って名乗らしてくんねぇかな?」

 近藤は少し躊躇い、

「…いや然し、なあ…」

「ウチのは止めた方がいいですよ」

 割って入って来たのは沖田である。

「…?……何でだ?」

「天然理心流は総合武術ではありますが、ウチだと剣術と柔術以外では、外で(にわか)扱いされちゃいますよ」

 沖田に言われ、隣りの近藤が心無しか少々不貞腐(ふてくさ)れた顔をする。

 その表情を見てくすくすと沖田が笑っていたのであったが、原田は、

「マジかよ、近藤さんや永倉さんだってあんな強えのに」

 風評というものに、試衛館へ対し僅かばかり義憤を感じるのか、またその隣りに居た藤堂平助が原田の気持ちも分かるというふう。

「まあ二人が特別、武芸達者なのはありますけどね。どこも自分達の流派は立てたいでしょう」

「でもよ、俺だけ無流派なのに皆に連れられたんじゃ、俺のせいで試衛館が回りの連中に舐められちまうよ」

「そういうのは天然理心流(ぼくたち)では慣れてますから、左之助さんが気にしなくても…」

 ところが意外にも、

「ならば『宝蔵院(ほうぞういん)槍術』ということにしてしまえばどうだ?」

 そう言ったのは、普段は度が付く程の真面目な永倉新八が、である。

「え…それ、いいのかよ?」

「この群れの中だ。少し方便も垂れた方がいい」

 永倉にしては珍しいと、皆が唖然としていたのだが、直ぐに近藤は腕を組み何処か納得のいった様子を見せた。

「永倉先生のやり方も一理あるな。この浪士組にも、きな臭い連中がまま集まっている。自己防衛の意味で言っても多少のはったりは必要かもしれん」

 この東海道を我が物顔で進むのは、凡そ二百をこえる浪士の数である。

 当初は試衛館の様な田舎剣術道場などは蔑ろにし徴集されていたが、山南の想定を覆し、最終的に江戸を出立する頃には盟主と呼べる人材よりはその大半が出所も体得する武術もが全く把握出来ないような何某(なにがし)とも言えない荒くれ者の集団となった。

 土方の求めた、武士と呼べるものを自称するにはあまりに危険に思える一団がそこ此処に出来上がり、これが今、街道を進軍し京都へ向かい上洛を成そうとしていた。

 辺りの者達をまじまじと窺う藤堂。

「確かに出自のはっきりしない者も多いですね」

「平助がそれを言うかぁ」

 と沖田が戯けた素振りで茶化す。

「なんです、沖田さん」

 少年の様なあどけない目でむすっと沖田を睨みつけるが、

「さぁ、別に」

「俺の事はいいんですよ、それより土方さんと山南さんが見当たりませんけど?」

 皆が気付いてはいたのだが、特に山南は清河八郎ら大千葉出の浪士達とも兼ねてより(よしみ)も深く、あちらこちらへ挨拶回りをしているのかもしれない。

 しかし土方共にとなると、これは何かあるに違いないだろう。

 近藤と永倉は目を合わせると周囲を一瞥(いちべつ)し「探りを入れている」と短く言った。

「……?」

「今言ったろう、この群れの中で我々が頭角を見せるには、まず不穏因子をよく把握しておく必要がある」

 清河八郎や山岡鉄舟等、端から名のある剣の求道者ならともかく、其れ等とはまるで毛並みの違う不逞浪士に近い資質を持つ野蛮な剣客を数多く迎え入れた。

 この浪士組が何事も無く京都へ辿り着く等、果たして誰の想像だというのか。

 如月(2がつ)の冷えた空気の中に漂うのは暗中模索の気配と人の猜疑。

 街道を逝く浪士達の先にあるのは義士への真の矜持(きょうじ)か、それを証明出来る者がこの中に一体何人いるのだろう。


 土方歳三と山南敬助の確執が噂されていた隊内だが、山南の首級が前川邸で晒された後に「ほれ見たことか」という一般隊士達の風潮である。

「おう村上、待たせたな」

「お待ちしてました、原田さん。どうぞ上がって下さい」

 それから程なく、

 西本願寺は新たな新選組の駐屯所として用いられ、そこから僅か南方の塩小路通りに原田左之助の新居を構えた。

 向かい側には近藤勇の妾宅があり、これは広い敷地を設けていたが、変わって原田の住まいはややこぢんまりとした平屋。とはいえ昨今、京都も江戸も土地の物価変動が激しい騒乱の期にあり、其処で持てた新居とあって原田自身は感無量といった様子。

 慶応元(1865)年の弥生(3がつ)、原田はこの京都で挙式をあげた。

「原田はん、おこしやす。待ってましたえ、今お茶を淹れますさかい」

「おう、ナミの嬢ちゃん。久しぶりだな、親父さんは元気かい?」

「ええ、お陰様で、お(とん)は元気にしとります」

 剣吾の仮住居(かりずまい)とする三条の芦川長屋にやって来た原田であったが、原田の新居を建てる大工を募り棟梁(とうりょう)を張ったのはナミの父で宮大工の芦川善三だった。これは剣吾が原田に紹介したもので、善三は宮大工で古参の中堅以上ではあったがこの時、しばらく境内の修繕作業からは外れ原田の新居を建てた。

 禁門の変以降、街が火災で損失した為、宮大工であっても宮仕事以外も卒無く(こな)してきた善三である。

 新居だが、元々は古い家屋がそこここに建っておりこれを取り壊し新たに建てた平屋が原田邸だ。旧居の基礎をそのまま残し用いた為、木完(もっかん)までの工事期間がそこまでを要さなかった。

「良い家を建てて貰ってアンタの親父さんには感謝してる。まだまだあの家、檜葉(ひば)材のいい香りがしてるよ」

本当(ほん)にお(せん)かけてもろて、お(とん)の方が原田はんに感謝しとりますえ」

 何しろ新選組、幕府からの御用金を根回しした高額支給のそれも原田は組長方で試衛館出の幹部である。

 特別な待遇故に京都での結婚を隊からも例外的に許された。

「善三さんは稲葉様から苗字を賜ったぐらい良い大工ですから。左甚五郎(ひだりじんごろう)かもしれませんよ?」

「はは、そりゃ頭が上がらねぇなぁ」

「そうまで言うて頂いて、有難いことですわ」

 左甚五郎とは──

 左利きであったとされる伝説的な大工職人で、この者が本当に実在したのかは定かではない。日光東照宮の『見猿、聞か猿、言わ猿』を造ったことで有名だが、これは建築職の匠に与えられる称号の様なもので結局は伝承に過ぎず、もっぱら腕の良い大工を讃える言葉で用いられている。

 ナミは原田を見て思い出しように、

「でも西本願寺(おにしさん)は最近、新選組はんのお住まいになりはったんどす?あの辺り、よう地主さんからええとこ頂けましたなぁ」

 ナミにそう言われ、剣吾と原田が思わず顔を見合わせる。

「あー、まあなんだ、新選組の側なら新婚でも安全だし…なぁ?」

 (とぼ)けるのが剣吾以上に下手くそな原田であった。

 三条以近の不逞浪士の監視の為、ナミには剣吾が新選組に所属していることを教えていない。

 剣吾はナミにあまり気取られたくない為、

「ナミさん、原田さんと男同士の話しがありますので…申し訳ないのですが、ここから外して頂けますか?」

「あら、剣吾はん。厄介払いどす?」

 剣吾が思わず目を泳がせるが、

「冗談どす」

 くすくすとナミが剣吾の様を見て吹き出す。

 それから剣吾と原田に一杯づつの茶を出すと急須を膳に置き、二人に軽く頭を下げたナミがいそいそと部屋を後にする。

 ナミが去った後、

「なんだ村上、随分尻に敷かれてるんだな」

「いやいや、そんなことはないでしょう…多分…京の女の人、特有な感じでは?」

「そうか?マサだって京の女だけど、あんな茶化したりはしねーけどな」

 剣吾の狼狽ぶりを見て笑う原田だが、直ぐに(いじ)り飽きる。

「まあ俺みたいなのがまさか結婚して新居まで建てるとはよ、それも天皇様のいらっしゃる京にだ。松山にいた時は想像もしなかったけど」

 金の問題、多くはこれだ。

 江戸でもこの頃、生活に窮困し生涯未婚の独身男性は街の全体でも六割強を締めており、これはさして珍しい事ではなかった。また岡場所のような安価な性風俗の発展、そして動乱による秩序の不安、疫病の流行、先の不動産の高騰、どれをとってもこの時期には家庭を持つ事そのものに抵抗のある者が世の中には多かった。

 芦川長屋は裏長屋にしては破格の間取りを備えていたが、江戸等は六畳一間、月の家賃が六十文で生涯を終える者が大勢いる。

 新選組が無ければ、原田も自身がその内の一人になっていたのであろうと今の生活を鑑みて染み染みと思う。

「逝っちまったが……山南にも存分に感謝しねーとな」

 この言い方は剣吾には引っ掛かった。

「えっと…原田さん、山南さんの首級は御覧になってないので?」

 もしやと思い剣吾。

 すると原田は明らかに機嫌が悪そうに顔を顰める。

「そうだよ、俺と斎藤だけ山南の死に目に会えなかった。俺が前川邸に着く前に町同心共が直ぐに遺体を焼いたとかってよ。近藤さんと土方さんには平謝りされたんだが、これまで一緒にやって来たってのにあんまりじゃねえか」

 この事には大分御立腹な様子の原田であったが、なるほど。

 土方は芝居の下手な原田に山南の一件へ(ブラフ)を立てている。確かに藤堂だけこれに勘付いてしまうというのは不自然なことか。原田には原田の役割がある、というのが土方の算段だろう。

「結局、西本願寺の屯所移転も山南が死に際に浄土へ嘆願書を送ってたって話しだ」

「山南さんが?」

「交渉の関連はつまるところ山南頼みだったし、僧侶達には気に入られてたからな。知らねえ隊士達が土方さんとの不仲がどうとか野次入れちゃいるが、んな訳ねぇんだわ」

 試衛館出の者達にしか分からない事情が当然多くあるだろう。

 剣吾の脳裏には参謀の伊東甲子太郎の顔が過ぎるが、

「では原田さん、今日の赴きは一体どういうご要件何でしょう」

 原田は改まり、

「村上、お前の手を借りてぇ。今回は芹沢ん時みたいにはならねぇとは思うけどな。あん時は助けられたな」

「よして下さい原田さん。勿論、大丈夫ですよ」

「実はもう志木には話してあるんだが」

 そう言えば昨晩からこの長屋に三番隊副組長の志木左近が帰って来ていない。

「三条でお前達に頼むのは当然三条の事だ。大橋で高札が放棄されてる話しは聞いてるか?」

「あー、街で騒いでますね、それ」

 と言うのも、

 三条大橋は東海道五十三次の終着駅だ。宿場街の入り口には枡形(ますがた)と呼ばれる城郭(じょうかく)が設置されており、これは街道の防壁回廊(インターチェンジ)である。此処には敵が進軍して来た時の為に石垣を積み、(やぐら)や塀を構え、わざと道を曲がりくねらせたり坂を設けたりする。外の大橋から京都への進入は直ぐに三条へ入れず、強固で鋭角に曲がった三条の枡形は豊臣秀吉の頃に建造された。

 街側から、この枡形に入る前に高札場があり、高札場は街道での注意事項の他、所謂(いわゆる)「お触れ」が公開されつまり御上の制札(せいさつ)だ。

 この制札に記載されている項目とは全国的な法度(はっと)である。

──長州ヲ朝敵トスル──

 そのように記された制札が夜な夜な取り外され、遺棄されているという。

「町同心達の管轄ではなかったのですか、あれは」

 原田は袂で腕組みし、

「俺もそう思っていたんだが、土方さんにこれを調べろと言われた」

「わざわざ、土方さんが?」

 大袈裟ではないが、少し妙な感じがすると剣吾が思う。

 攘夷浪士達の問題であれば新選組は介入し、町の事は町の事として同心にもお膳立てをし、この辺りはお互いに面目を持ちつ持たれつといった具合だ。

 制札の内容からして即時攘夷の、とりわけ長州浪士の犯行である線は否めないが、近頃は下関戦争の事もあり長州は鳴りを潜めているのが現状である。

「但し、土方さんは俺んとこの十番隊とお前達三番、後は一番から大石を借り出す以外に手を借りるなと言ってる」

「随分と制限をかけますね」

「ああ、何でも俺が新婚だから手柄を立てさせてやりたいんだと」

 原田は戯けた素振りを魅せるが。

 剣吾はこれは土方の言葉通りの意味なのかもしれないと、想像をしている。

 伊東には陰謀の気配がある。山南を通して分かったことだ。土方は恐らく、これから新選組の中で隊内構造を再構築する考えがあるのかもしれないと、これはその前哨になるとでもいうのだろうか。

「実行犯も直ぐに分かりそうなものですが、何故、町同心達は手を出さないのでしょう?」

「さあなぁ…土方さん、もう色々何か勘付いてるのかもな。とりあえず志木には大橋の下で監視してもらってる。犯人が分かったら俺達で直ぐに捕物(とりもの)にかかるぞ」


 藤崎吉五郎には八郎と言う兄がいたが、土佐の維新志士として決起し、そしてあの夜、松門四天王・吉田稔麿(としまろ)に従い池田家で潜伏し天皇御所焼き討ち計画を密裏に進めていた。

 同志であった古高俊太郎に苛烈な拷問を強いた新選組によってこの所在を暴かれ、首謀者の吉田は自刃し、また藤崎の兄、八郎も新選組によって一太刀の元に討たれたのだ。

 新選組に怨みを募らせる藤崎であったが、土佐の攘夷も頼みの綱であった長州は幕府の長州征討により多くが京都から追いやられ、また英国(イギリス)からは下関戦争をけしかけられ四面楚歌の状態である。やはり松門四天王であった久坂玄瑞(くさかげんずい)は禁門の変で散り、かの桂小五郎は行方知れず。藤崎は兄の仇を討ちたいと切に想いながらも、現状の土佐は大規模な攘夷を起こせず然し、幕忠の者の標的となるのであった。

 いつか相見えれば、新選組へ一矢報いるとその胸に秘めるが、当の新選組といえばその頃、瞬く間に組織を拡張させ今や二百を超える大隊へと変貌を遂げたのである。

「おのれ、新選組め……」

 幕府の直轄ではなくそれも民間上がりの野良の軍事組織として、これは異例な事であった。

 実は新選組が幕臣としての示唆を持ちかけられていたのは八月十八日の政変から間もなくである。新選組の功績としては池田家襲撃事件が特に目立つものであったが、幕府からは十四代将軍・徳川家茂(いえもち)が起こしたこの政変に組みした時から既に評価を受け、活動の幾たび毎に幕臣への誘いがあったのだ。

 意外にも──

 武士に成りたいと旗揚げしたはずの新選組はこの幕臣の申し出を簡単には受けなかった。理由は様々あり、

 まず一に(ろく)の問題があった。

 幕府と会津からの御用金を用いて隊士達へ高額支給を(まかな)えた新選組だったが、幕臣になってしまうとこの金銭の根回しに苦慮するのは明白である。加えて前科者等も登用していた彼らに対し金の(かせ)が無くなると此等(これら)を制御出来なくもなり、それはかなり危ういことだった。

 隊士が拡張するにつれ、入隊した平隊士方でも隊番付に属さない一般の平隊士の場合、今では初期頃の半額以下の貰いともなったが依然として身分に囚われず多額の禄を与えられている組織には違いなかったからである。

 二に、会津への忠義があった。

 幕臣になってしまうことによって新選組の管轄が会津から幕府に紐付けされることになる。これまで会津藩預りとして活動していた新選組はこと松平容保公に対して「誠忠(せいじゅう)」をし、京都守護職を補佐してきた。これは彼らにとっての正しく存在意義であり、此処を否定することを隊内では顕著に躊躇われた故にであった。

 三はその本質、幕忠の義士だが人斬りとしての部隊、それが新選組である。

 新選組は事実、何人(なんひと)でも斬った。本来、武士や藩士や政治家等になれば簡単に斬ることは(まか)りならず、手順や手続きを踏む必要があった。こういったものを一切無視する刹那的な組織形態を持っている彼らが幕臣になり、この能動力を制限されると、新選組はもはや維新志士達から脅威ではなくなってしまうのである。

 幕臣への参入拒否は土方の判断のみならず、やはり近藤や山南の思慮もあり、的確に最適解を選択した彼らの叡智で組織を大拡張させるに至った英断の分岐だ。

──さりとて、

「奴等と剣を交える時はいつか来る」

 藤崎は藩士であり、つまり暦とした武士であった。

 淀藩の町同心は藤崎を攘夷浪士と知りながらも安易にこれを捕らえることが出来なかった。大規模な攘夷運動は起こせなかったものの、土佐や長州の残党と幕府は京都内では小競り合いを続け、藤崎自身も武士の立ち位置を上手く使いこれらの目を周到に欺け暗躍を続けた。また、

 まことしやかか、表向き静かであった長州は本国ではその水面下で軍備を進めているという噂があり、下関戦争で総督を罷免(ひめん)された高杉晋作だったが、英国との一次停戦協定の交渉の際、内々に『停戦以外』の他の交渉も仄めかしたのではないのかと土佐者の耳には届いていたのである。

 裏付けには程遠いが、土佐の至宝であった坂本龍馬が実は薩摩藩邸に匿われている。という誇張世論(ゴシップ)が昨今飛び交っていた。会津に擦り寄っていたはずの薩摩だが、薩摩藩内での即時攘夷論は未だ半々と言ったところで更に解放された西郷隆盛の事と土佐藩政に山内容堂が復帰したことを考えると、依り代として坂本が薩摩に頼るというのは実際に有り得ない事ではなかったか。

 いずれにせよ、

 小規模な活動であっても藤崎の様な土佐の攘夷浪士達が今、動けぬ長州へ替わり動乱の火種を絶やさず灯し、息を潜め潜伏する仲間達へその運動を見せ付けておく必要があった。

「今宵も、やる」

「然し藤崎、そろそろ警戒されていてもおかしくないか?」

「俺達に手を出さない、というのはそういう事だろう。だが念の為、橋の入り口にも仲間を配置させておくんだ」

 三条の高札場は東海道を往来するもの全てが目にする場所である。

 会津や新選組によって街の治安維持は飛躍的に向上をしたが、元々武力行使を好まない京都の民にとって、禁門の変は街を焼いた原因とはなったが長州に対する同情の念は民衆の間では今も尚、広く認識されているものだ。

 だからこの制札に異を唱える者があると、民意は幕府に非ぬ。

 そういった叫びだ。

「土佐も長州も、京から消えてはいない」

 高札の放棄は一見、些細な悪戯(いたずら)事のようだが彼らには当然、常に決死の覚悟があった。

「俺達はまだ途絶えてはいない、坂本龍馬もいつか動き出す」

「だが、彼は俺達なんぞの意を介してくれはするのか?」

「坂本さんの考えは次元の違う所にあるのだろう。俺達がそれを理解する必要はないが、準備が整えばきっと土佐の為に立ち上がってくれるはずだ」

 帯刀が五人、四人は無手だったが他に三人が三条大橋の入り口で待機している。

 この内、無手の四人が制札に手を掛けると高札板ごと地面から引き抜き一人がこれを担ぐ。

──この時、

「てめぇらっ!御用改めだ!」

 路地裏に張っていた原田左之助が槍を掲げ彼らの前へ参上した。


「御上のお触れに手ぇ掛けるたぁ、ふてぇ野郎共だっ!神妙にお縄に着きやがれ!」

 威勢良く啖呵を切る原田が槍を向けるが、顔が美男のせいか、隣りにいて何処かちぐはぐな感じを受ける剣吾。

 久しく薄浅葱(うすあさぎ)のダンダラに袖を通した。剣吾に原田、他十番隊の隊士三名。

 志木左近と大石鍬次郎が連れる分隊が三条大橋の向かい側で待機しており、抵抗があれば追い詰めて挟み込む作戦だ。

「おのれっ!新選組!」

 刃を抜く帯刀の浪士が一人すかさず前へ出る。

 原田は素早く上段に槍を構え、肩を引き込むと左手に槍を添え、柄を持つ右手首を捻り込む。

「しゃらくせえ!」

 ()っ!

 原田の槍がこの浪士の胸を(えぐ)る。

「ぎゃっ」

 悲鳴も短く帯刀の浪士一人が突伏した。

「間合いも分からねぇのかい!?」

「おいっ」

 藤崎が目配せすると残りの帯刀三人が(それ)々に距離を空け、原田の前へ扇状に展開する。更にこの隙を見て、

 無手が一人、倒れた仲間の刀を拾い上げこれを正眼に構える。

「お前達は先に行けっ」

 残る無手のうち、二人が高札をその場に投げ捨て枡形に向かって走る。原田は、

 隊士一人に顎でしゃくり「追え」の仕草。此等(これら)を大橋で足止めさせてから後方を追撃するつもりだ。

「行かせるなっ、仕留めろ!」

 藤崎が叫ぶ。

 反応し平隊士へ回り込もうとする帯刀二人だが、

「させねぇっ、よっと!」

 片腕だけでこの槍を大きく振り回す原田が追い手の進路を防ぐ。(くう)を薙ぐ威嚇にたじろぎ二人が後退りする。

 距離が開き、間髪入れずこの隊士が乱闘の中をすり抜け土佐者二人の跡を追った。

此奴(こいつ)っ!」

 菊池槍──

 槍の刃を()という。この刀身部に短刀を流用したもので片刃に(むね)が付き、薙ぎ払いにも向く槍の重量としては素槍に近いもので、中軽量級の長物だ。

 原田愛用の一品である。

 然し藤崎、無手の二人を行かせたがそのうちの一人だけはこの乱闘の場に留まっていた。

 これが短銃を隠し持っていたのである。

 懐に手を掛け、だが剣吾は気付いていた。

──鎖射(しゃん)っ!と、

「っ!?」

 短銃を抜き出そうとした浪士の胴へ、右腕を上から巻き込み鉄鎖が絡みつく。

 剣吾が鎖分銅を投擲したのだ。

 更に敵を捕らえた鎖縄(さじょう)を引き込み、縛られた浪士は体勢を崩しうつ伏せに倒れた。

 原田が逃さずこれに追撃の打ち下ろし。

 地面から首が跳ね上がる!

「ははっ、村上!そりゃ宍戸某(ししどなにがし)かい?」

 二天記に記される、宮本武蔵に敗れこそしたが鎖鎌の名手だ。

 長物を使う原田に合わせ、剣吾が此処に持ち寄ったのは鎖縄の細い鎖分銅と、これを手繰り寄せる為、麻で紡いだ軍手に手甲を巻き付けた捕縛用の特殊装備だ。

「調子に乗るなよ!」

 一気に三人が原田に詰め寄る!

 先頭の藤崎が上段の面打ちを原田に振り込むと、

()()っ!あぁっ!」

「がはっ…!」

 相手の攻撃を捌きながらに、柄尻で横殴りしつつ身体の芯を回転させる。視線は自然と後方の二番手へ。

 視界に映るのは刺突の構え、だが原田は、

 動きを止めず捻り込む正中段突き。

 裏から仕掛けようとしたこの浪士が間合いに組み付く前に、その胴を烈に(つら)く!

 此処で──

 菊池槍は、穂が短刀の造りであった。相手の胴に射し込んだ穂だが通常の槍の場合、刃の強度を確保しようとすると先の穂が厚くなり過ぎ重量の均衡(バランス)が取れず扱いが手こずる。引き抜く動作が後の手になるのを嫌った原田は素槍ほどに軽く、且つ穂に棟が有り強度が取れる菊池槍を好んだのだ。

 ながらに、

──ばしっ!

 薙ぎ払う、この胴ごとだ。刺さった肉をかっ裂き、三人目の眼前で鮮血を帯びた刃が一閃する。

「ひいっ」

 近付けず、思わず下がる。

 初手を柄で殴打された藤崎が目眩から立ち直り、倒れた仲間を見やった。

「く、くそっ…こんな乱雑な奴に……」

「どうよ!宝蔵院流でも種田流でも無ぇ『俺流』だっ!」 

「……原田さん、槍が更に上手くなってる……」

 剣吾が見ても、原田の槍の腕前は日を追い見事昇華していた。性格を反映しているのか粗雑な部分はあるが、逆にそれが良い『味付け』となっている。

 型破り、という言葉の似合う男であった。

 日本(ひのもと)の者は古今より、型にはまらないものを嫌う性質(たち)がある。理由は単純、自己流は「見栄」が悪いからだ。()れ等はもはや畏怖の対象ですらある。

 (なにがし)流某派と、系統(ジャンル)を決め込み雛形(テンプレ)を示唆し構成(プロット)を定め法則(ルール)を課せる。

 剣術、大工、書道、浮世絵、演劇、俳句、音楽、書き物でさえ、ありとあらゆるものを、だ。

 だが原田にとってそんなものは「糞食らえ」である。仲間の名誉を護る為に名乗りをあげる事はあっても、自ら進んでそれらを行うことはなく、それは貧しさから来る矜持(きょうじ)や小心者の意地などでもない。

 彼の根幹とするもの、それは正しく人の情であった。

 土方から新選組の殿(しんがり)隊を専任された原田は、こと一対多を特に意識し日々槍の修練に励んだ。

 十番隊は仲間の命を護る隊なのだと、原田にはそういう自負があった。一人で複数人を相手にする技と術を、近藤や永倉また、新選組となり七番隊組長・谷三十郎から教授を請い、我流であった原田の槍術は自らの(あら)を熱心に見直しした。

 仲間に報いる為にも今、彼に必要だったのは王道の武芸などではなく、部隊のその背を預かる殿(しんがり)としての妙技だった。

「退けっ、撤収だ!」

 原田の槍に蹴散らされ、藤崎が仲間に散れと手振りで合図する。

 数的有利を切り崩されたとみてか、藤崎と残り三人の土佐浪士が(きびす)を返し一斉に枡形に向かって駆け出す。

 子の刻(12じ)の暗闇、あまり距離を離されたくはない。

「大橋へ…!挟み込む好機ですよ」

「あたぼうよっ、村上!遅れるなよ!」

 今宵、この捕物に三条大橋の高札場が、今しがた物情(ぶつじょう)騒然となっている。


 曙亭事件というものがあり、

 これは新選組が行った池田家襲撃事件から程なく、長州が起こした禁門の変の少し前の出来事である。

 結果から言うと会津藩士と土佐藩士の双方一人づつが切腹するという、然るに新選組にとっては真に不本意な終わり方を迎えた事件であった。

 天皇御所焼き討ち計画の首脳であった吉田稔麿や宮部鼎蔵(ていぞう)らを池田家で抑えこの策を封ぜたものの、この大規模攘夷に関わろうとした攘夷浪士というのは当然、相当数おり京都内で潜伏していることは明白だった。幕府は引き続きこの討伐指令を新選組に課せたのである。

 しかし新選組、未だ京都を見廻るには隊士数がそれほどに揃っておらず、ここで京都守護職である松平容保公の助力を借り、会津藩兵が寡勢したのであるが。

 曙亭──攘夷浪士の密会場所として噂されていたこの料亭にて、会津藩士の(しば)という者が先行して御用改めに踏み込んだ。

 料亭内にいた土佐藩士が一人、慌てて逃走を図ったが柴がこれを背後から斬り付け取り押さえるが、いざ聴取するとこの土佐藩士が自分は攘夷浪士等ではないと言う。

 土佐は現状、土佐勤王党の党首であった武市半平太を捕縛し山内容堂が政権を握っている最中であった。山内容堂は公武合体論者であり佐幕派の人間である。この藩士の処遇に困った会津は医師と使者を土佐へ送り、国元に判断を仰ぐことにした。

 土佐藩が出した裁きは、この藩士が思慮なく逃げ出し、また武士として背後を斬られたことは不名誉であると切腹を言い渡した。しかしこの判決が非常に不味く、

 一枚岩だとは到底言い切れなかった土佐。山内本家・豊範(とよのり)公とまたその家老群の保守派、王政復古(おうせいふっこ)を謳った元土佐勤王党支持者ら(など)、この結果には此等(これら)から大きな反発を藩内で招いた。

 新選組は勤王党を始め土佐者を多く斬ったが、政治的には会津と土佐の表向きの関係は良好であり土佐に責任を押し付ける訳にはいかなかった会津は事の収拾の為、土佐藩士を斬ってしまった柴にも切腹をさせる事態となってしまう。

 新選組にはこの頃「武士を斬る」という事が藩内でどういうことを引き起こすのか、また恩のある会津の足元を(すく)い、その体裁を脅かすのが自分達になり得るかもしれないという事を思い知らされるのである。

 この三条高札(たかふだ)制札(せいさつ)放棄に関して、主犯の藤崎吉五郎が土佐藩士だと知った町同心方が手を出せず苦慮していた事を見抜いた土方。町同心の面目を護ると共に原田に手柄を立てさせ、現行犯にて不逞浪士を斬ることが出来る新選組の性質と、山南敬助の一件もあり信頼出来る隊士の選別とを兼ねた今回の作戦であった。

 剣吾と原田が追う藤崎は枡形へ入ると、

 よもや仲間を逃がす為に自らが殿(しんがり)に躍り出た。

「……野郎……粋なことするじゃねえか…」

 この気概(きがい)には原田も感心したが、それとし槍を構えこれと見合った。

 剣吾は先を行った浪士の跡を追おうとしたが、十番隊に与えられたこの任務の後処理の事を考え、三条大橋に待機する大石の分隊に残りを任せる事にし、此処は原田の補助へと回る。

 さりとて、剣吾がこれに手を貸す事もなく、

 原田の一槍の元に主犯の藤崎は討たれた。

──ところが、

「不逞浪士も伝令も、こちらにまだ来ていません!」

「んだとっ!浅野はどうしたんだ!?」

 三条大橋に辿り着いた二人へは思わぬ報告。そこから京都の街を眺める志木が、

「連中の犯行もこれが三度目、逃がし役がいたのかもしれません」

「枡形で上手く撒かれたってか、ったく浅野の奴、何やってんだか…」

 まあまあと、剣吾が原田を宥める。

「浅野さんを責めても可哀想ですよ。彼らを追っていて分かりましたが、今回は十番隊に町同心の面目を守らせたかったのでしょう。俺達も充二分にお役目は果たせましたよ」

「主犯を原田さんが討ったのであれば、会津としても土佐者の追撃はこれ以上は思慮するでしょう。やはり隊内でも坂本龍馬等の扱いは意見が半々に分かれていますし、どうでしょうか?」

 頭を掻きむしる原田。

「わかった、わかった、今回はお(めえ)らの意見を採用してやるよ。まったく、土佐の扱いは難しいな…近藤さんや土方さんによく方針を決めておいて貰わねぇと(らち)あかねーわ」

 高札場の事件は一件落着し、お手柄となった原田左之助と十番隊であったが一息つくのもこれが束の間。

 土佐がこの動乱の中心にいることには、やはり相違なかったのである。

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