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61/61

61 死闘。~菊花賞・中編~

更新遅くなりました。

───────

前回のあらすじ

 天皇賞の悲劇から間もない翌週。迎える菊花賞のパドックでは、圧倒的指示を受けたスペシャルデイズがいた。

61


 本馬場入場を終え、出走馬十七頭は思い思いにターフに散っていった。

 

 菊花賞の発走時間が、刻一刻と近づいていた。


 秋晴れの空の下、京都競馬場は熱気に包まれている。


 スタンドから響く声援。馬券を握りしめる人々のざわめき。


 その一つひとつが、時間とともに少しずつ大きくなっていく。


 スタンドから押し寄せる声や視線。これほどの歓声に包まれながらも、十七頭の馬たちに入れ込む様子はない。


 春からこの舞台を目指してきた馬たち。


 最後の一冠を争う十七頭は、まるでこれから始まる戦いを知っているかのように、落ち着いた足取りで歩いていた。


 騎手たちもまた、余計な言葉を交わさない。


 これから始まる三千メートル。淀の坂を二度越える長距離戦。


 ゴリゴリと削られるスタミナ。坂を下ってからゴールまでの八百メートルは、一瞬の加速よりも持続力が鍵となる。


 ゴールの先に待つのは、栄光か、悪夢か。

 

 ファンは、その三分間の戦いに思いを馳せる。





◇


 待ちきれないファンの手拍子が、スタンドのあちこちから起こり始めた。


 パン、パン、パン、パン──


 それが次第に一つの大きな音となって、京都競馬場全体を包み込んでいく。


 ゆっくりとスターターが階段を上る。やがて昇降機によって、その姿が少しずつ高くなっていった。


 スタンドから一際大きな歓声が上がる。その大歓声の中、ゆっくりとスターターの持つ旗が振られた。


 ~♪ ~♪ 


 トランペットの音が空気を震わす。


 クラシック最終戦の始まりを告げる、GⅠのファンファーレが秋空へと突き抜けていく。


 交響楽団による生演奏。荘厳な旋律が終わった、その瞬間だった。



───うおおおぉぉぉ!!!



 スタンドから、地鳴りのような大歓声が沸き起こった。




───『交響楽団の生演奏でした! 凄まじい歓声のなか、枠入りが始まります! 秋晴れの京都競馬場、クラシック三冠最後の一戦、菊花賞! スタートの時間が迫ってきました!』───



 ゲート入りが始まる。奇数番の馬たちが順番にゲートへ近づいていった。


 大歓声をものともせず、一頭、また一頭と収まっていく。


 どの馬も、騎手も落ち着いていた。


 ここまで来れば、あとは自分の力を信じるだけだった。





◇

 クラウンヘイローは、じっと遠くを見つめていた。


 その視線の先に、京都競馬場の広い空があった。




 折り合いを欠き、直線で失速したダービー。

 あのレースで敗れた後、陣営の中には一つの疑問が生まれていた。



 ──菊花賞は、長すぎるのではないか。



 三千メートルという距離。ダービーからの距離延長は、決して歓迎される条件ではなかった。


 きっちり折り合って、すべてを出し切れなくては、ライバルに勝ち切ることは難しいだろう。



 だが──


 京都新聞杯でクラウンヘイローは完璧なレースを披露した。


 無駄な力を使わず、じっと脚を溜めて、直線では鋭く伸びる。結果は二着だが、ダービー馬と力の入る叩き合いとなった。


 その走りは、菊花賞へ向けて十分な手応えを感じさせる内容だった。レース後ほどなく、陣営は菊花賞への出走を発表した。




 菊花賞。それは何より、この馬と鞍上が望んだもの。


 決してベストとは言えない。


 それでも、不完全燃焼に終わった、あの日の後悔を晴らすため。ライバルたちにもう一度挑むため。雪辱の舞台を切望していた。



「クラウン、行こうか」



 背中からかけられた声に導かれ、クラウンヘイローはゆっくりとゲートへ向かっていった。







◇


───『残すはあと一頭! 順調な枠入りです!』───



 最後に残ったのは十七番クリームプレゼンツ。


 小柄な馬体がチョコチョコと小走りでゲートへ向かい、直前で止まる。しかし、騎手がわずかに促すと、クリームプレゼンツがブフンと鼻を鳴らし、ゲートへ収まった。


 全馬、枠入り完了。騎手たちが息を飲む。


 十七頭。それぞれの馬が、それぞれの夢を背負っている。


 皐月賞馬も。ダービー馬も。


 春の敗北を乗り越え、ここにすべてを懸ける馬。


 そして、まだ無名の馬たちも。


 この三千メートルを走り終えた時、一頭だけが菊花賞馬の称号を手にする。



───『二冠か!? 悲願か!? 淀の坂を二度越えて、大願成就への旅が始まります! 十七頭の枠入りが完了しました! 運命の戦いが──』───



 一瞬の静寂。誰かがゴクリと唾を飲み込んだ。



───『スタートしました!!』───






◇


 ガチャン!


 重低音を響かせて、ゲートの扉が一斉に開いた。


 ほぼ同時に十七頭が飛び出す。観客席から大歓声が沸き上がった。




───『勢いよく飛び出したのは六番レオリュウショウ! その内から四番カイウンスカイも続く!』───




 ドドドッと、芝を叩く蹄音が響き渡る。


 先頭を奪ったのはレオリュウショウ。だが、その内から、芦毛の馬体が並びかけるように前へ出ていく。


 皐月賞馬が、早くも先頭を奪おうとしていた。


 スタート直後に十七頭は、一度目の三コーナーへと駆け込んでいく。


 そこで待つのは京都名物の三コーナーの坂。ここから長い下り坂が始まる。



───『一周目の三コーナー! 予想通りカイウンスカイが先頭に立ちました! レオリュウショウは控えて二番手の位置へ!』───



 芦毛の馬体が、ゆっくりと坂を下っていく。その後ろに続く十六頭。


 カイウンスカイは、まるで後ろなど気にしていないかのようだった。


 四コーナーを回り、スタンド前の直線コースへ。



───『先頭はカイウンスカイ! 少し空いて二番手にレオリュウショウ! そして三番手につけたのはコールドエンペラー! 追い込み馬のコールドエンペラーが今日は三番手! ベテラン河海の作戦か!?』───



 実況の声が、競馬場の熱を増幅させる。ベテランの奇襲にどよめきが起こった。



───『四番手はダイヤスペリア! その内からクラウンヘイロー、メグロランパードと先行勢が続きます!』───



 スタンド前を十七頭が通過していく。色とりどりの勝負服が、緑のターフの上で躍動していた。


 その勇敢な走りにスタンドからは声援とともに暖かみのある拍手が降り注ぐ。


 『頑張れ!』『そのまま!』


 そんな声が、馬たちの背中を押しているようだった。





◇


 一番人気のスペシャルデイズは、馬群の中団やや後ろ。この馬が得意とする位置取りだった。


 その前には何頭もの馬が壁となっている。折り合い重視のためか馬群を走る馬たちは、ややゆったりとしたペースを刻んでいた。



(なんかいつものレースよりペースが遅い? もう少し前に付けた方がいいんじゃ……?)


 デイズの脳裏に、追い込み届かず敗れた皐月賞が過った。




 三コーナーの下り。スペシャルデイズが少しペースを上げようとすると、手綱がグイと引かれる。



「まだもう一周ある! ゆっくりや!」



 椿が手綱を抑える。



「分かってるよ!」



 スペシャルデイズが、少し不満そうに首を振った。



「こんなに遅いと逃げ切られるかもしれない!」



「分かってる。だけど、今は我慢や!」



「でも──」



「あと二千メートル以上あるんやで!」



 椿は静かに手綱を握った。



「ここで動いたら、最後に足が止まる!」



 スペシャルデイズはしばらく前を見ていた。


 やがて、少しずつ力が抜けていく。



「……分かった」



 椿は小さく息を吐いた。そしてターフビジョンに映し出された隊列を見る。



(けっこう差があるな)



 先頭を走るのはカイウンスカイ。その後ろにレオリュウショウ。


 さらに、その後ろ──と、馬群が縦に伸びている。



───『一コーナーから二コーナーへ向かいます! マイペースの逃げはカイウンスカイ! 三馬身差でレオリュウショウ二番手! さらに三馬身後方にダイヤスペリア! クラウンヘイローは四番手から前をうかがいます!』───



 椿は前方を見つめた。ここから十馬身くらい前で、カイウンスカイが逃げている。


 その芦毛の馬体の姿が、二コーナーのカーブを回って徐々に小さくなっていく。後続との差をさらに広げ始めていた。



(長距離の逃げ馬に楽をさせるな、か)


 椿の頭に、そんな言葉が浮かんだ。逃げ馬は、気持ちよく走っているときが一番怖い。


 そして、長距離戦では、道中にできた差を活かして、最後まで逃げ残ることがよくある。



 ましてや、先頭にいるのは皐月賞馬だ。




 椿は頬の内側を噛む。


(慌てても仕方ない。まだまだレースはこれからや)


 そう。レースはまだ半分以上残っている。


 菊花賞は、まだ始まったばかりなのだ。





◇


 先頭から最後尾まで、およそ十八、十九馬身。隊列は大きく縦に伸びていた。


 先頭のカイウンスカイが、向こう正面の直線へ入る。


 二番手との差は変わらない。しかし、三番手以降が、大きく引き離され始めていた。


 その様子を見ているスタンドからは、ざわめきが起こっていた。



『このまま逃がして大丈夫なのか!?』


『あそこから届くのか!?』



 誰かが呟く。それに呼応するように、また別の声が上がる。


 早く前を捕まえろ、と。このまま逃がしていいのか、と。


 ファンの視線が、一頭の馬へと集まっていく。


 単勝一・五倍。菊花賞の大本命。ダービー馬スペシャルデイズへと注がれる。


 この世代の頂点に立つと、多くのファンから期待されている馬。


 だが、その馬は今──。


 馬群の中にいる。


 前にも馬。横にも馬。


 他馬の壁を抜けても、そこからさらに大きなリードを保って逃げるカイウンスカイがいた。




 一方、先頭を走る皐月賞馬は、実に気持ちよさそうに走っていた。


 手綱を引かれることもない。後ろから競り駆けてくる馬もいない。


 ただ、自分のリズムで走っている。


 皐月賞を勝った春。ダービーで敗れた夏。そして、古馬を相手に勝利した秋。


 そのすべてを背負って、カイウンスカイは淀の直線を駆けていく。



 そして──

 

 十七頭は再び、三コーナーへ向かっていく。


 残り千メートルを示すハロン棒が近づいていた。


 スタンドの空気が、少しずつ変わる。




まだ動かないのか。


早く捕まえに行ってくれ。


ダービー馬は届くのか。


このまま逃げ切られるんじゃないか。




 スタンドの焦りを前に、三コーナーの下り坂から始まる、勝負どころが目前と迫る。


 緊迫感が辺りを包む。口の乾きすら気付かないまま、観客は身を乗り出して、不安を拭うように声を飛ばす。



 カイウンスカイが先頭で残り千メートルのハロン棒を通過した。


 ラスト千メートル。それは三冠最後の戦とともに、これまでも数々の死闘の舞台となってきた。


 すこし遅れて、馬群の中のスペシャルデイズがハロン棒を通過する。



 「いこうか」



 背中からの、その合図を待っていた。



 小さく鼻を鳴らして、黒鹿毛の馬体がスッと動き出す。軽い足取りで、眼前の馬群の隙間に飛び込んでいった。


お読みいただきありがとうございました!


次回で菊花賞が決着です。

タイトルに負けないようなお話にしたいですね。


秋のアレルギーで体調崩してるので、しばらく執筆に時間がかかりそうです。次回の更新はのんびりお待ちください。


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今回のお話が良かったという方は、リアクションをぽちっとお願いします!


星やブクマ歓迎です。感想もご自由に書き込みください!

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