夢じゃないよアリス
春は出会いの季節なのだと言う。
誰かと出会い、その出会いが誰かを変えるというのなら、この出会いが誰かを変えることもあるというのか。
今は親友である人との「出会い」の瞬間を覚えているか、と言われればおそらく覚えていない。それくらいに人は、運命でもなんでもなく、不意に出会う。
運命的で、記憶に残るような出会いなんてほぼない。
だが俺はこの出会いを・・・、
おそらく一生忘れない。
「う・・・あ・・・・・・」
「うあ?」
固まったままの少女の口から、呻き声にも近い声が漏れる。
「う、うああああーーーっっっ!!!」
逃げられた・・・。
何かがはじけたように叫んだ彼女は、なぜか一目散に駆け出し、逃げ出した。
「・・・・・・・・え?」
もはや呼び止める暇もなく、ただその場に1人取り残される。
桜並木を駆けて行った少女の姿はもう見えない。
そして残された俺を慰めるように、花弁が再び舞い上がる。それが逆に悲しくなった。
────────
桜舞い散る道を少女は息を切らして駆ける。
(どうして!? どうして、あの人がいるの!?)
疑問を抱きながらも、脚は全力で地を蹴る。
突如として現れた彼の顔を一目見た瞬間、口をついて反射的にある言葉が紡がれた。
見つけた。
しかし言葉とは裏腹に、身体はその場からの早急離脱を求める。
行動と言葉は必ずしも一致はしない。
たとえば心で誰かのことを好きだと思っていても、それを口にしようとすることがそう簡単には出来ない。ずっと憧れていた人に会いたいと願い続けていたとしても、いざ会ってみればまともに顔さえ合わせられない。
その人の体と心のジレンマに想いを馳せながら、少女は元いた部屋へと戻る。
そしてその大きな戸を押し開ければ、
「やあ、おかえり〜」
トレードマークの禿頭を日光で輝かせながら、穏やかに学院長が少女の帰りを待っていた。
まるで彼女がここに帰ってくることを分かっていたように迎えたその学院長に、彼女は食らいつくように問いかける。
「先生! どういうことなんですか!?」
「どういうこととは?」
「この学院にあの人がいるって知っていながら、私をここに招いたんですか!?」
学院長はニヤリと口角を歪める。
「ほう・・・。やはり君のずっと言っていた『あの人』というのは彼のことだったようだね」
「最初から分かっていたんですか?」
「いや、もしかしたら・・・くらいの気持ちだったよ」
それでも立派な確信犯だった。
まんまと嵌められた彼女は、伏し目がちに声を籠らせる。
「まだ・・・、私は・・・あの人には・・・・・・」
色々な意味で煮え切らない彼女を見て、学院長は少しの荒療治を取ったのだった。
本番と練習は繋がっているようで、時には全く非なるものだ。練習でどれだけ自信をつけた所で、本番の環境に置かれた瞬間、何も出来なくなる。そんな経験は誰にでもあるだろう。
何事も用意することだけでは成長できない。自信がなくたって1度は本番の舞台に突き落とさなければ、何も掴めない。
最初は緊張するだろう。失敗もするだろう。だがそれを重ねなければ人は学べない。だから本番はいつか来ると努力や心構えだけを積み重ね足踏みしているようなら、どこかで無理矢理にでも舞台に立たせなければならない。
それを彼自身も教育者であるケネスは分かっているから、
「・・・もういいんじゃないかね、アリス君」
顔を伏したままの少女に、ケネスは優しく声をかけた。
「君はもう誰もが認める立派な人間になったよ。今の君を留めているのは、まだ君が君自身に資格がないと思う心じゃない。ただの意気地無しだよ」
アリスと呼ばれた少女は、図星をつかれ、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「もちろん君は彼と向き合うために、私なんかでは想像もつかぬような努力と年月を重ねてきたのだろう。だけどもう十分さ」
アリスは「けど・・・!」と詰め寄る。しかし学院長の揺るがぬ優しい表情が、これ以上肩肘張らなくていいと彼女の否定的な言葉を押し留める。
そして、
「努力の目的を忘れて、努力の虫になってはいけない。君は十分に頑張った。なら次は報われる番だ」
学院長が言い切った直後、どちらかがタイミングを見計らったかのように学院長室の戸が開く。
「やっぱり・・・、ここに戻って来てたのか」
「あっ・・・!」
若干息を切らした様子で、少女にとっての「あの人」が入室してきた。
「やあ、おかえりメヴィウス」
「ただいま先生。ビックリしましたよ。顔を合わせた瞬間逃げられるんですから。俺ってそんなに顔怖かったんですかね」
「そんなことはないと思うよ。まぁこの子はちょっとシャイなところがあってね」
そう揶揄されたアリスは、今もメヴィウスに背を向けたまま小刻みに震えていた。
ケネスからは見えるその顔は、頬を紅く染め、どう見ても緊張に震えている。
「さてここらで自己紹介を・・・と言いたいところだけど無理そうだね。では代わりに私が────」
緊張しきっているアリスの代わりに、彼女を紹介しようとしたケネスの言葉が遮られる。
「言えます! 私・・・・・・」
そう言ったアリスは、おぼつかない足つきで回れ右して、メヴィウスに向き直る。
そして一度深呼吸。
「アリス・カートレットと申します。今日からっ・・・、先生のクひゃ・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
盛大に噛んだ。これは気まずい。第三者となっている学院長だけが笑いを堪えていた。
「きょ・・・、今日から・・・先生のクラスにぃ・・・、ごうりゅうすることになりました・・・・・・」
とりあえず言い切ったアリスの顔は今にも火が吹き上がりそうな程に赤い。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・?」
次はメヴィウスの番なのだが、彼はポカンとした顔を浮かべて、惚けている。そして、
「・・・あ、ごめんもう一度言ってもらっていい?」
「ええ!?」
聞いていなかった、聞き取れなかったという訳ではなかった。ただ彼にとって、若干信じ難いことだったのだ。
噛んでから言い切るまででも恥ずかしかったのに、もう一度と言われたアリスはまた恥ずかしそうに、
「あ、アリス・カートレットと申します・・・」
と言った。
それをはっきり、自分の聞き損じでないことを確認したメヴィウスは、
「ねえケネス先生。俺、その名にすごく聞き覚えがあるんですが気のせいですかね?」
「気のせいじゃないよ。この国の人なら大半がこの子のことを知っているだろうさ」
「アリス? カートレット? それってあのアリスで、あのカートレットですか?」
「代名詞ばかりでよく分からないけど、多分君の思う通りだ」
男二人の間で、よく分からないやり取りが交わされる。
「てことは・・・、君はまさかあの『聖女』か・・・?」
そう問いかけるメヴィウスの顔に、いよいよ余裕がなくなってきた。
「はい・・・。そんな呼ばれ方もしますね・・・・・・」
続いてアリスがそう答えると、いよいよメヴィウスは頭を抱えて、鬼の剣幕でケネス学院長に詰め寄る。
「なんてこった、新入生が国宝レベルだなんて聞いていないんですけど!? だから早めに言えって言ったんですよおおおお!!」
「お、おお落ち着いて。なんでそんなに怒っているんだい?」
「そりゃ怒りますよ! 人増えるのでさえさっき知ったのに、おまけにそれが国宝だなんて・・・」
「あの・・・、私、物じゃないのですけれど・・・・・・」
聖女。
それはこの国で右に並ぶ者はいないとされた魔導師の証。そして彼女がアリス・カートレットであることの証明。
故にメヴィウスも魔術に関わる者として、その名を知らないはずがない。
しかし、ここは「魔術」学院。どう考えても彼女がここに通う必要性があるとは思えない。
「というか君はなぜここに来たんだ? 君ほどの人がこんなところに来る必要はないはずだけど」
「え・・・・・・・・・」
そう聞かれたアリスは、まるでいらない子扱いされたようで少ししゅんとした顔をする。
「こんなところって・・・。まぁ察してあげなよメヴィ」
ケネスはメヴィウスにだけ聞こえる声で耳打ちをした。
「『聖女』と崇められ、戦場では最強の魔導師とされているが、彼女はまだ15歳の少女だ。それに学校で学ぶことは魔術には限らんだろう?」
「それはそうですが・・・。国は許可したんですか?」
「別に彼女の人生の選択に国の許可など要らんよ。元々、1ヶ月前に彼女がここに通う道を選びとったんだ」
しかし国も彼女の動向には注目し、監視している。もし国の兵力としてのアリス・カートレットに悪影響を与えかねないと判断されれば、即座に国は動くだろう。
それでも学院長として、教育者として、ケネスはその道をアリスに提案していた。そして狙いとしてはもう1つ。
「それでメヴィウス。君への頼み事の件だが、君にはアリスの専任を頼みたい」
「専任・・・ですか・・・・・・」
メヴィウスとしてはあまり乗り気ではなかった。しかし自分が適任であることは理解していた。なぜなら、
「どこか過去の自分とダブるところがあるのではないかい? 私が思うに、君はおそらく彼女の人生の師になってやれる。頼むよ、可哀想な少女の救いになってやっておくれ」
という学院長の言葉を、メヴィウス自身も思い、分かっていたから。
自分の過去を思い返して並べても、彼女の今とはかけ離れている。
色々な面で格が違う。しかし根本的なところはまったく同じだ。
かつて自分に手を差し伸べてくれたのは誰だったか。それがなければ今の自分はどうなっていたのだろうか。
今、ここで自分が手を差し伸べることで、誰かを救うことが、変えることができるのだろうか。
そう思った時、なぜか身体が彼女に向き直った。そして、
「メヴィウス。俺はただのメヴィウスだ。今日から俺が、君の先生になる。よろしく」
そう告げた。
この場に交錯した誰かの思惑、想い、願いは無数にあるけれども、おそらく彼だけが何一つ気づけてはいない。
それを知る日が来るのは、いつだろう。