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H.O.P.E.  作者: 杜崎ハルト
10/26

右眼

「ふふっ、学生さんでしたか。私てっきり……」

先ほどまでの威圧感はどこへやら、といった具合に少女と綾人は雑談まじりにベンチをともにしている。一度はポイ捨てした吸い殻をきちんとゴミ箱に捨てなおしてからというもの、30分近くこの調子である。普段ごく少数の人間としか会話しない綾人にとって初対面の、しかも年下の女の子と話すことなどほぼないに等しいのだが、それでも少女は退屈そうな素振りなど一切見せず何を話しても微笑みながら会話を返してくる。

――決して悪い気はしない、むしろ不思議と心地よい感覚だ。というわけで綾人はこの場に居続ける。

「学生とは言っても一切勉学などには励んでない不良学生だがな。現に今も講義をサボっている」

「あら、それはとてももったいないことです。学問であれ労働であれ、何事も見識を広めるいい機会ですよ」

「ずいぶん説教臭いことを言うじゃないか。そう言う君こそ高校生ぐらいに見えるが、同類じゃないのか?」

「早速痛いところを突かれてしまいましたね。ですが、あなたの予想と合っているところがあれば間違いもまた、ありますよ」

少女は音もなく緩やかに立ち上がり、展望デッキの手すりに寄りかかる。そして、一息ついてから振り返り、こう告げた。

「あなたが思った通り私は17歳であり、本日学校には行っておりません。ここまでは合っています。ですがその理由はサボタージュではなく、そもそも通っていないのです。加えて言うなら、これまで学校と名の付く機関に所属したことはただの一度も……ありません」

意外な告白だった。

意外というのは学校に通ったことがないことはもちろん、綾人にとってはそれ以上に初対面の人間に複雑そうな身の上の一片を語ることのほうが大きな驚きであった。

「この時代に珍しい話じゃないか」

「憐れんだりはしないのですね」

「多少驚きはしたけどな。言い方は悪いが、正直どうでもいいことじゃないか?」

「!? ぷっ、あははははははは」

綾人にとっては気遣いなどではなく一切嘘偽りのない率直な反応だったのだが、少女は心底おかしそうに笑いだした。はじめて年相応の様子を見せた瞬間でもあった。

「ふふっ、失礼しました。そんな風に言われたのははじめてでしたのでつい」

深呼吸をひとつ、次の瞬間には落ち着きのある佇まいに戻っている。

「確かにあなたの仰る通りです。この場の私とあなたの交流においては本当に関係のない、意味のないことでした」

「ま、そういうことだ」

隣に座りなおした少女とともに、吹き抜ける風を全身で浴びる。

木々に遮られているからなのか、そもそも閑静な住宅街の外れだからなのか、街や大学の喧騒とは程遠い静寂がとにかく心地いい。綾人は、朝方の後悔や悲しみがゆっくりと溶けていくような感覚を覚えた。

「なんだかここは……、いいところだな」

思わず口に出さずにはいられなかった。この心地よさを、言葉をもって隣の少女と共有したくて仕方がなかった。

「そうでしょう? 私お気に入りの穴場スポットなんです」

この日一番の笑顔で少女が答える。

この反応こそが今、綾人が一番欲しかったものだ。少女に悟られぬよう密かに高揚感を噛みしめる。他人と話すのが楽しい、なんていつ以来の感覚だろうか。

だが、続けて話す少女の口ぶりは少し憂いを帯びたものへと変化する。

「街を一望できる景色と気持ちのいい風が、すべてを忘れさせてくれる気がするのです」

風に揺れる前髪を抑える少女の姿は絵画のように美しくもあり、同じぐらいに儚さを漂わせている。

「気持ちを入れ替えたいとき、重圧に押しつぶされそうなとき、行く先に迷いが生じたとき、そして…………別れのとき。理由は様々ですが、逃げ出したいと思ったり忘れたい出来事があると私は、自然とここに足を運んでしまうのです」

綾人は口を開かず、視線だけで相槌を打つ。次に向けられる言葉に確信があったからだ。

「あなたも同じなのでしょう?」

予想したままの問いかけがあった。問いかけというよりもむしろ確認に近いのかもしれない。

しばしの間、無言で少女と見つめ合う。

正直なところ、綾人にはいくらでもはぐらかす方便があった。現にこの場所に来たのはまったくの偶然であるし、同じく偶然出会った初対面の少女に対し馬鹿正直に答えてやる義理もなにもない。嘘を言ったところで赤の他人に思うところもまた、ない。

「ああ、その通りだ」

それでも綾人は応えてしまった。

向き合った少女の表情が真剣なものであったからだとか、この場所で嘘は吐きたくないと思ってしまったからだとか、頭の中で数々の言い訳がループする。

だが一番の理由は少女の視線、いや、眼にあった。

いつかの夢で自身を塗り潰したあの闇のようにどこまでも漆黒で、しかしそれでいて濁りはなく透明感すらある不思議な色をした眼。その向けられると全てを見透かされるような眼を前にして、いくら本音を隠したところで無駄だと綾人は本能で感じてしまった。ほんの少しばかり恐怖の感情もあったのだが、綾人が自分では気づけないほど小さなものである。

「無理にとは言いませんが、お話しいただけるのであればご尽力いたしますよ。人に話すだけでも楽になるやもしれませんし」

「君は何故、初対面の俺にそこまでしてくれる?」

「そうですねぇ……。あなたを見ていると少し不安になるのです。次の瞬間には崩れ去りそうな脆さが、繊細さがどうしても気になってしまって」

「そんな風に見られていたとは驚きだ」

「あら? 私、人を視る眼には自信があるんですよ」

少女は少々自慢げな表情で、右目を強調するように手を添える。

「それに、私と同じくこの場所を気に入ってくれたあなたと親交を深めたいというのもあります」

「…………わかったよ、今から話してやる。でも面白い話じゃないからな」

綾人は予防線を一言置き、髪を軽く掻きながら溜息をつく。何から話し始めるか脳内で整理してる横で、少女は急かすでもなく退屈そうにするでもなく優しい微笑みを浮かべ座っている。

――まったく、変な奴だよ。

少女のペースに乗せられてることを自覚しつつ綾人はもう一つ、諦めの意味を込めた大きな溜息をついた。

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