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side b-6

 扉を開くと、妹が待ち構えていた。

 怒ったようで、けれど泣きそうな、いっぱいいっぱいになった表情でこちらを睨みつけていて、俺はそれを背に受けながら靴を脱ぐ。それから、妹を見下ろしながら、大体予想はついているけれど、訪問者が誰なのかを聞いた。

「誰が来てるんだ?」

 それに口をへの字にしながら答える。

「榎本って言ってた。超美人」

「美沙か」

 やっぱりな。っていうか俺の人脈の中で、女子なんて葵と美沙しかいない。そして、葵じゃないっていうんだから消去法で決まりだ。しかし、美沙が来たっていうんだったら要件はやっぱり葵のことなんだろうなあ。朝とかめちゃくちゃ睨んできてたし。

「誰? どういう関係の人? なんで名前で呼んでるの? 何しに来たの? やっぱり彼女? なんであんな美人なの? お姉ちゃんは知ってるの? 私服だったよ? 部屋かリビングかって言ったら部屋で待つって言ったよ? もうそんな関係なの? 責任とれるの?」

 質問のスピード早すぎるだろ。あのメールからしてある程度効かれることは予想していたが、ここまでとは。確かに、美沙は客観的にみてもかなり美少女の部類に入るから、いろいろ気になるのは仕方ないだろうけど。

「待て待て」

「お兄ちゃん騙されてない? 貢がされてない? 壺買わされそうになってない? 宗教に勧誘されてない? 美人局じゃない? 連帯保証人にされそうになってない? 犯罪の片棒を担がされそうになってない?」

「おい!」

 いくら俺が彼女ができなそうだからと言って、美沙に悪意がある設定はやめろ! ちょっと想像しちゃうだろ!

「ひょっとしてそういう仕事の人? 金払ってきてもらったの? それとも土下座したの? 弱みを握ってるの? 脅迫してるの?」

「いい加減にしろ!」

 お兄ちゃんに対する信用がなさすぎるだろうが! 「土下座したの?」ってなにを土下座して頼んだっていうんだよ。

 怒鳴った甲斐あって、妹はいったん質問攻めをやめた。ジトーッとした目でこちらを見上げているが、ひとまずはこれで良し。

「じゃあ、誰?」

「榎本美沙。同じクラスで……あー……一応恋人とかそういった類だ」「嘘」

「もちろん葵も知って――嘘じゃねえよ!」

 食い気味だったぞ。っていうか俺が躊躇っているときにはもう言う準備していただろこいつ。

「じゃあ妄想だ。見栄を張ってるんだ。お兄ちゃんにあんなかわいい彼女ができるわけない」

「妄想でもないって」

「ていうか、お姉ちゃんも知ってるってどういうこと。朝とかベッドで絡み合ってたじゃん。浮気?」

「おまっ、見てたのか!?」

 まさかあんな状態を見られていたとは……葵のやつちゃんと家を出たのを確認してくれよ……。おかげであらぬ誤解をされている。俺はむしろ浮気にならないように努力をしていた側だっつーの。

「家を出る直前に、なんかお兄ちゃんが大声で喚いてたから見に行ってみたの。あの人が彼女っていうならやっぱり浮気じゃん。それとも二股?」

「どっちでもねえよ。朝のは葵が勝手にやっただけだし浮気になるようなことはしてない。当然二股でもない」

「出た―、浮気の言い訳の常套句だよね。あっちが勝手にやっただけって」

 もう言い訳するのも面倒になってきた。そもそもこいつ全く関係ないじゃないか。

 俺は軽くため息をついて、美沙の所在を問う。

「はあ……。まあ、別にお前がどう思おうと関係ないし。部屋にいるのか?」

「うん、本棚とかチェックしてたよ。大丈夫?」

「見られて困るものは置いてねえよ」

「そういうところだけは完璧だもんね」

 だけじゃないし、そういうところもない。

「じゃあ、俺行くわ」

 いつまでもここで妹としゃべっているわけにもいかない。もう少なくとも三十分は待たせているのだし、これ以上は悪い。心の準備はまだあんまりできていないが、美沙が何の用でここに来たにしろ、大体の責任は俺にある。覚悟を決めるしかあるまい。

 俺が階段を上ろうと一段目に右足をかけたところで、後ろから声がかかる。

「お兄ちゃん」

 首だけでちょいと振り返ると、妹は眉根に皺を寄せ、唇を突き出した大層不機嫌そうな顔でこちらを睨むように見ていた。

「なに不細工な顔してるんだ」

 俺の軽口にも何の反応も示さず、こちらを見ている。

 声をかけたのに何も言わない彼女を不審に思って体ごと振り返ると、今度はなぜか、あちらが後ろを向いた。

「なんだよ」

 行こうとしたところを呼び止めたくせに、睨むだけで何も言わず、しかも俺が話を聞こうと体を向けたら背中を見せる。

 支離滅裂で目的の見えない行動に、俺はわけのわからない気持ちで問いかける。

「別に、なんでもない」

 今度はすぐに返事が来た。

「なんでもないってことはないだろう」

「なんでもないって言ってんじゃん!」

 もう何がしたいんだよ……。

 こんな奴は放っておいて部屋に行こうともう二、三段階段を上ったところでまた後ろから声が聞こえてきた。

「変な声が聞こえてきたら、私部屋に行くからね!」

「しねえよ!」

 結局それが言いたかったのか?



 部屋のドアを開ける前に、ノックをする。

 自分の部屋に入る前にノックをするというのも変な話だが、一応女の子が部屋にいるというのだ。ノックくらいはしようじゃないか。

 今さらになって気づいた、というか、さっきの妹のせいで気づかされてしまったのだが、これって自分の部屋に女の子を連れ込むという今まで予想することもなかったような状況じゃないか?

 俺が連れてきたわけじゃないし、そんなこと言ってられるような事態でもないのだが、純粋に、男子としてこの状況に緊張してしまった。ベ、別にそういうことを期待しているわけじゃないんだからねっ!

 ノックの返事がない。

 もう一度、拳の甲でドアをコツコツとたたく。このドアがノックされたことは今まで一度もないとはいえ、木の、薄い合板で出来た扉をノックして聞こえていないということはないだろう。どういう状況かはちょっと予想がつかないが、ひとまず俺の気遣いの義務は果たしただろう。返事がなくとも中に入ってもよいと判断する。

 ガチャリ、と音がはっきり聞こえるくらいにゆっくりとドアを押し開いた。

 前回となるまでの半分ほどの隙間が開いたところで俺は事態を理解した。どうやら俺を待っている間に眠ってしまったようだ。俺のベッドに腰掛けた姿勢からそのまま後ろに倒れこむ形で寝そべっている。ドアがある壁に対してベッドは平行におかれているため、俺から見ると彼女はこちらに足を向けるようにして寝ていた。その姿勢に気付いて一瞬、目をそらしたがすぐに彼女の服装に気付き、目を戻した。彼女を起こさないように扉をゆっくりと閉じて、ベッドに近づく。クリーム色のタートルネックの上に白と黒の千鳥柄のチュニックワンピース、その下にデニム生地のホットパンツと黒いタイツを履いている。一見したところではスカートのまま足を投げ出しているように見えたので、少し焦った。寝ている女子のスカートの中を覗くのは罪悪感で寝ざめの悪いことになりそうだし今回はちゃんと履いていてくれたので助かったような、しかしすこし残念なような。

 眠り込んでいる美沙の隣に腰を下ろす。寝顔をのぞいてみると存外安らかな顔をしている。今日一日彼女は不機嫌な顔をしていたから、その顔で固まってしまうんじゃないかと少しだけ心配していた。その顔をさせているのは俺なのに随分と勝手な言いぐさを口にするものである。

 しかし、表情自体はリラックスしたものではあるが、もともと白い肌にはいつもよりも血の気が薄く、長いまつげの下には濃い隈があった。寝不足だったのかもしれない。葵から聞いたところによれば、俺とケンカしたその夜は、大抵の場合、彼女は鼻声で電話をかけてくるんだそうだ。葵が今朝、喧嘩のことを知っていたこともあるし、昨夜もそうだったのだろう。

「随分と苦労を掛けたな」

 手を伸ばして、掴んでしまえそうな小さな彼女の頭に触れる。そういえば、前に自分の頭の形が嫌いだといっていたことがあった。後頭部が丸く出ているから、帽子のサイズが合わなかったりするのがコンプレックスなんだと言っていた。

 長く伸びた艶やかな黒髪を撫でる。そういえば、この真っ直ぐで真っ黒な髪質が嫌いだといっていたこともあった。小学校の頃、日本人形みたいで不気味だとからかわれたことがあったらしい。

 真っ白で柔らかい頬を手で包む。改めてみると本当に綺麗な顔をしている。黒目がちで大きな目も、鼻筋が通った高い鼻も、肉感的ではないが上品な唇も、どちらかといえば、人形的な美しさを感じさせる。髪も眼も緩やかに光を反射させる漆器のような黒だが、顔のパーツはむしろ西洋人の特徴に近いものだ。百人に見せたら95人はかわいいと答えるだろう、誰に見せても恥ずかしくない美少女だ。本人は自分の顔がいいと思ったこともないし、たとえ自覚無しにそうだったとしてもそれで得をしたことはないといっていたけれど。

 そのまま首に、肩に手をゆっくりと、ゆっくりと撫で下ろしていく。

 彼女は、その長い手足も、小さな胸も、細い腰も、太ももから足首までストンと落ちるような脚も、高めの身長も、細長い指も嫌いだといっていたけど、俺はそんなコンプレックスまみれなところまで含めて美沙のことが全部好きなのだ。

 あばたもえくぼというし、好きになってしまったから全部好きだといえるのか全部好きになったから好きになったのか、そんな鶏卵なことはわからないけれど、確かなことは俺がどうしようもなく彼女に恋しちゃってる、ということだ。

 だったら、それにのみ従っていけばいい。それに従って変わればいい。

 撫で下ろしていった手が彼女の柔らかな掌に触れて、俺はその手を握り、指を絡める。

 それから俺の下で目を瞑る彼女の顔を見つめると、なんとなく、初めてその名前を呼んだ時を思い出してしまった。

 夕陽の射し込む電車の中。同じ様に目を瞑る彼女。そういえば写真も撮ったっけ。

 思わず、口を開く。

「美沙」

 すぐに手を握り返す感触が返ってくる。

 美沙は閉じられていた目蓋をようやく開いた。

 目が合って、見つめあって、お互いの呼気をいくらか交換して、沈黙は破られる。

「なに、暗い顔してるのよ」

「そんなことない」

「してるって。暗いよ顔」

 俺はそれには答えずに、右手では手を握ったまま、彼女の顔の横についた肘を折って、体を重ねた。左耳のすぐ横で息をのんだのを感じる。それから、彼女の耳元で小さく囁いた。

 これは、昨日の分。

「ごめん」

 ここからでは彼女の表情もわからない。俺の言葉にどんな反応を示したのか、一切不明のまま続ける。

 次は、今日の分。

「ごめん」

「うん」

 最後は、これからの分。

「ごめん、美沙。好きだ」

 下で彼女が体を硬くしたことを感じる。一層強く手を握り返されて、彼女の右手が俺の背中へと回される。そのまま、しばしもぞもぞさせたのち、ぎゅっと力を込めてきた。

「私も」

 叫びだしたいほど嬉しかった。キスをしようかと思った。抱きしめて彼女の体温に埋もれたかった。いつまでも一緒にいようとそう言いたかった。どうしようもなく美沙が好きで、どこまでも彼女に恋をしていて、なにをしようがその気持ちは覆せなくて――

 ――でも、だからこそ、

「別れよう」


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