side b-5
それから、取り留めもないことを話し続けながら俺たちは店までの道のりを歩いた。こうやって葵と二人でただただ特に意味のない雑談に興じるのも修学旅行以来かもしれない。今日だけで一体いくつ変化があったのだろう。気にしていなかったけれど、いや、気にしないようにしていたけれど、やっぱりあの日――京都以来、すべてが変わっていたのかもしれない。それは、俺たちの関係性というだけでなく、俺の周りへの接し方についても大きな変化が起きていたのだろう。
案外、葵が気軽に家に来なくなったように、晴彦が殊更に四人で居続けようとしたように、そうやって気を遣っていたのは、俺が彼に、彼女に気を遣っていたことが原因なのかもしれない。
俺が彼からも彼女からも大事なものを奪っていったから。
すべてをぶち壊しにしたのは俺の意志だったから。
全部自分のせいだと思っていた。
だから、俺は今まで通りでいようとしていたのだ。
今まで通りでいようとすること自体が、今まで通りでないことを示しているというのに。
そうやって意識し続けないと、俺が壊してしまったものを直視してしまうから。俺の行動のせいで俺が何を失ったか見たくなかったから。俺が欲しかったもののために、どれだけの犠牲を強いたのか、そんなことは知りたくなかったから。
結局俺は何も変わっていない。劣等感に塗れて、自分もまわりも先入観で決めつけて、変化も、行動も、自由も、プラスも、マイナスも、裏も、表も、今も、昔も、内も、外も、他人も、自分も拒絶していた、あの頃と何も変わっていない。
変わっていないのに、俺は知ってしまった。俺もあの光の中に入ることができることを。
だから失いたくなかった。
なによりも、俺は知りたくなかったのだ。俺があの光を生み出すことができないことを。
俺は、葵にも、晴彦にも、美沙にも、いろいろなものをもらったけれど、なにもあげられていない。もらうばかりで何も与えられていないことに、そして、与えられないどころか失わせていることに、罪悪感を覚えてしまっていたのだ。
いつも、求めるばかりで。
その上で、与えられるばかりで。
それなのに、失わせるばかりだった。
葵には小さいころから世話を焼かれっぱなしなのに、彼女の気持ちに応えることはできなかった。
晴彦は高校で友達のいない俺に優しく接してくれたのに、彼の好きな人を奪ってしまった。
美沙とはずっと一緒にいたいのに、いつも喧嘩しているばかりだ。
みんなの優しさに甘えるばかりで何もできない俺は、いったいどう変わればよいのだろうか。
「一輝くーん? どこ行くんですかー? 店ついたよー?」
隣から手を引かれて、俺は我に返った。
会話をしながら考え事をしていたが、途中からずっと黙って歩いてきてしまっていたらしい。しかも、店に着いたことにも気づかず歩き去ろうとしていたとか、いくらなんでも考えすぎだ。
「ああ、悪い。ちょっと考え事してた」
「途中からずっと難しい顔して黙っちゃったから、どうしちゃったのかと思ったよ」
そういう葵の顔はちょっとだけ不満げだ。一緒にいるのに存在を忘れられてしまうほどに考え事をされてしまっては仕方ないだろう。さっき考えていたこともそうだが、葵は俺に関することで割を食うことが多すぎる気がする。もうちょっと怒ってもいいと思うくらいだ。
「悪かったな。とりあえず中入ろうぜ」
「そうだねー。もう寒くって」
カランカランと扉に着いたベルが来客を知らせた。むわっと暖かく乾いた空気が俺たちを迎え、店内に充満しているコーヒーの匂いが鼻孔をくすぐった。オレンジ色の照明は目にやさしく、落ち着いた印象を与える喫茶店の定番だ。葵が店内に入るのを待って扉を閉めると、入り口入ってすぐの商品カウンターに立つ洒落た女性店員と様々なケーキ類の入ったショーケースに目を奪われる。奥に目を向ければ外に向けてしつらえられたカウンター席と小さなテーブルが二つ、そして二階へと上る階段を見つけた。席の入りは混んでいるというほどでもなく、五、六割といった所か。平日の夕方ということを考えれば少しすいているほうではないだろうか。
店内に入ってきた俺たちに気付いた店員はすぐにこちらに挨拶の言葉を告げ、近くに来いとでもいうような目線で、こちらを見た。当然、逆らう意味もないので、財布を取り出しながら、店員の前まで近づいた。それから、マニュアル通りのお伺いを立てられたところで、俺たちはショーケースの前に立って、店員さんに、注文を告げる。
「ケーキセット二つで」
そういうが早いか、日本銀行券最少貨幣一枚を取り出して、取引を完了させる。っていうか、今気になったんだけど、あのお金を入れる用の皿のようなものって何て名前なんだろうな。普段の生活であの名前を呼ぶ機会ってないから気づかなかったぜ。店員だって「お会計はこちらにお願いします」とかでごまかすもんな。まあ、店員が知っていたとしても客に行ってわからないんじゃ仕方ないから、指示語で言うんだろうけど。
それから、セットにするケーキを選ぶように指示される。しかし、これってあんまり人間が店員をしている意味ってないな。機会でもやれるんじゃないかっていうくらいの機械的作業だ。
「むー……」
どうやら、葵はお悩みのようだ。こんな唸り声をあげられたらそんなことは幼馴染でなくたってわかる。初対面の店員にだってわかるし、なんなら、バウリンガルに翻訳させても正解できるかもしれない。つまり、それは犬にでもわかるということか。まだ、次の客が来ているわけではないので、店員も悩んでいる葵をにこやかにほほ笑みながら、待っている。しかし、店員に待たれるのってちょっと恥ずかしいんだよね、小心者としては。
そして、対する俺はショーケースをちらっと見て、カステラがないことを確認すると、適当にお勧めのケーキに決定する。お勧めというからには、きっとおいしいのだろう。
それから、数分の間、葵のシンキングタイムは続き、ようやっと決まったころにはカウンター席の客が一人帰ってしまっていた。
「じゃあ、わたしはモンブランにします」
「もうひとつはこの、お勧めのベリータルトで」
注文を済ませると店員はすぐに、手際よく、トレーにケーキを二つ乗せる。それから、二つのカップにコーヒーを注いでから、トレーに砂糖とコーヒーフレッシュ、ケーキ用のフォークを二人分用意して俺に渡してくる。俺が受取ろうとしたところを見た葵はくるりと振り返ってカウンター席の奥から二番目の席に陣取った。葵の座った席の両隣はどちらも空席だったから、どちらに座ってもよかったのだけれど、葵がわざわざ二番目に座ったところを汲んで一番奥の席に座る。やっぱり、端とか角とかってちょっとうれしいよな。
「ささ、食べよ」
嬉しそうにケーキを眺める葵。こいつは本当に甘いものが好きだよな。なんなら地の王まで食べちゃうレベル。
どこからフォークを突き立ててやろうかとじっくり見まわしている姿を眺めながら、熱々のコーヒーをすする。ヨーロッパじゃすするのはいけないことなんだっけか? でも熱いものは仕方ないよな。
「おいしー」
「そりゃよかったな」
「一輝君も食べる? モンブランおいしいよ」
そういや、昔から、なにか食べるたびに葵は俺に「食べる?」って聞いてきたもんだったな。それがおいしかろうとまずかろうと必ず聞いてきたものだった。おいしいものだったら「おいしいから食べてみなよ!」で、まずかったら「まずい……食べてみてよ」だった。
「んー、いや、いいや」
「そっか」
特に考えもせずになんとなく断ってしまったけれど、昔はどうだったろうか。まあ、そんなに考えるほどのことでもない。なにを言われてももらっていたはずだ。何も考えずに。
いつから変わったのだろう。何も考えずに行う行動がどちらに傾くかというのは自分のスタンスの問題だ。それはいつから変わったのだろうか。
もう一度、苦いコーヒーをすする。すすってるけどやっぱり熱いから仕方ないよね。
そういえば、仕方ないという言葉についてこういう意見を聞いたことがあるな。
『仕方ないという言葉は、私は実は嫌いではない。それは諦めの言葉として、妥協の言葉として語られることが多いけれど、この仕方ないという言葉は、妥協を、諦めを受け入れて、それでも前に進ませてくれる言葉だと思うのだ』
「……あー、やっぱもらう」
「お? やっぱり欲しかったの?」
「おいしそうだったからな」
「はい、あーん」
変わったって仕方ないし、考えたって仕方ない。
その言葉は決して思考放棄の言い訳ではないのはわかっている。
でもこんな空間で考えることもないだろう。
「あーん」
差し出されたフォークを口に含み、栗のかけらのざらついた触感と決して強くない甘みを楽しむ。
俺が甘えてもいい人間としては、葵が一番仕方ない。
今だけはこの時間を楽しもうかな。
コーヒーとケーキを傍らにしばらく歓談を楽しんでいたのだが、なんとなく、そろそろ帰ろうかという雰囲気になった。飲み物と食べ物が尽きてしばらくしたころだったし、俺は帰宅を提案した。
「そろそろ、帰るか?」
俺がそういうと、葵は携帯を取り出した。たぶん、駅でこの後する用事がないかどうかを確認するためだろう。しばらくいじっていたかと思うと、こちらに顔を向けて突然詫びを入れる。
「ごめん、一輝君。友達がどっかでちょっと話そうよって言ってきてる」
携帯に連絡が入っていたのだろうか。葵がなんだかんだ俺のそばにいながらもそれなりに人間関係を構築していることは俺の知るところだったので、そういうこともあるだろう。
「だから、わたしここに残ります。ごめんね、一緒に帰れなくって」
「いや、まあ一人で帰るのはいいんだけどな。あんまり遅くなるなよ」
葵は女の子だし、これから会うという友達が男だというのなら守ってくれるかもしれないが、それはそれで別の懸念が残る。女だとすればやはり遅くなるのは心配だ。女の子だけで夜道を歩くのは危険だ。
「大丈夫。要件はそんなに長くならないと思うし」
「ん。じゃあ俺は帰るわ」
「ばいばーい」
葵を店内に残し、一人で寒い店外に出た。カランカランという音が入る時と同様に俺を見送ってくれた。それから、葵が携帯を見ていたのを思い出して、自分も何か連絡が入っていないかと、ポケットから携帯電話を取り出す。
開くと、珍しいことに本当に連絡が入っていた。家からの不在着信が一件と、妹からのメールが一件。
電話とは本当に珍しいこともあるものだ。何か緊急の件でもあったのだろうかと心配になるが、案外、夕飯のためにしょうゆが必要だとかそういったことかもしれない。それはそれで緊急だけどな。
ひとまずメールを開く。受信時間は約三十分前。
『どういうことお兄ちゃん! お姉ちゃんじゃない女の人が来てるんだけど! いいからさっさと帰ってこい!』




