side b-4
「かーずきくん! 帰りましょ!」
帰りのホームルームが終わるとすぐさま葵が声をかけてきた。結局、彼女の言う通り、今日一日「二人で楽しくやる」ことになってしまった。昼休みだけは何か用事があったのか、教室にいなかったために俺は一人だったけれどそれ以外の時間は自習の時間もグループワークでさえどうにかこうにか絡む隙を見つけては俺に張り付いていた。その様は、どこか仕事を請け負ったプロフェッショナルのような真摯さを感じさせるほどであったが、そこまで気張る必要はあったのだろうか? 確かに、普段であれば俺は教室では晴彦と一緒にいることが多い、というかそれこそ俺も晴彦に張り付いているくらいだし、なにより美沙が文句を言ってくるだろう。俺に。
なればこそ、今日という絶好の機会はそうそう起き得ないということに疑いはないのだが、それでもどこか違和感を感じてしまうのだ。しかし、はっきりとおかしいことがあるわけでなし、考えても仕方ないとそう結論付けてしまった。
「葵、お前部活はいいのか?」
えーとたしか、手芸部だったかな?
昔から手先は器用だったしなんだかんだ俺の世話を焼いているうちにいろいろと裁縫の経験値はたまっていたらしい。
うちの母親は不器用なせいでそういったことは苦手としていて、小さいころの俺の服が繕った所はぼろぼろなうえにボタンはダラッと垂れていたりとひどいありさまだったのを見かねて葵の母親が直してくれていた。そして、成長するにつれてその役目を娘が負うようになっていたというわけだ。ちなみに、うちの母親はその代りに調理師免許を持っていたことを活かして、主婦になりたてでレパートリーも少ない綿貫家の食卓を助けてたらしい。
「うん、手芸部はそんなに活動が盛んなわけじゃないしね」
「冬って手芸の季節っぽいのにな」
「あー、確かに手編みやってる人はこの時期頑張ってるよ。でもほら、私がやってるのは刺繍だから」
「あれ、刺繍だっけ? なんか、鞠とかクッションとか作ってなかったか?」
確か、去年のクリスマスプレゼントにはなぜか某有名ファストフード店のロゴが描かれたクッションをもらった覚えがある。
「あ、そういうのに刺繍してるんだよ」
「そうなのか、刺繍っていうとキャンパスみたいなやつにやるイメージがあったからな……」
「まあ、やってることは変わらないけどね」
「そんなもんか」
会話が一区切りしたところで、葵は少し性急気味に、帰宅を促す。何か用事でもあるのだろうか。
「それより、帰りましょう!」
「何か急ぐ理由があるのか?」
俺の問いかけをまるで予想していなかったというように、きょとんとした顔でこちらを見返す。それから、今朝のベッドの上で見せたような、しかしあの時ほどの鮮烈さはもたない、灰色の微笑みを顔に浮かべる。
「いえいえ、むしろゆっくり帰る理由ならありますけれど」
彼女は言いながら教室の中を見回した。帰りのホームルームが終わると、半分以上の生徒がすぐに部活に向かう。残った半分のうちの半分は寄り道しながら家に帰り、また残りの半分は学校内に少し残って友人と交流を深める。従って教室に残っているのはせいぜい四分の一といった所だろう。しかし、二年の冬ともなると部活を引退するものもあり、秋のころと比べると教室にいる人間は多くなったように思えた。
俺も同様に残ったクラスメイトの内訳を確認していって、美沙がその中にいないことを確認する。
この高校には温水プールがないため、彼女の所属する水泳部は、水の冷たい冬の間は活動休止を余儀なくされる。とはいえ、冬中泳がないのも体がなまるということで週に三回だけ、県の運動施設を借りて、活動を行っているらしい。確か、火木土の三日だったので、今日は部活がないはずだ。どうやら先に帰ってしまったらしい。
「せっかくですし、今日は帰りにお茶でもしていきませんか?」
葵はそういって、学校と駅の間くらいにあるチェーンの喫茶店の店名を挙げる。
「あそこなら、おいしいケーキセットがワンコインで食べられるよ!」
「ケーキセットか……カステラはあるのか?」
「それは……ないんじゃないでしょうか……」
むう、カステラはないのか。まあ仕方ないよな。あれはケーキじゃないし。カステラがケーキ屋に並んでたらいくらカステラ好きの俺でもびっくりする。むしろ抗議する。
カステラがなかったとしても、あそこのコーヒーはそれなりにおいしいし、ワンコインというのであれば行ってもいいか。
「まあいいや、行こうぜ」
「お茶してくれるの?」
「断る理由もないしな」
なんだかんだ言って葵と遊ぶのも久しぶりだ。家に来ていなかったのと同様にこういった誘いもして来なくなっていたからな。毎日というのであれば断っても構わないのだが、たまになら葵と二人でケーキを食べるのもいいだろう。
ただ学校の帰りに寄り道をするだけだというのに、承諾したことがよほどうれしいらしく、喜色満面といった様子で笑う葵。さらっと俺の手を取って、早足で教室を出ようとする。
「じゃあじゃあ、早くいこ!」
「わかったから、ゆっくり行こうな」
上履きを履き替えて昇降口から外に出ると、まだ四時過ぎだというのに、遅刻してきたくせに定時に帰るやる気のないバイトのような冬の太陽はもうだいぶ傾いていた。冬至を過ぎてからもうしばらくたつというのに、ちっとも日が長くなっているような気がしない。こんな調子で本当に夏の調子に戻れるのだろうかと毎年心配しているのだが、それでも毎年きちんと調子を戻してくるのが太陽のすごいところだ。いや、動いているのは地球のほうなんだというのは重々承知なんだけどな。
「うー、寒いねー」
寒がりの葵は厚めのタイツにダッフルコート、さらにマフラーと手袋という女子高生としては最強レベルの装備をそろえているのだが、それでも寒いらしく、顔の半分以上をマフラーで覆いながら外へ出てきた。ストーブの焚かれていた教室から出てきた落差が効いているのかもしれない。そもそも女子高生の防御力が著しく低いというのもある。
「そうだな」
対する俺もダッフルコートにマフラー手袋と装備はほとんど変わらない。というか服務規定があるのだから仕方ないのだ。防寒具は黒か紺のダッフルコート、手袋やマフラーは華美ではないもの、だったかな。だから俺たちの服装はほとんど同じようなものだ。
「さあ行こう、暖かい喫茶店が私たちを待ってるよ」
葵の言には俺も賛成だったので、二人ともいつもより少し早足に歩き出した。
立ち止まっていても体は冷えていくばかりだが、歩き出すと冷たい外気が肌を流れて行って身が引き締まるような思いだ。冷水にさらされるレタスとかはこういう気持ちなんじゃないだろうか。
「ケーキってのも久しぶりに食べるな」
何とはなしに口を開く。
「クリスマスと誕生日には食べなかったの?」
なぜ葵がクリスマスと誕生日を同列に語っているかといえば、俺の誕生日は十二月二十六日だからという答えが出る。クリスマス近くに生まれると、プレゼントやケーキをいっしょくたにされて、非常に損な思いをするのだ。逆に言えば、楽をしたい親御さんは十月から十一月が狙い目だということになる。何のとは言わないが。
「うちのでかいオーブンあるだろ? あれを修理したからってうちの母親が張り切って今年はピザパーティになったんだよ。それでオーブンをフル稼働したからケーキは焼かなかったんだ」
母親が専業主婦なうえに料理好きなためにそういった祝い事の時はたいてい手作りケーキを焼く。その辺のチェーン店のものよりおいしいから不満はないが、母親の気分によって味が決まるのが少し笑える。
「あのいい匂いはそれだったのかー」
「ああ、匂い届いてたのか」
「うん、香ばしいにおいと……あれ、甘いにおいもしたような気がするけど」
葵は非常に鼻が利く。以前に父親の缶ビールを一本拝借して飲んでみた次の日に、葵から酒臭いといわれたのには驚いたものだ。ちなみに、それ以前に父親の煙草でも同じことがあった。
「ん、ケーキは焼かなかったけど代わりにクレープを作ってたからじゃないか?」
「ええっ! クレープ食べたんなら呼んでよ! わたしも食べたかった!」
俺たちが小さいころ、母は何度となくおやつにクレープを焼いてくれた。その際は当然のように大体が葵と一緒で、いつの間にか彼女の好物になっていたらしい。うちのクレープは店売りされているものよりいくらか生地が厚く、その分、クリームやトッピングもたくさん入っていた。それに慣れてしまっていた俺と葵は売っているクレープでは物足りなく感じてしまい、ほとんど食べに行くことはない。
「いや、父親が納期明けで幽鬼のようだったからな……一週間シャワーも浴びてないとか言ってたからさすがに客人を呼ぶのはどうかと思って」
「おじさんがどんな状態だって今更気にしないよ!」
「まあ、いつもあの調子だしな……」
父親はウェブデザイナーだかコラムニストだかプログラマーだかよくわからない仕事をやっている。とにかく家から出ないために家でできる仕事につこうといろいろ勉強した結果だと聞いている。見上げた引きこもりだ。仕事のほとんどを自室のパソコンだけで済ませ、外に出るのはせいぜい月に一回くらいだ。その収入だけで、建売の戸建てに住んで子供二人を不自由なく育てているのだから、世の中は意外と家から出ずにでも何とかなるものなのかもしれない。




