第59話 最期
本話はシリアス描写を含みますのでご注意ください。
ウィルズは正面の側妃の顔は見ず、床だけを見て静かに呼吸していた。
いつもなら部屋に誰もいなくなった時点で上着を脱ぎ、裸体の彼女と共にベッドに転がり込むのに。
そうしないのは、今日この部屋を訪れた目的が夜伽のためではないからだ。
「やっぱりメリーが」
「100%ではないわ」
「どういうことだい?」
「もともと事件を仕組んだのは公爵。作戦、毒、セリフ、裁判官といった人材まで全てあの人が用意した。わたしは単に城の女官を買収しただけ」
「でも君が加担――」
「ええ、わたしも共犯者よ。事件を了承し、隠した。ウィルが提出した保釈の嘆願書を採用しないよう働きかけたのも私」
そこまで言われ、ウィルズは初めて自分の嘆願書が受け入れられなかった理由を知った。
だが衝撃を受けたのはそんなことではない。
メリッサが事件を暴露したことだ。
いくら犯人が分かっていたとはいえ、信じたくないという自分がいた。だがそれは彼女の言葉によって見事に掻き消されてしまった。
「……どうしてそんなことを」
「言うなれば、醜い女の嫉妬が生んだ結果」
「嫉妬?」
「そう。私、あの人のことが羨ましく思っていたのよ」
メリッサは一歩、また一歩とウィルズの方に歩みを進める。
「私がウィルのことを愛しているのは知っているでしょう?だから誰かに取られたくなかったの。いずれリミューアさまはあなたの子を産む。そうすれば子を産めない私は見捨てられる」
「そんなことはしない!僕だってメリーが好きだ」
「ありがとう。でも、生まれ来る子供と一緒に微笑みあうあなたたちの姿を想像すると、とても耐えられなかった」
ウィルズの30センチ手前まで来たとき、彼女の目にはもう薄っすらと涙が浮かんでいた。
「今からでも遅くない。出るべきところに出てこのことを告白してくれ」
「いいえ、もう何もかも遅すぎた」
「まだ間に――」
「ウィル!」
強く抱き付かれ、ウィルズは言葉を途中で失う。
「お願い。キスして」
それは彼女からの最後のキスのように感じられた。
警察側だってもうかなり証拠を得ているはず。
もしメリッサが警察に連れて行かれれば、二度と口づけを交わすこともできない。
そっと彼女の唇に口づける。
甘くてとろけるように熱い。
舌と舌が絡み合うのがわかる。
これほどまで濃厚な口づけを交わしたのは久しぶりだ。
恐らくリミューア以来だろう。
そんなことを考えていると、彼女の熱はフッと風のように逃げて行った。
「ねえ。最後に一つお願いがあるんだけど、いいかしら」
「……ああ」
「あの人のことを悪く思わないであげて」
メリッサの足が音もなく後ろに引いて行く。
「リミューアさまが思い悩まれていたのは元々私が原因。あの人は何も悪くない。諸悪の根源は私よ。だからね、ウィル。これからは生まれ来る子供と、リミューアさまだけを愛してあげて」
「僕はメリーも――」
「もう私なんかに優しくないで!」
その手にはいつの間にかナイフがあった。
果物ナイフらしきそれは彼女の手の中にしっかりと握られている。
「約束して」
どう答えればいいかは自分が一番よく知っている。
ウィルズはこみ上げてくる感情を必死にこらえながら「わかった」とだけ呟く。
「ありがとう」
そう言ってメリッサは静かに笑った。
――だが次の瞬間、首に刃を突きたてられた。
わずかに赤い血が見える。
このあとどうなるか分かっている。
止めなければいけないのは自分でも理解している。
でも止められなかった。
悲しげな目で見つめられ、身動きがまったく取れなかった。
「ウィル。私を見て」
最期にメリッサは優しげに微笑んだ。
かつて見たあの懐かしい笑みだった。
忘れたことも、そしてこれからも忘れることは無い。
優しく、そして温かい女性の微笑み。
あの時の記憶が走馬灯のように駆け巡る。
「これが、人の恋路を邪魔した女の末路よ!!!!」
その瞬間、ウィルズの頬に赤い鮮血が飛び散った。




