第19話 ウィルズの記憶 (過去編Ⅰ)
ウィルズ視点です。
書き方が今までと異なりますが、仕様です。
初めてメリッサを見たのは今から15年以上も前の話だ。
あれはある日の昼すぎのこと。
その女は噴水の縁に腰を下ろして歌を歌っていた。
――☆――☆――
「ようこそいらっしゃいました、陛下。そしてウィルズ王子殿下」
当時6歳だったころの僕は、父に連れられてフォルニクス公爵の豪邸を訪れていた。
ちょうどその日は当家の庭園で花見をする日だったらしく、僕に挨拶してきた老輩が公爵本人だと知ったのはあとになってのことだ。
別荘の裏側にある大庭園に行くと、春の花々――特に桜の樹が綺麗に咲いていた。
人の二倍はあろうかという太い幹の上には上下左右一面に薄紅色の花びらが浮かんでいる。
梅の方はもう散ってしまったらしく枝先には花の代わりに新緑が芽吹いていた。
樹の幹の上でさえずる小鳥たちの歌声を聞きながら、父と公爵は庭園の真ん中にある大きな桜の下で盃をかわす。
当初は庭園に咲いている花の種類や数、派生して近頃の政情などを話し合っていたものの、酒が入るにつれ双方共に気分が高揚し、次第に大人の話で盛り上がるようになった。
どちらにしろ興味の無い話だったので、退屈になった僕は「庭園を拝見してもいいですか?」と公爵に一言告げてから酒臭い酒宴の場を離れることにした。
つまらぬ花見の席を立つことに成功したのは良いものの、特に何か見るものがあるわけでもないし、花に特段に興味を抱いているわけでもない。
父の横にじっと座りながら、上から落ちてくる花びらの数をいちいち数えるのも退屈だが、目的も無くだだっ広い園内をふらつくのも相当に退屈だった。
歩いている内に園内の北側にある大きな池に辿り着いて、そこでしばらく水面を見つめながらじっとすることに決めた。
ふと池の中を覗きこむと鯉が数匹集まって泳いでいたので、驚かせてやろうと足元の石を拾った。
でも水辺に駆け寄ると、鯉たちは足音に驚いて深みにもぐってしまった。
しばらく上がって来るのを待ったが結局現れはしなかった。
次第に何もない池と睨めっこする自分がバカらしくなり、僕は苛立って手元の石を天に投げつけた。
一つ、また一つと足場の石を拾っては池に投げている内に腕が疲れ、僕は近くの樹の根元に座り込んだ。
そこはちょうどいい日陰になっていて、池の向かい側から吹いてくる風が涼しかった。
(ここでしばらくじっとしていよう)
手を頭の後ろに組んで空の雲を眺めていていた頃だった。
「~♪」
ウトウトしはじめていた僕は、どこからか聞こえてきた子守唄のような優しい音色を耳にして覚醒した。
女の子の唄声だ。
それほど遠くは無い。
ソプラノの綺麗な音色に惹かれ、僕は身体を起こして声のする方へ歩を進めた。
本来は遠回りして行かねばならないところを近道しようと、背の低い生垣を飛び越える。
すると見えてきたのは、小さな噴水の縁に腰掛けて歌を歌う少女の姿だった。
やや薄めの桜色のドレスを纏い、膝の上に白や赤の花々を載せる長髪の女の子は気持ちよさそうに歌を口ずさみながら花にヒモを通している。
花飾りでも作っているのだろうか。
少女の姿を遠目から見ている内に、透き通った声色に誘われた小鳥たちが彼女のすぐ傍にとまった。
随分人馴れしているらしく、少女が足をぶらぶらさせても逃げようとしない。
もう少し近くで見れないだろうか、と茂みの中から一歩踏み出したときだった。
バキッ
不覚にも枯れ枝を踏みつけてしまい、音を立ててしまったのだ。
「だれ?」
逃げることはできなかった。
完全に音源を特定された僕はあきらめて少女の前に躍り出た。
「や、やあ」
「?」
少女は首を傾げた。
不審に思って怖がる――というより、どちらかというと驚いた様子だ。
「あなたはだれ?」
「僕はウィルズ。王さまの息子さ。王子だよ」
怪しまれないよう、自分が言える範囲でなんとか釈明して見せたつもり。
曲者と思われて叫ばれたらどうしよう、などと案じていたものの、案外少女はあっさり僕を受け入れた。
「王子さまなのね?」
「うん。君は?」
「私はメリー。でも本当の名前はメリッサ。お母さまとお父さまは私のことメリーって呼ぶの」
自らをメリッサと名乗る少女はニコリと微笑んでから踵を返すと、再び噴水の縁によじ登る。
「あなたもどうぞ。ここ、噴水のお水で気持ちいいの」
「あ、うん」
メリッサに場所を譲られ、僕はまだ彼女の体温が残る縁の上に腰を乗せる。
たしかにそこは日当たりもよく、適度に噴水の水飛沫がかかって涼しかった。
「ねえ、メリーがさっき唄っていたのって、なんていう曲?」
「『ポーラフの笛』よ」
「ポール?」
「ポーラフの笛。フランシアに昔から伝わる子守唄なんですって。お母さまがよく寝る前に歌ってくれるの」
メリッサはまたニコッと笑った。
「それは知らなかった。――さっき茂みの向こうでメリーの唄を聴いたんだ。すっごく上手だったよ」
「ほんとう!?」
「本当さ。僕もメリーの唄に誘われてやってきたんだ」
「まあ。まるで小鳥さんたちみたいね」
いつの間にか近くには色取り取りの小鳥たちがとまっていた。
僕がメリッサと一緒にいることを知り、警戒を解いてくれたらしい。
「そうだわ!ちょうど完成したところだし、これウィルにあげる」
彼女は自分が作っていた花飾りを僕の頭の上に乗せ、もう一つを今度は自分の頭に乗せた。
飾りを構成する花の種類はほとんど分からなかったけれど、良い香りがしたのは覚えている。
「お揃いね、私たち!」
昼下がりの空の下、噴水の前には僕らの笑い声が響いていた。




