後編
いつシャルロッテの妨害が来るかわからないので、俺とエリザの結婚式は速やかに行われた。父がアヴァーロ家当主の座を退けば、俺は父の跡を継いで商会長と枢機卿を兼任することが決まっているが、聖泉教は聖職者の結婚を禁じていないので問題はない。
デラジェイス王国に放った密偵が言うことには、俺が既婚者になったことにシャルロッテも気づいたようだ。
さて、どう来る? 俺のことを諦めてくれるならそれでよし。だが、もしも俺のエリザに手を出す気なら──
* * *
ど……どうして!?
こんなはずではなかったというのに!
あの女狐さえいなければ、わたくしこそがラウル様と結婚できて、幸せに──
「すまないシャルロッテ……。だが、もうどうすることもできない……」
お父様がお決めになられた結婚相手。それはラウル様ではなく、辺境で暮らしている二十も年上の醜男で。身分も経歴も、高貴な公爵令嬢であるわたくしにふさわしいとはとても言えないような男でした。
ラウル様はどこ? どうして完璧で美しいこのわたくしが、このような冴えない男と結婚しなければならないの?
「私達が間違っていた。あの家を敵に回すべきではなかったのだ」
以前とは打って変わってすっかり精彩を欠いたお父様は、見る影もなく小さくなったようでした。
お父様は続けて訴えます。
最近、食事の質が下がったのも。
派閥下の貴族達の不満が爆発しているのも。
破落戸に周囲をうろつかれて身の危険を感じることが増えたのも。
すべて、あの女狐の家を潰そうとしてからなのだと。
「ラウル様が……ラウル様が、わたくしに怒っているの……?」
わたくしはただ、ラウル様を愛していただけなのに。邪魔な女さえいなくなれば、わたくしを見てくれると思ったのに。
「お父様! 一度だけでいいのです、ラウル様と会わせてくださいませ! わたくしが直接お話すれば、きっとラウル様にもわたくしの想いが伝わるはずですわ!」
「ならん! これ以上アヴァーロ家の不興を買えば、いよいよ我が家は本当に終わりだ!」
何もかも思い通りにできると思っていました。
だってわたくしは、王家の血を引く名門公爵家の娘です。わたくしが黒だと言えば、白いものも黒になる。それが道理であるべきでした。
それなのに、手に入らないものがあるなんて。明確に拒絶され、報いを与えられる。そんなこと、あっていいはずが──
お父様から、ラウル様から届いたという短い手紙を見せられます。そこにわたくし宛の伝言があると言われ、一縷の希望を探して手紙を受け取りました。
『追伸
シャルロッテ嬢へ
最愛の妻と共に歩む私の人生に、貴方は必要ありません。貴方の影すら見たくもない。二度と私の前に現れないでください』
たとえ何をしようとも、ラウル様はわたくしを愛してくれない。はっきりとそう突きつけられて、わたくしはその場に崩れ落ちました。
* * *
「んー……?」
「どうしたんですか、エリザ」
「お父さんから手紙が届いたんだけど、結婚してからデラジェイス中の支店の売り上げが上がってるんだって」
「いいことじゃないですか」
「それはそうなんだけどね。シャルロッテは何もしてこなかったってことかな。よかった」
残念、はずれだ。
シャルロッテ……フリュゾン公爵家は確かに、悪質な営業妨害を行っていた。
食材卸業者への圧力、料理人や給仕への威圧行為、偽客による異物混入、地上げ屋による恐喝と嫌がらせ、デマの口コミでの風評被害などなど、挙げていけばキリがない。
だから全部──金で解決した。
フリュゾン家に睨まれてレストランに食材を卸すことを渋る業者も、フリュゾン家に雇われた地上げ屋も、何もかもを買収した。
逆にフリュゾン家とその派閥下の貴族が使う高級食料品店に食材を卸させず、地上げ屋には彼らが所有するタウンハウスやカントリーハウスに嫌がらせをさせた。
すべての従業員達とまっとうな客の安全ために屈強な警備兵を大量に雇い、あらゆる言いがかりを許さない。
警備兵達には交代制で従業員達の送迎と自宅の警備も任せたところ、従業員達からは非常に好評でやる気も上がったらしい。ついでなので従業員達には、迷惑をかけた分の見舞金も払っておいた。
風評被害を流す輩には金を包んでもみ消して、もっと声が大きい連中にそれより多めの金額を渡した。彼らに言わせるのは、レストランのいい評価だ。
やる気も能力もある従業員達、高い評価、各地への宣伝、それに裏打ちされた高品質な料理。売り上げが以前より上がるのは必然だろう。
ついでに、俺の名前で動かせるすべての商会にデラジェイス王国との取引を打ち切らせることを王太子にちらつかせ、それとなくエリザの家のレストランの話をした。
その結果、王室御用達というお墨付きも得た。塩も香辛料も、鉄や貴金属だって、なくしたら大打撃だからな。これでフリュゾン家以外の有力な貴族の家がこぞって通うのだから、フリュゾン家も下手に手出しはできなくなったわけだ。
普段食べている高級食材がまともに手に入らなくなったフリュゾン一門は、しぶしぶ平民向けの食料品店に目をつけたらしい。高貴な貴族様が平民ごときと同じものを食べるだなんてとんでもない! 第一、平民の食料を奪うなんて言語道断だ!
というわけで、俺は金とビラをばらまいて新しい噂を流すことにした。
フリュゾン家は経済的に困窮していて、日々の立派な食卓すらまともに用意できない。そこで浅ましくも平民向けの安い食材を買い占めて領民を飢えさせ、文字通り私腹を肥やしているようだ──
暇と金を持て余す有閑階級と、貴族に対抗心を燃やすブルジョワ達は、このゴシップに簡単に飛びついた。家名を重んじる公爵家は火消しに奔走。とてもエリザの家に嫌がらせできる状況ではなくなったようだ。
フリュゾン家の当主は、一連の異変がアヴァーロ家の怒りを買ったせいだと気づいたらしい。慌てて謝罪文と結婚祝いが届いたが、今さら遅い。娘の口車に乗せられて金と権威に目がくらみ、俺達夫婦を引き裂こうとしておいて、一体どの口で祝うんだ?
「貴方達とは祝われるような仲ではないのでお祝いの品はお返しします。そちらのご令嬢も早く良縁が見つかるといいですね。いつどんな不幸に見舞われるかわかりませんから」と返事を送った。アヴァーロ家はフリュゾン家と友誼を結ぶことはないという意思表示だ。
どうやらその書状が効いたらしい。シャルロッテは僻地で暮らす郷紳の後妻に収まったようだ。先方は若い女に目がないらしく、ぜひにとシャルロッテを望んだらしい。
赤の他人に強引に結婚を迫るというのがどういうことか、これでシャルロッテも身をもってわかっただろう。この辺りでフリュゾン一門への制裁は手打ちにしておくか。
さて、次はベルトルドか。
*
ある日の晩餐、俺はベルトルドを俺とエリザが暮らす屋敷に招いた。
「ベルトルド、そんな熱い眼差しを妻に向けないでください。妻が照れてしまうでしょう」
ああ、なるほど。ベルトルドが欲していたのは、俺の妻という存在そのものか。俺が持っているものを奪いたいだけだったんだな。
だってベルトルドは、エリザに何度か会ったことがある。その時は、これほど熱っぽく見つめるなんてことはなかったのに。ベルトルドがエリザに興味を示したのは、俺達が結婚してからだ。
「悪い、ラウル。でも仕方ないだろう、こんなに美しい人なんだから。素敵な奥さんがいて、ラウルが羨ましいよ」
「ふふ、そうでしょう。ですがあげませんよ。エリザは俺の妻ですからね」
「もう、二人とも。言い過ぎよ」
シャルロッテだろうと、エリザだろうと。ベルトルドはどのみち恋をする。俺の妻という肩書が、ベルトルドの目に映る彼女達の魅力を引き立てるから。
「そういえば君は昔から、目利きはさほど得意ではありませんでしたね」
「ラウル? 急になんの話だい?」
「俺が選んだものばかりを後から選んでいた。同じ選択なら間違いがないと思ったんですか?」
「……本当に何の話だ?」
「俺がわざと無価値なものを選んでも、君はそのことに気づかなかった。アヴァーロ家の後継者の座まで狙うのなら、少しは自分の嗅覚を磨いたほうがよかったのに。君にだって富の大天使の血は流れているんですから」
ああ、分家筋は祝福の力が本家よりも弱いんでしたね──
微笑むと、ベルトルドはさっと顔を赤らめた。ワインで酔いが回ったわけではないだろう。
「もういい。帰る」
「そうですか」
晩餐はまだ途中だというのに、ベルトルドは荒々しく立ち上がる。
「帰りの道には気をつけて。海の向こうから富を運んでくるアヴァーロ家は、船が通るべき安全な航路を決められる。君に少しでも当主になる資格があるなら、きっと迷わず帰れるでしょう」
安全な帰路なんて、最初から用意していないが。
*
ベルトルドの葬儀を終えて屋敷に帰る。俺のものを奪おうとする邪魔者は全員消えた。これでもう大丈夫だ。エリザは誰にも奪われない。
「疲れた? 急なことだったもんね」
エリザは俺を安心させるように微笑んだ。俺が胸を撫で下ろした理由を、たぶん彼女は勘違いしている。若くして急逝した従弟のことなんてどうでもいいんだから。
「そうですね、エリザ」
エリザを抱き寄せてキスをする。
俺のものに手を出す人間は、誰だって許さない。




