六章 連なる決意 十一話
11、逸初の場合
逸初は、これまで『闇星』として、雅炭楼の妓女として、様々な貴族や武官と接触する機会はあった。
だが、これほど隠密な国軍である『闇星』が堂々と武官たちと共に戦に参戦するなど聞いたことが、ましてや経験したことなど、全くなかった。
だから、『闇星』を束ねる『黒花』である椿に、「どうしたらいいと思う?」と尋ねられたところで、答えようがなかった。
そもそも、逸初が『闇星』に選抜されたときには、当時の『黒花』であった石榴が堂々と『闇星』をまとめあげていたのだ。
無論、慌ただしく『黒花』を受け継いだばかりの椿に石榴と同じものを求めてなどいない。
けれど、椿の率いる『闇星』は、あまりにも逸初の知る『闇星』とかけ離れていて、戸惑いすら感じていた。
それは、かつての『闇星』を知らない『黒花』であるせいか、若さゆえであるか、椿だからなのか、それとも国の一大変革の時代であるせいか、もはや逸初にはわからなかった。
ただ言えるのは、『闇星』は久方ぶりに『主君』を見つけたのだ、という事実のみである。
逸初がそんなことを考えるようになったのは、風蘭たちと共に夏星州海燈に到着してからだった。海燈に到着すると、すぐさま迎えの双一族の者に出くわした。
「牛筍 水蝋さまより伺っております。ご案内致します」
双一族の当主、双 薊に関する情報は、夏星州にいる『闇星』の諜報員からある程度の報告を受けてはいる。だが、逸初も実際に薊と会ってみたくなり、用意されていた軍の駐屯地にではなく、風蘭たちと共に彼の屋敷に向かった。
案内された室には、すでに薊が待機していた。
「これはこれは、ようこそおいでくださいました。みなさんお揃いのようで」
「・・・・・・すでに時は刻一刻と近づいております。あの文に書かれていたことは真ですか?」
面倒な挨拶はすっとばして、いきなり直球で風蘭は薊に尋ねる。その無礼とも思える行為には、周りの人間がぎょっとした。
そして、当の薊は不機嫌を露にした表情で風蘭を睨み付けた。
「・・・風蘭」
「はい?」
「お前、なんっっっっで、こんな面白い展開をオレ様に一番に報告しなかった?!」
「・・・・・・薊じーさまにとって面白くても、俺にとっては面白くもなんともないんだけど・・・」
「何か言ったか?!」
「い、いいえ」
「まったく。報告が遅れるなんて、オレ様への冒涜だな!!」
ふん、と鼻息荒く憤った様子の双一族当主に、みなが呆気にとられた様子で立ち尽くす。
風蘭だけが何かを悟り諦めた様子で、視線をさ迷わせている。
様々な貴族や武官を見てきた逸初でさえ、薊の発言には目を瞬いた。
さすが、桔梗と縷紅の実父。着眼点が違うというか・・・・・・ずれてる。
「まさか薊さまがそこまで乗り気になるとは、我が君も思わなかったのですよ」
くすくすと笑い声と共に、落ち着いた声が室内に舞い込む。
穏やかな落ち着いた声だというのに、室内にいる全員に緊張感を強いるような、声色。
「・・・連翹」
風蘭が小さく呟く。
現れたのは、水陽の大獄で囚われているはずの人物、風蘭の護衛である連翹だった。
「ご無事でなによりです、風蘭さま」
「・・・大獄にいるんじゃなかったのか?」
「ええ。もう十分ゆっくりさせていただきましたので、風蘭さまのお力になりたいと思い、参上いたしました」
そして連翹は逸初を視界に捕らえると、深々と頭を下げた。
「ここまで風蘭さまをお守りいただき、ありがとうございました」
逸初は賢明にも何も言わなかったが、椿は胸をはって彼に言った。
「ほんとに、風蘭には振り回されっぱなしよ。人使いが荒いの何のって」
「・・・ずっと気にはなっていたが・・・君たちはなぜここにいる?」
椿と逸初を交互に眺めながらそう尋ねてきたのは、薊だった。
椿と逸初以外の『闇星』は、皐月の先導のもと、冬星軍たちと共に駐屯している。だからこそ、強面の男たちの中でたったふたりだけ女が混じり込んでいることに、薊は疑問に思ったに違いなかった。
とはいえ、『闇星』は隠密部隊。その存在を幻とすら言わしめる国軍。
そう易々と名乗るわけにも・・・・・・
「あら、あたしたちも軍人よ?」
・・・・・・どうやら、新しい『黒花』は隠すつもりはないらしい。薊の威圧に負けじと胸を張り、堂々とそう宣告した椿に、逸初は頭を抱えたくなった。
しかも、『闇星』が隠密部隊であることを知っている風蘭も椿の言葉に力強く頷いている。
果たして彼女たちの正体を口にしていいのか迷っている黒灰たちは、当惑した様子で経緯を見守っている。
そして、逸初の心境を察したか、連翹は逸初と目を合わせると微苦笑を浮かべた。
「・・・軍人?民たちが集まって軍となった者たちか?」
薊が疑惑の視線を椿と逸初に向ける。もう、逸初も腹を決めた。
今は国の行く末を決める一大事。隠しても仕方ない。
どの道、あの若いふたりは始めから隠すつもりはないようだから。
・・・・・・無論、あとからしっかりと「隠密」の言葉の意味を理解してもらうつもりではあるが。
「違うわ。あたしたちは国軍『闇星』の者よ」
静かに告げる椿に追うようにして、逸初も口を開いた。
「お初にお目にかかります、双一族当主、薊さま。我々は彼女の申し上げます通り、『闇星』として風蘭さまをお支えすることを決断いたしました」
「『闇星』・・・・・・って、あの、伝説の・・・?」
「彼女たちの言葉に偽りがないことは、わしが保証しましょう。彼女たちはここしばらくは、冬星州を拠点に動いていたのです」
冬星州の貴族である瓶雪 黒灰がそう言えば、半信半疑といった様子で、薊は逸初たちと黒灰を交互に見返した。
「・・・それで?君が『闇星』の統率者、『黒花』だと?」
ゆっくりと逸初に尋ねてきた薊に、彼女は無表情のまま首を横に振った。
「いいえ、私はただの軍人のひとりに過ぎません」
「『黒花』はあたしよ」
風蘭の隣で腕を組んでいた椿が逸初と同じように静かに告げた。
「あたしが、『闇星』の『黒花』よ。・・・もっとも、まだまだ新米だけど」
「『黒花』・・・・・・?君が・・・?!」
「偽りがないことを俺も保証しますよ、薊じーさま」
当惑している薊に、風蘭も重ねてそう言えば、信じがたくとも信じざるをえないと思ったか、ただ首を一度だけ縦に振った。
「・・・それで?その『闇星』はどうするつもりなのかね?『闇星』は仕えるべき主君にのみ膝をつく、気高き伝説の国軍と聞き及んでいる。こうして風蘭と共にここにいるということは、共闘するということかね?」
淡々と状況確認を行う切り替えの早さは、やはり薊だからだろう。
椿のような小娘が『黒花』だと名乗ったところで、俄に信じられる者など少ないに違いない。けれど、彼は信じるかどうかは定かではないにせよ、悪戯にその場を混乱させることなく、椿に状況の確認だけを行う。
『輝星』へ予想外の奇抜な指令を出した縷紅に脱帽した逸初だったが、この実父のもとであの発想が培われてきたのだと思うと、妙に納得してしまう。
そして、その薊に問われた椿はというと、全く困った様子もなく、ただ苦笑混じりに
「逸初さん、どうすればいいと思う?」
とだけ訊いてきた。
おそらく、逸初たちが何と言おうとも、すでに『黒花』の中で結論は出ているのだろうが。
だから、逸初は『闇星』を代表して短く答えた。
「・・・・・・『黒花』の信じるがままに」
椿がそう決断するように、石榴もそうしたに違いないから。
だからこそ、彼女は最期まで彼を守ったのだから。
椿が・・・・・・新たな『黒花』がそれを望むなら、支えるだけ。彼と彼女を。
逸初の答えを聞いて、半ば安堵したように息を吐いた椿を見ていた薊が、何やら労るような視線を逸初に送ってきた。
椿も風蘭も同い年。こうと決めたら突き進む性格もよく似ている。
何かしら、逸初の懸念を察したのかも知れなかった。
「・・・『闇星』も参戦します」
静かに椿の言葉が室内に響く。薊はしばらく瞑目してから、そっと目を開き、風蘭を見据えた。
「で、どーするつもりだ、風蘭。事態は、おまえが考えてるほど甘いもんじゃなくなってるぞ?」
「・・・それでも、薊じーさまは俺に力を貸してくださるのでしょう?」
不敵に笑ってみせる風蘭を眺めながら、逸初はなぜか連翹に視線を送った。
風蘭は、冬星州に来たばかりの頃より、ずっと逞しくなった。
先のことを考えずに突っ走る無謀さと、自分の信念を曲げることなく誰にでも歯向かう強さはあったかもしれない。
けれど、それらは朝廷や後宮という閉鎖的な空間で、公子という立場に守られていたからできたことだった。狭まれた空間で、知ったかな知識だけで、彼は理想を掲げていただけだった。
だが、冬星州での現実が彼の理念を一度は叩き崩し、彼は究極の選択を迫られた。
従うか、抗うか。
どちらを選んでも、もはや中途半端は許されぬほど、切羽詰まった事態の中で。
抗うことを選んでも、しばらくは彼はまだ悩んでいたようだった。
兄公子が憎いわけではないのに、対立しなければならないことを。
しかし、ひとつの目的を達するために、なにひとつ犠牲なく、痛みなく進むことはできない。それが大きければ大きいだけ。
次第に、風蘭もそれを認識しはじめ、覚悟を決めたようだった。そんな彼の心の動きを傍で見守っていた逸初は、この短期間で逞しく強かに成長した風蘭を連翹がどう思っているのか、少し気になった。
片時も風蘭の傍を離れたことがなかった連翹が、初めて長く彼から離れたときに起こった変化。
まるで何もかもを見透かしているかのように、常に涼しい表情を浮かべている連翹が、逸初の視線に気付いてすっと彼女に近付いてきた。
「椿さん、『黒花』らしくなってきましたね。一皮剥けた、というか・・・」
「少なからず、風蘭公子の影響を受けてはいるのではないかと」
「・・・なるほど。ですが、風蘭さまもまた、椿さんのお陰でここまで来れたのだと思いますよ」
まるで全てを見てきたかのように連翹は逸初に言う。そんな彼に、彼女は躊躇いもなく問い掛けていた。
「あなたは、どうお考えなのですか?」
それは、どうとでもとれる問い。
風蘭のことを問うのか、現在の戦況を問うのか、果ては未来を問うのか。
逸初にしては珍しく、するりと流れ出てしまった言葉に、彼女自身が驚いていた。
「どう考えているか・・・ですか・・・・・・」
何をなのか、と彼は問い返してこなかった。ただ何かを含んだ笑みを浮かべ、静かに答えた。
「わたしは風蘭さまを信じています。ですから、風蘭さまが信じる道にお供させていただくだけです」
「ずいぶんと見上げた忠誠心ね」
「いえ、わたしの我が儘ですよ」
小さく笑い、そして、彼は彼の主に視線を送る。その言葉に、逸初は少なからず驚いてはいたのだが、あえて何も言わなかった。
ただ風蘭のためだけに、無条件な忠誠のもとに、彼は動いているのだと思っていた。
しかし、そうではないと言うのだろうか・・・・・・。
では、彼の「我が儘」とは・・・・・・?
連翹の視線の先にいる風蘭は、祖父であり、双一族の当主である薊に不敵に笑いかけているところだ。
「ふん。おもしろそうだから、夏星軍を貸してやるだけだよ。このまま芍薬陛下の御世が続いたところで、芙蓉陛下のときと何ら変わりはないしな」
「ありがとうございます」
「・・・わかっているだろうが、根を摘まなければ繰り返しだぞ?」
ぴしゃりと言い切った薊の言葉に、その場の誰もが息を飲む。彼は容赦なく風蘭からの答えを求めた。
「どうするつもりだ?お優しいのも結構だが、まさか捕えるだけに止めるか?」
この悪政の世の、『根』。
それは一見、王を操る執政官、蠍隼 蘇芳を指すようだが、それだけではなかった。
誰もが、民たちでさえ、それは感じていること。
執政官の暴走を止めることができない王にもまた、咎があるのだということ。
「・・・わかって・・・・・・います」
「具体的には?」
道を塞ぐ。
優しすぎる謀反人の道を。
退路を。
もっと苦悩して口にするかと思ったが、意外にも風蘭はあっさりとそれを口にした。
「執政官蘇芳と、現王芍薬を・・・討ちます」
「捕えるのではなく、討つ・・・のだな」
「ええ。命を奪います」
はっきりと、言い切る。
一体、どの時点でそれを決意したのだろうか。
冬星州を発つ頃はまだ、それを迷っていた。
心が逞しく強かになってきたと感じたその最大の変化は、これだったのだろうか。
逸初は、何かが変わった風蘭に戸惑いすら覚える。
だが、連翹はそれをあっさりと受け入れ、風蘭と対峙している薊もまた平然としていた。
昔からの風蘭を知る者たちが、「命を奪う」と言い切った彼の決意をどう捉えたのか。
無表情を保ちながら、それでも呆然としてしまった逸初に構うことなく、薊はさらに風蘭に問い詰める。
「じゃぁ、作戦はどうする?具体的な作戦はオレたち軍人に任せてくれればいいが、総大将になる風蘭の意向を聞いておかないとな」
「・・・作戦は、決めてあるんです」
いっそ怖いほど静かに、風蘭は答える。表情を一切消して。
「こちら側の軍で五星軍を誘き寄せ、その隙に、夜間に朝廷に入り込みます」
夜襲。
はっきりとそう言った風蘭の簡潔な作戦を聞き、軍人でもある逸初はすぐさま思考を切り替えた。
戸惑っている場合でも迷っている場合でもない。
決戦の日はすぐそこまで来ている。
『闇星』も国軍としての栄誉にかけて参戦すべく、逸初は始まった参謀会議に意識を集中させた。
もうすぐ、紫月がずっと書きたかった話になります。
六章は少し長いですが、お付き合いいただければと思います。
感想等もお待ちしています~♪