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一章 始まりの宴 三話






3、氷硝






闇が集う冬星州の州都から少し離れた場所にある遊郭、氷硝。


その中で、一番の妓楼と名高いのが雅炭楼である。


春も終わる暑い盛りだというのに、冬星州は人々の表情が重く暗いので、季節がどうめぐろうとも万年冬のようである。


その中で、遊郭のある氷硝は別格だった。最高の妓女を求めて、男たちが意気揚々とやってくる。他の州に唯一引けをとらない、というよりは星華国一と言えるのではないかと思える遊郭は、冬星州のなかで、唯一春のような明るさを持っていた。






雅炭楼の中を取り締まる芸妓、石榴は、妖艶に着崩した着物の袖から出ている優美な指を、真っ赤な紅を乗せた唇に乗せて、じっと何かを見つめていた。


「うぅん、それも、違うねぇ。もっと手のひらを返した方がいいかもしれないね」


柳眉を寄せて、石榴は首を振る。


「今日はここまでにしよう。そろそろ準備をしないとね」


「はい、石榴姐さん。ありがとうございました」


石榴の視線の先には、まだ若い芸妓がいた。だが、その若さとは対照的に、その瞳に宿る意志の強さは、その歳で重ねた苦労を思い起こさせる。


「もう少し、芸事ができるようになると、いいんですけどね」


着替えの準備を始めた石榴を手伝いながら、若い芸妓はため息をつく。


「まぁ、あせらないことだよ。この雅炭楼一の芸妓、石榴の跡を継げるのはあんただけだって、誰もが思っているからね、椿」


石榴にそう言われ、そばで石榴の着替え終わった着物を畳んでいた椿の頬が染まる。


「石榴姐さんにそう言ってもらえるとすごくうれしいです。あたしを拾ってくれただけでも感謝しているのに・・・・・・」


「あんたは幼い身で辛い思いをしてきたからね。ここへ来て、がむしゃらに努力してつかんできたその力は、誰もが認めているよ」


尊敬する芸妓の言葉で、椿の思いは遠い心の奥へとしまいこまれた過去へと飛ぶ。






5歳の頃に瀕死の状態だった椿を、石榴は雪道で見つけ、拾ってきた。


ここ、雅炭楼で石榴の禿として仕えることになり、椿はめきめきと頭角を現し始めた。


椿からすると、石榴に見捨てられ、雅炭楼から追い出されてしまったら、これ以上行く先も当てもないことは幼心にも充分にわかっていたので、必死にしがみついていたのだ。


それ以上に、椿にとって、ここは睦の家よりもずっと居心地がよかった。


作法や言葉遣いにはとてもうるさかったが、手足が動かなくなるほど殴られることもなく、食事が抜かれることもなく、なにより人の心が温かかった。


お得意様も、一見様も、にこりと笑顔を見せれば、笑顔を返してくれた。


椿は、ここで笑い方を知った。




教え込まれた作法も学問、芸術、武術も、椿は嫌いではなかった。生きるために必要なのだと知れば、なんでもやった。


そう、なんでも。






初めて、妓女としてお客様をもてなしたのは、13歳のときだった。


初めてのことに戸惑うかと思ったが、自分でも驚くほど肝が据わっていた。見送るときに笑顔が出るほどの余裕だった。


時に石榴と共に座敷にあがり、時に椿を指名されて座敷に行くこともあった。


作法も完璧、知識も豊富な上、持っている覚悟や度胸は同じ年の妓女たちよりも軒並み高いため、椿は一躍人気の妓女となった。


椿が、妓楼一の芸妓、石榴の妹分だということも、人気の拍車をかけていた。




学問、武術、芸術もある程度こなしたが、どうしても舞だけは苦手だった。芸妓としてそれは、致命的な欠点だった。


だから、こうして時々開店前に、石榴に直々指導を受けていた。






「椿。今日は上等なお客人が来るよ」


化粧を始めた椿に、石榴が意地悪いような笑顔を向ける。


「上等な客人ですか・・・・・・?瓶雪親分とかですか?」


ここ、遊郭氷硝を取り締まる11貴族、瓶雪家当主、黒灰は、その実力と裏の顔のせいで『親分』として遊郭の間で通っている。




椿は、貴族が、特に官位をもつ貴族が好きではなかった。


自分たちの村を見捨てたやつら。もしも、官位をもつ貴族たちがもっと動いてくれたら、村は、家族は、あんなに飢えることもなかったのに。


だが、瓶雪 黒灰だけは例外だった。


飾りは無いが、裏ばっかりある黒灰の言葉は、なぜか椿は嫌いになれなかった。打てば響く椿の対応に、黒灰も気に入って、裏世界の色々を椿に教え込んだりもした。




使えるものは利用するが、使えないものは切り捨てる。




そんな瓶雪 黒灰親分の言い分を、椿はいつしか素直に受け止めていた。


使えるものならば、生き残り、利用される。


使えなければ、用済みとなり、切り捨てられる。


だから、捨てられた。


村も、家族も。


だが、椿はここにいる。


まだ、利用価値があると思われて。




そんな割りきりができるようになった椿は、また一皮剥けていた。誘うような妖艶な笑みに、男たちは吸い寄ってきた。


椿に、利用されるために。






「違うよ、今日は親分じゃない」


石榴の言葉に、はっと椿は我に返った。


「親分じゃないけど、上等な客人ってことは・・・・・・11貴族の誰かですか?」


「その通り。椿、あんたも一緒に座敷にあがりなさいな」


それだけ言い残して、石榴は彼女自身の座敷へと姿を消した。


それを見送ったあと、椿は自分の化粧の仕上げにはいった。






遊郭の夜は昼より明るい。


活気のある通りは、魅惑的な誘いの声であふれている。


やれこちらの妓楼へ、あちらの妓楼へ。


だが、馴染みの客人たちは惑わされることなく、常連の妓楼へと足を運ばせる。




その夜は、雅炭楼には珍しい客人が訪れていた。


一番上等な座敷で、一番上等な酒が振舞われる。


芸妓たちの舞や歌。めくるめく魅惑の時。


その中心に佇む男は、むっとした顔でそれらを眺めていた。彼は、『あるもの』を探していた。ここにならあると、信じていたのだ。


「申し訳ありません、遅れてしまいました」


謝罪と共に、その座敷に現れたのは、この妓楼一の妓女、石榴。




彼女が座敷に現れただけで、一瞬その時が止まる。


真っ赤なザクロの花柄の着物を優美に着こなし、そこに妖艶さを加える。結い上げた髪からのぞくうなじが、その曲線美を主張するように魅惑する。


すっと滑らかに男の横に座ると、射抜くような妖しい瞳で、男を見つめ、そして、着物と同じ赤い唇で、そっと告げる。


「本当に、申し訳ありません、州主さま」


男の傍に控えていた者たちのほうが、うっとりと石榴を見たまま動かない。


周りの芸妓たちも、石榴の『誘惑』の邪魔をしないよう、そっと音を掻き消す。


「なに、さほど待ってはいない」


石榴を見もせず、ぶっきらぼうに、男は言った。石榴は特にその態度に気を悪くすることもなく、一杯酌をすると、しなやかに妓女としての礼をとった。


「ようこそおいでくださいました、冬星州州主、霜射さま」


初めて、男は石榴に目を向けた。


一瞬だが、鉄壁だった男の表情が動いたのを石榴は見逃さなかった。


「今宵はもうひとり、お相手させていただきます」


石榴のそこの言葉と共に、ザクロと同じ赤い花、ツバキをあしらった着物を着た椿が現れた。




椿は、妓女としての礼を行った後、そっと州主を眺める。


この男が、この州の州主、霜射家当主、霜射 柘植。


椿の村を、そしてなによりこの州そのものを奈落に落としめんとする、暴君。


難しい顔で、じっと座敷中の妓女たちを睨み付けている。何かを探すように、視線はうろうろとさまよう。


遊郭随一の妓女石榴の言葉も上の空の様子で、表情を変えることなく視線だけが動いていく。と、そこでその視線が椿に止まる。


思わず目が合ってしまった椿は、あわてて、けれど決して動揺した仕草を見せずに取り繕う。


「お初にお目にかかります」


「おまえ、名を何という」


値踏みをするような柘植の視線に、思わず椿は挑むような視線を返してしまう。


「椿と申します」


使えない者、と判断されれば切り捨てられる。


そうはさせない。


今度こそ。




「・・・・・・歳はいくつだ」


「16になりましてございます」


決して瞳ははずさずに、しっかりと答える。


「16か・・・少し足りないか・・・。だが、大丈夫だろう・・・」


ぶつぶつとつぶやきながら、柘植は椿を上から下までじっくりと見る。表情が、先ほどよりも和らいでいるのを、椿は、そして石榴も感じていた。


「石榴、頼みがある」


値踏みが終わった柘植は、やっと石榴と向き合って言葉をかけた。


「なんでございましょう」


「この女、椿だったか。こいつをしばらく借りたい」


「椿を・・・ですか?」


基本的に、妓女の『お持ち帰り』は認められていない。


会いたければ妓楼まで足を運ぶ。それが、遊郭氷硝としての秩序だ。


相手が貴族だろうが、州主だろうが、たとえ王だろうが、例外はない。


「霜射さま、申し訳ありませんが、この雅灰楼を出ての逢引は行っていないのですよ」


ぴしゃりと恐れることなく石榴は言い放つ。そこには頑として譲る気のない意志と、揺ぎ無い自信があった。


その言葉を聞き、彼は怒るのではなく、鼻で少し笑った。


「妓楼の理はわかっているつもりだ。だが、緊急事態だ。州全体にかかる問題なのだ」


「州に及ぶ問題は州主さまが解決なされませ。ここは妓楼。妓女は妓楼の秩序を守るのみでございます」


笑みすら浮かべて、石榴はばっさりと柘植の依頼を切って落とす。


はらはらと見ているのは周りの妓女の方だ。だが、椿は見慣れているのでもはや驚きもしない。


「・・・・・・石榴。おまえがもう少し若ければ、迷わずおまえを選んでいたんだがな」


心底残念そうに柘植はそう言うと、軽く石榴に耳打ちする。みるみる石榴の大きな目がさらに大きく開かれていく。


「椿に、そのようなことを?」


驚きの表情を浮かべ、石榴が柘植を見つめる。柘植は黙ってうなずくだけだ。


当の椿は、一体何事かと成り行きを眺めるだけ。


「そうですか・・・。椿に・・・・・・」


細く長い指を顎に添えて、石榴は考え込む。その表情は、なにかをおもしろがるかのように、意地悪な表情すら浮かんでいる。


「妓女としてのお勤めを強いない、というお約束の上でしたら、そのご依頼、承りましょう」


しばらく考えた後、とうとう石榴はそう言った。


「石榴姐さん?!」


まさかそんな答えが飛び出るとは思わなかった椿が、動揺を隠せずに石榴に詰め寄る。


「椿、これからしばらく霜射邸に行ってもらうよ。出発は10日後。それまでに舞踊を完璧に習得してもらうからね」


「どうして、石榴姐さん、妓女は妓楼の外へは・・・・・・」


「お黙り、椿」


混乱してわめく椿に、ぴしゃんと氷のような冷たい言葉が石榴から飛んでくる。


「命令だよ。霜射邸に行くんだ」


ここ、雅炭楼を束ねる石榴の命令は絶対だ。逆らうことなどできない。


「・・・・・・わかりました」


椿は小さく返事をした後、退出の礼をとり、その場を後にした。そして、それまで黙っていた柘植がぽそりとつぶやいた。


「舞踊などできなくとも構わんがな」


「いいえ。これは雅炭楼としての矜持でもあります。完璧なる才女として、霜射さまのもとへとお届けいたしましょう」








捨てられた。


とうとう、石榴に見捨てられてしまった。




そう思った椿は、その場にいることも耐えられなくなってしまった。石榴の目をこれ以上見ていられない。


憧れ、頼りにしていた石榴姐さんに突き放された椿は、自分が泣くかと思った。




だが、あまりの衝撃に涙も出ない。


ただ、足ががくがくと震える。何も考えられない。


息をどうやってするのか、やり方がわからない。








これから、どうすればいいのだろう。










村を捨て、家族を捨て、ここまでやっと生きてきたのに。


なのに、自分を拾ってくれた石榴が椿を捨ててしまう。




「石榴姐さん・・・・・・あたしはどうしたら・・・」






捨てられた。


利用できないから。


切り捨てられた。




再び、また。






しばらくして、回廊に座り込んでいた椿は、すっと立ち上がり、黙ってその場を立ち去った。なにごともなかったかのように、妓女として優雅に。


石榴の跡を継ぐと言われていた芸妓らしく。








だが、椿にとってその最初の一歩は、重く、辛い一歩だった。







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