一章 始まりの宴 四話
4、璃暖
11貴族のうちのひとつ、羊桜家三男、木蓮の元に、2通の文が届いた。
どちらも朝廷に出仕している兄たちからだった。
2人の兄はどちらも、財政を司る民部にいた。11貴族しか出仕していないとはいえ、朝廷は大きく、11貴族の面々も力関係があまりにも露骨で色々社会勉強になっているらしい。
いくら11貴族末端とはいえ、羊桜家の本家の跡継ぎ、ということで、兄たちもそこまで粗略な扱いを受けているわけではないらしいのだが、分家の跡継ぎでもない者たちとなると、やはり扱いはひどいものらしい。
11貴族のみで成り立つ朝廷。
多くの人々で成り立っている星華国なのにもかかわらず、それを運営する要の場が、限られた者しか介入できない場であるなんて。
なにか試験があるわけでもなく、ただただ、生まれた家柄だけでそれを決められてしまうなんて。
木蓮はいつも兄たちの文を読みながらそう思っていた。
彼は、兄たちの文を再び文箱のなかにおさめると、先ほどまで開いていた本の続きを読むことにした。
「木蓮、少しいいかい」
扉を軽く叩く音とともに、父が遠慮がちに室に入ってきた。
「父上、どうされました?」
木蓮は本を閉じて立ち上がり、父の歩行を助けようと歩み寄った。
木蓮の父は、3年前に患った病の後遺症で、足に不自由が生じていた。そのときは一命をとりとめたが、完治できるような病ではなく、いつまた再発してもおかしくはない、と言われていた。
父を診察したのが、朝廷にいる医学の名門家、長秤家のひとりだったので、その言葉は間違えないだろうと、木蓮たちも思っていた。
だから、木蓮は迷っていた。
木蓮は、今年で16歳になる。
朝廷に出仕できる年齢だ。
だが、出仕したい、と彼は父に言い出せずにいた。
長兄次兄が水陽に行ってしまい、自分までこの家を出てしまえば、病を抱える父と、それを支える母しか残らなくなってしまう。
3男である木蓮は、なにも今すぐに出仕する必要はない。
いずれ兄たちが当主を継ぎ、木蓮がこの家を出た後で、実力で朝廷に行くこともできる。家柄として朝廷にはいることはできるが、名のある地位を『買い取る』ことができないだけだ。名も無い職から始めなければならないだろう。
最近では、木蓮はそれでもいいのかもしれない、とあきらめていた。
だが一方で、早く朝廷に行きたいという思いもある。
幼い頃交わした約束、それを果たすためにも。
兄たちの文が届くたびに、その思いは募る。
けれど、両親だけをここに残すのも忍びない。
彼は、ずっとその狭間で揺れ動いていた。
「また、勉強していたのかい?」
父は、息子に助けられながら椅子に座り、微笑みながら本を指差した。
「えぇ、勉学はやってもやっても限界がありませんから」
うなずく木蓮の横顔を、誇らしそうに父は見る。3人の息子たちのなかでも、一番かまってあげることができなかったのに、一番知識の習得に貪欲な息子。
背負うもののない彼には、自由に羽ばたいてほしいという思いが、父にはあった。
「木蓮、君はまだ、幼い頃の気持ちはあるのかな?」
父の言葉に、机を片していた木蓮の手が止まる。
「父上、それは・・・・・・」
「わたしのことは気にしてはいけないよ。君の意思を聞きたいんだ」
父の柔らかな優しい言葉に、木蓮の心も迷いを吐露する。
「朝廷に行きたいという思いは・・・・・・あります。けれど、ここに父上と母上だけを残すのはいやなんです。もしなにかあったらと思うと・・・」
「大丈夫だよ、木蓮。ここには家人だっているんだ。ふたりきりになるわけじゃない。それに、あと3年したらまた賑やかになるしね」
3年後に長兄次兄たちは朝廷から辞してくる予定だった。
だが、それも仕事の状態や、彼らの職位によっては確実に戻ってくるという保障はどこにもない。
「それにね、木蓮」
こどもがいたずらをばらすかのように、父は得意げに一枚の紙を木蓮に差し出した。彼は、それを受け取り開き、目を見開いた。
「父上、これは・・・・・・」
「兄さんたちと同じところではなくてごめんね」
木蓮が父から受け取った一枚の紙。
それは、朝廷からの任命書だった。
朝廷の職務へ出仕せよという任命書。
勝手に朝廷から送られてくるわけではない。父が、それを用意してくれたのだ。
「父上、ありがとうございます・・・・・・」
紙を祈るように握り締める息子に、今度は申し訳なさそうに父が見上げて言う。
「兄さんたちよりずっと劣る職務しか用意できなくてごめんよ、木蓮。それでも、君はこの職務で出仕してくれるかな?」
「もちろんです、父上。僕には充分すぎる職務です・・・・・・!!!」
名も無い官位ではない。
きちんと、名のある官位。
たしかに、低い官位ではあるが、0からの出発を覚悟していた木蓮には、思いもかけない父の配慮だった。
一枚の任命書に書かれた職位。
それは、公務を司る中部のなかにある、後宮の管理を行う『采女所』という職務だった。
木蓮は走った。
幼い頃の日々のように、その坂道を。
幼い頃とは違い、息を切らせることなく、手に握り締めた紙を何度も確認しながら、うれしそうに走り抜ける。
目的の屋敷にたどり着くと、門番には軽い会釈をし、屋敷の中にはいっていく。門番も木蓮が相手だと、主人への取次ぎもしなくなってしまった。
もはや通いなれた道を進み、目的の室へ入り込む。
「梅おじさん、すごい知らせだよ」
室を圧迫させそうなほど並んだ本棚をくぐりぬけて、窓際の机に座る梅を木蓮は発見した。
「梅おじさん、すごいんだよ」
「だから、なにがすごいんだよ」
うたたねでもしていたのか、梅はひどく機嫌が悪そうだった。白髪だらけの頭をくしゃくしゃっとかきまぜたあと、大きなあくびをひとつして、木蓮をにらみつけた。
「木蓮、宿題が終わるまではここに来るなといっておいたはずだが?」
「もうそんなのはできてるよ、梅おじさん。はい、これが宿題」
木蓮は、片手で持っていた、紐で縛りつけた書簡の束を梅の机に乗せた。そしてもう片方の手に握られた一枚の紙を梅に差し出す。
「これを見て、梅おじさん」
「まったくなんなんだ、騒々しい・・・」
ため息混じりに紙を開いて見た梅の目が、一瞬で見開かれた。
「すごいでしょ?」
得意そうに言う木蓮を見ると、梅の表情がすぐに元の不機嫌な表情に戻った。
「なんだ、もう羊桜家の当主は死んだのか?」
「そんなわけないでしょ。父上はお元気だよ」
「当主を残して出仕はできないって言ってたじゃないか。この老い先短い老いぼれとの約束を破るようなことをいつも言ってたくせに、どういうことだ、これは」
半分うれしそうに、けれど半分は怒っているように、梅は紙を投げ捨てた。その大切な任命書をあわてて木蓮が拾い上げる。
「父上が僕の知らないところで、官位を買ってくれていたんだ。・・・・・・それに、梅おじさんは充分元気な老いぼれだよ」
齢66という高齢にしては、足腰だけでなく、気力も体力も若者に負けない梅に対し、木蓮は苦笑しながらそう言った。
「でも、これで梅おじさんとの約束を果たせるよ」
「馬鹿言え。これからだろうが」
目を輝かせる木蓮とは対照的に、梅は無造作に彼の宿題の書簡のひとつを開いて読んでみた。
この短期間で、よくできてる。
梅は、軽く読んだだけでそう思った。だが、それを表情にも態度にも表さない。だから、心配そうに木蓮が梅を見つめている。
「どうかな?まだだめ?」
「そうだな・・・・・・。まぁ、ぎりぎり及第点といったところか」
本当は梅の想像をはるかに超える出来栄えなのだが、それは言わない。
だがそれでも、梅の愛弟子は、うれしそうに微笑んでいた。
「よかった。出仕する前に宿題を終えることができて」
無邪気な木蓮の言葉に、梅ははっと顔をあげる。
木蓮が朝廷へ出仕するということは、こうして梅の屋敷へ訪れることもなくなる。
木蓮の兄2人のように、期間のある出仕でもないし、梅との約束もあるのだから、木蓮がこの璃暖に戻れる日は遠い先の日となるだろう。
もしかしたら、これが今生の別れとなるかもしれない。
梅のその思いを感じ取ったのか、木蓮の表情も先ほどの無邪気なものから、もの悲しげな表情へと変わっていく。
「梅おじさん、僕が梅おじさんとの約束を果たすのをちゃんと見届けてくれるよね?死んじゃったりなんか、しないよね?」
幼い頃からまとわりついてきた無邪気で素直な青年。
心が優しく、機転の利く物静かな少年が、梅と交わした約束。
それは、朝廷へ出仕する資格の垣根を低くすること。
11貴族のみで動かすこの仕組みを壊すこと。
健気にも、木蓮はその約束を果たすために、梅と猛勉強した。朝廷で馬鹿にされないためにも。いつか、議案として朝廷に提案するためにも。
だが、木蓮よりも社会をよく知る梅は、わかっていた。
この約束が、果たされることはないだろう、と。
11貴族本家の息子とはいえ、あまり権力のない羊桜家の、ましてや三男が、朝廷でそんなことを言ったところで、相手にはされないだろう。
朝廷にいるのが11貴族なのだから、その11貴族に対し、11貴族以外を朝廷に入れろと申し付けるのは簡単なことではない。
彼らは、自分たちが貴族の中でももっとも高位な11貴族の一員であることを誰よりも誇りに思っている。
11貴族だからこそ朝廷に出仕できることを、それの叶わぬ者たちに見せ付けることを誰よりも心地よく感じている。
だからこそ、建国からこの300年間あまりの間、その体制は崩されることはなかった。
この星華国を建国し、11貴族と共に国を発展させよう、と手を組み誓い合ったという、初代星華国国王 獅 牡丹に、梅は心の中で問いかけた。
牡丹王、あなたはこのような国を望んでおられたのだろうか。
いまや、あなたと共に国の発展を誓い合った11貴族たちは、国のためではなく、自分たちのため、一族のためだけに出仕している。
これで、本当にいいのだろうか。
これが、あなたの望んだ未来なのだろうか。
「梅おじさん?」
返事をしない梅を心配そうに木蓮がのぞいていた。
梅は鬱陶しそうに手で彼を払いのけ、次の書簡を広げながら乱暴に言い放った。
「勝手に俺を殺すな。俺はまだまだやることがいっぱいなんだ。朝廷でも議案ができあがったら俺に送れ。おまえの文章は遠まわしな表現が多いからな。俺が添削してやらないと、ちゃんとした議案書にならんだろ」
いつもの梅の態度に、木蓮がほっとしたように表情を和らげる。
「わかってるよ、梅おじさん。早く議案書を提案できるほど出世するからね」
立ち上がりかけた木蓮に、梅がぽつん、と問いかける。
「春星州を、いつ離れるんだ?」
短いその一言に込められた梅の寂しさに、木蓮は胸が締め付けられる。
「1ヵ月後に璃暖を出て、州主のいる沙雛に行かないといけないから、春星州を出るのは、夏を過ぎたあたりじゃないかな」
今はまだ、夏の初め。
暑い夏の日差しと共に、木蓮は春星州を去ることとなる。
「今まで、ありがとう、梅おじさん」
「何言ってんだ。これが最後みたいに。おまえはまだまだ半人前の俺の教え子だ。水陽に行っても、俺の授業は続くと思え」
無茶苦茶な、けれどそれが意地っ張りな梅の強がりだと知っている木蓮は、素直にうなずいた。
「うん、わかってるよ、梅おじさん」
それじゃぁ、と言って室を立ち去ろうとした木蓮の背中に投げかけられた、梅の小さな小さな声を彼はきちんと聞き取った。
「元気で、やるんだぞ」
彼は、振り向くことも、「わかったよ、梅おじさん」といつものように答えることもできなかった。
胸がいっぱいで、張り裂けそうで、こみ上げる涙をこらえるのが精一杯だった。
木蓮は、約束と夢に向かって歩き始める。
それが、羊桜 木蓮の数奇な運命への一歩となった。
梅おじさんがわりと紫月のお気に入りだったりします(笑)
梅と木蓮は名コンビだと思ってたりするのです(笑)




