五章 見定める宿命 六話
6、「嫉妬」
紫苑が星華国王である芍薬と婚姻して、すでに三月が過ぎようとする頃、突然薄墨が紫苑の室を訪れた。
妾妃となった薄墨と会うのは、紫苑が妃となってから初めてだった。
あいかわらず少しいらいらしたように彼女の室に入ると、開口一番に、「最近、芍薬さまがわたしの元に来てくださらないのよ」と紫苑を睨み付けた。
「妾妃になるまえは、あんなにわたしの元にいらしてくださったのに、妾妃となった途端、少なくなったわ」
同じ室に夕霧もいるというのに、一向に構うことなく薄墨はそう告げてくる。
紫苑はそれに苦笑して返すしかなかった。
「執務でお疲れなのかもしれませんよ?」
夕霧にお茶の用意を促しながら、紫苑は答える。薄墨はそれに対して冷ややかな視線を返してきた。
「あら、ずいぶんと余裕ね?あなたはそうではないと?」
「えっと・・・そうですね、薄墨さんとは違うかもしれません」
小さな声で答える紫苑に、再び薄墨が鋭い視線を投げ掛けてくる。夕霧は薄墨にお茶を渡しながらも、はらはらと様子をうかがっているようだった。
「私のもとには、芍薬陛下は一度もいらしたことがないのです」
「・・・え?」
予想外だったのか、紫苑の言葉に、薄墨の勢いが消失した。
「一度もないの?」
「はい」
再度尋ねられると、紫苑は苦笑するしかない。薄墨はというと、不安そうに手を頬にあてて考え込んでいる。
「正妃である紫苑姫まで気が回らないほど・・・政務にお疲れということ・・・?けれど、あのようにお加減がよろしくないようでは・・・」
「芍薬陛下のお加減がよろしくないのですか?!」
はっと紫苑は顔色を変えて薄墨に問い掛ける。そんな紫苑の気迫にたじろぐことなく、薄墨はただ頷いただけだ。
「いくら芍薬さまが会いに来てくださらないからとはいえ、正妃であるあなたが陛下の体調もご存じないなんてね」
「えぇ・・・本当に・・・」
薄墨の嫌味も、紫苑はうわの空で返す。
紫苑には、芍薬の体調不良の原因がわかっていた。
政務の多忙ゆえではない。
つい先日、幼なじみであり、今は後宮で女官として勤めている野薔薇から聞いた、衝撃の事実。
王族たちの筆頭侍医である、典薬所所長の長秤 南天が、なぜか芍薬に毒を盛っている事実が判明したのだ。
それが耐毒をつけるための毒ではないことは、すでに同じく幼なじみである長秤 楓が調べてくれている。
野薔薇が大后である桔梗にそれを報告したらしく、桔梗からも紫苑宛てに、食事には気を付けるように注意が促されていた。
黙り続けたままの紫苑をどう捉えたか、薄墨はため息をひとつついてから、哀しげに言った。
「芍薬さまは、別にわたしだから妾妃にしてくださったわけではないわ」
「・・・え?」
突然の告白に、紫苑は再び意識を薄墨に戻す。
「薄墨さんだからこそ、妾妃として女官から召し上げられたのではないのですか?」
「違うわ。芍薬さまは、わたしが双一族だから、お相手をしてくださったのよ。双一族なら、誰でもよかったのよ」
「薄墨さんが・・・双一族・・・」
「双大后さまとはとても遠い縁ですけどね。双一族はとても多い一族ですから」
「え、えぇ、そうですね」
どうしたものかと反応に困った紫苑は、とりあえず薄墨の言葉に素直に頷く。
後宮にいる女官の間で姓を名乗るのは禁忌。
それにより縁故などを利用して出世しようとしかねないからだ。
「妾妃とはいえ、元女官だったわたしが姓を名乗ったのが不思議そうね?」
薄墨がずばりと紫苑の思考を読み取って尋ねてくる。紫苑がそのまま返答に窮していると、薄墨はひとりで話し続けた。
「芍薬さまがわたしを選んでくださったのは、わたしが双一族だから。初めてお会いしたときに、本当に双家の者か確認さえされたから、間違えないでしょうね」
「どうして・・・双一族にこだわったのでしょう・・・?政治力という点では、桔梗さまが芙蓉陛下の正妃でいらしたのだから、あえてそんな・・・」
「政治的策略。たしかに、それもあったでしょうね」
「え・・・?」
なにも知らないでいる紫苑を責めるような視線を送ってから、薄墨は口を開いた。
「芍薬さまの母上様は、北山羊一族の姫でいらしたのよ」
「北山羊一族の・・・?」
北山羊一族が芙蓉より前の王、26代星華国王の所業により朝廷に、王族に恨みを抱いていることは周知の事実。
その一族の姫が、芙蓉の妾妃となっていたのか。
「別に、北山羊一族の者が女官として出仕していようと、妾妃として後宮にいようと、さして不思議ではないはずよ?」
淡々と薄墨は語る。
「今だって、王族に恨みを持たない北山羊一族の能力者は神祇所に、能力がなければ兵部の武官や後宮の女官として出仕しているでしょ?」
「そう・・・ですね」
たしかに薄墨の言うとおり、北山羊一族全員が朝廷に歯向かっているわけではない。
というよりは、北山羊一族当主を筆頭とする反朝廷派と、神祇所所長である北山羊 柊を筆頭とする朝廷派に二分されていると言っていい。
この二分された状態が27代国王である芙蓉の時代から続いているのであれば、北山羊一族の分家の姫が妾妃として後宮にいてもおかしくはない。
「ですが、北山羊一族の姫の公子である芍薬さまと、双一族の薄墨さんの間で、どんな政治力が・・・?」
北山羊一族の姫を、芙蓉が妾妃として召し上げたのはわかる。彼女はいわば、人質にされたのだ。
北山羊一族が朝廷に表立って反発してこないために。
「双家の力を強めるため、でしょうね。いえ、桔梗さまの力を維持するため、かしら」
「と、いうのは・・・?」
「双一族の女官を妾妃として選んでおくように芍薬陛下に命令されたのは、先王芙蓉陛下だからよ」
「芙蓉陛下が?!」
「芙蓉陛下と桔梗さまの仲は色々と言われていたけれど、桔梗さまの権力の維持のために芍薬様にそんな命令をされているなんて、果たして真実はどうなのでしょうね」
「でも・・・」
頭が混乱してきた紫苑は、それでもなんとか納得できる道を探そうと模索する。
けれど、薄墨から聞く先王夫妻の話は、まるで矛盾が多い。
「でも、そうまでして、芙蓉陛下の死後、桔梗さまの権力を保持されたいと思うなら、なぜ・・・」
「おふたりの公子、風蘭さまを王位継承者としなかったか、ね」
薄墨があとを引き継いで言う。紫苑は小さく頷くだけ。
風蘭、という名を言うのも聞くのも、なせが胸が痛んだ。
彼は今、どうしているだろうか。
彼を守る従者を奪われて。
「わたしもそれはわからないわ。なぜそんな回りくどいことをされたのか。そうまでして、なぜ芍薬さまに玉座をお渡しになりたかったのか」
芙蓉と桔梗は、いったいなにを考えていたのだろうか。
「芍薬様もそこまでおわかりになっていて、それでも芙蓉陛下のお言葉に従われたのですね」
「双家の女官を妾妃として召し上げる約束が、王位継承の条件だったかもしれないわね。けれど、芍薬様はそんな条件がなくても、双家の者を選ばれたでしょうね」
「なぜ・・・?」
「芍薬様は、桔梗さまをとても敬愛されていたからよ。実の息子である風蘭さまよりも深く深く」
薄墨が哀れむような表情でそう告げた事実は、紫苑をひどく驚かせた。
「あら、そんなに驚くこと?この後宮内で桔梗さまを敬愛する者は多いわよ」
「それは、たしかに・・・」
たしかに、実際に桔梗に会って感じた、存在感。優しさと厳しさを併せ持ち、賢妃と呼ばれるにふさわしい聡明な判断力持ち、さらに周囲の人望も厚い。
彼女を尊敬し、敬愛する気持ちはわかる。わかるが・・・。
「桔梗さまは後宮にいる王族のみなの母なる存在。芍薬さまは、その桔梗さまと同じ双家の者を手元に置き、桔梗さまの影と重ねていらしたのよ」
「薄墨さん・・・」
薄墨は他人事のようにいうが、それは他ならない、薄墨自身のことだ。
芍薬は薄墨といながらも、その向こうに常に桔梗の影を追っていたに違いない。
「そんな同情するような顔はいらないわ、紫苑姫。わたしはそれでも構わないと思っているの。それでも妾妃として芍薬様の妃となることができて、お父さまとお母さまの顔を立てることもできたのですし」
毅然としてそう言った薄墨を見つめていた紫苑は、はっとして顔をうつむけた。
「ご、ごめんなさい」
「わたしがあなたに謝っていただきたいのはそんなことではないわ。芍薬様の正妃でありながら、陛下の体調ひとつ案じることなく過ごされていることを反省していただきたいものね」
「芍薬さまのお加減は、それほどお悪いのですか?!」
芍薬の体調の話になると、紫苑は顔色を変えて薄墨にすがりついた。突然の紫苑の勢いに、薄墨も一瞬瞠目したが、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「いいえ、お疲れが溜まっていらっしゃるのか、少し顔色がよろしくないだけ。それ以上の不調をうかがったことは、まだないわ」
「そう・・・ですか」
ほっと安心したように息をつく紫苑の表情は、少しも安心したようには見えない。
そう、紫苑は知っている。
そして、薄墨の話を聞いて、野薔薇たちの話が本当であったことが確信できてしまった。芍薬は、じわじわと毒に犯されている。
本人すら毒であることに気付く事無く、まるで病にかかっていくかのように、じわじわと・・・。
「紫苑姫?」
いぶかしむ薄墨の声も今の紫苑には届いていない。
食い止める術はないものかと、紫苑は考える。
とはいえ、決定的な証拠もないまま、芍薬に筆頭侍医である長秤 南天が疑わしいと訴えることはできない。
けれど、訴えることができなければ、毒に気を付けろと忠告することもできない。
「・・・なにか、あるのですか、紫苑姫?」
様子のおかしい紫苑に気付いた薄墨が声をかけてくる。
その薄墨を見返しながら、紫苑は迷っていた。果たして彼女に言っていいのだろうか。
「紫苑姫?」
筆頭侍医である南天の行動と、芍薬の身に襲い掛かっている危険。
ひとりで食い止めることは難しい。けれど、易々と広めていい問題でもない。
桔梗ですら、警戒しているこの事態は・・・。
「・・・薄墨さん、たとえば玉座を奪おうと目論む者ってどんな人だと思いますか?」
「・・・え?」
突然の紫苑の問い掛けに、薄墨は眉を寄せたが、すぐにその答えを探すために考えだす。
「玉座を狙っている、ということでは、同じ王族の風蘭さまや、木犀さまもそうかもしれないわね。とはいえ、王族の姫たちも望めないこともないでしょうけれど、公子さまたちがいらっしゃる限りはありえないわね。・・・なぜ?」
「では、貴族で玉座を奪うことはできますか?」
あえて薄墨の問いには答えずに、紫苑は次の疑問を投げ掛ける。
「・・・貴族が?・・・玉座そのものを奪うことはできなくても、政務の一切を担うことはできる方法ならあるわね」
「それは・・・?」
「王を政務を行う場から排除することよ」
それはまるで、芙蓉王のように。
「執政官が・・・王の代わりになるということですね・・・?」
「貴族が王にとってかわろうとするならば、そうするしかないでしょうね。・・・ねぇ?いったいなぜ、そのようなことを?」
南天が、芍薬に毒を盛っている。
それも致死量ではない。じわじわと神経を麻痺させていく毒。
自由に動けなくなっていく『王』の代わりを担うのは誰か。
「・・・蠍隼執政官が・・・?」
蠍隼 蘇芳執政官が、南天に指示をしたのだとしたら?
蘇芳と南天の間に、なにかしらの癒着があるのだとしたら・・・?
「紫苑姫!!」
とうとう癇癪声をあげた薄墨の呼び掛けに、はっと紫苑は我に返った。
「なぜそのようなことをお尋ねになったのか、お聞かせいただけないのですか?」
「それは・・・」
「まるで、こうしている今、芍薬さまのお立場を奪う者がいるようなお尋ねでしたけど?」
薄墨の鋭い指摘に、紫苑は黙り込む。
無闇に口外していいものか、決めかねているのが本音だった。
「芍薬陛下の身になにか起こる危険があるのなら、わたしだって妃です。知る権利はあります。それとも、正妃のあなたではないといけないとでも?」
露骨なまでの嫉妬を露にして、薄墨はさらに紫苑に詰め寄る。
薄墨は、たしかに紫苑よりも芍薬を理解し、想っている。
紫苑自身もそれを感じていたし、薄墨が紫苑に向けるような嫉妬を自分が抱けるかと考えたら、無理な気がした。
そのような意味においては、この『秘密』を知るべきなのは紫苑よりも薄墨なのかもしれない。けれど、桔梗や楓、野薔薇の許可なく広めていいのだろうか。
「・・・まさか、芍薬様の食事にも毒が混ぜてあるの?」
静かに問われた言葉に、紫苑が瞠目する。
「・・・そう。だから、芍薬さまの体調が優れないのね」
「あ、あの・・・」
慌てる紫苑に冷たい視線をおくりながら、薄墨は淡々と説明した。
「芙蓉陛下の折、わたしが未だ火女だったころ、台所によく見かけない官吏を見たの。すぐに典薬所の官吏であることはわかったのだけど、その目的はわからなかったわ」
ふぅ、と小さく息を吐いてから、彼女は続ける。
「・・・でも、思い返せば、その官吏を見かけた日の食後の陛下は、必ず臥せっておられた。けれど、怪しいと思っても、私はどうすることもできなかったわ」
「その官吏の方のお名前は・・・?」
「さぁ、わからないわ。印象に残っているのは、腕の傷と緑の襷ね」
「・・・・・・っ」
薄墨が告げた事実に、思わず紫苑が息を呑む。その様子を見て、薄墨は恐ろしいほど冷静に、静かに尋ねてきた。
「芍薬陛下もまた、毒を盛られているのね?」
「芙蓉陛下の頃から・・・それは続いているのですね・・・」
それが、南天と蘇芳の仕業なのだろうか。
桔梗は、それを知っていて、野薔薇たちに詳しく調べさせた・・・?
「どなたが、そんなことをしているのか、紫苑姫はもうわかっているのですね?」
断言的な問い掛けに、ゆるゆると紫苑は口を開いた。
「典薬所所長・・・長秤 南天さま・・・です」
「筆頭侍医たる方が・・・?!」
「その裏に、先程薄墨さんがおっしゃったように執政官の影が見え隠れするのだとしたら・・・」
執政官と筆頭侍医の策略。
芍薬が何も言わない現状で、なにができる。
彼らを告発することすらできない。
その大きな影が、確実に後宮と朝廷を飲み込もうとしているというのに。
正妃である紫苑と妾妃である薄墨は、不安な色を滲ませた視線を互いに向けあっているしかできないでいた。
薄墨の花言葉でした~!!
彼女は結構動かしやすいタイプですね(笑)




