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五章 見定める宿命 三話







3、「叶えられた希望」










「なぁ?なんで、母上はおまえを選んだんだ?」


5年ほど前だっただろうか。まだ今よりも幼かった風蘭に、連翹は突然そう尋ねられた。








「双貴妃さまが、わたしを選ばれた、とは?」


「俺の護衛に」


短く答える風蘭は、連翹に背を向けたまま。


「・・・平民のわたしが護衛では、ご不満ですか?」


内心ひやひやしながら連翹はそう尋ねた。






平民でしかない自分が、風蘭のそばにいることを風蘭自身に拒まれたら、いくら桔梗の命令でも、これ以上そばにはいられない。








「おまえってさぁ…」


手習いのために筆を握っているはずの風蘭は、なぜか半紙には文字ではなく墨絵が描かれていく。


・・・平たく言えば、らくがきが増えていく。






「口うるさくてすましてて、うっとおしいくらいにずっと俺に張りついてくるけどさ」


不服を並べるように沈んでいく風蘭の口調に、連翹も無表情を保ちながら聞き入る。


なぜか、風蘭はさきほどからこちらを見ないから、彼がどんな表情を浮かべているのかはわからない。








「だからって、連翹が平民だからやだって言ってるんじゃないさ。ただ、おまえはどうなのかなって思っただけだよ」


「わたしが?」


「貴族まみれの後宮で、居心地悪いんじゃないかって・・・」


「そんなことありませんよ。桔梗さまも坊っちゃんも、よくしてくださいますし」


くすくすと笑いながら、連翹は風蘭に告げる。けれど、振り向いた風蘭は、不服そうに顔を歪ませていた。








「本当にそれでいいのか?!だって、縷紅伯父上に聞いたぞ?おまえが、『輝星』の武官たちを総崩しにしたって。そんなに強いんだったら、俺のそばにいるより、小隊や私軍にいるほうが、ずっと出世できるかもしれないんだぞ?!」


「坊っちゃんが何をお考えかは知りませんが、わたしは現状で十分なほど恵まれていますよ。こうして坊っちゃんや桔梗さまのおそばで仕えることができるのが、わたしのなによりの誇りです」


連翹が微笑みながらそう言っても、なぜか風蘭の表情は曇ったままだ。








「坊っちゃん?なにか、わたしのよくない噂でも聞きました?」


びくり、とまだ成長途中の幼い風蘭の肩が震える。そんな素直な彼の反応に、思わず連翹は笑いをこぼしてしまう。


「・・・笑ってる場合じゃないんじゃないか、連翹?」


不満そうにこちらを睨んでくる風蘭が一層愛おしく感じ、連翹は笑みを消すことができなかった。


「申し訳ありません。ですが、坊っちゃんが気にされることはありませんよ。平民の身分でありながら、貴妃であられる桔梗さまや、王位継承者であられる坊っちゃんのおそばにいれば、よく思わない貴族の方々が出てきて当然です」


「だけど、連翹は強いし、気が利くし、よく役に立ってくれているって母上は言っていたぞ?それなのにそんなことを言われなければならないのか?!」


「桔梗さまにそのようにおっしゃっていただけるだけで光栄ですよ」








けれど、連翹のその返答では不満だったらしく、風蘭は口を尖らせる。


「・・・平民だというだけで、公平に物事を見られないのは不公平だ」


「・・・それが、生まれの、身分の差、というものですから…」


先程と異なり、少し寂しそうに笑う連翹を風蘭はじっと見上げた。そして、おもむろに口を開くと、はっきりと言った。








「じゃぁ、俺が変える。平民の連翹でも、堂々と後宮内でも朝廷内でも歩けるように」










そのはっきりとした風蘭の決意に、連翹は一瞬驚きのあまり言葉を失う。


いつのまに、こんなに立派になったのだろう。






「それは、坊っちゃんが王におなりになる、ということですか?」


意地悪く尋ねれば、むっと顔をしかめて風蘭は首を振った。


「次期国王は芍薬兄上だ。母上も俺も、そう思ってる」






桔梗の思惑が連翹にはさっぱりわからなかったが、正妃である彼女は、その息子を次期国王と推すことはせず、むしろ第一公子芍薬を補佐するよう、息子の風蘭に刷り込み続けた。


聡明で偉大な賢妃でもある桔梗の言葉に、風蘭は従順に耳を傾けていた。


「王にならなくても、貴族たちの意識を変えていく方法はきっとある。もっと朝廷のこと、国政のことを知って、俺はこの国を変えたい」


純粋なほど真摯にそう言った風蘭を、連翹は甘いと思いながらも、守りたいと強く改めて思った。






















ふっと目を開けて、視線を宙にさまよわせる。


「あぁ…そうか・・・」


ここは大獄の中。暗く冷たい牢獄が、連翹に昔の夢を見せたらしい。


懐かしさに、ふっと連翹はひとり笑みを浮かべた。






すると、彼はこちらに向かってくる気配を感じた。


聞き慣れない足音。もうひとつの足音は、昔聞いたことがある。懐かしい、武官の足音だ。








「暇そうだな、連翹?」


目を閉じて足音だけを聞いていた連翹に、懐かしい声がかけられた。


「1年ぶり・・・くらいですか、双大将」


「そうだな、風蘭公子がここを離れてもう1年になるか」


縷紅はにやり、と笑って答える。






そして、彼が連れてきたもうひとりの人物を連翹の前に寄越した。


「この者を知っているな、連翹?」


「もちろんです。・・・お久しぶりです、木蓮殿」


縷紅の連れてきた人物、木蓮は、牢獄におとしく入っている連翹に悲痛な表情を浮かべていた。






「連翹さん・・・なぜ、こんなことに・・・」


「その前に、わたしからもひとつ尋ねてもいいですか?」


木蓮の言葉を遮って、連翹は首を傾げて彼に尋ねた。


「木蓮殿はなぜ、双大将といらしたのですか?木蓮殿の上司は・・・双 鉄線さまですよね?」


「いいや。わたしが木蓮の上司となったのだよ」


木蓮が口を開こうとするより早く、縷紅が答える。それに連翹はひどく驚いた。


「なぜ・・・?木蓮殿は中部だったのでは・・・?」


「こわ~い執政官の怒りを買って兵部行きになったわけさ。でも、それは執政官殿の読み違えになるかもな」


にやっと縷紅は笑って連翹に言う。








「風蘭公子がこちらに向かってるっていうから、海燈でそれを止めるために木蓮に行ってもらうつもりだ。なにか伝言でもあるなら木蓮に伝えておけばいい」


先程よりぐっと声を落とし、ささやくように縷紅はそう言ってから、隣に立ち尽くしたままの木蓮の肩を叩いた。


「ま、あとはふたりで好きなだけ話せばいい。また頃合いをみて様子を見にくるから、それまで元気でいろよ、連翹」


「牢に入れられて元気もなにもありませんが。ですが、お待ちしておりますよ、双大将」


苦笑混じりに連翹が答えれば、縷紅は満足そうに笑みを浮かべて、その場を立ち去っていった。










「・・・執政官の怒りを買ったのですか?」


縷紅がいなくなっても黙り込んだままの木蓮に、苦笑しながら連翹は尋ねた。


「そうですね・・・。風蘭の代わりに民部棟にいたら、見つかってしまいました」


やっと重い口を開いて木蓮が答えた。けれど、表情は暗く沈んだまま。


「民部の辺りを歩いていただけで、異動となったのですか?!」


「いえ・・・。連翹さんが大獄にいると聞いて、いてもたってもいられなくなって、大獄のあたりや刑部の付近にもいたら、そこでも執政官に出くわしてしまったんです」


「・・・なるほど。わたしのもとに木蓮殿が来れないように、後宮にいる王族の方々から離したわけですね」


「連翹さん、あなたはなぜ、こんなところにいるのですか?!本当に・・・罪を犯したのですか?!」


木蓮は思い詰めたような表情で、連翹のいる牢の檻にしがみつく。連翹はそれを少し微笑むだけで答えた。






「わたしは罪を犯した覚えはありませんよ。けれど、『彼ら』はそうは思わないようです」


「『彼ら』・・・?刑部の官吏ですか?」


「そうですね。尋問も誘導尋問に近いですし」


「・・・女月貴妃もとても心配されていました。これを風蘭が知ったら、悲しむだろう、と」


「女月貴妃・・・?あぁ、紫苑姫が芍薬さまの妃となられたのですね」


少し残念そうに連翹は言った後、ゆるゆると首を横に振った。








「わたしは、風蘭さまをお守りするために、あえて水陽に先に戻ってきたのです。・・・いずれ、こうなることはわかっていましたから」


「捕まることが、ですか?!」


木蓮が驚いて問い返せば、連翹は静かに笑うだけで、そこには触れなかった。


「風蘭さまも、わたしがここに拘束されていることを知り、慌ててこちらに向かっていらっしゃるのでしょう。・・・女月一族や蠍隼一族の当主とお会いできているといいのですが・・・」


「・・・蠍隼一族の当主は、秋星州にはおられませんよ」


心配そうにつぶやく連翹に、木蓮は遠慮がちにそう言った。








「実は、民部棟を彷徨っていたときに、蠍隼家の当主にお会いしたのです」


「蠍隼一族の当主が民部棟に?」


「・・・新しい民部長官に、蠍隼一族の方が就任したので。・・・執政官の特例で」


「・・・なるほど」


また蘇芳の独裁ぶりを知り、連翹は黙り込んでしまう。おのずと、木蓮も一緒に黙り込んでしまった。


やがて、再び口を開いたのは、やはり連翹からだった。






「蠍隼星官はどんな方でしたか?」


「僕よりも若い、当主になりたての方でした。執政官に怯えていて、それでも・・・」


ふと、木蓮はなにかを思い出すかのように言葉を切り、そして真摯な瞳を連翹に向けて続けた。








「それでも、今の国政をよしとは思っていらっしゃらない様子でした。風蘭と共に民部を調べていた話をすると、『羨ましい』と藍殿は言っていたので」


「蠍隼 藍殿・・・ですか。木蓮殿も確実に人脈を広げていらっしゃいますね」


くすりと笑って連翹が告げれば、なぜか木蓮もくすっと笑いかけてきた。


「兵部に異動して、連翹さんのご友人とお知り合いになりましたよ」


「わたしの友人?」


咄嗟に思い出せず、連翹は首を傾げる。






兵部で縷紅から指南を受けていた頃も、貴族の武官たちは連翹によい顔をしなかった。


それも当然だと思っていたし、慣れていた。


それでも、連翹はどうしても強くなりたくて、桔梗と縷紅の善意で特別に軍の訓練に参加させてもらっていた。


その当時に、特別誰かと親しくした覚えはないはずだったが・・・。








「覚えてないですか?牛筍 水蝋さんなんですけど」


「・・・あぁ、そういえば」


いたかもしれない。名前は忘れてしまっていたが、牛筍一族の若者で、兵部で疎まれていた連翹に色々とちょっかいを出してきたお調子者が。


たしか、連翹と同い年だった気はするが、しかし・・・。








「わたしの友人・・・なんですか・・・?」


ただ単にからかわれて遊ばれているとしか思っていなかったが。


「水蝋さんは、連翹さんのことをとても心配されていましたよ。海燈にも、水蝋さんと一緒に行くんです」


「・・・信用できるのですか、その水蝋という人物・・・」


連翹は警戒心を顕にして木蓮に尋ねる。すると、木蓮はしっかりと首を縦に振った。


「大丈夫だと思います。双長官も信頼されていたようですし」


「・・・そうですか」


縷紅が信頼しているのなら大丈夫だろう。


「本当に水蝋さんのこと、覚えてないのですね、連翹さん」


ほっとした様子の連翹に木蓮が苦笑を漏らす。連翹も思わず笑ってしまった。


「あの頃、わたしに構ってくる貴族にはみな敵意があるものだと思っていたものですから、あまり記憶に留めていなかったのです」








若かったのだと今は思う。


年ごろとしては今の風蘭や木蓮の年令の頃だ。風蘭の護衛として桔梗に任じられ、16歳になって成人してからは、縷紅との『遊戯』は『訓練』に変わった。


そして、特例で兵部で訓練を積むことを許され、ただひたすらに様々なことを学んだ。


その傍らで、貴族の若造たちが何やら騒いでいたが、連翹はあえてそれらを全て無視していた。


今思い返せば、その水蝋という人物のように、純粋な気持ちで連翹に近づいてきた者もいたかもしれなかったのに。










「結局、あの頃は目の前の物しか見えていなかったのですよね」


「すいません・・・。連翹さんの気持ちも考えずに失礼なことを・・・」


貴族の中に放り込まれた、平民である連翹を気遣ってか、木蓮がしゅんとして頭を下げた。


「いいえ、気にされないでください」


にこりと笑って連翹は木蓮に近づいた。そして、低く小さな声で彼に告げた。






「・・・木蓮殿、わたしはここでずっと、あなたがここにいらっしゃるのをお待ちしていました」


「僕を・・・ですか?双大后さまではなく?」


にこにこと笑っていた連翹の表情が一変して真剣なものになる。


「桔梗さまでは、今の風蘭さまに近づくことはできません。反逆者となった風蘭さまに、今最も近付けるのは、木蓮殿です」


きっぱりとそう言い切ってから、ふっと連翹は優しく笑む。


「それに、風蘭さまにとって大切なご友人でいらっしゃる。だからといって、木蓮殿にこちら側に加担してほしいと申し上げるわけではないので、ご安心ください」


「では・・・なぜ僕に?」


再度問い掛けた木蓮に、連翹は小さな声で答えた。








「あなたを信じているからですよ、木蓮殿。あなたが選ぶ未来を」


「だ、だけど、もしも僕が風蘭の敵となったらどうするんですか?!こうしている今、風蘭や連翹さんに剣を向けるかもしれないのに・・・」


「大丈夫、そんなことありませんよ。その証拠に、あなたはわたしたちを案じすぎて執政官に目をつけられてしまったのでしょう?」


くすくすと笑う連翹に、木蓮も苦笑を返すしかない。


「連翹さんにはわかっていたのですね。僕が風蘭の味方になることを」


たとえ、彼が逆賊であったとしても。






「いいえ、これはただの賭けでした。ですが、信じてはいましたよ」


連翹の言葉に首を傾げる木蓮に、彼はさらに言った。


「ずっと木蓮殿をお待ちしていたのです。あなたがここに来る、ということは、風蘭さまのお力になっていただけるのだと思っていましたから」








だから、賭け。


いくら待っても木蓮が連翹のもとを訪れなければ、彼は朝廷側に、芍薬側の人間になるのだと割り切ろうと思っていた。


けれど、それでも危険を犯して連翹のもとを訪れてくれたならば、木蓮は風蘭の一番の味方になり得る存在だと思っていた。


木蓮は、椿同様、風蘭の一番の理解者だと思っているから。










「僕は、風蘭だから風蘭の力になろうとするわけじゃないです」


真摯な瞳で、木蓮は連翹を見る。それは、まぎれもなく官吏の顔つき。


「風蘭が掲げる理想が、僕の望む理想と重なるから、協力するのです。国と民のために、変わるべき朝廷を変えるために」


「・・・えぇ。それでいいのです」


同情や友情で、この争いは乗り越えられない。


揺るぎない己の信念のもとで動くことができなければ。








「どうか、あなたの理想のために風蘭さまをお助けください、木蓮殿」


連翹は牢の中で礼をとる。厳かな彼の態度に、木蓮は慌てた。


「そ、そんな、顔をあげてください、連翹さん」


「・・・わたしにとっては、あなたもまた尊い方なのですよ、木蓮殿」


くすっと笑う連翹に、木蓮は優しく言う。






「・・・本当に、連翹さんは風蘭が大切なのだとわかりますよ」


「え?」


「もう、『坊っちゃん』とは呼ばないのですね」


「・・・あの方は、決意されましたから」


連翹の返事に木蓮は小さく頷くと、さらに声を落として牢の中の衛人に尋ねた。


「近いうちに海燈へ行き、風蘭を引き止めます。彼になにか伝えることはありますか?」


木蓮の申し出に連翹はしばらく考えていたようだが、やがて、にやりと悪戯っぽく笑った。








「では、こうお伝えください・・・」


連翹が木蓮に託した言葉に、託された木蓮まで笑ってしまう。


「わかりました。たしかに伝えます」


そして、木蓮は連翹をそこに残して、大獄を去った。






彼を逃がすのは得策ではない。それを木蓮は知っていたから。




今回は連翹の花言葉でした。

蓮姫が初登場してからず~~っと、このシーンを書きたくてうずうずしていたので、やっと書けてうれしかったです。

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