四章 絡み合う出会い 十話
10、邂逅遭遇
芍薬の即位式も終わり、紫苑姫との婚儀も終え、ようやく木蓮の所属する中部にも落ち着きが戻ってきていた。
一山越えて、木蓮が最初に着手したのは、しばらく放置してしまっていた民部の問題だった。
民部に所属していた兄ふたりが退官してしまった今、木蓮が民部の周辺をうろつくことは不自然極まりない。しかし、風蘭が探ろうとしていたことを木蓮も追い求めたかった。
あまりに不自然な項目と数字。
もしも真実であるなら、戦争すら起きかねない事実。
それを突き止めようとした矢先の前民部長官の死。
今現在、民部長官は新たに選任され、民部も落ち着きを取り戻していた。これで民部も変わるのなら、これ以上の詮索の必要もないかと思われた。
しかし、新たな民部長官の姓は、蠍隼。
式部による選任か、執政官による選任か、それは明らかだった。
木蓮は民部棟まで足を運び、どうしようかと辺りを見渡した。
今や、民部は貝のようにみなが口を閉ざした。下っぱ官吏などは今までなら気やすく話すこともできたのに、今はそれすらできない。
完全に執政官の傘下に置かれた民部は、火の粉が自らにかからぬように口を閉ざすことを選ぶ者が多かった。
「執政官を止められる人がいればいいのに・・・」
蠍隼執政官を止めることができるのは、彼より高位の者だけ。
すなわち、朝廷の頂点である王と、執政官と同位とされる星官。蠍隼一族の当主だ。
暑い夏が過ぎ、冷たくなった風が、木蓮の頬をなでる。
季節がまた、うつりゆく。
「・・・あ」
民部棟で彷徨ったようにうろうろする木蓮の視界に、ひとりの若者が目に入った。年の頃はおそらく木蓮とそう変わらない。
昨年の木蓮同様、秋の新人官吏だろうか。
「こんにちは、こんなところでどうされました?」
民部に配属されたのかもしれない。
新たな民部長官に毒される前に、こちら側に引き込むことができれば・・・。
突然木蓮に話し掛けられた若者は、はっと彼に振り向いた。警戒するような怯えた表情に、木蓮は首を傾げながらも努めてにこやかに彼に話し掛けた。
「僕は中部采女所に所属してます、羊桜 木蓮といいます」
「中部の方が・・・なぜここに・・・?」
当然といえば当然の彼の問い掛けに、木蓮は笑って誤魔化した。
「ちょっと、調べものを。あなたは、民部に新しく配属された方ですか?」
何気なさを装いながら、木蓮はどきどきしながら彼に尋ねた。
しかし、木蓮の期待に反して、青年は首を横に振った。
「いいえ、朝廷には初めて出仕しましたが、民部ではないです。けれど・・・」
憂いを帯びた瞳で、青年は空を見上げた。木蓮は口を閉ざして、彼が続きを言うのを待った。
「この民部の長官に、ぼくの従兄が任命されたのです」
「え・・・?」
青年の思いもよらぬ言葉に、木蓮の思考が止まる。
彼の従兄が、新民部長官?
それでは・・・それでは、目の前にいる青年も、また。
「では・・・あなたも蠍隼家の方?」
「はい。蠍隼 藍と申します」
「そうだったんですか・・・」
断たれた道が、新たに開かれるような気がした。
急に目を輝かせた木蓮に、藍が戸惑ったような表情を浮かべた。
「あ、あの?」
「こちらの長官が藍殿の従兄君でいらっしゃるのなら、お会いすることはできますか?!」
「できる・・・とは思いますが・・・・・・」
木蓮の勢いに押されながらも、藍はたじたじと答える。
「でもなぜ、中部の方が民部長官に会わなければいけないのですか?」
藍の問い掛けに、今度は木蓮は誤魔化そうとは思わなかった。真っすぐに藍を見つめる。
「はっきり申し上げます。実は、民部に怪しい動きがあるのです。僕はそれを詳しく調査したくて、民部との接点がほしいのです」
官吏の顔でしっかりと告げれば、藍は瞳を瞬かせたものの笑うことも呆れることもせず、木蓮の想像外の言葉を返してきた。
「羨ましいです」
「・・・え?」
憂いと羨望を含んだ瞳で返され、木蓮のほうが戸惑ってしまう。
「羨ましい・・・ですか?」
「はい。怪しいものに挑まれるその姿勢と勇気が」
藍はため息をひとつつくと、欄干に手を掛けて庭院を見つめた。その藍の様子を見ていて、木蓮はあることを思い出した。
「今の朝廷は執政官ひとりの独裁で成り立っているとうかがいました。その中で怪しいと思うことに挑むということは、執政官に逆らうことになりかねない」
藍は庭院を見つめたまま、話し続ける。それは木蓮に話すというよりも、自身に語り掛けているようにも見えた。
「ぼくは、執政官に歯向かうだけの勇気が持てない。なにをされるか恐くて、あの目に睨まれるとすくんでしまって・・・・・・」
「僕は、実際に蠍隼執政官にお会いしたことはないのですが・・・。ですが、執政官と直に話したことのある人物もまた、民部が怪しいと執政官に訴えていました」
「高官にそんな方がいらっしゃるのですか?!いったい、どんな方が・・・」
「僕らと年の変わらない、理想者ですよ」
くすりと笑って、木蓮も藍と同じように庭院に視線を向けた。
先程、ふと思い出した。
約一年前、木蓮と風蘭は、こうして民部棟の庭院が見えるところで出会ったのだ、と。
そこで、互いの理想を語った。
朝廷を、国を変えたいと。
「ぼくたちと年の変わらない方で、高官でいらっしゃる方がいるのですか?!」
藍はまだ幼さの残る顔で、必死に木蓮から答えを引き出そうとしている。木蓮は微笑んで、藍に言った。
「そうです。第3公子、獅 風蘭さまだけが、執政官に訴え続けていました」
「第3公子・・・!!」
今では禁句とすらなっている風蘭の名前。
度重なる蘇芳への反発で、とうとう冬星州にまで飛ばされた公子。
しかし、出仕したばかりのこの青年はそのいきさつもまだ知らないだろうと木蓮は思い、彼はその名を口にした。
しかし、藍は予想に反し、瞬時に表情を固くさせた。
「風蘭公子とは・・・冬星州へ左遷された、あの風蘭公子ですか・・・?」
「・・・蠍隼執政官から話を聞いていたのですか?」
「まぁ・・・そんなところです」
おどおどと落ち着かない様子で視線を泳がす藍を見ながら、木蓮は内心ため息をついていた。
風蘭のことを知って、その上で蘇芳に逆らおうとする者は少ない。
まして、藍は同じ一族の年若い青年だ。蘇芳の存在は畏怖すら感じるだろう。
これでは、同志として引き入れることは難しいかもしれない。
「・・・木蓮殿は、風蘭公子とお知り合いだったのですか?国の未来を話すほどに・・・」
「はい。一年前、僕が朝廷に初めて出仕した日にお会いして、それから共に理想を語り合いました」
王族なのに飾ったところも慢ったところもなかった風蘭。
彼が王になれば、きっと民に愛されるよき王になると思ったのだが。
彼は、兄であり、第一公子である芍薬を王にし、その元でつくる国の理想を語った。
「・・・風蘭公子は、王になるおつもりはないのでしょうか・・・」
藍がぽつりとつぶやく。それに対して、木蓮は力なく首を横に振るしかできなかった。
「・・・果たして、本当にそうでしょうか。今も未だ、そうお思いでしょうか・・・?」
「藍殿?」
「もしも、風蘭公子が王になることを決意されたらどうしますか?」
そう尋ねてくる藍の瞳が救いを求めるように揺れている。
なにをそんなに彼は思い詰めているのだろう。木蓮は不思議に思いながらも、同時に彼に尋ねられたその内容にも驚いていた。
「風蘭公子が王になることを決意されるとは・・・それはつまり、謀反をするということでは・・・」
芍薬が王位に着く前ならば、ただの王位争いで済んだかもしれない。
だが、芍薬が王を継いだ今、その上で王になろうと風蘭が言えば、それは謀反になる。
「そうです。もしも、そうなったら、木蓮殿はどうされますか?」
なぜ藍はそんなことを尋ねるのだろう。苦しそうに、焦ったように、そんな仮定を尋ねるのだろうか。
「・・・そうしたら、僕は・・・」
どうするだろう。
国の官吏でありながら、現王に仕える身でありながら、もしも風蘭が逆賊となったら。
そのまま押し黙ってしまった木蓮をしばらく見つめていた藍は、やがて小さくため息をついてから言った。
「申し訳ありません。あなたを混乱させるつもりはなかったのですが・・・」
「・・・いえ・・・」
「民部長官にお会いしたいのですよね?一緒に参りましょう」
淋しそうに笑ってから、藍は民部棟の扉を開いた。慌てて木蓮も追い掛ける。
藍は民部長官の室がどこかわかっているのか、迷いなく進む。
長官室らしい扉が見えてきたところで、その近くで見張りなのか佇んだままの官吏に、藍が声をかけた。
「蠍隼 藍と申します。民部長官にお目通りを願いたいのですが・・・」
その官吏は、蠍隼と聞くと、慌てて長官室に報告に行った。その様子を眺めながら、木蓮は藍に感心しながら言った。
「よく迷わずに長官室がわかりましたね?」
「どちらの部棟でも構造は似たようなものではありませんか?ぼくの屋敷もこんな造りですし」
こともなげに藍に言われ、木蓮はなるほど、と改めて今歩いてきた道を思い返す。たしかに、民部棟の造りは、木蓮が所属する中部棟と構造が似ていた。
しかし、知らない部署にいる、という疎外感と落ち着かない気分のせいで、冷静に判断することができなかった。
「・・・どうぞお入りください」
取り次いできた官吏に従い、藍と木蓮は長官室に足を踏み入れた。区切られた室の中のさらに奥にある一室。
そこが民部長官個人の執務室であるらしかった。
扉を叩き、藍が丁重に告げる。
「藍です。入ります」
藍と共に木蓮も入室し、ぴたりと足を止めてしまった。先客がいたのだ。
「あ…」
藍も思わず声を洩らす。
その声に気付いた先客の男が顔だけこちらにむけて振り向いた。
「おやおや。こんなところでお会いするとは奇遇ですね」
木蓮は隣にいる藍に目を向けると、彼は驚愕のために瞠目していた。その中には恐怖も見てとれる。
木蓮は初めて見るその人物をまじまじと観察した。
明らかに上質とわかる衣。
年齢を感じさせない覇気。
同時に存在する貫禄。
その鋭い視線には、相手を貫くほどの狡猾さを持っている。
いったい、この人物は何者なのだろうか。
民部長官と話していたくらいだから、高官には違いなさそうだが・・・。
「こちらは、藍殿のご友人ですか?」
木蓮に視線をやってから、その男は藍に尋ねる。だが、肝心の藍は、小さく震えてうつむいたまま、何も答えない。
仕方なく、木蓮は自分から名乗ることにした。
「中部采女所に所属しております、羊桜 木蓮と申します」
「・・・采女所?そこの官吏がなぜここに?」
男の視線が急に険しいものに変貌する。責めるように問い詰められ、木蓮は正直に話すことをためらってしまう。
「・・・ぼくの友人なのですよ。それで、民部長官に会いにいくぼくに付き合ってもらっていたのです」
声を震わせて、木蓮の後ろで藍が小さな声で男にそう言った。
男は訝しげに眉を寄せたが、否定はしなかった。
「なるほど、民部長官に会いに、ですか。それで彼がお供に来たわけですね」
探るような視線を木蓮に投げながら、男は頷いた。木蓮は、この男の視線の鋭さに、完全にすくんでしまっていた。
なんなのだ、この男は・・・。
しかし、この男の口振りからすれば、藍とは知り合いらしい。
そして藍の態度から察するに、木蓮が民部にいる目的は、正直に話さないほうがいいということだ。
「羊桜 木蓮殿、だったね」
突然男に名を呼ばれ、木蓮は一瞬反応に遅れた。
「は、はい」
「ご苦労だった。もうさがりなさい」
「で、ですが、僕も民部長官にお話がありまして…」
「民部長官に話?君が?なぜ?」
再び男の瞳の中に鋭い光が宿る。ふと視線をはずせば、民部長官が興味深そうにこちらを見てくるのが見えた。
藍の従兄とはいえ、ずいぶん年の離れた従兄のようで、どう見ても彼は藍よりもひとまわりは年上のようだった。
目の前の男の反応を伺いながらも、藍のように怯えているのでもなく、ただ純粋に尊敬しているかのような視線を向けていた。
「わたしに、何の話が?」
その新たな民部長官が木蓮に重ねて尋ねてくる。目の前に立ちはだかるこの謎の男が余計だが、木蓮はこれが最後の機会だと思って口を開いた。
「実は・・・」
「永らくご無沙汰していました」
木蓮を遮るようにして、藍が言葉を被せてきた。その慌てた様子と不自然な行為に、木蓮も口をつぐむ。
「こちらへのご挨拶が遅れて申し訳ございませんでした・・・・・・蠍隼 蘇芳執政長官」
小さな声でおどおどしながらも、木蓮の前に進み出て礼をとった。
驚いたのは木蓮だ。
今、藍は何と言ったか。
この目の前の男に、威圧感のある精悍な男のことを、何と呼んだか。
「蠍隼・・・執政官・・・?」
今、王よりも権限を持ち、この星華国を操る頂点の存在。
風蘭を冬星州に追いやった存在。
その存在が今、目の前にいる男なのか。
「いかにも。羊桜家三男、木蓮殿」
蘇芳にそう言われ、木蓮はぞっとする。
言ってもいないのに、蘇芳は木蓮が羊桜家の三男だと言い切った。
下っぱ官吏に過ぎない木蓮の家族構成さえ、頭に入っているというのか。
「三男という存在は、よほど民部に興味があるとお察しする」
丁寧だが冷たい口調で、蘇芳は木蓮を見据える。その言葉の意味に瞬時に気付いた木蓮は、頭が真っ白になる。
気付かれた。
いや、気付いていたのか。
同じ『三男』である風蘭と民部を調べていたことを。
「ち、違います、執政官。彼はぼくに付き合ってくれただけで・・・」
なお木蓮をかばおうとする藍のことを、木蓮は申し訳なくなった。
だが、これ以上藍に関わってしまえば、彼に迷惑がかかってしまう。この蘇芳という男は、風蘭の話によれば冷酷極まりないのだから、抵抗する者は同じ一族だろうと、新米官吏だろうと容赦しないだろう。
「藍殿、あとは・・・」
「新米官吏風情が藍殿の名を軽々しく口にしてほしくはありませんね」
蘇芳の鋭い言葉が、木蓮の言葉を貫いて遮る。
「え・・・?」
言われた意味がわからず、木蓮は蘇芳と藍を交互に見比べた。やがで蘇芳が嘲笑しながら、木蓮に告げる。
「おや、ご存じなかったか、木蓮殿?」
そして、蘇芳は藍の肩を軽く叩いて木蓮にさらに言った。
「この方は、我が蠍隼一族の当主であられる方。つまり、蠍隼星官と呼ばれる存在なのだよ」
木蓮の目がみるみると見開かれる。
藍が、星官。
蠍隼一族の当主。
執政官である蘇芳と並び立つ者。木蓮は、その事実に、思わず言葉を失った。
人物ばっかり増えていきますね~(笑)
そして、じわじわとこわ~い存在になっている、蘇芳のおじさま・・・(笑)
まだまだ彼の陰謀は続きます。