四章 絡み合う出会い 四話
4、烏孫公主
気付けば、一年が過ぎていた。
幼い頃から夢見ていた、王妃という立場。
物心ついたころには父から様々なお妃教育を受けていたが、特に苦に感じたことはなかった。学ぶことは楽しかったし、なによりそれが未来の王の役に立つのだと思うと、うれしかった。
だから、妃審査の日取りが決まっても、不安よりも期待が大きかった。
国を支える王を支える。それが王妃の務め。
そこに近付けると思ったから。
けれど、朝廷で医官として働いていた楓から聞いたのは、衝撃的な事実。
当時の王であった芙蓉陛下は政を一切行わない王だというのだ。その正妃である双貴妃もまた、王を諫めることはしない。
それどころか増えていく妾妃にすら、関心を示していない様子だというのだ。
思い描いていた、王妃という立場。
王と共に国を支えていけるのだという、夢。
楓の話を聞いて、なにかが自分のなかで崩れていくのを感じた。
次いで言われた、次代王と言われている芍薬公子もまた、芙蓉陛下と変わらぬ姿勢だということもまた、余計不安にさせられた。
言いようのない、巨大な闇が覆いかぶさるような、不安。
あんなにも期待し、思い描いていたものを完全に否定する、現実。
不安と悲しみ、絶望に暮れていた彼女を救ったのは、意外にも、同じ妃候補の雲間姫だった。
「嫁ぐ相手に不安があるなら、自分で相手を育てなさい」
2年も病で臥せっていた姫とは思えない、力強く自信ある態度に、自然と引寄せられた。
妃審査に勝ち抜き、必ず王妃の地位を得るのだと敵意を顕にする槐姫もまた、自分にはないものがあって驚きだった。
王妃の『立場』を望む自分と王妃の『地位』を望む槐姫。
その思いの違いに、戸惑うことも少なくなかった。
海燈で行うはずだった妃審査も突然の芙蓉陛下の訃報により、後宮で行われることになり、あまりの展開に戸惑うしかできなかった。
目まぐるしく変わる環境と、父や楓、野薔薇と離れて生活する孤独感に落ち込んでいるときに、出会った。
もうひとりの王位継承者、風蘭公子に。
彼は、まっすぐな瞳で言った。「国を変えたい」と。
そのあまりにも眩しい想いと姿に、なぜか胸が苦しくなった。自分の気持ちにまっすぐで、迷いがない。
けれど、相手を思うあまりに苦しんでいる。
そんな彼を支えてあげたいと、無意識に思っていた。
風蘭公子にもらった白椿の花を大切に押し花にするほどに、気付けば彼を想っていた。
しかし、突然朝廷は動きだす。
雲間姫の伯父である民部長官の死をきっかけに、彼女の周りは目まぐるしく変化した。
風蘭公子の左遷、雲間姫の退去、槐姫の妃候補辞退、芍薬公子の即位式。
この一年で、環境は季節よりも激しく移りゆき、なんと、数日後には芍薬王の婚儀が控えていた。
つまり、紫苑が王妃となる日がすぐそこまで、迫っていた。
「思い返せば様々なことがあったのに、あっという間の一年だったわ」
「それでも、あと数日すれば紫苑姫さまは貴妃になられるのです。きっと、これからのほうが大変ですよ」
ぽつりとつぶやいた紫苑に、シオンの花と同じ色の紫の衣を携えた夕霧が、にっこりと笑ってそう言った。
「そうね・・・って夕霧?その衣裳はなにかしら?」
「こちらにお召し替えください、紫苑姫さま。北山羊 柊さまがいらっしゃいます」
なんてことないように、さらりと言った夕霧の発言に紫苑はさっと青くなった。
「北山羊 柊さまって、神祇所所長の?!」
「もちろんです」
「そんな話、聞いていないわ、夕霧?」
急いで用意された衣に着替えながらも、紫苑はじろり、と夕霧を睨む。それもまた愛らしいのだが、後ろめたさのある夕霧は、申し訳なさそうにしょんぼりと白状した。
「北山羊さまにぎりぎりまで紫苑姫さまにお伝えしてはいけないと仰せつかったので」
「なぜかしら?」
「妃審査だから、だそうです」
夕霧の告白に、紫苑の目が点になる。
今、さらっと予想外のことを言われた気がする。
「・・・・・・な、なんのため・・・ですって?」
「お妃審査です」
答える夕霧は確信をもってしっかりと答える。それを聞いた紫苑の方は、あまりの突然なことに目眩を覚えた。
「今からなの?!」
「まもなくですね。そろそろお約束の刻限になりますので」
夕霧も紫苑の着替えを手伝う。彼女は異例の出世で徒女として働いていたが、衣女としても紫苑のために働くことが多かった。
「がんばってくださいね、姫さま!!これを乗り越えれば、芍薬王の正妃とおなりになるのですから!!」
芍薬王の正妃。
その響きに、紫苑の胸はちくりと痛む。なにも悪いことなどないのに、『誰か』に申し訳ない気持ちと、裏切ってしまうような想いがこみあげて、紫苑の胸をしめつける。
では、『誰に』?
「紫苑姫さま?」
夕霧に問われ、紫苑ははっと我に戻る。心配するような夕霧の視線が、紫苑に戸惑ったように問い掛けている。
「どうかされましたか、紫苑姫さま?」
「いいえ、なんでもないわ。お妃審査と聞いて、驚いただけよ」
「大丈夫です!!紫苑姫さまなら必ずお妃審査は通過されます!!」
夕霧が力一杯力説するので、思わず紫苑は顔を綻ばせてしまう。夕霧がそばにいてくれてよかったと、今更ながら彼女を推薦してくれた筆頭女官淡雪と、木蓮に感謝する。
野薔薇も双大后のもとでがんばっている。
「妃審査、がんばらなくちゃね」
夕霧に、というよりは自分自身に言うように、紫苑は力をこめてつぶやいた。
妃審査。
それがどういうものか、誰も知らない。学問を問われるのか、舞踊、礼儀、作法を問われるのか、まったくわからない。
それとなく双大后に尋ねたこともあったが、笑ってごまかされてしまった。
「北山羊 柊様、いらっしゃいました」
夕霧が緊張した声で告げる。同時に、夕霧自身も室から出ていってしまった。
始めからそういうことになっていたのだろう。柊は夕霧と入れ違いに入室し、柔らかく微笑んだ。
「お久しぶりです、紫苑姫」
「お久しぶりです、柊様」
深々と紫苑も礼を返して言う。
紫苑の室にやってきた柊は、妙なものを手に持っていた。漆の器を持っているのはまだいい。
だが、その器の中にあるのは、まるで砂金のように黄金色に輝く砂だった。
「紫苑姫、妃審査のために参上いたしました」
簡潔にそれだけ告げると、彼女は床に一枚の半紙を広げる。
「柊様?」
「紫苑姫は、妃審査とはどのようなものだと思われますか?」
紫苑の呼び掛けには答えず、柊は半紙を二枚重ねてその場に広げた。
「え・・・と、教養を問われるものではないかと思っていたのですが」
「それは違いますね。王妃を目指す姫は、どの姫も並々ならぬ教養をお持ちです。今更試す必要すらありません」
きっぱりと否定し、柊は漆の器を半紙の上に置いた。
「神祇所所長が代々妃審査を行っていたのは、その能力をもって正妃となるに値する方を見極めるため」
芯の強い瞳で紫苑を見つめる柊は、そっと紫苑の両手をとった。
「その想いが真に今上陛下の想いと重なるか、我らが見極めるのが、妃審査」
「どうやって・・・」
両手を奪われた紫苑は、困惑して柊を見上げる。その柊は、実に優しく紫苑に微笑んだ。
「この砂は『星砂』と言われる、北山羊一族が住まう白露山にだけある特殊な砂。星読みをする我ら一族にとっては、星読みと同じ効力を示す砂」
さらさらさら、と紫苑の両手にその『星砂』を柊は流す。紫苑はその貴重な砂を取り溢すまいと、両手で深く器をつくった。
「その砂にあなたの想いを込めて、この半紙に少しずつ流してください。あなたの想いが、ここに広がります」
柊の言い方は柔らかく優しいのに、なぜか疑問をはさむ余地も抵抗する力もなくすものがあり、紫苑は素直に半紙の真上に『星砂』を抱えた両手をかざした。
ひとつ、深呼吸をする。
想い。紫苑の、『王妃』への想い。
言葉として表すことの難しいその想いを、紫苑は砂に乗せて半紙へ流す。
さらさらと涼しげな音をたてて、半紙に砂が落ちていく。
白露山にのみ存在する、『星砂』が。
やがて、紫苑の手のひらにはひとつぶも砂はなくなってしまった。半紙には小さな山ができている。
これで妃審査ができているのだろうか。
「あの・・・」
「しっ・・・」
柊はそっと紫苑を制止させると、真剣な面持ちで、重ねた半紙の一枚を横に並べた。そしてもう一枚の半紙の上に山になっている『星砂』を一瞥すると、さっと砂の乗った半紙をもう一枚の半紙の上に引っ繰り返した。その予想外の行動と、なぜか神秘的なものを感じさせる行為に、紫苑はなにも言うことができない。
そして、重ねた半紙の一枚を柊が手に取り表面を見れば、そこには『星砂』が描く夜空があった。
瞬く星の代わりに、きらきらと輝く砂があちらこちらに散らばり、白い半紙の上に星空を描いていた。
「すごい・・・・・・!!」
感動する紫苑の目の前で、柊は難しい顔をしてそれを睨み付けている。紫苑はそれをどきどきしながら見守るしかない。
もしも王妃にふさわしくないと言われれば、たとえ妃候補に残ったのが紫苑ひとりだとしても、正妃になることはできないのだ。
「大丈夫ですよ、紫苑姫」
不安げに見守る彼女に、柊はくすりと笑ってうなずいた。
「あなたは王妃となるにふさわしい方。その優しい想いはたしかに芍薬王の支えとなりましょう」
柊の言葉に、紫苑はやっと体中の力を抜いてほっとさせた。しかし、柊の微笑みが消え、射るような視線を紫苑に投げ掛けてくる。
「ですが紫苑姫。あなたの辿ろうとする道はひどく険しい。たしかにあなたは王妃となるが、それと引き替えに多くのものを失うことになる。自らの心に、偽りを告げることもあるでしょう。それでもあなたは、王妃となることを望みますか?」
先読みの能力に秀でた神祇所所長である柊の、予言も含めた確認。
自分の心に偽りを。
それは、この、『誰か』を裏切るような悲愴感だろうか。
でも、たとえそれでも。
「王妃となることは、私の幼い頃からの夢であり、誓い。そこに偽りはございません」
王を支える王妃に。
現王芍薬を支える、妃に。
その想い、誓い、願いに嘘はない。
はっきりとそう告げた紫苑に、柊は少し悲しそうに笑った。
「では、あなたの未来に幸多からんことを」
そして、ささっと柊は半紙や砂を片付けると、そのまま室を立ち去ってしまった。室の外で待機していたのか、すぐに夕霧が入室してくる。
「妃審査はいかがでしたか、紫苑姫?!」
「どう・・・だったのかしら・・・・・・?」
そのあまりにも神秘的で不可不思議な雰囲気に呑まれてしまい、紫苑はつい先ほどの記憶さえ危なっかしい。
妃審査は、結局どうだったのだろうか。
「柊様は、たしかに私は王妃になるとおっしゃっていたわ」
あの不思議な砂で描かれた夜空のような半紙を見つめ、柊はたしかにそう言っていた。だから、紫苑にその覚悟を確かめた。
「まぁ、やっぱり!!よかったですね、紫苑姫!!妃審査も終えて、これで堂々と王妃におなりになれますね!!」
我が事のように喜ぶ夕霧を見ていて、紫苑は思わず微笑む。無邪気に喜ぶ夕霧が、今の悩む紫苑の心をすくいあげる。
そう、妃審査も終えて、紫苑は決まったのだ、王妃に。
28代国王芍薬の妃に。
「これから、王妃に、なるのね」
噛み締めるように確かめる。それを夕霧がゆっくりと頷いて答えた。
「婚儀のお支度を整えましょう、紫苑姫さま。あ、あと、野薔薇さんにも報告しておきますね」
「お願いね」
幼い頃の約束。
紫苑は王妃に。野薔薇は王妃付きの女官に。楓は医官に。
その約束であり、誓いは、確実に前進していると紫苑は信じていた。
そして、それから数日の後。
即位の儀に並ぶほど厳かな雰囲気の中、紫苑は王妃として百官の前に姿を現わした。
神祇所所長である北山羊 柊が取り仕切る婚儀の儀で、初めて紫苑は芍薬と顔を合わせた。
なにもかもが初めてで、その雰囲気に呑まれて緊張している最中に、彼女は自分の夫となる人物と対面した。
初めて対面する芍薬王は、新王にもかかわらず、すでに疲れ切った顔をしていた。芙蓉王が即位したときよりは年令を重ねているとはいえ、彼もまた若き王。
諸官たちに、特に執政官に振り回されているのかもしれない。
この方をお助けするのが、私の務め。
紫苑は、そのときはっきりと、自分が為すべきことを実感し、感動していた。
愛らしく新王に微笑んだ紫苑は、百官に見守られる中、そうして芍薬との婚儀を終え、名実ともに28代星華国国王妃となったのだった。
とうとう紫苑が結婚しちゃいました!!
さてはて、どうなるのか、この三角関係?!(笑)
それにしても、登場人物多いですね~(今更)